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368 愛しの泡沫アルバム(その32)

パイク・ブラザーズ

既述のジミー・グッドローのアルバム・デビュー(シリーズ25)でご紹介したバンジョー奏者のフレッド・パイクは、ロードアイランド州に生まれますが、まもなく一家は北に向かって移動します。

1ダースほどいる子供たちの中でフレッドは最年少でした。そのうち楽器を習得したのはわずか5人でしたが、フレッドは4年後にはすでにステージ・ショーやダンス会場で演奏をしていました。

兄弟のうちフレッドと兄のアールが1947年にファミリー・バンドを結成します。このバンドは1960年代半ばから1970年代初頭にかけてコネチカット州東部で演奏活動をしています。

バンドはフレッド(バンジョー、ギター、ドブロ)とアール(Earl、ギターとヴォーカル)、その妻のニータ(Nita、ヴォーカル)、デイヴ・パプーガ(Dave Papuga、ギター)、ジョン・ピエラ(John Piela、ベース、バンジョー)という編成で「パイク・ブラザーズとパイン・ヒル・ランチャーズ」(Pike Brothers & The Pine Hill Ranchers)と名乗ります。そしてグループにアールとニタの最年長の娘アレーヌ(Earlene)が加入してきました。

a0038167_08283734.jpgアレーヌは非常に才能のある歌手で、そのハスキーで少年のような歌声は独特で当時14歳にもかかわらず大人びて聴こえました。1968年になってバンドはレベル社よりアルバムをリリースします。

https://www.youtube.com/watch?v=qjjwPB70JIw/

フレッドとアールのオリジナルが3曲収録され、サポートにはマンドリンでA面2曲目、4曲目とB面2曲目にダン・リーノの息子ロニー、B面4曲目にジョン・ダフィーがそれぞれ参加しています。

a0038167_08311507.jpgこの後、バンドは「パイク・ファミリーとパイン・ヒル・ランチャーズ」と名を改めて1970年に2枚目のアルバム『温かくて快適』(To Warm And Comfort You)をリリースしました。

https://www.youtube.com/watch?v=15A_CCQUqn0/

しかし残念なことに、アレーヌが骨癌による合併症のため1972年8月11日に18歳という若さで亡くなってしまいました。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-03-29 08:38 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

367 愛しの泡沫アルバム(その31)

ジム・イーンズ

ユダヤ人入植者として1923年にヴァージニア州マウンテン・バレーで生まれたジム・イーンズ(Homer Robert Eanes Jr.)は、ミュージシャンであった父に鍛えられギターを習得します。

17歳になってから父の参加するバンド「ロイ・ホールとブルー・リッジ・エンターテイナーズ」に加入しヴァージニア州ロアノークのラジオ局を中心に演奏活動をしていました。父の死後は「アンクル・ジョーとブルー・マウンテン・ボーイズ」に移籍し、さらに1948年からはビル・モンローのバンドに加わりフラット&スクラッグスと共に活動しています。

1949年には自身のバンド「シェナンドー・バレー・ボーイズ」(The Shenandoah Valley Boys)を結成し、2年後の1951年に彼はブルー・リッヂ社とリッチ・R・トーン社のそれぞれでシングル盤をリリースします。

その後デッカ社とのレコーディング契約をした際にバンドは音楽スタイルをブルーグラスからカントリー・ミュージックに変えました。イーンズはバンドを「微笑むジムと彼のボーイズ」(Smilin’ Jim and His Boys)と改名して1955年までデッカにてレコーディングを行っています。

その後、スターデイ社で発表した曲「ユア・オールド・スタンバイ」(Your Old Standby)が彼の代表曲となりました。また彼が書いた曲「恐れない」(In His Arms I’m Not Afraid)という心に触れる福音曲は多くの有名なミュージシャンによって録音されています。

1960年代になってイーンズはいくつかのラジオ局のDJとして働きます。そして1960年代後半には「レッド・スマイリーとブルーグラス・カッタプス」に加入しました。スマイリーが病気のため引退した時にはイーンズはそれを「シェナンドー・バレー・カルテット」と改名しバンドを引き継ぎます。このバンドは後に「シェナンドー・カッタプス」となります。

a0038167_08353209.jpgさてそんなイーンズのソロ・アルバムがスターデイ社に残されています。1967年に彼の最大のヒット曲をタイトルにリリースされたアルバム『ユア・オールド・スタンバイ』がそれでした。このアルバムにはスターデイ社所属のプレイヤーたちが彼をサポートしています。マンドリンにジョン・ダフィー、ギターにチャーリー・ウォラー、バンジョーにウォルター・ヘンズレイ、ドブロにラッセル・フーパー、そしてベースにエド・フェリスといった豪華かつ強力な布陣でした。

全10曲中イーンズのオリジナル曲がA面1曲目とB面2曲目の2曲、そしてA面2曲目「スペインの淑女」(Lady Of Spain)はかつてシェナンドー・ヴァレー・ボーイズ時代(1958年)にアレン・シェルトン、スコット・ストーンマンらによって演奏された曲でした。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=iPFF7hR1Ukg&t=3s/


by scoop8739 | 2019-03-27 08:37 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

366 愛しの泡沫アルバム(その30)

ダイナ叔母さんのキルティング・パーティー

カントリー・ジェントルメンの演奏で一躍有名になった曲「ダイナ叔母さんのキルティング・パーティー」(Aunt Dinah’s Quilting Party)をバンド名にしたのがアメリカ西海岸で生まれたニュー・グラス系のグループでした。

メンバーはフィドルのビル・カニンガム(Bill Cunningham)、バンジョーのロン・リグラン(Ron LeGrand)、マンドリンのラリー・ライス(Larry Rice)、ヴォーカルとギターのトム・クーヘル(Tom Kuehl)、ドブロのマイク・ルイス(Mike Lewis)とベースのメル・ドーハム(Mel Durham)からなる6人編成です。

彼らはこの時代の他のバンドと同じように、フラット&スクラッグスやグリーンブライア・ボーイズ、ハーツ&フラワーズの影響を受け、ブルーグラスとフォーク・ロックを組み合わせたようなサウンドを目指していました。バンドの情報が乏しくラリー・ライス以外のことは詳しくわかりませんが、南カリフォルニアのさまざまなクラブでライヴ活動を行っていたようです。

a0038167_08433313.jpg1968年に発表されたアルバム『1930年代を再演』(Replays The 1930's)は、A面1曲目から「私の青空」(My Blue Heaven)に始まり、ファッツ・ドミノの名唱でおなじみB面4曲目の「浮気はやめた」(Ain't Misbehaven')など1930年代によく歌われた往年のスランダード曲をブルーグラスにアレンジして歌われています。

A面3曲目の「誰かが僕の彼女を盗んだ」(Somebody Stole My Gal)はテッド・ウィームズ楽団によってよく知られた曲です。アレンジ違いでもっとわかりやすくは吉本新喜劇のテーマとなっている曲です。同7曲目の「今誰かが彼女にキスしているか心配だ」(I Wonder Who's Kissing Her Now)はペリー・コモの歌唱でも有名です。

このように古いジャズ風、あるいはジャグ・バンド風の曲のブルーグラス版といったところです。何しろブルーグラス調と思えば突然クラリネットが出てきたり、実に楽しげに演奏されます。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=FjFKmwg6gS0


by scoop8739 | 2019-03-25 08:54 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

365 愛しの泡沫アルバム(その29)

ジャック・リンチ

ラルフ・スタンレーの初期作品の発売元「ジェリン・レコード」を経営するジャック・リンチはもともとブルーグラス・プレイヤーの一人でした。彼はベース奏者としてラルフ・スタンレーのバンドで活躍します。ちなみに1968年にリリースしたアルバム『ブルーグラス・サウンド』のA面1曲目「カーター・スタンレーを偲んで」(In Memory Of Carter Stanley)はジャックが作った曲でした。

a0038167_08302283.jpgさて、そんなジャックが興したレーベルから同年1968年にリリースされたのが自らのバンド「マイアミ・バレー・ボーイズ」(Jack Lynch & The Miami Valley Boys)のアルバム『ブルーグラス・ミュージック』です。

ラルフ・スタンレーのライナー・ノートによると、このアルバムは何度ものセッションに亘ってレコーディングされたものだそうです。

シングル盤としては、「ジャック・リンチとリー・ブラザーズ」なる名義で録音されていた曲も含めて、ロイ・リー・センターズ(Roy Lee Centers)の死後発表されたアルバム『アーリー・イヤーズ vol.1』『同 vol.2』において重複する曲をたくさん見つけますので、このアルバムはたぶん1963年から1965年頃の録音だったと思われます。

メンバーはジャック・リンチ(ベース、バンジョー、ベース・ヴォーカル)を筆頭に、バンジョー、ギター、リード・ヴォーカルにロイ・リー・センターズ(Roy Lee Centers)、テナー・ヴォーカルにロイ・リーの兄弟のダニエル・ブーン・センターズ(Daniel Boone Centers)、ギターとヴォーカルにロニー・ボリン(Lonnie Bolin)、リズム・ギター、テナー/リード・ヴォーカルにバーナード・ガム(Bernard Gumm)、バンジョーにウィルバーン・ホール(Wilburn Hall)、リード・ギターとベースとバリトン・ヴォーカルにフレッド・スペンサー(Fred Spencer)、マンドリンとバリトン・ヴォーカルにフランク・ウェイクフィールド(Frank Wakefield)らが曲によって組み合わせを替えながら演奏しています。

ロイ・リーの参加したセッションはA面2~5曲とB面2、4、5曲と思われます。それ以外はギターとヴォーカルにロニー・ボリンのセッションでしょう。

その中でフランク・ウェイクフィールドはいくつかのトラックで素晴らしいマンドリン演奏を披露していますが、マイナー・レーベルのために録音品質はあまり期待出来ません。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=iu5Eum7hRUA/


by scoop8739 | 2019-03-20 08:31 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

364 愛しの泡沫アルバム(その28)

スキータ・デイヴィス

スキータ・デイヴィス(Skeeter Davis)はアメリカ合衆国のカントリー・ミュージック歌手で、1960年代初期にポップミュージックとクロスオーヴァーした歌手としてよく知られています。

彼女はケンタッキー州ドライリッジで7人兄妹の長女として生まれ、幼いころとても元気いっぱいの子だったので祖父から「スキータ」(蚊の俗称)というニックネームをつけられました。

1947年に家族で同州アーランガーへ移り、その地の高校で歌の好きな友だちを見つけてデイヴィス・シスターズを結成し(シスターズですが特に血縁関係はありません)学校や教会で一緒に歌うようになります。

その後、RCAレコードと契約することとなって、1940年代後半にデイヴィス・シスターズ(The Davis Sisters)でデビューしますが、1950年代にはソロ・アーティストとなります。彼女の最大のヒット曲は1963年に発表された今ではとても有名な曲「この世の果てまで」(The End of the World)でした。

彼女は女性で初めてカントリー・ミュージック界のスターとなったソロ・アーティストの1人としてタミー・ウィネットやドリー・パーソンに大きな影響を与えていることが評価され、ニューヨーク・タイムズの音楽評論家ロバート・パーマーから「驚異的なカントリー/ポップ・シンガー」と評されています。

a0038167_08544741.jpgそんな彼女は1960年代にたくさんのアルバムを残していますが、珍しくブルーグラスにも挑戦しています。それは1968年にリリースされた『私の愛するフラット&スクラッグス』(I Love Flatt & Scruggs)と題されるアルバムで、有名なナンバーを12曲ほど収録しています。

スキータとF&Sはそれまでにラジオ・ショーのホスト役としての付き合いが長く、こうした親交から生まれたアルバムだと思われます。

ナシュヴィルのスタジオ・ミュージシャンとの素晴らしいセッションで、純粋なブルーグラス演奏とは言えないまでも意外にスキータの伸びのある声はブルーグラスの歌にはとても合っているよう思えます。トム・T・ホール作「カリフォルニアの気高きバンド」(California Uptight Band)で溌剌と歌い、また「新聞売りのジミー・ブラウン」(Jimmie Brown, The Newsboy)もとてもいい感じです。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=xoMIDAx791w/


by scoop8739 | 2019-03-18 08:58 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

363 愛しの泡沫アルバム(その27)

スロース・ブラザーズ

地図にも載っていないようなケンタッキー州東部の小さな集落で生活するその家族には6人の息子と1人の娘がおりました。6人の息子の全員が楽器を演奏することができ、そのうちのケニー、デイブ、ジョン、デヴィッド・レイの4兄弟は農業で生計を立てる傍ら演奏活動をするようになります。

彼らは「スロース・ブラザーズ」(The Sloas Brothers)と名乗り地元の学校や郡のお祭りなどで演奏を続けます。彼らの作る音楽は地元の人々の生活だけでなく、初期のブルーグラス世代の人々の多くに影響を与えました。また兄弟は自分たちのラジオ番組を持ち、週に一度、ケンタッキー州グレイストンとウェスト・リバティで演奏活動をします。

彼らはまた各地のフェスティバルでも演奏し、ビル・モンローを始め、ジミー・マーティン、オズボーン・ブラザーズなど多くの偉大な人々とも親しくなりました。

a0038167_14040671.jpgスロース・ブラザーズはメンバーにチャールズ・サターフィールド(Charles Satterfield 、マンドリン・ヴォーカル)を加え、1967年にレム社から『もう一度家に帰る』(I'm Going Home Again)でアルバム・デビューしています。

A面2曲目「二つの青い目」(Those Two Blue Eyes)、B面5曲目「後悔の海」(Sea Of Regret)はスタンダード曲となり、1970年にリリースされたキース・ウィットリーとリッキー・スカッグスのアルバム『第2世代のブルーグラス』(Second Generation Bluegrass)でも取り上げられています。

彼らは演奏活動を通じて、困っている人のために多くの献金をしました。このことでケンタッキー州エリオット郡は郡道路の一部に「スロース兄弟記念ハイウェイ」という名前を付けていつまでも彼らに敬意を表しています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=E85IiPXila4/


by scoop8739 | 2019-03-13 14:04 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

362 愛しの泡沫アルバム(その26)

グロリア・ベル

1960年代後半から1970年代にかけてジミー・マーチンのバンドで所謂「ガール・シンガー」として知られるようになったグロリア・ベルは、マンドリン、ギター、ベースなどを器用に弾きこなすマルチ・プレイヤーとしても有名です。

彼女は1939年ペンシルベニア州ハノーバーに生まれ、3歳からメリーランド州フレデリックのWFMDラジオ局にて教会の番組で歌い始めます。1958年頃からは地元のハノーバーを拠点とするバンド、ゲイリー・エプリーとチアフル・ヴァリー・ギャング(Gary Epley & Cheerful Valley Gang)で仕事を始めました。

またノース・カロライナ州のマギー・バレーで、当時スモーキー・マウンテン・バンジョー・ピッカーのキングと呼ばれていたレイモンド・フェアチャイルドなどのアーティストとも数多く共演しています。

a0038167_08315180.jpg彼女は1966年になって初のアルバムをリリースします。それは『田舎でブルーグラス』(Sings And Plays Bluegrass In The Country)というタイトルされたものでした。収録されたのは全12曲、彼女はバンジョー、リード・ギター、マンドリンを始め、すべてのリード・パートを歌っています。

サポート・メンバーには、後にシェナンドー・カッタプスを結成するフィドルのテイター・テイト(Tater Tate)、バンジョーのビリー・エドワーズ(Billy Edwards)、ベースのジョン・パルマー(John Palmer)の3人に加え、ギターとヴォーカルにポール・ゲリー(Paul Gerry)が参加しています。

1969年になると彼女はナッシュビルに引っ越し、前述の通りジミー・マーチンのバンドに加入します。そして必要に応じてはスネア・ドラムやアコースティック・ベースを演奏しながら1972年春までバンドで活動しました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=cUs8KKUBv1k


by scoop8739 | 2019-03-11 08:33 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

361 愛しの泡沫アルバム(その25)

ジミー・グッドローのアルバム・デビュー

1946年、ロードアイランド州ウェークフィールドに生まれたジミー・グッドロー(Jimmy Gaudreau)は1960年代にフォーク・ミュージックの洗礼を受け、キングストン・トリオやピーター・ポール&マリーなどの音楽を聴いて成長します。その後アール・スクラッグスのバンジョーを初めて聴いた時にブルーグラスの魅力に取り憑かれ、いくつかのジャム・セッションを経てマンドリン奏者としての人生を歩むこととなりました。

a0038167_12085775.jpgそんな彼のカントリー・ジェントルメンに加入する前を知るには都合のいいアルバムがあります。それは1965年にリリースされたフレッド・パイク、ビル・ロウリングスとツイン・リヴァー・ボーイズ(Fred Pike, Bill Rawlings & The Twin River Boys)の『本格的なブルーグラス、フォーク・ミュージック』(Authentic Bluegrass Folk Music)というアルバムです。

このアルバムの主役フレッド・パイクはコネチカット州出身の非常に優秀なバンジョーとギターの奏者で、1947年に彼の兄アールと共にパイク・ブラザーズ(Pike Brothers & The Pine Hill Ranchers)というバンドを組み10年ほど演奏を続けました。

その後フレッドはビル・ロウリングスと共にツイン・リヴァー・ボーイズを結成します。そこにマンドリン奏者として若きジミーが採用されたのです。

アルバム・メンバーはバンジョーにフレッド、ギターにビル、マンドリンにジミーの他、フィドルにロッキー・チェイス(Rocky Chase)、ベースにマーク・キッチン(Mark Kitchin)という5人編成です。

曲目はブルーグラスのスタンダード曲が全12曲、若きジミーの見事な演奏と歌声を聴くことが出来ます。

そうこうしている時、レベル社の取扱店をしていたアール・パイクはカントリー・ジェントルメンからジョン・ダフィーが脱退することを知ります。そこでアールはジミーにジェントルメンのオーディションを受けるように勧めます。このオーディションに見事に合格したジミーのその後は今や語るまでもありません。

余談になりますが、ジミーは1973年にキース・ウィトリー(Keith Whitley、ギター)、カール・ジャクソン(Carl Jackson、バンジョー)らと共にカントリー・ストアというバンドを結成しています。このバンドにベース奏者として参加したのがビル・ロウリングスでした。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=iuitvtKclik/


by scoop8739 | 2019-03-07 12:11 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

360 愛しの泡沫アルバム(その24)

ポール・マリンズ

1936年ケンタッキー州メニフィー郡フレンチバーグで生まれたマリンズは、幼い頃からレスター・フラット、アール・スクラッグス、スタンレー・ブラザーズのようなブルー グラスの先駆者たちの音楽に囲まれて育ちました。そして1955年からの3年間に軍隊でフィドルを演奏し始めます。除隊後の彼はスタンリー・ブラザーズのバンド・メンバーとして活躍します。

1960年になって、彼はケンタッキー州東部の放送局で働き始めました。彼のユニークな放送スタイルはケンタッキー州グレイソンのラジオ局WGOH、マウント・オブ・マウントのラジオ局WMSTで磨かれます。

a0038167_08334083.jpg1962年からは自らのバンド「ブルー・グラス・プレイボーイズ」を結成し、ブライア・レーベル(Briar)から『ブルーグラスの世界』(The World Of Bluegrass)というアルバムをリリースしています。このアルバムではオーセンティックなブルーグラスを聴かせてくれます。しかしバンドはアルバム1枚を残しただけで姿を消してしまいます。

マリンズは1964年にチャーリー・ムーアとビル・ネイピアのバンド「デキシー・パートナーズ」に籍を置くようになります。このことで彼は我が国でもその名を知られるようになりました。

さらに1967年からは、ビル・モンローの主催するインディアナ州ブラウン郡の「ビーン・ブロッサム・ブルーグラス・フェスティバル」において司会の大役を務めています。

1969年には前回書いた(シリーズ23に記載)通り、ノア・クレイズのバンドに参加したり、ゴインズ・ブラザーズでも活躍しています。

1973年にはジミー・マーチンが彼のバンドのフィドラーとしてマリンズを指名し、並いるフィドラーたちを抑えてサニー・マウンテン・ボーイズに参加します。そして、かの有名なライヴ・アルバム『ビーン・ブロッサム』の中で彼の演奏が余すところなく記録されることとなりました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=5iif6QNwTtA&t=84s/


by scoop8739 | 2019-03-04 08:35 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

359 愛しの泡沫アルバム(その23)

ノア・クレイズ

バンジョー奏者のノア・クレイズ(Noah Crase)は1934年にケンタッキー州バーウィックで生まれ、オールド・タイム・バンジョーとフィドルをよくする父親の影響でブルーグラスの道に進みます。1950年代初頭にスリー・フィンガー・ピッキングをマスターすると、ビル・モンローやジミー・マーチンとも共演しました。

a0038167_09161741.jpg1960年代の後半、ダン・ウォーマウス(ギター&リード・ヴォーカル)、ベニー・ウィリアムス(フィドル)、ボビー・ギルバート(ベース&テナー・ヴォーカル)らと共に「ヴァレー・ランブラーズ」(The Valley Ramblers)を組み、1967年にジュライン・レーベルから『厳密なブルーグラス』(Strictly Bluegrass)というアルバムをリリースします。このアルバムはタイトル通り、ハードでストレートでオーセンティックなサウンドで構成され、我が国でも少しは知られる存在となりました。

https://www.youtube.com/watch?v=sOXFy2nc8ao&t=22s/

a0038167_09202789.jpg続いて1969年に発表した『堅実なブルーグラス』(Pickin’ And Singin’ Solid Bluegrass)ではベニー・ウィリアムスに替わってポール・マリンズ(フィドル)が参加します。クレイズとマリンズとはおそらくこれが最初の共演となりました。このアルバムでも前作ほどではないにせよ、典型的なガチガチのブルーグラスを演奏しています。

https://www.youtube.com/watch?v=obwUlRAeTM0/

a0038167_09204723.jpgクレイズはこのアルバムを最後に第一線から姿を消しますが、1973年に再びポール・マリンズと共にカムバックし、シド・キャンベル(ギター&リード・ヴォーカル)を加えて「ヌー・グラス・ピッカーズ」(Nu-Grass Pickers)という人を喰ったようなバンド名で『親切なグラス』(Pickin' And Singin' Our Kind A' Grass)というアルバムをリリースしています。

https://www.youtube.com/watch?v=aXTK--179C8&t=147s/

このアルバムはヴァレー・ランブラーズの頃とはうって変わり、スタンレー・ブラザーズのスタイルを忠実に再現し、彼らの音楽的な幅の広さを証明してみせました。

※上記3枚の音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

その後、クレイズとマリンズは「ボーイ・フロム・インディアナ」(The Boys From Indiana)に参加しています。


by scoop8739 | 2019-03-01 09:22 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)