人気ブログランキング | 話題のタグを見る

526 ロンサム・パイン・フィドラーズの歴史(その6)

第5章

526 ロンサム・パイン・フィドラーズの歴史(その6)_a0038167_08311359.jpgその後レイ・ゴインズが去り、チャーリー・クラインがバンドに戻ってきて、マンドリン奏者のチャールズ・パーカーの後釜としてエズラの義理の弟アルバート・プントゥリ(Albert Punturi)が加入します。

1952年の秋、フィドラーズ(エズラ、チャーリー、カーリー・レイ・クライン、ポール・ウィリアムズ)は、ブルーフィールドからウェスト・ヴァージニア州オークヒルに移りました。

526 ロンサム・パイン・フィドラーズの歴史(その6)_a0038167_08313731.jpgその後、1953年1月から11月の間、デトロイトに活動の場所を移しWJR局と土曜日の夕方のビッグバーン・フロリックに出演しています。そこに滞在する間、バンドは後にカントリー・ミュージック界で成功するスキーター・デイヴィスのいたデイヴィス・シスターズがレコーディングの際にバック・バンドとして参加しました。

新しいメンバーになってのセッションは1953年8月4日にミシガン州シカゴにあるRCAビクターのスタジオで行われます。

Honky Tonk Blues (Curley Clain - Charles Clain)

You’re No Good (Charles Clain)

I’ll Never Change My Mind (Curley Clain - Charles Clain)

Dirty Dishes Blues (Gene Masters)

Lonesome Pine Breakdown (Curley Cline)

Five String Rag (Charles Cline)

https://www.youtube.com/watch?v=tXRH1Bq-ru4/

https://www.youtube.com/watch?v=l4GgUYYjqyY/

さらに1953年11月、ケンタッキー州パイクビルに活動の場所を移しWLSIラジオ局に出演しますが、チャーリーはこの時ビル・モンローのバンドに再び加わっています。これ以降、バンドは休止状態となります。


# by scoop8739 | 2020-05-25 08:32 | バンドの歴史