314 ちょっと一服、1969年(昭和44年)の音楽事情

私が小学生3年生の時に家にテレビがやってきました。初めは月光仮面やポパイや相撲やプロレスなんかを観ていましたが、ほかの番組にも興味を持った時、そこに現われたのが愉快なオヤジ集団でした。
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11歳の夏に発売されたハナ肇とクレージーキャッツの「無責任一代男」を聴いた途端に、私は勇気づけられました。この歌の作詞は青島幸男、作曲は萩原哲晶、もちろん歌っているのは植木等ですよ。

東宝クレージー映画の第1作『ニッポン無責任時代』の主題歌として作られたこの歌は映画と共に大ヒットします。ヒットの理由について作詞家の青島は、「大人たちの不誠実さも反吐が出るほど見せられてきた戦後の若い世代には、この歌は我が意を得たとばかり受け入れられたに違いない」と自らの詞を分析しています。

これ以降、植木はこの歌の「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」というフレーズと共に「無責任男」というイメージが定着することになるのです。このフレーズを聴いた私はその後の人生観を決定づけられてしまいました。自分勝手な解釈ですが、もうコツコツと勉強する時代は終わったのだ、と。

という訳で、高校3年生になった私は「楽して大学進学を狙うにはコレしかない」という手を思いつきます。それが、子供の頃から得意としていた絵を描いて受験できるという美大進学への道でした。1969年、私は画塾に通いながら受験生とは思えないくらいのんびりとした日々を過ごします。

a0038167_10042182.jpgさてこの年は、1月18日から19日にかけて東大安田講堂攻防戦があり、東大内での逮捕者は600名以上となり、この影響で東京大学の入学試験が中止されます。私の通っていた高校の先輩にはこの影響で東大受験を断念した人もいました。


a0038167_10043713.jpg明るい話題としては7月20日、アメリカではアポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たします。今でもその真偽が問われていますが、そんなことはどうでもいいのです。私にとっては翌8月15日から17日(現地時間)に、アメリカはニューヨーク州サリバン郡ベセルで行われた野外ロック・フェスティバル『ウッドストック・フェスティバル』の方に興味が行っていたのです。約40万人の観客の食事とトイレの事情はどうなっているのか?と。

a0038167_10045497.jpgそうこうするうちに大晦日を迎えます。第11回日本レコード大賞が決定しました。「いいじゃないの幸せならば」という刹那的な歌を歌ったのは佐良直美。最優秀歌唱賞に森進一の「港町ブルース」、そして最優秀新人賞にはピーターの歌った「夜と朝のあいだに」でした。さらに同じ日の夕刻から始まった第20回NHK紅白歌合戦は、ピンキーとキラーズの登場でポップス歌謡時代の幕開けとなります。

a0038167_10054442.jpgこの年に流行った曲というと、由紀さおりの「夜明けのスキャット」、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、前述のピンキーとキラーズによる「恋の季節」、皆川おさむの「黒ネコのタンゴ」、森山良子の「禁じられた恋」、青江三奈の「池袋の夜」、内山田洋とクール・ファイブの「長崎は今日も雨だった」、カルメン・マキの「時には母のない子のように」、藤圭子「新宿の女」、ザ・キング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」などが挙げられます。

a0038167_10055732.jpgまた洋楽では、やはり断然強いのがビートルズでした。「ゲットバック/ドントレットミーダウン」、「カムトゥゲザー/サムシング」、「ジョンとヨーコのバラード」と立て続けにヒット曲を連発します。勢い余って他人にも曲をプレゼントしてそちらもヒットしています。それがメリーホプキンの「グッドバイ」でした。

a0038167_10214649.jpgさらにローリングストーンズ の「ホンキートンクウィメン/無情の世界」、サイモンとガーファンクルは「ボクサー/ベイビードライバー」、B・J・トーマスの「雨に濡れても」、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの「プラウドメアリー」、ピーターポール&マリーの「悲しみのジェットプレーン」などとジャンルも多彩な年でした。


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# by scoop8739 | 2018-09-06 10:22 | ブレイク・タイム