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386 愛しの泡沫アルバム(その50)

フット・ヒル・ボーイズ

オールド・タイム、マウンテン・ミュージックの聖地ゲイラックスにあるブルー・リッヂ山岳地帯マウント・エアリー地域の出身で、かつてチャーリー・モンローやジム・イーンズなど多くのブルーグラス・レジェンドと共に活動してきた名手たちが集ったグループが「フット・ヒル・ボーイズ」(The Foot Hill Boys)でした。

フィドルのウェイバーン・ジョンソン(Wayburn Johnson)は1928年にウェスト・ヴァージニア州ローガンで生まれ、幼い頃にマウント・エアリーに引っ越してきました。

彼がこのバンドに参加する以前は、ウッディ・ウッディとウッドチョッパーズやアート・ジョンソンとサザン・メロディーズ、アル・ホークスとメロディ・メーカーズ、チャーリー・モンロー、ジム・イーンズ、マック・ワイズマン、ルディ・ライルとジョンソン・ブラザーズ、オスカー・サリバンとラリー・リチャードソンなど様々なバンドで演奏していました。

またジョンソンは1971年にいくつかの州開催の選手権やユニオン・グローブ・グランド・チャンピオンシップなどで多くの賞を獲得しています。

バンジョー奏者のカレン・ギャリアン(Cullen Galyean)は1939年に生まれ、ラルフ・スタンレーの影響を受けて16歳の時に初めてボビー・ハリソン(後述)らと共にヴァージニア・マウンテン・ボーイズに加入します。その後はチャーリー・モンローやハイロ・ブラウンのバンドでも活動していました。

a0038167_09565018.jpg彼はマウンテン・ランブラーズが1959年にアトランティック・レコードからリリースしたアルバムではフィドルとバンジョーを演奏しています。

1960年代半ばにはM-K-B社でエド・ヴォグラー(Ed Vogler)と一緒にシングル盤3枚をレコーディングしていました。その盤でギャリアンはギターを弾き、1969年にボーダー・マウンテン・ボーイズとしてホームステッド社盤でリリースされたアルバムではリード・ギターも演奏しています。

https://www.youtube.com/watch?v=72J9N8NnyuY/

a0038167_09571280.jpgマンドリンとバリトンのアイヴァー・メルトン(Ivor Melton)は1927年にゲイラックスの近くに生まれ、ギターとテナーのボビー・ハリソン(Bobby Harrison)は1934年にゲイラックスに生まれています。メルトンとハリソンとバンジョー奏者のギャリアンは共にヴァージニア・マウンテン・ボーイズで20年以上プレイしていました。

https://www.youtube.com/watch?v=GmWsWjS4MQY/

最後にベース奏者のジョニー・ヴィッパーマン(Johnny Vipperman)は1929年にマウント・エアリーで生まれ、ウィルマ・リーやストーニー・クーパーのようなよく知られたグループで活躍していて、1951年にはビル・モンローのバンドでも仕事をしていました。

a0038167_09590382.jpg1971年9月8日にフィドルのウェイバーン・ジョンソンが43才という若さで急死したため、それまでに録音していた曲をまとめた彼らの唯一のアルバムがカウンティからリリースされています。

https://www.youtube.com/watch?v=tU-VSuQqIaA&t=1028s/

そのアルバム・ジャケットを見ると懐かしいアパラチア山系の家が建ち並び、典型的な古き良き時代のブルーグラス・ミュージックを連想できます。無名バンドながら想像通りの素朴な音が実にまとまりよく収録されていてとても満足感を味わえます。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-30 10:13 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

385 愛しの泡沫アルバム(その49)

レッド・エリスとジミー・ウィリアムズ

アーカンソー州で生まれ育ったレッド・エリス(Red Ellis)は17歳でギターを弾き始めます。21歳で兵役に就いた後はラジオやテレビのエンジニアになるために学校で学び、ミシガン州アナーバーのラジオ局でカントリー・ゴスペル専門のDJを勤め始めました。この間に自ら歌い演奏するためヒューロン・ヴァレー・ボーイズ(The Huron Valley Boys)を結成しています(シリーズ5に既述)。

1958年秋のある日曜日の朝、レッドがラジオ番組でスタンレー・ブラザーズのレコードを流していた時に電話を受けました。その相手はジミー・ウィリアムズと名乗ります。ジミーはその当時、デトロイトに住んでいてキャデラックの工場で働いていたのです。

ジミー・ウィリアムズ(Big Jim Williams)は13歳からプロとしてマンドリンの演奏を始めます。マック・ワイズマンらとノース・カロライナ州エアリーや、ヴァージニア州リッチモンドの「旧領地の納屋ダンス・パーティー」(Old Dominion Barn Dance)に出演するなど約5年間ほど共に演奏活動をしていました。

その後、スタンリー・ブラザーズとクリンチ・マウンテン・ボーイズのオリジナル・メンバーとして約6年間ほど演奏活動したり、「ロンサム・パイン・フィドラーズ」でも演奏をしています。

ジミーはレッドに一緒にアルバムを作ろうと働きかけます。一方レッドは突然の申込みに戸惑いますが、実際にジミーと会って彼の歌と演奏を聴くにつれて構えていた心が絆され一緒にアルバムを作ることを決断します。

a0038167_08443405.jpg1958年の暮までに2人はそれぞれに曲を作り、1961年までの間にスターデイ社で32曲ものセイクレッド曲を録音しました。これらのうち13曲がEPフォーマットでリリースされ、それから1961年後半にアルバムとしてリリースされます。それが『丘からの聖なる叫び』(Holy Cry From The Hills)でした。

このアルバムの1曲目にはフラット&スクラッグスも取り上げて有名となった曲「私どこで羊を護るの」(Where Will I Shelter My Sheep)をオリジナルのエイコーン姉妹が歌っているもので収録されています。他の15曲はレッドとジミーによる歌と演奏でした。

a0038167_08375244.pngそれから9年後の1971年、ミシガン州ジャクソンにあるジェサップ・レコード(Jessup Records)のアーティスト兼社長トミー・クランクは再び彼らのアルバムをレコーディングするためにレッドとジミー・ウィリアムズを再会させます。こうしてリリースされたのが『神が一緒にブルーグラスを連れ戻す』(God Brings Bluegrass Back Together)というアルバムでした。

https://www.youtube.com/watch?v=AgngbYs2yJw/

アルバムに収録された12曲のうち8曲をジミーが作り、1曲をレッドが作っています。レッドのギターとヴォーカル、ジミーのマンドリンとヴォーカルに加え、バンジョーにジョージ・ウッディー(George Woody)、フィドルにジェイムズ・ブライアント(James Bryant)、ベースにヴァージル・ショウス(Virgil Shouse)というメンバーでした。


a0038167_08373306.jpgちなみに6年後の1977年になって、このアルバムの続編となる『デヴィッド少年のハープ』(Little David's Harp)がリリースされています。このジャケットには前作で使われていた写真が再使用されています。撮影の機会がなかったのか、安く上げるためなのかは不明ですが…?

https://www.youtube.com/watch?v=9PkzHscUxRk/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-27 08:49 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

384 愛しの泡沫アルバム(その48)

トミー・エドワーズ

1945年、アール・スクラッグスがビル・モンローのブルーグラス・ボーイズに加わった年に、トミー・エドワーズはノース・カロライナ州シラー・シティで、父親がハーモニカとウクレレ、母親がピアノ奏者という音楽家の家庭に生まれます。家族はよく合唱と四重奏で歌い、そんな中でトミーは育ちました。

トミーは1950代後半から60代前半に興ったフォーク・リバイバルの洗礼を受けながら成長し、キングストン・トリオ、ピーター・ポール&メアリーに影響を受けてフォーク・ソングを追っかける日々が続きます。ところがテレビで「フラット&スクラッグス・ショウ」(The Flatt&Scruggs Show)を見たその日からトミーの生活は一変します。進学した東カロライナ大学在学中はバンジョーの演奏に夢中になりました。

卒業後に故郷に戻った時、町で唯一のブルーグラス・バンドにすでにバンジョー奏者がいることを知ります。それはトミーの家の隣に住むドナルドでした。トミーはバンジョーを諦めドナルドとポール(マンドリン)のビーン兄弟や、マンドリン奏者のジェリー・スチュアートと共にバンド「トムとジェリーとビーン・ブロッサムズ」(Tom and Jerry & The Beane Blossoms)を結成します。その時にトミーは楽器をギターに持ち替えました。

以来、トミーはビル・モンローのマンドリン奏法をギターに置き換えてユニークなフラット・ピッキング・スタイルを見出し、ドク・ワトソンやアーサー・スミスやダン・リーノのようなベテラン・プレイヤーの技術をも吸収します。

その努力の甲斐あって、トミーは名誉あるユニオン・グローブ・オールド・タイム・フィドラーズ&ブルーグラス・フェスティバルで「ワールド・チャンピオン・シップ・ブルーグラス・ギター」の最優秀賞を2度も受賞しています。

1971年になってトミーは「ブルーグラス・エクスペリエンス」(The Bluegrass Experience)を結成します。メンバーはトミー(ギターとヴォーカル)、旧知のポール(バンジョーとヴォーカル)とドナルド(マンドリンとヴォーカル)のビーン兄弟、チャールズ・リー・コナード(ギターとヴォーカル)、アル・マッキャンレス(フィドル)、トーマス・L・スミス(ベース)の6人編成でした。

a0038167_08372660.jpgバンドはこの年にアルバム『作品集』(Collection)を発表します。収録曲にはトミーの敬愛するフラット&スクラッグスの「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」や「恋人の腕に抱かれて」、ビル・モンローの「灯りが見えた」ほか、「オレンジ・ブロッサム特急」や「ディキシーの夜明け」「ロッキー・トップ」などのスタンダード曲に加え「シティー・オブ・ニューオリンズ」などのニューグラス的な曲も含まれています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=fWH0ALjbDNI


by scoop8739 | 2019-05-23 08:40 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

383 愛しの泡沫アルバム(その47)

ボブ・フラー

ブルーグラスは第二次世界大戦後にアメリカ合衆国だけに留まらず世界中に拡散してきます。隣国カナダではもっと早い時期からアメリカのミュージシャンによるレコーディングや、ラジオ放送、コンサートなどの演奏活動を通じて聴かれてきました。

1933年にカナダのノバスコシア州ブルックリンで生まれたボブ・フラー(Bob Fuller)は、1966年にモントリオールで「ヒルビリー・ナイト」というものを始めます。これはモントリオールの人気ライヴ・ハウス「ブルー・エンジェル・クラブ」から始まり、現在は「ホイール・クラブ」で運営されているカントリー・ミュージックのライヴ活動のことです。

ボブ・フラーはナシュヴィル発のロカビリー音楽に不満を感じ、彼が大切にした古き良きカントリー音楽の保存に専念した環境を作ろうと思い立ちクラブを立ち上げます。クラブの理念は、昔ながらのカントリー・ミュージックとブルーグラスを最小限の電気楽器で、60年代半ば以前に書かれた曲に焦点を当てて披露するというものでした。以来今日までクラブ・ライヴは月曜の夜に必ず行われています。

a0038167_08311528.jpgさてそんなフラーのバンドが1971年にカナダのMM&Cレコードからリリースしたアルバムが『カナダのカントリー音楽の有名曲』(Canadian Country Favorites)でした。

メンバーはフラーのギターとヴォーカル、バンジョーにジーン・ブレイチャー(Gene Bretecher)、マンドリンとヴォーカルにデイヴ・ティンコフ(Dave Tinkoff)、ドブロにガイ・カーペンター(Guy Carpenter)、ギターにジョー・グロンディン(Joe Grondin)とウェイン・フォード(Wayne Ford)、ベースにテッド・メイヤー(Ted Mayor)というセッションのために集まったカナダのミュージシャンたちです。なおフィドルにポール・メナード(Paul Menard)も参加しています。この人はMM&Cレコードのオーナーで、このセッションの事実上のプロデューサーでした。

アルバムはA面1曲目「火の玉便」(Fire Ball Mail)、同3曲目「今宵、碧い瞳の彼女を想う」(Thinking Tonight Of My Blue Eyes)、B面3曲目「青い月がまた輝けば」(When My Blue Moon Turn's To Gold Again)、5曲目「私の小さな恋人」(Little Darling Pal Of Mine)などのブルーグラス・スタンダードとカナダの伝統民謡がほどよくミックスされた構成となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=YdScwgHWFow/


by scoop8739 | 2019-05-20 08:32 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

382 愛しの泡沫アルバム(その46)

ジミー・アーノルドとウェズレイ・ゴールディング

1970年代と80年代で最も絶賛されたブルーグラス・ミュージシャンの一人だったジミー・アーノルドは、その短い人生の中でほんの一握りのアルバムしかレコーディングしていません。

1952年、ヴァージニア州フリースに生まれたアーノルドは、子供の頃に隣家の友だちがギターを練習しているのを聴いて音楽に興味を持つようになります。彼もすぐにギターを手にしますが、バンジョーに興味が移るとそちらに夢中になりました。

11歳になって従兄弟のトミーをマンドリンに、その友人のウェズレイ・ゴールディング(Wesley Golding)をギターに、ブルーグラス・バンド「ツイン・カウンティ・パートナーズ」(Twin County Partners)を結成します。この時ゴールディングはまだ8歳でした。

バンドは幼いこともあって非常に人気となり、地元のテレビ番組への出演したり、さらにはスターク・レコード社(Stark Records)から1969年にリリースされたオムニバス・アルバム『最高の状態の山岳音楽』(Mountain Music At Its Best)の収録へとつながります。この時彼らがレコーディングした曲はB面7曲目に収録されている「丸太の中の兎」(Rabbit In The Log)でした。

https://www.youtube.com/watch?v=XaSCtdDz6co/

a0038167_08294799.jpgアーノルドは高校を卒業した後、スタジオ・ミュージシャンのジョー・グリーンからナッシュビルに来て演奏するように誘われます。それから彼は次に旧知の仲のゴールディングを呼んでバンドを組みアルバム・デビューを果たします。それが1971年にレトコ・レコード社(Latco Records)からリリースされた『ジム&ウェズレイとヴァージニア・カッタップスの自然なサウンド』(The Natural Sound Of Jim & Wesley and the Virginia Cutups)というアルバムでした。

https://www.youtube.com/watch?v=MFCR6144wGc&fbclid=IwAR2T1_xqkG7QSbfj3sbFnacPPCXFEWvL4ATTUiwl-vlqNmzTJLbHlFULCwc/

その後アーノルドは多くのバンドに参加し演奏活動をしますが、過剰な飲酒のために、その都度、グループから頻繁に解雇されます。

1974年にバンジョー音楽のアルバム『純粋なアーノルド』(Strictly Arnold)、1977年には2枚目のソロ・アルバム『ジミー・アーノルド・ギター』(Jimmy Arnold Guitar)をリリースし、さらに6年後には『南部の魂』(Southern Soul)をリリースするもそれらのアルバムはどれも商業的に成功しませんでした。その結果、アーノルドは1984年に音楽を放棄します。そして紆余曲折の末、1992年のクリスマスの日に心不全で亡くなりました。40歳の短い生涯でした。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-16 08:31 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

381 愛しの泡沫アルバム(その45)

カーティス・ブラックウェル

カーティス・ブラックウェル(Curtis Blackwell)は8歳の時に長兄のV. V.ブラックウェルからギターを弾くことを奨められ、2年後には地元の教会でデビューを果たします。成長したカーティスはバンジョーとギターの両方を習得し、作曲まで出来るようになりました。

1960年になって彼は友人と一緒にラジオ・タレント・ショウに出場し優勝します。その褒美としてカーティスと兄のハスケル、そして友人ジュニア・クロウがグランド・オール・オープリーで演奏する機会を得ました。

1965年になると3人は「ディキシー・ブルーグラス・ボーイズ」を結成します。カーティスはギター、バンジョーにアル・オスティーン(Al Osteen)、マンドリンにラリー・ジェファーソン(Larry Jefferson)、ベースにサム・コブ(Sam Cobb)、そしてフィドルをランドール・コリンズ(Randall Collins)が担当しました。

グループは10年以上も東海岸を回って演奏活動を続け多くのフェスティバルやブルーグラス会場で演奏します。そして1970年にユニオン・グローブ・フィドル大会のバンド・コンテストで優勝しました。

a0038167_08504905.jpgこの年にカウンティ社からリリースされたのがアルバム『時の影』(Shadow Of Time)でした。このアルバムはカーティスとランドール・コリンズとの共同名義(Randall Collins And Curtis Blackwell And The Dixie Bluegrass Boys)となっています。

しかしその後、メンバーは数年間別々の道を進みます。カーティスはピーター・ローワンの抜けた後にビル・モンローのバンド・メンバーとなり、さらにジム&ジェシーのバンドでも働きました。

それから数年後、カーティスとベース奏者のサム・コブによってバンドが再編成されます。メンバーにはバンジョーにチャールズ・ウッヅ(Charles Wood)、フィドルにはチャック・ネイション(Chuck Nations)、マンドリンにヴィック・ブラックウェル(Vic Blackwell)が加わりました。ちなみにチャックはルイジアナ州のフィドル・チャンピオンとなっています。また彼は歴史的なグループ、ブルーグラス・アライアンスの一員でもありました。

バンドはツアーとレコーディングを再開し、1980年代から90年代を通してブルーグラス・サーキットのレギュラーとなっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=6vlaDIDpNQ0/


by scoop8739 | 2019-05-13 08:51 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

380 愛しの泡沫アルバム(その44)

エディ・ポアリエ

エディ・ポアリエ(Eddy Poirier)は1943年にカナダ東部の大西洋に面するニュー・ブランズウィック州ロジャーズビルで、フランス系移民の家庭に生まれました。父親が主にアイルランドのダンスの一種、リールやジグを演奏していたので、その影響からエディは7歳からフィドルを始めます。

子どもの頃は姉たちの結婚式のためにたくさんのスクエア・ダンス曲を演奏したり、11歳になってからは最初のギターを手にしました。そしてビル・モンローやマック・ワイズマンなどの音楽を知るとブルーグラスにのめり込むようになり、19歳でバンジョーを習得してからはトロントの街に進出します。

1966年には本格的にトロントに移住し、「ブルー・ダイヤモンド」と呼ばれるカントリー・バンドに加わってブルーグラスを演奏し始めました。この間に複数枚のアルバムに参加しています。そんな時期に発表されたアルバムの中には、「エディ・ポアリエとブルー・ダイアモンズ」名義の『バンジョー・ブルーグラス』というものや、「アル・フーパーとブルー・ダイアモンズ」名義の数枚のアルバムが含まれています。

a0038167_09024764.jpgまたポアリエのソロ名義では、1970年にカナダのパラゴン・レコードからリリースされた『オールド・ケンタッキーに戻ろう』(I’m Going Back To Old Kentucky)というアルバムもありました。

メンバーはポアリエのバンジョーとヴォーカル、ギターとヴォーカルのハンク・テリアー(Hank Theriault)、マンドリンとヴォーカルのボブ・フォレスト(Bob Forrest)、ベースとヴォーカルはブルー・ダイアモンズから参加のダグ・ワターズ(Doug Watters)の4人編成で、全12曲のブルーグラス・スタンダードが収録されていて楽しめます。

https://www.youtube.com/watch?v=7nVBJaxarNs&t=1s/

a0038167_09060402.jpg1974年になると彼はニュー・ブランズウィック州に戻ることにしました。帰郷した後に彼は「ブルーグラス4」と呼ばれるブルーグラス・バンドを結成します。それはニュー・ブランズウィック州で最初のブルーグラス・バンドとなりました。

https://www.youtube.com/watch?v=_kb8KisUUe4/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-10 09:07 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

379 愛しの泡沫アルバム(その43)

スパーク・ギャップ・ワンダー・ボーイズ

1960年代の青春期をケンブリッジやニューポートのフォーク・シーンでミュージシャンとして活躍した旧友が、1970年に『歳とった鶏を掴む』(Cluck Old Hen)というアルバムをリリースしました。

バンドはニュー・イングランドを拠点に「スパーク・ギャップ・ワンダー・ボーイズ」(The Spark Gap Wonder Boys)と名乗り、フィドル、マンドリン、ギター、バンジョーを器用にこなすニール・ロッシ(Neil Rossi)、ギターとヴォーカルのジョージ・ネルソン(George Nelson)の2人に、バンジョーとヴォーカルのデイヴ・ドゥービレット(Dave Doubilet)を加えた3人組です。彼らは1970年に行われた第46回ユニオン・グローブでのオールド・タイム部門で一等賞を受賞しています。

a0038167_09195658.jpgその勢いをかって、同年に設立された米国の老舗インディーズのラウンダー・レコードからレコード制作の声がかかり、バンジョー奏者ジョージ・ペグラム(George Pegram)に次いで2番目のアルバム・リリースとなりました。このアルバムは今も心に残る歴史的名盤となっています。

アルバムではオールド・タイム、カントリー・ブルース、ラグタイムなどのお馴染みのナンバーやオリジナル作品22曲をデュエットで聴かせてくれます。

ベテラン・ミュージシャンならではのリラックスした中にもキラリと光る鋭いライヴ・パフォーマンスは聴くうちにどんどん引き込まれていく魅力で一杯です。きっと聴き応え充分の全60分余となることでしょう。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=RwiQweSldE0&t=1009s


by scoop8739 | 2019-05-07 09:20 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

378 愛しの泡沫アルバム(その42)

ローレンス・レーンとダットン兄弟の深い関係

ブルーグラスのミュージシャンは一部を除き、鉱山で働いたり、土地を耕作したり、工場などで働く人々が多くいます。初期のミュージシャンの多くは南部の農村地域や小さな町や村に住んでいました。そしてよりよい仕事を求めて北へ移住したミュージシャンの中にはローレンス・レーン(Lawrence Lane)とダットン兄弟(Dutton Brothers)がいました。

ローレンスは1941年にケンタッキー州プラスキ郡で生まれサマセットの町で育ちます。彼は両親から家族と一緒に音楽を愛し演奏する楽しさを学びました。音楽はレーン一家の生活様式だったのです。

1969年になってローレンスはオハイオ州マリオンに住んでいた2人のブルーグラス・ミュージシャン、ジムとカール・ジーンのダットン兄弟に会います。そして彼らはバンドを組み演奏活動を始めたのでした。

a0038167_12584793.jpgローレンスとダットン兄弟は時には一緒に、また時には別々にいくつかのアルバムをリリースます。1969年にはまずダットン兄弟名義で『グラス・サウンド』(The Grass Sound Of Dutton Brothers)というアルバムを発表しました。

https://www.youtube.com/watch?v=sVboS6KOqhs/

a0038167_12590388.jpg続いて1971年には共同名義で『カッティング・ブルーグラス』(Cutting Bluegrass)をリリースします。メンバーはマンドリンとフィドルにジム・ダットン(Jim Dutton)、バンジョーにカール・ジーン・ダットン(Carl Gene Dutton)、ギターにローレンス・レーン、ベースにトム・スティーブンス(Tom Stephens )の4人でした。収録された曲の中には「ミラーズ・ケーブ」と「世界のトップに座る」があります。

https://www.youtube.com/watch?v=N1LBABnB7Ik&t=1s/

a0038167_12591773.jpgそして1972年になると、今度はローレンスがオリジナル・メンバーで編成されたバンド「ケンタッキー・グラス」で『ワシントンのファイル』(Washington’s File)をリリースします。

https://www.youtube.com/watch?v=C_6fNM7_poM/

このアルバムでは全12曲中6曲がローレンスのオリジナル曲で、他の曲ではアレンジも手がけています。アレンジや作曲において彼の熟達した技量が発揮されていました。バンドのメンバーは、ギターとヴォーカルがローレンス、マンドリンとヴォーカルに兄のキース、バンジョーとヴォーカルにラドフォード・ヴァンス(Radford Vance)、フィドルにジェス・フレイリー(Jess Freiley)、ドブロにトミー・ボイド(Tommy Boyd)、そしてベースにビル・ラトリフ(Bill Ratliff)という6人編成となっています。

さらに翌1973年にリリースされた「ケンタッキー・グラス」名義のアルバム『ケンタッキーに連れ戻して』(Take Me Back to Kentucky)ではマンドリンにジム、ギターにローレンス、ベースにマーチン・タウンゼント(Martin Townsend)、そしてバンジョーにはドワイト・ディルマン(Dwight Dillman)というメンバーとなっています。

このアルバムは1曲の例外を除いて、すべてローレンスとジムのオリジナル曲でした。なお例外の1曲とはカール・ジーン・ダットンによって書かれたものです。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-02 13:02 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)