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507 ブルーグラス・ダイアリー 4月編(その9)

4月20日
ハイロ・ブラウン誕生(Frank Brown Jr./1922年)

507 ブルーグラス・ダイアリー 4月編(その9)_a0038167_08420811.jpgハイロ・ブラウンは本名をフランク・ブラウン・ジュニアといいケンタッキー州ジョンソン郡に生まれ、アパラチア地方の民族音楽に親しみ育ちます。

彼はアッシュランドのラジオ局WCMIでパフォーマーとしてのキャリアを始め、作曲をするようになりました。

それからオハイオ州スプリングフィールドに引っ越してからは、作曲をしたり、地元のラジオ局でまた演奏し始めます。

同州ミドルタウンのWPFBラジオ局に出演中、司会者がフランクの名前を思い出せず、「ハイロー」(Hi-Lo)と呼んだため、以後彼はニックネームを「ハイロ」(Hylo)としました。

1950年になって、彼はフォーク歌手のブラッドリー・キンケイドと共にスプリングフィールドにあるWWSOラジオ局のスタジオでレコーディングをしています。

その4年後には「ロスト・トゥ・ ア・ストレンジャー」(Lost To A Stranger)という曲を書き、キャピトル・レコードのA&R担当者に送りました。この曲はキティ・ウェルズが録音するのを意図して書いたのですが、結局ハイロ自身が歌うことになります。ところが、それが功を奏してかハイロ初のヒットとなったのでした。

その時のレコーディングにはバンジョーにジョー・ドラムライト、フィドルにゴードン・テリー、マンドリンにレッド・テイラー、ベースにハワード・ワッツらが加わっていました。

https://www.youtube.com/watch?v=5tWE6DieK5U/

ハイロは1955年初頭、ウェスト・ヴァージニア州ホイーリングで行われたWWVAジャンボリー出演するため「バック・スキン・ボーイズ」というバンドを結成します。

507 ブルーグラス・ダイアリー 4月編(その9)_a0038167_08424109.jpg1957年になって「マーサ・ホワイト・ミルズ」のショーでフラット&スクラッグスに参加し、ソロで歌ったり、フォギー・マウンテン・ボーイズに加わり定期的に歌いました。

そのうち彼はバンド名を「バック・スキン・ボーイズ」から「ティンバーライナーズ」(Timberliners)と改名します。

507 ブルーグラス・ダイアリー 4月編(その9)_a0038167_08431324.jpgこのバンドは、ギターにハイロ、マンドリンがレッド・レクター、バンジョーはジム・スモーク、フィドルはクラレンス・テイター・テイト、ベースはジョー・フィリップスというメンバーで構成されていました。

https://www.youtube.com/watch?v=4xPj_dcRpD0/

キャピトルとの契約が終了すると、ハイロは1961年にスターデイ社と契約します。この頃作曲した歌が、ジミー・マーチンによって有名になる「グランド・オール・オープリー・ソング」(Grand Ole Opry Song)でした。

https://www.youtube.com/watch?v=dQGx05_3fPw/

https://www.youtube.com/watch?v=G6cT2Iv72sU/

ハイロは1991年にリタイアし、オハイオ州メカニクスバーグに移りますが、2003年1月17日、オハイオ州クラーク郡スプリングフィールドにて亡くなっています。


# by scoop8739 | 2020-04-20 08:44 | Who's Who