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285 「ニューグラス」への道(その4)

ジム&ジェシーの変身

ジム&ジェシーことマクレイノルズ兄弟はヴァージニア州南西部コーバアンというところで、兄のジムは1927年、弟のジェシーは1929年に生まれ育ちました。

彼らは青年期に同郷のスタンレー・ブラザーズらと知り合い、互いに切磋琢磨しながらプロとしての活動を始めます。その頃の彼らはまだブルーグラス・スタイルではなく、所謂「兄弟ストリング・バンド」として活躍します。バンドにはバンジョー奏者もいなくて、ジェシーはマンドリンを駆使し“マンドリンのスクラッグス・スタイル”を開発しました。それが後世に言われる「マクレイノルズ・スタイル」奏法です。

ジム&ジェシーがブルーグラス・スタイルへと変わっていったのは、もちろんビル・モンローの率いるブルー・グラス・ボーイズの影響が大きかったのですが、彼らはその影響を受けつつも、誰にも真似の出来ない独自のスタイルを築いていきます。

1962年にエピック社に所属すると昔日に優るとも劣らぬ人気を博します。そして1965年までに4枚のアルバムをリリースしています。順に『ブルーグラス・クラシック』(Bluegrass Classics)、『ブルーグラス・スペシャル』(Bluegrass Special)、『旧い田舎の教会』(The Old Country Church)、『ヨーカム』(Y'all Come! Bluegrass Humor With Jim & Jesse And The Virginia Boys)というアルバムで、これらはいずれもブルーグラスの範疇に留まるものでした。

a0038167_11522536.jpg1965年になって、彼らは時代の流れとヒット性を追い求めて果敢に大変身を敢行します。ここで放ったアルバム『田舎の果実摘み』(Berry Pickin’ In The Country)は世のブルーグラス・ファンをアッと驚かせました。

というのもこのアルバムに収録されている全曲が、「ジョニー・B・グッド」(Johnny B. Goode)や「ベートーヴェンをぶっ飛ばせ」(Roll Over Beethoven)といったチャック・ベリーの歌ったロックン・ロール・ナンバーを集めたものだったのです。

a0038167_11524576.jpgこれを契機に彼らのブルーグラスは急速にプログレッシヴな様相を帯びてまいります。さらに1967年リリースのアルバム『尻尾にディーゼル』(Diesel On My Tail)はカントリー・ナンバーのトラック・ドライヴィング・ソング集となりました。こうした結果、レコードの売上げは飛躍的に伸び、彼らの変身は事実上の成功を収めます。

彼らは1969年までにエピック社からさらに2枚のアルバムをリリースしています。1枚は若い頃に大いに影響を受けたグループのナンバーを集めたアルバム『ルーヴィン・ブラザーズに敬意』(Saluting The Louvin Brothers)というものです。もう1枚は『列車が大好き』(We Like Trains)というカントリーではお馴染みにトレイン・ソング集でした。

しかし売上げに伴ってその音楽性に制約を受けることとなります。そこで彼らはエピック社を離れ、1970年を境にブルーグラスへの回帰を図ることにしました。


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by scoop8739 | 2018-05-31 11:54 | Road To New Grass

284 「ニューグラス」への道(その3)

オズボーン・ブラザーズの弛みない試み

オズボーン・ブラザーズは1960年2月にブルーグラス界では初めて大学のキャンパスで演奏したバンドでした。場所はオハイオ州にあるアンティオーク大学です。この時、大学での観衆はブルーグラスをフォーク・ミュージックの一つとして捉え、バンドの演奏の素晴らしさに驚嘆しました。

このカレッジ・コンサートでの成功は多くのブルーグラス・バンドをフォーク・マーケットへ送り込むこととなり、その結果、彼らはフラット&スクラッグスと共にフォーク・ファンをブルーグラスへと駆り立てる原動力となりました。

ところが彼らが対象としていたのは常にカントリー・ミュージックを支えているファン以外の何者でもなかったのです。と言うのもフォーク・ファンの多くが少なからず移り気で、彼らの良き理解者、ファンにはなり得ないということをいち早く嗅ぎ取っていたからでした。

またそれ以上に、彼ら自身がフォーク・ファンの好む“ブルーグラスのオールディーズ”には興味がなく、専らオリジナル・ソングによるオリジナル・サウンドの発展に取り組みたいという、彼ら一流のクールな審美的好みがあったのです。

1960年代になると彼らはライブとスタジオ・ワークに電子楽器と打楽器を持ち込みます。このことがブルーグラスの音楽愛好家の間で小さな論争を引き起こしました。なぜなら、それまでのブルーグラス・バンドには楽器に電気を組み込んだものがなかったからで、これ以降も正統なブルーグラス・バンドではあまりやらない方法でした。

a0038167_09160270.jpg1963年にはデッカ・レコードと契約し、1965年8月に移籍第1作『ヴォイセス・イン・ブルーグラス』(Voices In Bluegrass)(DL74602)を発表してからの10年間、ほぼ1年1作のペースでアルバムを発表し、そのたびにセンセーショナルな話題を提起し続けます。

デッカ以前に所属していたMGMでの最後のアルバムとなった『カッティン・グラス』(Cuttin’ Grass)(SE4149)と前記『ヴォイセス・イン・ブルーグラス』で彼らはオズボーンズ・スタイルの“モダン・ブルーグラス”を完成させます。これはもちろんカントリー・ジェントルメンともフラット&スクラッグスとも違ったアプローチによるもので、洗練されたスマートな感覚のものとなりました。

a0038167_09101254.jpg続く1966年8月にリリースしたアルバム『アップ・ジス・ヒル&ダウン』(Up This HillDown)(DL74767)ではアコウスティック・サウンドにますます磨きがかかり、ソリッドでモダンなサウンドが耳に心地よく迫ってきます。

しかし彼らはその間にも既に新しい試みを始めていました。196510月のセッショッンには、ハーガス・ロビンス(Hargus Robbins)のピアノをフィーチャーしたカントリー・スタイルを取り入れ、カントリー〜エレクトリック・グラスへの傾斜を強めていきます。

このカントリーへの接近を決定的なものとしたのは翌1966年末にリリースされたシングル盤「The Kind Of Woman I Got」の成功でした。

この曲は従来のアコゥスティック・ベースに満足できずにエレクトリック・ベースを取り入れ、レイ・イーデントン(Ray Edenton)に加え、名手グラディ・マーチン(Grady Martin)をバックに、まことにブルーグラスらしからぬリズムと曲調でまとめられています。そしてこの曲がスマッシュ・ヒットを記録したことによって彼らのスタイルは決定的な変貌を成し遂げます。

さらに翌1967年春の「ロール・マディ・リヴァー」(Roll Muddy River)と、それに続く「ロッキー・トップ」(Rocky Top)の大ヒットによって彼らのカントリー・グラス・スタイルは完全に定着し、電気楽器と大出力アンプがブルーグラス界にも一般的なものとなったのです。


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by scoop8739 | 2018-05-29 09:19 | Road To New Grass

283 「ニューグラス」への道(その2)

ブルーグラス、“広義”と“狭義”のプログレッシヴ化

プログレッシヴ・ブルーグラスは純粋なブルーグラスとは異なり、アパラチアの起源から遠く離れた多くの異なる影響を受け、ジャズ、フォーク、ロックの要素を加え、他の国のスタイルとミックスしています。

多くのプログレッシヴ・ブルーグラス・バンドは、アコースティック・ベースの伝統的なブルーグラス・サウンドから出発して増幅された楽器も使用しています。ジャム・バンド・スタイルの即興もよく聞かれる要素です。

さて、「プログレッシヴ・ブルーグラス」(Progressive Bluegrass)というものを“広義”に解釈すれば、その歴史はビル・モンローにまで遡らなければなりません。彼は1940年代中盤のカントリー・シーンでの真のイノヴェーターと思われるのです。

その根拠にはビルは、当時の“オールド・タイム・ストリング・バンド”や、“兄弟ヒルビリー・デュエット”に飽きたらず、フラット・マンドリンを武器にスウィング(ドライヴ)するストンプ・ミュージックを考えつきました。

彼はブルース、ジャグ・バンド・ミュージックといった黒人系音楽と、南部白人ストリング・バンド、テキサスのウェスタン・スウィングなどに触発されたアコゥスティック・フュージョンを試みます。

過去、あまり聴くことの出来なかったブルージーなリックを前面に押し出したマンドリン演奏と自身のハイ・テナー・ヴォイスは、「プア・ホワイト・ブルーズ」の存在を明確にし、後にこのビルの特徴あるヴォーカルは「ハイ・ロンサム」と呼ばれるようになりました。

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彼の考えはさらに新たな幸運をもたらしました。ビルのバンドに加入したアール・スクラッグスが5弦バンジョーをそれまでのトラッド奏法からより昇華し前進させた歯切れの良い音の連続技、すなわち「スクラッグス・スタイル」と導き、ビルのバンド・キャラクターとして貢献します。

同じくレスター・フラットはギター奏法に「Gラン」を工夫し、また当時のヒルビリー・シーンでは珍しくあか抜けたヴォーカルを披露することになります。フィドルのチャビー・ワイズは今日でもブルーグラス・サウンドの中核となっているブルーズ・リックをビルのバンドに提供します。

これのサウンドこそが、“オーバー・ドライヴ感”を備えたエキサイティングなホット・アコゥスティック・ストリング・バンドである「ブルーグラス」の誕生に結びついたのでした。

ビル・モンローの歴史的な発明を“広義”の「プログレッシヴ・ブルーグラス」と捉えるのならば、そんなビル・モンローをリスペクトする1970年代初頭のフリーク達がたどり着いたオリジナルなサウンドこそが“狭義”の意味での「プログレッシヴ・ブルーグラス」と言えるのではないでしょうか。

この「ニューグラス」と呼ばれるプログレッシヴなブルーグラスが形作られるまでには、さまざまな音楽やバンドが互いに触発し合い影響し合って、新しいサウンドを模索していったのでした。


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by scoop8739 | 2018-05-24 13:19 | Road To New Grass

282 「ニューグラス」への道(その1)

チーズ・タッカルビ

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最近、巷で婦女子に人気のグルメに「チーズ・タッカルビ」というものがあります。

「ゴメン、何それ?」と言われる流行に疎いオジさんオバさんに、ちょいとこの料理の説明をしておきましょう。

まず「タッカルビ」から知っていただかないといけません。これは韓国語で「鶏カルビ」という意味です。韓国は春川市、最近では冬季オリンピックが開催されたピョンチャン近くの郷土料理なんだそうです。

ヤンニョム、コチュジャンで味付けした鶏肉を半日ほど寝かし、ざっくりと切ったキャベツ、サツマイモ、ニンジン、ネギなどの野菜と一緒にピリ辛く炒めた料理です。

具は店舗ごとに異なりますが、大きな鉄板で調理し、好みに合わせてトッポギ(韓国餅)や野菜を加えます。中には麺を入れたり、飯を入れてチャーハンのようにして食べることもあるそうです。

そんな「タッカルビ」は店にもよりますが、日本人にとっては辛くて食べづらい料理でした。ところが東京のコリアン・タウン、新大久保にある「市場(シジャン)タッカルビ」というお店がこれにチーズをトッピングして出したところ、辛さがまろやかになって一段と美味しくなるという噂が広まり、今では新大久保に女子高生が大挙して訪れていると言われています。

ちなみに、2017年「今年の一皿」の急上昇ワード賞にも「チーズ・タッカルビ」が選ばれているほどです。今ではあの「コストコ」でも定番商品となっています。

話は変わります。

少々強引な展開で戸惑われているとは思いますが、ブルーグラス・ミュージックなるものを「タッカルビ」に喩え、チーズを流行の音楽に置き換えて話を進めてみます。

韓国春川市の郷土料理とアメリカ南東部地方の郷土音楽。こういう持って行き方でなんとなくお察しが出来たのではと思いますが、一般的には“耳に馴染みにくい”音楽だった「ブルーグラス」を、チーズ、すなわち“今流行の音楽”でトッピングすることで大衆化させようとする動き、それが「1970年代初頭に起こったニューグラスのムーヴメント」でした。

この流れの源にあるものとは、フォーク・リヴァイヴァルのブームが去って、アメリカに英国からの音楽侵略(British Invasion)が始まった1960年代中期に遡らなくてはなりません。

1964年2月、ビートルズがアメリカに初上陸して以来、アメリカの音楽界は英国の侵略を受け続けることになります。フォーク・ソングやブルーグラスもそれまでは“温故知新”とばかりに栄華を極めていましたが、聴衆の嗜好が変わると一気に市場が冷え込んでいきました。

こうした中、アメリカのフォーク・シーン、とりわけニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで活躍していたボブ・ディラン、ロジャー・マッギン、ジーン・クラークなどの多くのミュージシャンたちはそれに影響を受け、生き残りをかけた対抗手段として、エレクトリック・ギター、エレクトリック・ベース、ドラムスというロックの楽器編成(ただしアコースティック・ギターを併用する場合も多い)で演奏するようになります。これがフォーク・ロックの始まりでした。

当然ながらブルーグラス界でも同様に生き残りをかけてあらゆる手段がとられます。あるものは電気楽器を導入したり、またあるものはバンドにドラムスを加入させたり、一番多かったのは異ジャンルの音楽をレパートリーに混入させるという方法でした。つまり、「伝統的」(Traditional)なものから「前衛的」(Progressive)なものへの変化、対応が起こったのです。


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by scoop8739 | 2018-05-21 14:30 | Road To New Grass

281 至高のサウンド(その35)

おわりに

さてこれまでのシーンは、ライヴ・パフォーマンスに於いてはダフィーの軽妙なステージ・ワークと派手さを中心に構成してきましたが、スタジオ・ワーク、つまりレコーディングではスターリングが中心となってやってきています。つまり、メンバーそれぞれの個性を引き出してそれをまとめる作業役(これをミュージカル・ディレクターと言います)を果たしていたのがスターリングだったのです。

またヴォーカリストとしても、彼の後釜を務められるような人物がそうそう存在する訳がありません。『アクト1』に収録された「ベビー・ジェイムス」を軽々と歌えるシンガーなどブルーグラス界広しと言えども、スターリング以外に見つけることはできません。

コンテンポラリー・ソングを易々と歌いこなせ、古いブルーグラス・ナンバーでは歌の巧さと新しさ(Something New)を加味できるセンスの良さが彼にはあったのです。

セルダム・シーンがブルーグラス界で最高の人気を勝ち得た要因には、スターリングに依存するものが大きかったと思われます。そんな彼がバンドを脱退したのですからこれは一大事です。明らかにバンドの質に変化が生じることは明らかでした。

たとえオゥルドリッヂのドブロに磨きがかかろうとも、エルドリッヂのバンジョーがますます冴えようとも、ダフィーのテナーが吠え渡ろうとも、グレイのベースが堅実に4ビートを刻み続けようとも、ローゼンタールのリード・ギターが新たなバンドの魅力になろうとも、スターリングのいた頃のセルダム・シーンを再現させることは出来ません。

“オリジナル・セルダム・シーン”が各々の個性と調和で燦然と輝き『至高のサウンド』を創造していた時代。そんな時代に私たちが彼らの創り出した音楽を聴いて感じた思い、その記憶と記録は永遠に消えるものではありません。そして私たちの中では今でも色褪せることなく、彼らの残した楽曲を聴くことで、いつまでも新鮮に彼らのサウンドを楽しむことが出来るのです。

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by scoop8739 | 2018-05-16 11:51 | セルダム・シーン

280 至高のサウンド(その34)

アルバム『洗礼』曲解説(B面)

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B面1曲目「テイク・ヒム・イン」はブルーグラス・ヒムのエッセンスに溢れた作品です。これもまたローゼンタールの自作曲です。なかなか作曲のセンスがいいですネ?

2曲目「天国行きの貨物列車」は、Youtubeにもアップされている「バーチメア・レストラン」でのライヴでも聴くことが出来ます。そこではダフィーが「次のアルバムに入れる曲」だと話しています。収録されたのは19761114日となっていますので、その頃には既にこのアルバムの準備が進められていたようです。この曲はアルバムでのスターリングの歌唱として1番の出来だと思われます。まさしくシーンでの最後のアルバムとなるにふさわしい名唱となっています。メンバーの演奏も実に素晴らしく、スターリングとの別れを惜しみつつ、かつ門出を祝福しているかのような感じがします。後にスターリング自身がこの曲をソロ・アルバム『長い時が経って』(Long Time Gone)に収録しています。かなりお気に入りの曲だったのでしょう。

バンジョーの軽快なイントロに始まる3曲目「帰る準備はできたかい?」は、『アクト2』に収録の「黄金の家に住むよりも」、『旧い列車』に収録の「古い十字路」、『新しいセルダム・シーンのアルバム』に収録の「人生の絵画」などと同様のハンク・ウィリアムス自作曲です。こうしてみるとシーンはハンクの曲をずいぶんとカッコよく定型的なブルーグラスにアレンジして演奏しています。そしてスターリングが前曲に続いての名唱です。他のメンバーの間奏も実に素晴らしい!

4曲目「そこにいましたか?」(Were You There ?)は、ジョニー・キャッシュやハリー・ベラフォンテなどによって歌われたアメリカ独自の宗教歌です。最初は無伴奏でダフィーのリードから、すぐにスターリングとローゼンタールとオゥルドリッヂがコーラスに加わります。「彼らが私の主を十字架に張付けた時、あなたはそこにいましたか?」を繰り返し、3行目の歌詞「震える、震える、震える」(trembletrembletremble!)というところのコーラスがとても美しく響きます。単純な歌詞だからこその説得力と精神性が感じられる曲です。

ギターのイントロで始まる5曲目「ウォーク・ウィズ・ヒム・アゲイン」はローゼンタールの曲で、ダフィーとのコーラスはスターリングとは違ったソフトでメロウな趣きがあります。モダンで凝った演奏と曲調がシーンに新しい風を起こしています。

6曲目「ゴスペル・メドレー」は伝統的な宗教歌のメドレーです。無伴奏コーラスから始まる「アメイジング・グレイス」(Amazing Grace)をスタートに、フラット&スクラッグスでお馴染みの「ゲット・ライン・ブラザー」(Get In Line Brother)、ビル・モンローの得意とする「スィング・ロウ・スィート・チェリオット」(Swing Low Sweet Chariot)、そしてラストはハンク・ウィリアムの「灯りが見えた」(I Saw The Light)と綴られます。このゴスペル・メドレーは当時のシーンのステージでフィナーレを飾るものでした。ダフィーの気合いの入ったリード・ヴォーカルとローゼンタールが加わったコーラスは重量感があってなかなかのものです。

『洗礼』(Baptizing)と題されたこのアルバムは、スターリング在籍時のセットと、新しく加入したローゼンタールでのセットを交互に組み込んだ鮮やかな手法で新旧交代を演出しています。つまり、さりげなくソフトに“新生セルダム・シーン”を紹介したものとなりました。

そしてアルバムは197810月にリリースされます(Rebel Records SLP 1573)。日本盤の発売は1979年になってからのことでした(Seven Seas GXF 6024)。

その当時、カウンティ・レコード社々長のデイヴ・フリーマンが語っているところによると、このアルバムは、選曲、ヴォーカル、ハーモニー、バックアップのどれをとっても非の打ちどころのない、1970年代のゴスペル・アルバムとしてはナンバー・ワンのアルバムであると言っても過言でないというものでした。


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by scoop8739 | 2018-05-14 08:56 | セルダム・シーン

279 至高のサウンド(その33)

アルバム『洗礼』曲解説(A面)

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まずA面1曲目の「サイド・オブ・ザ・ロード」は、マック・ワイズマンがドット・レコードに残したアルバム『This Is Mac Wiseman(Dot 3697)に収録されていた曲でした。スターリングのドライヴの効いたヴォーカルでグイグイと歌われ、コーラスでさらに迫力を感じさせてくれます。間奏はダフィーのリード・ギターでしょう。バンジョーもコブシの効いたシンコペーションたっぷりの演奏です。この曲にはリズム・マンドリンでスキャッグスが加わっています。

続く2曲目「ブラザー・ジョン」で初めてローゼンタールのヴォーカルを聴くことが出来ます。スターリングと較べること自体が酷なのですが、ソフトでメロウな歌声は万人受けしたのではないでしょうか? この曲の作者はローゼンタール自身です。彼は「マディー・ウォーター」で見せたマイナー調の曲作りがお得意のようです。

マンドリンのトレモロで始まる3曲目「山小舎の夢」は再びスターリングの出番です。この曲も1曲目同様、マック・ワイズマンのアルバム『This Is Mac Wiseman』からの選曲となりました。スターリングの格調漂う詩情豊かな歌声に酔いしれます。コーラスも美しくキマっています。間奏のギターはオゥルドリッヂです。

4曲目「落葉」はクリフ・ウォルドロンのアルバム『トラヴェリング・ライト』でも聴くことができる曲で、グランパ・ジョーンズが作り、奥方ラモーナとのデュエットで歌われた有名なカントリー・ナンバーでした。哀愁溢れるダフィーのヴォーカルが歌の意味を切々と伝えているようです。間奏のギターはローゼンタールです。オゥルドリッヂがまるでペダル・スティールを弾いているかのようにドブロを奏でます。

5曲目の「ヒー・トゥック・ユア・プレイス」はフラット&スクラッグスの曲ですが、スターリングが所謂ブルーグラスの曲でありながらブルーグラスとは違った歌い方をしています。オリジナルのレスター・フラットとはひと味違ったブルーグラス・ヴォーカルを聴かせてくれます。


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by scoop8739 | 2018-05-11 08:45 | セルダム・シーン

278 至高のサウンド(その32)

ジョン・スターリングの退団とアルバム『洗礼』

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1977年の夏、次のアルバム制作が始められます。この当時、彼らがライヴ活動を行っていた「レッド・フォックス・イン」や「バーチメア・レストラン」、また各地のフェスティバル会場では既にレコーディングが終わった曲がお披露目されていたようです。

ところが秋になって、スターリングはアリゾナ州で医院を開業するためにバンドを離れることを決意します。新しいアルバム制作が進む中での退団決意はバンドに衝撃を与えました。スターリングの代わりとして白羽の矢が立ったのが、アルバム『アクト3』で「ウィリー・ボーイ」や「マディー・ウォーター」の曲提供をしたフィル・ローゼンタールでした。

彼はコネチカット州ギルフォードで生まれ、ニューイングランドに拠点を置くブルーグラス・バンド「アップル・カントリー」と「オールド・ドッグ」をかけ持ちし、ギター、バンジョー、マンドリン、ヴォーカルを巧みにこなすマルチ・プレイヤーです。「オールド・ドッグ」として「バーチメア・レストラン」に出演した折には、度々オゥルドリッヂと共演していました。そんなローゼンタールが新しくバンドに加わるということで、シーンに新たな展開が始まると期待されました。

さて、スターリングとのセットで既にレコーディングされていた曲と、新たにローゼンタールが参加した曲を加えて作られたのが、セルダム・シーン初のゴスペル・アルバム『洗礼』(Baptizing)です。ゲストには新生ブーン・クリークを率いるリッキー・スキャッグスがフィドルとマンドリンで2曲ほど参加しています。録音場所は前作同様、ヴァージニア州フォールズ・チャーチにあるバイアス・スタジオでした。

A

1曲目「サイド・オブ・ザ・ロード」(By The Side Of The Road

2曲目「ブラザー・ジョン」(Brother John

3曲目「山小舎の夢」(Dreaming Of A Little Cabin

4曲目「落葉」(Fallen Leaves

5曲目「ヒー・トゥック・ユア・プレイス」(He Took Your Place

B

1曲目「テイク・ヒム・イン」(Take Him In

2曲目「天国行きの貨物列車」(Freight Train To Heaven

3曲目「帰る準備はできたかい?」(Will You Be Ready To Go Home

4曲目「そこにいましたか?」(Were You There ?

5曲目「ウォーク・ウィズ・ヒム・アゲイン」(Walk With Him Again

6曲目「ゴスペル・メドレー」(Gospel Medley


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by scoop8739 | 2018-05-07 09:51 | セルダム・シーン

277 至高のサウンド(その31)

マイク・オゥルドリッヂ、3枚目のソロ・アルバム

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1976年夏、マイク・オゥルドリッヂはテネシー州ナシュヴィルにある「ジャック・トラックス」(Jack's Tracks Recording Studio)という録音スタジオで3枚目のソロ・アルバムのレコーディングを始めます。しかしこのレコーディングにはシーンの他のメンバーは参加しておりません。

サポートにはナシュヴィルのスタジオ・ミュージシャンが参加しました。バンジョーにヴィック・ジョーダン、フィドルにヴァッサー・クレメンツ、ジム・ブキャナン、リード・ギターにデヴィッド・ブロンバーグ、サイド・ギターにはディック・フェラー、ハーモニカにダニー・フラワーズ、ペダル・スティールにロイド・グリーン、ベースにジョー・アレン、そしてコーラスにはリンダ・ロンシュタットという蒼々たるメンバーでした。

参考までに曲目を紹介致します。

A面1曲目「南部の雨」(Southern Rain

2曲目「テネシーの旅人」(Tennessee Traveler

3曲目「山すべり」(Mountain Slide

4曲目「バーバラのためのブルース」(Blues For Barbara

以上の4曲はオゥルドリッヂのオリジナル曲です。

曲目「恋の終列車」(Last Train To Clarksville)モンキーズのデビュー・ヒット曲でした。

6曲目「カリフォルニアの夢」(California Dreamin')お馴染みママス&パパスの大ヒット曲です。

7曲目「夢を夢みて」(Dreamin' My Dreams)この曲はウェイロン・ジェニングスとクリスタル・ゲイルよって歌われたカントリー・ナンバーです。マリアンヌ・フェイスフルの歌唱によって有名になりました。

B面1曲目「インディアン・サマー」(Indian Summer)フィル・ローゼンタールの作です。

2曲目「キャロライナのお天気娘」(Carolina Sunshine Girl)ジミー・ロジャース作です。

3曲目「不器用な手先」(All Thumbs

4曲目「スペイン風のコップ」(Spanish Grass

5曲目「ナシュヴィルのロイド」(Lloyd's Of Nashville

以上の2曲はオゥルドリッヂのオリジナル曲です。

6曲目「我が心のジョージア」(Georgia On My Mind)ホーギー・カーマイケル作のスタンダード曲です。

このアルバムは同年にフライング・フィッシュ社からリリースされています(Flying Fish FF029)。


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by scoop8739 | 2018-05-01 09:39 | セルダム・シーン