301 ちょっと一服、1968年(昭和43年)の音楽事情


1968
年、私は高校2年生。将来に対する夢も希望も漠然としていて、ともかく東京に行けば何とかなるとだけの思いで東京の大学に進学する方法を模索していました。

東京の大学と言えば、日本大学による使途不明金20億円など大学当局の不祥事(この頃から日本大学には常にキナ臭い事件が付き物でした)に端を発して学生が立ち上がる、所謂「大学紛争」が勃発します。

東京大学では自重を呼びかけた母親たちに学生が発した「とめてくれるなおっかさん」という言葉が流行語にもなっています。東大安田講堂攻防戦は翌年1月のことでした。

a0038167_09254358.jpegそんな年に「三億円事件」が発生しています。日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が白バイ姿の男に乗り逃げされた、あの有名な事件です。

事件から1年5ヶ月後に私はその地で暮らすことになりますが、当時は国分寺周辺に住む1万人をリストアップし、10億円もの費用と17万人の捜査員を動員して捜査に当たったそうです。しかし未決のまま昭和50年(1975年)に時効となりました。

国際情勢ではベトナム戦争への反戦ムードが高まり、「反戦集会」、「ヒッピー・スタイル登場」、「サイケデリックな広告やファッションの流行」など明るい浮ついた雰囲気の中にも、基調となる暗い影が全体に広がりを見せていた時代ともいえます。

テレビの世界でも、「巨人の星」や「ゲゲゲの鬼太郎」、「サイボーグ009」などの名作が放送開始となったほか、野際陽子や千葉真一が活躍した「キイハンター」が人気を博していました。

さてそんな1968年の我が国の音楽事情ですが、タイガースやテンプターズを代表とするグループ・サウンズが全盛期を迎えています。

またザ・ピーナッツの「恋のオフェリア」や「恋のロンド」がヒットしたり、千昌夫の「星影のワルツ」、東京ロマンチカの「小樽のひとよ」などのムード歌謡も流行していました。

11月4日にはフジテレビ系列にて伝説の音楽番組「夜のヒットスタジオ」が放送開始します。

a0038167_09251112.jpegこの年の「第10回日本レコード大賞」には黛ジュンの歌った「天使の誘惑」が選ばれました。

洋楽では主流がサイケデリックからバブルガムへ移行し、クリーム、ジミー・ヘンドリックス、ヴァニラ・ファッジなどハード・ロックも流行った年でした。また、「恋は水色」のポール・モーリアやボビー・ゴールズボロ、セルジオ・メンデスに代表されるアダルト・コンテンポラリーも人気を博します。

a0038167_09252631.jpeg今では初登場1位が時々起るビルボードのシングル・チャートですが、この年の年間1位であるビートルズの「ヘイ・ジュード」(Hey Jude)はこの時、初登場10位での記録だったのだそうです。

そして10位→3位→1位と上昇し9週連続の1位となりましたが、翌年1969年には同じビートルズの「ゲット・バック」(Get Back)が同じように10位→3位→1位と上昇して5週連続1位になっています。

「ヘイ・ジュード」はポール・マッカートニーが(ひとりで寂しそうにしていた)ジョンの息子ジュリアンに書いた曲で、翌年にリリースされた「ゲット・バック」は(ジョンによれば)ポールがジョンに小野洋子のもとから戻って欲しいと願いを込めて書いた曲だそうです。

ポール・モーリアの「恋はみずいろ」(Love Is Blue(LAmour Est Bleu) は、1967年にヴィッキーの歌で発表されましたが、この年、ポール・モーリア編曲のインストゥルメンタル・バージョンが爆発的にヒットし、数多くのアーティストによってカバーされます。

前年1210日に航空事故により26歳で他界したジョージア州出身のR&B歌手オーティス・レディングもこの「ドック・オブ・ベイ」が (Sittin’ On The Dock Of The Bay) 41位で年間4位に入っています。


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# by scoop8739 | 2018-07-17 09:29 | ブレイク・タイム