317 「ニューグラス」への道(その34)

ブルーグラス・フェスティバルの地道な努力

ビル・モンローやリノ&スマイリーのマネージャーを歴任し、ブルーグラス界のプロモーターであったカールトン・ヘイニーは、フォーク・リヴァイヴァルの時代からフェスティバルというものに強い関心を持って接していました。

1965年夏の「ニューポート・フォーク・フェスティバル」において、ボブ・ディランがバターフィールドのバンドを伴ってロック仕立ての演奏を始めた時、ヘイニーは「フォークの時代が終わった」ことを実感します。

ヘイニーはブルーグラスの置かれている状況と将来を見据え、それをブルーグラスに応用しようと考えます。彼はフェスティバルがブルーグラス音楽に対する興味を実質的に成長させ刺激となり得るものと考えていました。

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そして同年9月にブルーグラス音楽が根強く定着しているヴァージニア州南西部にあるロアノークで初のブルーグラス・フェスティバルを開催します。全米に宣伝した甲斐があったのに加え、1960年代後半から高速道路網の拡大も伴って比較的用意に長距離を旅行することが可能になりました。そのため地元からはもちろん、アメリカ各地に住むブルーグラス愛好家たちがキャンピング・カーを仕立てて参加してきました。

入場者はブルーグラス音楽に対する興味や関心を共有し、持参した楽器でジャム・セッションをしたり、地元のセミプロのバンドと一緒に演奏を楽しみました。ヘイニーのこの試みは上手くいき、1970年代にはブルーグラス・フェスティバルの奔流となります。

1960年代後半には人々がキャンプに対する強い関心を持ち始め、企業もそれに対応するようにファンシーな自動車やレジャー用品市場の開拓を活発化させるなど、“週末キャンパー”を増やす要因となりました。こうした傾向は全米各地でロックやジャズを始め、あらゆる音楽ジャンルのフェスティバルが盛んになります。

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代表的なものとしては、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間(あるいは、8月15日午後から18日午前にかけての4日間)、ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれたロックを中心とした大規模な野外コンサート「ウッドストック・フェスティバル」でした。このフェスティバルは約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンター・カルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれています。


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# by scoop8739 | 2018-09-18 09:15 | Road To New Grass