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342 愛しの泡沫アルバム(その6)

ノブ・リックス・アッパー・テン・サウザンド

エリック・ジェイコブセンはティム・ハーディンやラヴィン・スプーンフルらへの作品提供や音楽プロデューサーとして後世に名を残しています。彼はシカゴの西側のイリノイ州オークパークで生まれ、高校で彼はチューバとサフォンを演奏していました。

その後、オハイオ州の名門校オバーリン大学でバンジョーを弾き始め、1962年に大学を卒業した後はカール・ストーリーの甥ドゥウェイン・ストーリー(Dwain Story)、ピート・チャイルズ(Pete Childs)を誘い変な名前のバンド「ノブ・リックス・アッパー・テン・サウザンド」(The Knob Lick Upper 10,000)を結成します。

バンド名はケンタッキー州の小さな町「ノブ・リック」に由来し、「アッパー・テン・サウザンド」(Upper 10,000)とは「上層地層」または「地方」を意味するドイツ語の翻訳なのだそうです。

彼らはニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジにある「ビター・エンド・コーヒー・ハウス」で演奏するようになり、そこで当時ボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンにスカウトされ契約しました。そして1962年にマーキュリー・レコードからバンド名をタイトルにしたアルバムでデビューしています。

a0038167_08314640.jpgこのアルバムを聴いてみると、当時のアメリカ東部のブルーグラスがいかに進歩的であったのかが察せられます。たとえばB面2曲目「ノブリック・シャフル」は演奏形態こそ違いますが、まるでカントリー・ジェントルメンの代表曲「ナイト・ウォーク」そのものです。
https://www.youtube.com/watch?v=cQ_eh_XTBmo&t=4s

彼らは同年に2枚目のアルバム『練習!!!』(Workout!!!)をリリースするほどの勢いでした。ところが、ビートルズのアメリカ上陸とその音楽にショックを受けたジェイコブセンは、将来を見据えてバンドを離れることを決め、ニューヨークに行きジョン・セバスチャン(ラヴィン・スプーンフルを結成)を発掘、彼らのプロデュースをすることにします。

このように、後にフォーク・ロックとの関わりを持つエリック・ジェイコブセンが、その胎動期においてどのようにブルーグラスを演奏してきたのかを知るには、これは貴重なアルバムかも知れません。
by scoop8739 | 2018-12-28 08:33 | 泡沫アルバム | Comments(0)

341 愛しの泡沫アルバム(その5)

ヒューロン・ヴァレー・ボーイズ

カントリー・ミュージックはアメリカの音楽の中でも最も宗教との結びつきが強く、宗教的な曲を専門とするセイクレッド・グループが沢山あります。中でもカール・ストーリーと彼のランブリング・マウンテニアスと、レッド・エリスとヒューロン・ヴァレー・ボーイズは2大人気グループでした。

さて、レッド・エリス(Red Ellis)はアーカンソー州に生まれ、成長した後、ミシガン州アン・アーバーWHRVラジオ局でカントリー・ゴスペル専門のDJとして勤めていましたが、やがて自ら歌い演奏するためヒューロン・ヴァレー・ボーイズ(The Huron Valley Boys)を結成します。

メンバーはバンジョーのレオナルド・スタイルズ(Leonard Styles)、マンドリンのビル・クリスチャン(Bill Christian)、フィドルのアーノルド・パットン(Arnold Patton)、ベースのオーブレー・ダヴンポート(Aubrey Davenport)に加えて、ゲスト・プレイヤーとしてギターとヴォーカルのエド・クラーク(Ed Clark)という構成です。

a0038167_09244585.jpg彼らが1962年に発表した『ブルーグラスの宗教歌』(The Sacred Sound Of Bluegrass Music)はエリスのオリジナル曲5曲を含む、全14曲のセイクレッド・ソングが収められています。

A面1曲目「浮き世の旅」(Traveling Through This World)はエリス作の美しい曲です。清々しいハーモニーに心が洗われるようです。

同6曲目「スクール・バスの悲劇」(No School Bus In Heaven)はケンタッキー東部の道路で実際に起こったスクール・バスで失われた幼い学童たちの霊に捧げる歌です。サビのコーラスが素朴な中にある種の迫力を伴って迫ってきます。

B面1曲目「ワン・ドロップ」(One Drop)がキリストがゴルゴダの丘で十字架に架けられて処刑されたという新約聖書からの曲です。

同3曲目の「美しき人生」(A Beautiful Life)はブルーグラスに限らず広く歌われるセイクレッドの古典曲です。

彼らは1964年に2枚目のアルバム『ブルーグラスの古い宗教のスタイル』(Old Time Religion Bluegrass Style)をリリースしていますが、それ以降にバンドとしてアルバムのリリースはないようです。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる(Take’s Bluegrass Album Channel)で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=WJBZbOiwAjs&t=523s
by scoop8739 | 2018-12-25 09:27 | 泡沫アルバム | Comments(0)

340 愛しの泡沫アルバム(その4)

ディキシー・ジェントルメン

テネシー州からアラバマ州に移ったバンジョーのルアル・ヤーブロウ(Rual Yarbrough)は、1956年にマンドリンのハーシャル・サイズモア(Hershel Sizemore)と出会い、ギターのジェイク・ランダース(Jake Landers)を加えて演奏活動を開始します。

彼らは「ディキシー・ジェントルメン」(The Dixie Gentlemen)を名乗り、初期の頃はアメリカ南東部をツアーしたり地元のラジオとテレビ局などで活躍しました。

1962年にはフィドラーのトミー・ジャクソンがドット・レコードでアルバム『グレイテスト・ブルーグラス・ヒッツ』を録音する際に、バック・アップ・メンバーとしても参加しています。

1963年には折からのフォーク・リヴァイヴァルの旋風を得て企画物ながら「ブルー・リッジ・マウンテン・ボーイズ」(Blue Ridge Mountain Boys)というバンド名で『ブルー・グラス・バック・ホーム』と『フーテナニー・アンド・ブルー・グラス』という2枚のアルバムをタイム・レコードに残します。しかしながら、彼らはこのアルバムではナシュヴィルのスタジオ・ミュージシャンの一員としての参加でした。

そんな彼らの努力が実を結び、メジャー・レーベルであるユナイテッド・アーティストと契約を結びます。

a0038167_09485284.jpgこうして1963年にリリースされたのが『ディキシー・ジェントルメンのカントリー・スタイル』(The Country Style Of The Dixie Gentlemen)というアルバムです。ゲストとして、元ビル・モンローのブルーグラス・ボーイズの一員で多くのセッション録音でも知られるアメリカ屈指のフィドラー、ヴァッサー・クレメンツと、ドブロ奏者にショット・ジャクソンが参加しています。

この時代には珍しく全12曲中11曲がジェイクのオリジナル、残る1曲がハーシャルのオリジナルとなっています。

しかし彼らはこのアルバムを1枚残しただけで1966年に解散してしまいます。その後、ヤーブロウとサイズモアは「ディキシー・メン」(The Dixiemen)を結成しています。またオリジナルの「ディキシー・ジェントルメン」としては1972年と1990年代初めに一時的に復活しアルバムを残しています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる(Take’s Bluegrass Album Channel)で聴くことが出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=nOVMU1cZJxg&t=120s

by scoop8739 | 2018-12-20 09:51 | 泡沫アルバム | Comments(0)

339 愛しの泡沫アルバム(その3)

ブルーグラス・ジェントルメン

ナット(マンドリン)、ハーレイ(バンジョー)、フランシス(べース)のブレイ兄弟に、レッド・クレイヴンス(ギター)を加えたバンドがブルーグラス・ジェントルメン(The Bluegrass Gentlemen)でした。

a0038167_09242887.jpg彼らは1962年にリバティよりバンド名と同じく『ブルーグラス・ジェントルメン』とタイトルされたアルバムを発表しています。

彼らの演奏スタイルは、名前が似ていて否が応でも比較されがちなカントリー・ジェントルメンの「男らしい」演奏に比べると、どちらかというと「ひ弱な」印象を与えます。しかし所謂ハイ・ロンサムとは呼べないものの、細やかな演奏と円やかでデリケートなコーラス・ワークは婦女子の琴線に触れる切なさが感じられます。

また時代を反映してか、A面6曲目「マラゲーニャ」(Malaguena)やB面6曲目「恋人」(Lover)のインスト曲、B面2曲目の「涙の行く先」(Pathway Of Teardrops)にモダン・ブルーグラスを意識したような曲が収録されています。

ところが彼らは、カントリー・ジェントルメン人気にあやかって名付けられたであろうバンド名が災いしてか「泡沫アルバム」のレッテルが貼られました。

a0038167_14534662.jpgそれから10年後の1972年に突然「レッド・クレイヴンスとブレイ・ブラザーズ」と名を改め、ラウンダーより「419 W.Main」というアルバムがリリースされました。

実はこのアルバム、1960年にラジオ用のテープとして録音されていたものを1964年に再編集してレコード化したものでした。その再編集を手伝ったジョン・ハートフォードがフィドルで5曲ほど参加しています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる(Take’s Bluegrass Album Channel)で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=nsRQx2lyC8c&t=7s
by scoop8739 | 2018-12-17 09:44 | 泡沫アルバム | Comments(0)

338 愛しの泡沫アルバム(その2)

ウォルター・フォーブス

a0038167_14191139.jpgその名前すら記憶にない人です。そのウォルター・フォーブス(Walter Forbes)が1962年にリリースしたのが『バラッドとブルーグラス』(Ballad And Bluegrass)というアルバムでした。1962年のことですから、所謂モダン・フォーク・ブームの中で生まれたアルバムであることには間違いないと思われます。

ウォルターは南ジョージア出身の資産家の子弟だったようで、そこで経験した黒人の労働歌と、家族が持つ別荘のある北ジョージアで聴いたブルースやブルーグラスを血肉とし育っています。

時代的に言うと、ギド・ターナー、モンロー・ブラザーズ、アンクル・デイブ・メイコン、ブルースカイ・ボーイズ、オリジナル・カーター・ファミリーなどが彼の音楽形成の基となった訳です。

さてアルバムのライン・アップは、ブルーグラス化されたマウンテン・バラッドも多く、モダン・フォークからブルーグラスへとクロス・オーバーする辺りの過渡性にスリリングなものがあって面白く聴くことが出来ます。

日本では全くの無名とは言え、この人はディズニーのTV映画にも出演していて、1973年には「ナシュヴィルのコヨーテ」(Nashville Coyote)というアルバムをリリースしています。この主題歌を歌っているということは、彼はそこそこ業界で生き抜いてきた強者だと察せられます。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる(Take’s Bluegrass Album Channel)で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=gh2kmQHeddk&t=3s
by scoop8739 | 2018-12-13 14:20 | 泡沫アルバム | Comments(0)

337 愛しの泡沫アルバム(その1)

音楽の世界で「永遠」なり「不滅」なり「力作」と呼ばれるアルバムは、リリースされてからとてもよく聴かれ、数年経って「金字塔」と謳われ、さらに数十年を経ても「名盤」として依然と聴き続けられています。

この対義語として「泡沫」という言葉があります。歌詞や曲のタイトルなどにも使われる言葉ですが、「ほうまつ」なり「うたかた」というような読み方がされています。

ブルーグラスの世界においても例外ではありません。「名盤」があれば「泡沫」もあります。「名盤」はCDの時代になってから復刻されましたが、「泡沫盤」にはお声すらかかりませんでした。ということで、これからしばらくはそんな「泡沫」的なアルバムにスポットを当ててご紹介致しましょう。

第1回目は1960年代初頭、ワシントンD.C.でカントリー・ジェントルメンが表舞台で活躍していた頃から始めます。

ロンサム・リヴァー・ボーイズ

ワシントンD.C.のクラブ「ショーボート・ラウンジ」を本拠として活躍していたバンド、ロンサム・リヴァー・ボーイズ(The Lonesome River Boys)は、マンドリンでリード・ヴォーカルのジャック・タトル(Jack Tottle)、ギターでテナー・ヴォーカルのジョン・カパラキス(John Kaparakis)を中心に、バンジョーでバリトン・ヴォーカルのリック・チャーチル(Rick Churchill)、フィドルのジャームズ・ブキャナン(James Buchanan)とベースとベース・ヴォーカルのディック・ストウ(Dick Stowe)の5人で構成されていました。

a0038167_13500342.jpg彼らが1959年に録音し、1961年にリリースしたアルバムが「ラッカスを育てる」(Raise A Ruckus)でした。アメリカ東部の都会人らしい垢抜けたヴォーカルや選曲など、フォーク・リヴァイヴァル時代のプレイヤーとしての心意気が感じられます。

そんな彼らの直球志向のスタイルは当時の東部ブルーグラス界においても群を抜いていたと思われます。

後にタトルはD.C.およびニューヨーク周辺で活躍し、ドン・ストーヴァーのホワイト・オーク・マウンテン・ボーイズや、テイスティ・リックスを通じて多くの後輩の育成に貢献しています。

さらに彼はヴァージニアのアーリントンに移り住み、1973年のケンタッキー・カーネルズ再編成時にはリズム・ギターを務めています。

またジャームズ(ジム)・ブキャナンはグリーンブライア・ボーイズのセッション・フィドラーでもありました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる(Take’s Bluegrass Album Channel)で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=mjXV1rUYFiM&t=1s
by scoop8739 | 2018-12-10 13:54 | 泡沫アルバム | Comments(0)