人気ブログランキング |

<   2019年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

377 愛しの泡沫アルバム(その41)

親子2代に亘る「トゥー・リヴァー・ヴァリー・ボーイズ」

1894年にノース・カロライナ州エイブリー郡で生まれたクラレンス・ホートン・グリーン(Clarence Horton Greene)は、フィドルを手に育ち様々な大会で数多くの賞を獲得します。また彼は1920年代から30年代にかけてたくさんのレコーディング・セッションに参加しています。

1930年代後半になると彼は自らのバンド「トゥー・リヴァー・ヴァリー・ボーイズ」(The Toe River Valley Boys)を結成しました。トゥー(Toe)というのは、ノース・カロライナ州の山からブレバードまで続く貿易ルートのことで、ネイティブ・アメリカンが「S-ta-toe」と呼んでいたものです。本来は「Estatoe」から取ったようで、この発音が難しいため長年にわたって「Toe」と短縮されて呼ばれています。

オリジナルのバンド ・メンバーには、ギターのホーマー・ピットマン(Homer Pitman)とレイ・ヤング(Ray Young)、バンジョー奏者のマック・クロウ(Mack Crow)とドブロ奏者のガッシュ・ウォッシュバーン(Gus Washburn)がいました。その頃はまだブルーグラス・ミュージックは完成されておらず、所謂マウンテン・ミュージックを演奏するバンドでした。しかしバンドはこれと言った特徴もなく尻すぼみとなって消滅してしまいます。

a0038167_10495300.jpg1960年代中期になって、クラレンスの息子ハワード・グリーン(Clarence Howard Greene)はかつてのバンド仲間のガッシュ・ウォッシュバーンを訪ね、父が創った「トゥー・リヴァー・ヴァリー・ボーイズ」の再結成を促しました。こうして1969年にドイツGHP社からリリースされたのが『トゥー・カントリー』(Toe River Country)というアルバムです。

メンバーはハワード・グリーンのマンドリンとリード・ギター、ガッシュ・ウォッシュバーン(C. A. "Gus" Washburn)のギターとハーモニカ、オスカー「レッド」ウィルソン(Oscar O. "Fiddling Red" Wilson)のフィドル、E.C.ミラー(E. C. Miller)のバンジョー、チャールズ・レンフロ・Jr.(Charles Renfro, Jr.)のギターとヴォーカル、セシル・バールソン(Cecil "Curly" Burleson)のベースという6人編成でした。

a0038167_10502225.jpeg彼らは翌1970年に『列車時間』(Train Time)をリリースします。さらに1972年には全6曲のミニ・アルバム『ブルー・リッヂ・マウンテンのスクウェア・ダンス』(Square Dancing In The Blue Ridge Mountains)をリリースしますが、その勢いもここまででバンドの存在も薄れていきます。

ところがこのバンドは1990年代になってもフィドル奏者のオスカー「レッド」ウィルソンを中心に活動を続けていました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます

https://www.youtube.com/watch?v=fn_Dx0cajT4/


by scoop8739 | 2019-04-29 10:52 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

376 愛しの泡沫アルバム(その40)

ジョー・グリーン

1966年にヴァージニア州ファイン・キャッスルで行われた第2回ブルーグラス・フェスティバルでケニー・ベイカーと初めて会ったフィドル奏者のジョー・グリーン(Joe Greene)はその大きな身体だけでなく才能をも認められます。

a0038167_08220300.jpg彼らは1968年にカウンティ社からリリースされた『ハイ・カントリー』(High Country)というアルバムでクラシックなカントリー・ツイン・フィドルを披露しました。

https://www.youtube.com/watch?v=O7y5X4YyIJU/

a0038167_08202909.jpgその翌年、グリーンは豪華なサポートを得て自身初のソロ・アルバムをリリースします。このアルバムは数多いフィドル・アルバムの中でもとてもよく出来たものであり、それまでに彼のことを知らない人にとっては素晴らしい発見となりました。

https://www.youtube.com/watch?v=YgKD4Tgdr9E/

参加メンバーはグリーンを筆頭に、J.D.クロウ(J. D. Crowe)がバンジョー、チャビー・ワイズ(Chubby Wise)が全編ギターを、ローランド・ホワイト(Roland White)がマンドリン、そしてどの楽器も器用にこなすベニー・ウィリアムズ(Benny Williams)がベースを弾いています。

このアルバムは1960年代後半から70年代にかけてのケニー・ベイカーによる多くの素晴らしいアルバムと同じくらいの出来となりました。

A面3曲目「ケティ・ヒル」、同5曲目「パディ・オン・ザ・ターンパイク」、同6曲目「マネー・マスク」、B面3曲目「灰色の鷲」、5曲目「塩の河」など古いフィドル・チューンながら瑞々しい演奏を聴くことが出来ます。

またA面4曲目の「ターキー・バザード」でのバンジョーとフィドルのデュエットのアイデアは1975年にリリースされたJ.D.クロウとニュー・サウスでのアルバムの1曲「サリー・グッディン」(Sally Goodin')のヒントとなっています。

しかしこのアルバムを最後にグリーンはソロ・アルバムをリリースすることはありませんでした。後に彼はジミー・アーノルド共にブルーグラス・レジェンドであったカーリー・セクラー(Curly Seckler)のバンドで活動しますが、才能豊かなフィドル奏者であったにもかかわらず、その後ブルーグラス・シーンからは姿を消してしまったのでした。

いずれの音源もYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-04-25 08:24 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

375 愛しの泡沫アルバム(その39)

ウォルター・ヘンズレー

ブルーグラスの世界では実力があるのに演奏仲間やファンに馴染みの少ないプレイヤーが沢山います。バンジョー奏者のウォルター・ヘンズレー(Walter Hensley)もそんな一人でした。

ウォルターは1936年にヴァージニア州グランディで生まれ、1957年初頭にアール・テイラーとストーニー・マウンテン・ボーイズの一員としてカーネギー・ホールで演奏しています。また1960年の一時期、エディ・アドコックの代役としてカントリー・ジェントルメンでも演奏していました。

a0038167_09085727.jpg1964年にメジャー・レーベルのキャピトルからリリースされた彼のソロ・アルバム 『5弦バンジョーの今日』(The 5 String Banjo Today)では、「世界は日の出を待っている」(The World Is Waiting For The Sunrise)、「君微笑めば」(When You’re Smiling)、「おじいさんの古時計」(Grandfather's Clock)などのスタンダード曲を楽しく演奏しています。そのドライヴするバンジョーと独創的なリックは、ウォルターの名前をバンジョー奏者たちの間でカルト伝説の地位にまで高めました。

a0038167_09093255.jpgそんな彼が1969年に発表したアルバムが『ニュー・グラスを弾く』(Pickin’ On New Grass)でした。アルバムはタイトルとは関係なく、とくにニュー・グラスの曲が収録されている訳ではありません。

演奏メンバーはウォルター・ヘンズレーの他に、ギターにジム・ヘンズリー(Jim Hensley)、マンドリンにダニー・カーティス(Danny Curtis)とフランキー・ショート(Frankie Short)、ドブロにラッセル・フーパー(Russ Hooper)、ベースには名手エド・フェリス(Ed Ferris)、そしてスネア・ドラムでジョン・ウォーレン(John Warren)がサポートしていました。

ティム・ニュービィ(Tim Newby)の著書「ボルチモアのブルーグラス」(Bluegrass in Baltimore)によると、このアルバムはメリーランド州ボルチモアのレコーディング・スタジオで1969年のある日曜日の夜のセッションで録音されたとあります。

また、ビル・モンローの伝記作家であるリチャード・D・スミスは、「ウォルターは5弦バンジョー・プレイヤーの中でも非常に過小評価された偉人の一人である」とも述べています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=KjSH0kyT8UI


by scoop8739 | 2019-04-22 09:11 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

374 愛しの泡沫アルバム(その38)

チャーチ・ブラザーズ

ノース・カロライナ州ファーガソン近くの集落で製材所の労働者だった父アルバートとその妻ベシーの下に生まれたチャーチ3兄弟は、長男ウィリアム・シーアーズ「ビル」が1922年、次男エドウィンが1925年、そして三男ラルフが1928年に生まれています。彼らはフィドルとバンジョーを巧みに弾く父の影響で幼い頃から音楽に親しんで育ちました。

長男ビル・チャーチは1940年代にロイ・ホールと彼のブルーリッジ・エンターテイナーズ(Roy Hall & His Entertainers)の一員となって、ノース・カロライナ州アッシュビルで「農場と楽しい時間」と呼ばれるラジオ番組に出演します。

次男ラルフは地元で従兄弟のワード・エラー(Arthur Ward Eller)や近所に住むドレイク・ウォルシュ(Drake Walsh)、ガーとエルマーのバウァーズ兄弟らと共に演奏活動を始めました。やがて三男エドウィンがバンドに加わり、彼らは地元のラジオ局WILXとWKBCや学校などで演奏を始めるようになります。

第二次世界大戦が勃発するとビルとエドウィンが徴集されますが、彼らが帰還したのち1946年にバンドは正式に結成され、チャーチ兄弟と彼らのブルー・リッジ・ランブラーズ(Church Brothers & Their Blue Ridgre Ramblers)と名乗りました。

メンバーはギターとヴォーカルにビル、フィドルにエドウィン、マンドリンとヴォーカルにラルフが中心となり、ワード・エラー、ドレイク・ウォルシュのギター、バンジョーにはガー・バワーズ(Gar Bowers)またはジョニー・ネルソン(Johnny Nelson)、ベースにラルフ・ペニントンという編成でした。

彼らは1950年に最初のレコーディングを行っています。それはすぐに彼らとわかる独特のサウンドであり、優れたオリジナル曲を伴っていました。

このセッションからは1951年の夏頃にリッチ・R・トーンで最初のリリースとなり、2枚目のリリースは同年秋と続きます。これら2つのシングル盤はノース・カロライナ州や近隣の州でバンドの人気を大きく後押ししました。

ところがシングル盤を2枚リリースしただけで、その他の曲は未発表のまま時間だけが過ぎ去ってしまいます。

a0038167_14453110.jpgそれから10年を経過してバンドはすでに解散していました。ドイツのレコード会社GHPとラウンダー社はバンドのレコーディングした遺産を流通させるための努力を始めます。その結果、1968年にGHPから発表されたのが『伝統的なブルーグラス』(Traditional Bluegrass)というアルバムでした。

https://www.youtube.com/watch?v=pKHZSeFjRGE/

a0038167_14454638.jpgまた1981年にはラウンダー社から『初期のブルーグラス第8集』(The Early Days Of Bluegrass Vol.8 / The Church Brothers)がリリースされています。

https://www.youtube.com/watch?v=yipyEjIsi5A/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-04-18 14:48 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

373 愛しの泡沫アルバム(その37)

ニュー・ディール・ストリング・バンド

アメリカ東部の都会派バンドにはカントリー・ジェントルメンを筆頭にグリーンブライア・ボーイズ、チャールズ・リヴァー・バレー・ボーイズ、エリック・ワイズバーグ、ジム・ルーニーなど、東南部のコアなブルーグラスにない洗練された音作りが特徴的です。

このようなフォーク・リヴァイヴァルから生まれたバンドと同じフレイヴァーが感じられるバンドに「ニュー・ディール・ストリング・バンド」(The New Deal String Band)がありました。

ニューグラスの旗手であったサム・ブッシュは1970年当時はまだ高校生で、ノース・カロライナ州ユニオングローブで行われていたフィドル・フェスティバルに出かけ、そこで初めてこのバンドを目撃します。

そしてこう語っています。「彼らヒッピーの男たちがブルーグラスの世界で今までにない革新的な演奏をするのを見て、私は彼らと友達になった。彼らはブルーグラスの境界線を大きく押し進めてくれた」と。またサムは1970年代初頭にもっとも影響力のあった革新者として、カントリー・クッキング(Country Cooking)とこのバンドを挙げています。

a0038167_08590763.jpgそんな彼らが1969年にずばり『ブルー・グラス』というタイトルのアルバムをリリースしています。

メンバーはギターとヴォーカルのリロイ・サヴェージ(Leroy Savage)、バンジョーとヴォーカルのジーン・ナイト(Gene Knight)、マンドリンとヴォーカルのフランク・グレートハウス(Frank Greathouse)、フィドルのアル・マッキャンレス(Al McCanless)、リード・ギターのバック・ピーコック(Buck Peacock)、そしてベースのボブ・ホワイト(Bob White)の6人編成でした。

アルバムは諸々の影響を受けてかブルーグラスのスタンダード曲に混じってロック色の強い曲が収録されています。例えば、A面6曲目にビートルズの「ドント・パス・ミー・バイ」(Don’t Pass Me By)、B面3曲目にディランの「もう一夜」(One More Night)、同6曲目にローリング・ストーンズの「期待なし」(No Expectation)が収録されています。

彼らはこのアルバム1枚きりで表舞台から消えてしまいますが、1970年代初期に生まれた貴重な都会派バンドとして心に留めておきたいものです。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=3CclK9tcY8I&t=5s


by scoop8739 | 2019-04-15 09:00 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

372 愛しの泡沫アルバム(その36)

ベニーとヴァリー・ケイン夫妻

ブルーグラスには夫婦デュエットも珍しくありません。ベニーとヴァリーのケイン夫妻(Benny and Vallie Cain)はトラディッショナル志向のハーモニー・デュエットでした。彼らの歌声は心地よく、しかしやや変わったハーモニーが特徴的です。彼らはブルーグラスの世界ではあまり有名ではありませんが、アメリカ中にその音楽を普及させる努力を怠りませんでした。

夫ベニー・ケインは1921年にコネチカット州ニュー・ヘイヴンに生まれ、3歳の時から両親と一緒にウェスト・バージニア州バークレー・スプリングスに移り住み、8歳でハーモニカを吹き始めます。成人してからは米国財務省に勤務しながらパートタイムの娯楽として音楽活動を続けます。

一方、妻のヴァリーは1927年にメリーランド州キャッツミラーに生まれ、1934年頃にバークレー・スプリングスに引っ越してきました。そして1947年にベニーと出会い、数ヵ月内に彼らはカントリー・カズンズというバンドを結成します。二人は1950年7月に結婚しワシントンD.C.に移住しました。

彼らが結婚した年、夫婦はそれまで主に歌っていたカントリー音楽から、彼らのヴォーカル・ハーモニーとうまく溶け合うブルーグラスにスタイルを変えます。

ベニーは公務員の仕事を続けながら彼らは平日はレストランやクラブで演奏し、週末にはしばしば公園やカーニバルなどで演奏を続けました。

そして1956年に最初のレコーディングをし、アデルフィ・レーベルからシングル盤をリリースします。さらに1962年に彼らはレベル社と提携し次の2年間で3枚のシングル盤をリリースしました。

a0038167_08484373.jpg1968年リリースのレベル社オムニバス・アルバム『壮観なブルーグラス』(Bluegrass Spectacular)4枚組、計70曲のうち彼らの歌声が18曲も収録されています。

1969年に待望のオリジナル・アルバムがリリースされました。全12曲中9曲がオリジナル曲です。この時のメンバーは、マンドリンとヴォーカルのベニー、ギターとヴォーカルのヴァリーを中心に、バンジョーにジョニー・ウィスナント(Johnny Whisnant)、エレキ・ベースには息子ポールの4人で編成されています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=bZHsNUmsG3U&t=3s/


by scoop8739 | 2019-04-12 08:54 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

371 愛しの泡沫アルバム(その35)

ゴインズ・ブラザーズとロンサム・パイン・フィドラーズの親密すぎる関係

ウエスト・ヴァージニア州南西部ブラウンウェルに生まれ育ったメルヴィン(1933年生まれ)とレイ(1936年生まれ)のゴインズ兄弟は、成長してそれぞれがギター、バンジョーを習得します。

弟レイは1953年までロンサム・パイン・フィドラーズのメンバーとして活動し、翌53年に兄のメルヴィンとバンドを組みました。オリジナル・メンバーの中にはフィドルにジョー・メドウスも在籍しています。

ジョーがスタンレー・ブラザーズのバンドに移籍した後、解散したロンサム・パイン・フィドラーズからエズラ・クラインとカーリー・レイ・クライン(従兄弟同士)が加入します。

さらに翌1954年になると、今度は再建されたロンサム・パイン・フィドラーズにメルヴィンとレイが二人揃って加入したのです。

1955年になって兄弟は「第2次」ゴインズ・ブラザーズを再結成します。一時期、レイがバンドを離れていた間のバンジョー奏者には元ロンサム・パイン・フィドラーズのビリー・エドワーズが参加します。

1961年になると兄弟は再びロンサム・パイン・フィドラーズに加わります。この頃にスターデイ社から3枚のアルバムがリリースされていますが、これらのアルバムは実質的にゴインズ・ブラザーズのアルバムと言っても過言ではありません。ギター、バンジョーはゴインズ兄弟で、フィドルにカーリー・レイ・クライン、ベースはエズラ・クラインという4人組で、ヴォーカルは兄弟が担当しているからです。

このように、ゴインズ・ブラザーズというとよくロンサム・パイン・フィドラーズと混同されるのですが、実際こんな関係もあって、むしろ混同しているのが正しいのかもしれません。

a0038167_15254751.jpgそんなゴインズ・ブラザーズが初めてその名前で1969年にレム社からリリースしたのが、アルバム『ブルーグラスの新旧ヒット曲』(Bluegrass Hits Old & New)でした。メンバーには兄弟の他に、フィドルにポール・マリンズ(Paul Mullins )、ベースにケンタッキー・スリム(Kentucky Slim)を配した4人編成となっています。

そんな訳で、このアルバムは聴けば聴くほどロンサム・パイン・フィドラーズの印象が拭えません。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=6oTleJwv1cM/


by scoop8739 | 2019-04-08 15:29 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

370 愛しの泡沫アルバム(その34)

ホワイト・ライトニン

クラレンス・ホワイトのアルバム名のようなバンド「ホワイト・ライトニン」(White Lightnin’)は、フィドル奏者のビアード・レイ(Byard Ray)と従兄弟でバンジョー奏者のオブレイ・ラムゼイ(Obray Ramsey)を中心に、セッション・ミュージシャンたちで構成されたグループ名です。

ビアードとオブレイはそれぞれ共に1910年の生まれで、1960年代のフォーク・リヴァイヴァル期にノース・カロライナ州アシュビルで行われたフォーク・フェスティバルで見出されるまではオールド・タイムのデュオとして定期的に演奏活動をしていました。

1962年にプロデューサーのジョン・サイモンはデュオをニューヨーク市に招待し録音作業を始めます。その時点からこの2人の音楽キャリアは歪みを受け続けました。

a0038167_08374836.jpg彼らは奇妙な組み合わせの実験的な録音プロジェクトに巻き込まれ、これらのセッションから一緒に編集されたアルバムは『岩の下のファイル』(File Under Rock)とタイトルされ1969年にABCレコードよりリリースされます。

アルバムに参加したミュージシャンは、ビアードとオブレイを中心に、ギターにレン・ノヴィー(Len Novy)、ラルフ・カザルス(Ralph Casals)、サム・ブラウン(Sam Brown)、ベースにチャック・レイニー(Chuck Rainey)、ピアノにデイヴ・フィッシュバーグ(Dave Frishberg)、トランペットとフリューゲルホルンにジミー・オゥエンス(Jimmy Owens)、ドラムにハーブ・ラヴル(Herb Lovelle)、コーラスはワンドラス・ジョイ・クラウズ(The Wondrous Joy Clouds)となっています。

素朴なバンジョーとフィドルの演奏に、ロックの洗礼を受けたであろう若いミュージシャン達のバックアップを受けて、アパラチアの山村で鍛えあげられた伝統なフォーク、マウンテン・ミュージックが奏でられます。なんとも素朴で暖かい歌声がたまらない魅力となっています。

なお、アルバム中の曲「柳の園の下で」(Down In The Willow Garden)は1971年のヒッピー・ウェスタン映画『ザカリア』(Zachariah)の挿入歌となりました。

https://www.youtube.com/watch?v=38Vb5yL1gxU/

ちなみに、ビアードとオブレイをサポートしたチームは1969年に「駅中の床屋」(The Terminal Barbershop)というチーム名でアトコ・レコードよりミュージカル『ヘアー』に収録されていた曲を集めた『ヘア・スタイル』(Haie Styler)というアルバムをリリースしています。

https://www.youtube.com/watch?v=kyD17pjhAvc/


by scoop8739 | 2019-04-04 08:40 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

369 愛しの泡沫アルバム(その33)

ブルー・リッヂ・パートナーズ

紛らわしいことにブルーグラスには同じ名前を名乗るバンドが複数存在します。

地名にブラザーズ、マウンテン・ボーイズ、リヴァー・ボーイズ、ランブラーズ、などを付ければそれらしいバンド名となりますが、得てして同じ名前になることもよくあるようです。以前に書いた「ケンタッキー・マウンテン・ボーイズ」などがそうです。今回取り上げる「ブルー・リッヂ・パートナーズ」(The Blue Ridge Partners)もそんなバンドの一つでした。

バンドは女性ベース奏者のオーディーン・ラインベリー(Audine Lineberry)とバンジョー奏者のウェイン・ハウザー(Wayne Hauser)によって1966年に結成されています。

このバンドに1968年、マンドリン奏者のロイ・マクミラン(Roy Berlin McMillan)が加入してきます。このことによって停滞していたバンドの評判は飛躍的に上がりました。ファンはフェスティバルやショーなどで、マンドリン奏者、歌手、そしてフロントマンであるマクミランがいかに才能にあふれているか、またブルーグラス界で最も多作なソングライターの一人であるかを認識します。

a0038167_08561956.jpg1969年にリリースされたアルバム『山の民』(Mountain Folks)のA面1曲目のタイトル曲は後にラルフ・スタンレーによってレコーディングされ、B面5曲目の「アップ・イン・ザ・ハイカントリー」は1998年にリリースされた「ビッグ・カントリー・ブルーグラス」のデビュー・アルバムのタイトルにもなっています。そのアルバムでは14曲中6曲がマクミランの曲でした。

https://www.youtube.com/watch?v=ih3mfi9oWiM&t=127s/

閑話休題、1969年当時のブルー・リッヂ・ボーイズのメンバー構成はロイ・マクミランのマンドリンとヴォーカル、ウェイン・ハウザーのバンジョー、トミー・マルボース(Tommy Malbouth)のフィドル、さらに女性メンバーが2人、ギャレン・ロウ(Galene Lowe)のギターとオーディーン・ラインベリーのベースの5人編成でした。

a0038167_08591738.jpgバンドはフィドルがトミー・マルボースからバディ・ペンドルトン(Buddie Pendleton)に替わり、1970年にバンド名タイトルで2枚目のアルバムをリリースしています。

そして同年、ロイ・マクミランはバンドを去り「ハイ・カントリー・ボーイズ」(The High Country Boys)を結成します。これについては改めてご紹介致します。

さてその後のバンドの消息はわかりませんが、1977年にオールド・ホームステッド社系列から「アルバート・エリオットとブルー・リッヂ・パートナーズ」(Albert Elliott And The Blue Ridge Partners)というアルバムがリリースされます。ところがそのアルバムには以前のメンバーの姿が誰一人も残っていませんでした。メンバーが総替えとはさすがに考えられませんので、これは同名異バンドだと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=axuRb5UqhbE/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-04-01 09:05 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)