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257 至高のサウンド(その11)

マイク・オゥルドリッヂ、ソロ・アルバムを発表

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ポップスやロックでは常識となっていますが、例えばテレビでの“特番”のような、一人のプレイヤーがバンドとは別に独自のアルバムを制作する「スタジオ・スター・アルバム」と言われるものがあります。

アルバムのコンセプトは、あるプレイヤーに焦点を当てたもので、そのプレイヤーが特定の機会に他の何人かのプレイヤーを“ゲスト”に迎え、彼らはまるで“友人が手伝いに来たかのように”スタジオにやって来る、というものです。これらのゲストは“スター”としてのホストよりも知名度が高い場合があるかもしれませんが、あくまで彼らはサブ的な“顔見せ”という役割を与えられます。

ブルーグラス・プレイヤーによる「スタジオ・スター・アルバム」の初期の例がアール・スクラッグスによるアルバム『ヒズ・ファミリー・アンド・フレンズ』(His Family And Friends)でした。このアルバムにはゲストとしてボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、バーズ等が参加しています。

同様に、流麗で独創的なドブロ演奏で“スター”となったマイク・オゥルドリッヂがホストを務める彼のファースト・アルバムが、ブルーグラス界でよく知られたミュージシャンたちを集めて制作されました。その場所はニューヨークでした。

参加メンバーはマイク・オゥルドリッヂのドブロとヴォーカルを筆頭に、セルダム・シーンからはマンドリンのジョン・ダフィー、バンジョーのベン・エルドリッヂ、ベースにトム・グレイ。カントリー・ジェントルメンからはリズム・ギターにチャーリー・ウォーラー、バンジョーにビル・エマーソン、ギターとマンドリンにドイル・ローソン、ベースにビル・イェイツ。そしてさらにドブロの大御所ジョッシュ・グレイヴス、フィドルのヴァッサー・クレメンツ、ギターにデヴィッド・ブロンバーグ、ベースにスティーヴ・バーグという顔ぶれでした。

本題から逸れますので曲名だけを書いておきます。

A

1曲目「ヒルビリー・フラ」(Hillbilly Hula

2曲目「テネシー・スタッド」(Tennessee Stud

3曲目「イッツ・オーバー」(It’s Over

4曲目「ピッカウェイ」(Pickaway

5曲目「ローリング・フォッグ」(Rolling Fog

6曲目「ドブロ・アイランド」(Dobro Island

7曲目「トレイン45½」(Train 45½

B

1曲目「テイク・ミー」(Teake Me

2曲目「グリーンスリーヴス」(Greensleeves

3曲目「金の中の銀の道」(Silver Threads Among The Gold

4曲目「ロック・ボトム」(Rock Bottom

5曲目「ジャンボリー」(Jamboree

6曲目「朝日のあたる家」(House Of The Rising Sun

この中から1972年に「テネシー・スタッド」と「トレイン45½」がカップリングでシングル・リリース(Takoma SD-103)され、アルバム(Takoma D-1033)も同時期に発表されています。なおこのアルバムは「これまでにない最高のブルーグラス・インストゥルメンタル・アルバムのひとつ」と賞賛されました。


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by scoop8739 | 2018-02-26 08:38 | セルダム・シーン

256 至高のサウンド(その10)

フェスティバルの人気バンドに

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ファースト・アルバム『アクト1』を発表した後のシーンの人気は、ワシントンD.C.界隈だけにとどまることなく一気に全米へと広がっていきます。

彼らはこの年の6月3日、メリーランド州ハガース・タウンにあるインディアン・スプリング・キャンプ場で開催されたブルーグラス・フェスティバルにて午後と夜の2回のライヴを行っています。

そこではデビュー・アルバムで初めて公開された曲に加え、メンバーそれぞれのレパートリー曲を披露しています。その中にはクリフ・ウォルドロン・バンドがレパートリーとしている「If I Were A Carpenter」や「Fox On The Run」も含まれていました。ちなみに夜のライヴにはダフィーの友人ビル・クリフトンが登場し彼らと共演しています。

またこの夏、ヴァージニア州カルペパーにある「アメリカン・リージョン・カントリー・ミュージック・パーク」で開催された「ブルーグラス・フォーク・フェスティバル」では、カントリー・ジェントルメンから派生した2つのバンド「セルダム・シーン」や、エディ・アドコック率いる「セカンド・ジェネレーション」を始め、カントリー・ロックに転向したディラーズなどが出演しています。

セルダム・シーンはこの夏のフェスティバルで人気を独り占めし、とうとうカントリー・ジェントルメンを押しのけてミュールスキナー誌主催の賞では1位となりました。


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by scoop8739 | 2018-02-22 08:59 | セルダム・シーン

255 至高のサウンド(その9)

アルバム『アクト1』曲解説(B面)

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B面1曲「ニュー・オーリンズの街」は日本盤発売の折に付けられた邦題で、曲の内容からはどうもかけ離れています。本来「シティ・オブ・ニューオーリンズ」というのは、アメリカのイリノイ・セントラル鉄道(Illinois Central Railroad)が1947年に運行を開始した昼行の旅客列車の愛称のことです。この列車の路線はイリノイ州シカゴからメンフィスを経て、ルイジアナ州ニューオーリンズに至るもので、歌に出てくるイリノイ州のカンカキーは、シカゴから二つ目の駅になります。歌ではテネシー州メンフィスで車両の乗り換えで、乗り換える前にプルマン(プルマン式の開放式A寝台)で眠るとありますが、作者スティーブ・グッドマンの思い違いか、この列車は昼間しか走っておらず、路線全体を「シティー・オブ・ニューオリンズ」で表したかったのかもしれません。この路線がたくさんのアメリカ人の足となり、その夢や人生を乗せて南北を結んでいることは確かです。この歌のコーラス部の「Good Morning America How Are You?…」って最高に素敵じゃないですか? 軽やかなドブロのイントロに続き、スターリングの弾むような歌唱に感動さえ覚えます。

2曲目「バディー・アンド・ソウル」はビル・モンローがレパートリーとしている名曲です。作者のヴァージニア・メイ・スタウファーはモンローに「ロード・オブ・ライフ」(Road Of Life)「ショウ・ミー」(Show Me)、「クリスマス・タイム」(That’s Christmas Time to Me)などの曲を書いています。この曲のアレンジも所謂“ブルーグラス風”ではありません。しっとり優しく歌うスターリングに続いて力強くハモるダフィーとのデュエットがとても素晴らしく、間奏のオゥルドリッヂのドブロにも泣かされます。まさに口当たりのよい大吟醸酒のような仕上がりです。ちなみに同時期に録音された「ニューグラス・リヴァイバル」盤の同曲と聴き比べてみるのも楽しいものです。

3曲目「夏の日は過ぎて」はエマーソン&ウォルドロンの2枚目のアルバムでも取り上げられましたが、さすがにシーンのアレンジには敵いません。マンドリンのイントロから切なさが醸し出され、ダフィーとスターリングのデュエットで盛り上がりを見せ、間奏のドブロで一段と艶と深みが増します。

エルドリッヂによるギターのイントロから始まる4曲目の「500マイル」は、ダフィーがカントリー・ジェントルメン時代からレパートリーにしているお得意のナンバーです。しかしあの頃のものと違ってデリケートでグっとまろやかになっています。前者が醸造酒ならば後者は蒸留酒といった具合で、まるで極上のブランデーのような感じに仕上がっています。やはり歌のバックで流れているドブロのせいでしょうか? エンディングのマンドリンで曲を締めくくっているようです。

つづいて5曲目の「キャノン・ボール」はA.P.カーター作、カーター・ファミリーの歌唱でお馴染みの曲です。これをシーンはドブロをフィーチャーした軽快なインスト曲として演奏しています。メロディアスで耳に心地よいオゥルドリッジのドブロ・プレイに、エルドリッヂのバンジョーがクロマティックなフレーズで応えます。

そして最後の「のらくら暮らし」は、モンキーズの4枚目のアルバム『スターコレクター』(Pisces, Aquarius, Capricorn & Jones Ltd.)からのカントリー・ロック風のナンバーです。よくぞまァこんな曲を見つけたもんだと感心していたら、1967年にルイス&クラーク・エクスペディションに在籍していたマイケル・マーティン・マーフィーとオーウェンズ・キャッスルマンの作品で、彼らはモンキーズ結成以前のマイク・ネスミスと共に音楽活動をしていました。これを1969年に女性3人を含むバンド、ストーンマンズがカヴァーしています。きっとブルーグラス・シーンでも多く歌われていたのでしょう。余談になりますが、1971年当時に渡米していた我が国のバンド、ブルーグラス45ダフィーの勧めでこの曲をレコーディングしています(アルバム名『CaravanRebel Records SLP 1507)。

このようにアルバム『アクト1』は洗練された革新的なブルーグラス・アルバムとなりました。兎にも角にも初舞台の幕が開き、第1幕(=ACT1)のお披露目です。さらにこれ以降、第2幕、第3幕とセルダム・シーンの進化は続いていくのです。

なお、この『アクト1』に影響を受けたのがロニー・ピアース率いる「ブルーグラス・アライアンス」でした。翌1973年に『トール・グラス』(Tall Grass)というアルバムをリリースします。アルバムには「What Am I Doin' Hanging ‘Round ?」や「City Of New Orleans」、さらにウォルドロンの「Fox On The Run」までもが収録されています。


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by scoop8739 | 2018-02-19 08:31 | セルダム・シーン

254 至高のサウンド(その8)

アルバム『アクト1』曲解説(A面)

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まずA面1曲目の「レイルロード・ライン」から非ブルーグラス的なサウンドに驚かされます。曲の途中でマイナー・コードになったり、目まぐるしく変わるコードなど、この感じは今まで耳に馴染んできたブルーグラス・サウンドとはどこかニュアンスが違います。ヴォーカルの後方で奏でられるドブロの音色のせいでしょうか? この曲はスターリングの学生時代からの盟友ポール・クラフトの作です。この人はシンガー・ソングライターで、これ以降もシーンに多く関わりを持ちます。選曲とアレンジはスターリングだと思われます。

スロー・テンポな2曲目「いとしのコーリー」は古くからの民謡です。ビル・モンローやフラット&スクラッグスを始め多くのアーティストがレコーディングしていますが、ここではアレンジもそれまでのものとはずいぶん違っていて、ディレイが霧に包まれたように懸かりミステリアスな雰囲気がします。ダフィーも曲調に合わせて切なげに歌っています。しかし何よりドブロがいい味を出しています。この曲、カントリー・ジェントルメンを脱退したエディ・アドコックが新しく結成したグループ「セカンド・ジェネレーション」のファースト・アルバムにもまったく同じアレンジで収録されています。アドコックさんが真似たのでしょうか?

始めにギター、そしてバンジョーのイントロで始まる3曲目の「ウォント・オブ・ア・ウーマン」はいかにもスターリングらしい選曲です。この曲もまたポール・クラフトの作でした。それにしてもスターリングの歌のうまさは抜群です。そしてサビからのトム・グレイの弾く4ビートのベースも心地よく、間奏でドブロからバンジョーに移る時にベースの4ビートがハイ・ポジションにまでのぼり曲を盛り上げています。

4曲目「ベビー・ジェイムス」はシンガー・ソングライター、ジェイムス・テイラーが彼のデビュー・アルバムで発表しヒットさせた曲です。フィル・インから入るエルドリッヂの弾く軽やかなギターのイントロに始まり、深みのあるリード・ヴォーカルはスターリングの真骨頂と言えるものです。ブルーグラス界広しと言えども、この曲をこれほど上手くい歌える人はいないでしょう。

5曲目の「ジョシュア」はアルバム最初のインスト曲です。原題が「ジェリコの戦い」(Joshua fit the battle of Jericho)という、ジョシュア(ヨシュア)のジェリコ攻略を歌った有名な黒人霊歌です。この曲は合唱曲としても歌われるほかジャズのスタンダード・ナンバーとしても定着しています。シーンの演奏では鮮やかなバンジョーの音色に始まり、続いて真打ちのドブロが登場します。音色といい音の紡ぎ方といい絶妙です。選曲とアレンジはエルドリッヂ&オゥルドリッヂのコンビでしょうか? ダフィーもカントリー・ジェントルメン時代では荒々しく感じたマンドリンの間奏をグっとこらえて巧みに曲調をコントロールしています。

6曲目「王冠の星」は選曲といいアレンジといいダフィーの世界です。この曲の作者はファーリン・ハスキー(Ferlin Husky)といい、カントリー・ミュージック歌手として有名な方で、「ゴーン」(Gone)や「鳩の羽」(Wings of a Dove)という曲がカントリー・チャートで1位になっています。地から沸き上がるような無伴奏の4部コーラスで始まり、ダフィーのリードに繋げます。情緒たっぷりと歌うダフィーには貫禄さえ感じられます。


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by scoop8739 | 2018-02-15 08:48 | セルダム・シーン

253 至高のサウンド(その7)

最初の幕が開く

a0038167_09551480.jpg 彼らのデビュー・アルバムはブルーグラスを基盤にしてカントリー、ロックン・ロール、フォークの影響を受け、メンバーの奏でるサウンドはそれまでのものとは表現方法を異にするほど革新的なものでした。ブルーグラスの楽器編成でありながら、所謂“ブルーグラス的”でない音楽、これぞシーンが目指す新しいブルーグラス音楽だったのです。

それは取りも直さず、ジョン・ダフィーがカントリー・ジェントルメン時代から取り入れていた新しい風をさらに推し進めた感じでした。またサウンド面では、それまで脇役だったドブロという楽器を前面に打ち出したというのが特徴的です。

A

「レイルロード・ライン」(Raised By The Railroad Line)

「いとしのコーリー」(Darling Corey

「ウォント・オブ・ア・ウーマン」(Want Of A Woman

「ベビー・ジェイムス」(Sweet Baby James

「ジョシュア」(Joshua

「王冠の星」(Will There Be Any Stars In My Crown

B

「ニュー・オーリンズの街」(City Of New Orleans

「バディー・アンド・ソウル」(With Body And Soul

「夏の日は過ぎて」(Summertime Is Past And Gone

500マイル」(500 Miles

「キャノン・ボール」(Cannonball

「のらくら暮らし」(What Am I Doing Hanging Round

このアルバムから7月には「ジョシュア/ベイビー・ジェイムス」(Rebel F-320)と「キャノンボール/ニュー・オーリンズの街」(Rebel F-321)がまずシングル・カットされています。

そして彼らの最初のアルバム『アクト1』(Act 1)(Rebel SLP-1511)は9月にリリースされました。


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by scoop8739 | 2018-02-13 09:28 | セルダム・シーン

252 至高のサウンド(その6)

役者が揃って

例えばオーケストラには優秀なコンサート・マスターや指揮者が、野球チームには確実性のある4番打者や守りの要となる名捕手が必要なように、名プレイヤーが集まっているだけでは優れたバンドとは言えません。そこにバンドの中心となるキーマンが必要になります。

そう考えたマイク・オゥルドリッヂは、バンドをより進化させるためにエマーソン&ウォルドロンのレコーディング・セッションで知り合ったジョン・ダフィーをこのジャム・セッションに招きます。当時のダフィーは楽器修理を生業とし表立っての音楽活動を休止していました。

エルドリッヂの自宅地下で行われている実験的なセッションを体験したダフィーは、カントリー・ジェントルメンでなし得なかったブルーグラス音楽へのプログレッシヴなアプローチが可能になると感じバンドへの参加を決めます。こうしてバンド最大の目玉となるダフィーのバンド加入が決まりました。

また一説には、ジョン・ダフィーはカントリー・ジェントルメンのマネージャー、レン・ホルスクロウの紹介でスターリングと出会い、心の奥に燻っていたブルーグラスへの思いが再点火したとも言われ、ダフィーは再び自らのバンドを持つことを決意したとされています。

いずれにせよ全てのキャストが揃いバンドとして機能し始めると、彼らはこのセッションの成果を披露するために地元のクラブで週に1夜だけ出演し、時にはコンサートやフェスティバルで演奏し始めます。

バンドが円滑に動き出すにつれて、彼らはワシントンD.C.にある小さなクラブで6週間プレイした後に19721月頃からメリーランド州ベテスダにあるライヴ・ハウス「レッド・フォックス・イン」をフランチャイズとして毎週火曜日にライヴ活動を始めます。この頃にはデイヴ・オゥルドリッヂがバンドを去り、再びウォルドロンの下に戻っていきます。

そしていよいよ3月5日には、メリーランド州クリントンにある「ロイ・D・ホーマー・アンド・アソシエイツ・スタジオ」にて、旧知のレベル社社長チャールズ・フリーランド氏プロデュースの下、アルバムのレコーディングを始めたのでした。

a0038167_09551480.jpg出来上がったアルバムでまず驚かされたのがジャケット・デザインです。黒い背景の前に並ぶ5人のプレイヤーは下半身しか見えてない、「一体だれなの?」と思わせるデザインはまさに奇をてらっていました。この“姿を現さない”のにはこんな意味が含まれています。

メンバー全員が定職(Regular Work)を持っているために、自らを“めったに姿を見せないバンド”との意味を込めて「セルダム・シーン」(Seldom Scene、以降「シーン」と表記)と名付け、ジャケット・デザインで洒落てみたのです。これが都会人らしい“粋さ”なのでしょう。

この時、ジョン・ダフィー40歳、マイク・オゥルドリッヂ36歳、ベン・エルドリッヂ36歳、ジョン・スターリング34歳、トム・グレイ33歳。公私ともに脂の乗り切った世代、しかもブルーグラスに限ることなく広範囲に音楽を知る5人の男たちの初演の幕が切って落とされたのでした。


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by scoop8739 | 2018-02-08 09:57 | セルダム・シーン

251 至高のサウンド(その5)

バンドのジレンマ

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1971年、ウォルドロンは5枚目のアルバム『トラヴェリング・ライト』(Traveling Light)をリリースします。

このアルバムでは、クリス・クリストファーソンの「ひとりぼっちの夜」(Help Me Make It Through The Night)、グランパ・ジョーンズの「落葉」(Falling Leaves)、マール・ハガードの「陽のあたる人生」(Sunny Side Of My Life)、ボブ・ディランの「行く場所とてなく」(You Ain’t Go Nowhere)などあらゆる音楽ジャンルの素材を積極的に取り入れ、さらにメンバーのオリジナル曲も加えて充実しています。まさしくこのアルバムはウォルドロンの音楽生活の中でも最高の傑作となりました。

なお、このアルバムには前作のメンバーに加えて、オゥルドリッヂ兄弟の弟ジャック(のちにカメラマンとなります)がスネア・ドラムで参加しています。

しかし順風満帆と思われたウォルドロンのバンドでしたが、1971年頃になるとその運営が困難となってきました。バンドの人気が高まると同時に日増しにツアーへの要請も増えてまいります。ところがバンジョーのエルドリッヂもドブロのオゥルドリッヂも傍らに勤め人という足かせがありました。彼らは定職を辞めてまで音楽で生計を立てるつもりもなく、次のアルバムを最後にバンドを去ることを決めます。

そんな中でのウォルドロンの通巻6枚目のアルバムは、『神に身元に』(Just A Closer With Thee)というタイトルとなりました。

同年8月、オゥルドリッヂとエルドリッヂは次のアルバムのためのセッションには「お気に入りにはなれない」(We Can’t Be Darlings Anymore)の1曲のみ参加してバンドを去って行きます。

クリフのバンドには新しくバンジョーに新進気鋭、マルチ・プレイヤーのジミー・アーノルド(Jimmy Arnold)、マンドリンにはジーン・ジョンソン(Gene Johnson、後にセカンド・ジェネレーションに移籍)が加入し、残りのレコーディングを再開します。

さて、バンドを去ったエルドリッジはオゥルドリッジを誘い毎週それぞれの仕事が終わった後に自宅地下でジャム・セッションを始めます。このセッションにはギターとリード・ボーカルのジョン・スターリングとマイクの兄デイヴが参加することになりました。

スターリングは1940年3月26日、ノース・カロライナ州ダーラムで生まれ、医科学校を修了した後、ベトナム戦争時には外科医として米軍に勤務しています。

ワシントンD.C.の「ウォルター・リード軍病院」での勤務後に、近くのライヴ・ハウスなどで歌っていたところをオゥドリッヂとエルドリッヂに出会い、互いの才能を認め合いながら意気投合します。

彼らはまたこのセッションに、国立地理協会で製図の仕事をしながらブルーグラスのアルバム制作サポートをしているトム・グレイ(194121日イリノイ州シカゴ生まれ)を誘います。彼は言わずとも知れた第1期黄金期を(底辺から)支えた元カントリー・ジェントルメンのメンバーで、このジャンルでは最高と言われているベース・プレーヤーでした。


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by scoop8739 | 2018-02-05 14:36 | セルダム・シーン

250 至高のサウンド(その4)

エマーソンの脱退と新しいバンジョー奏者の加入。

バンドは太文字ゴチック体のエマーソンと細文字明朝体のウォルドロンという力関係で成り立っていました。ところが3枚目のアルバムをリリースした後、バンドの主体であったエマーソンが古巣カントリー・ジェントルメンに移籍してしまいます。

ウォルドロンは短期間、シェナンドー・カッタップス(Shenandoah Cut-Ups)に身を置きますが、再びバンドの編成を始めます。エマーソンの抜けた穴を埋めたのはベン・エルドリッヂという、ダイナミックで多彩なフレーズを奏でる凄腕のバンジョー奏者でした。

エルドリッヂは1938年8月15日、ヴァージニア州リッチモンドで生まれ、10歳でギターを弾き始め、16歳からはバンジョーを始めました。1957年にヴァージニア大学で学んだ後に、テトラテック社で技師として従事するためメリーランド州アデルフィに移り住みます。そこでバンジョー奏者のビル・キースやビル・エマーソンと知り合い、彼らの奏法に大きく影響を受けることになります。

a0038167_09330556.jpg1970年6月にエルドリッヂがウォルドロンのグループに加入した同年に4枚目のアルバム『ライト・オン!』がリリースされます。このアルバムからバンド名が「ニュー・シェイズ・オブ・グラス」(The New Shades Of Grass)となりました。それはウォルドロンにとって初めてのアルバムからネーミングされたものでした。

このアルバムではイアンとシルビアでおなじみの「四つの強い風」(Four Strong Wind)や、ビージーズの「君に贈るメッセージ」(Gotta Get A Message To You)など、素晴らしい選曲とオリジナル曲で構成されていて聴くものを飽きさせません。

そして何よりもエルドリッヂの弾くダイナミック、かつ多彩なフレーズのバンジョー、オゥルドリッヂのやさしい音色を奏でるドブロのハーモニーがアルバムに新鮮な息吹を吹き込みました。言い換えれば、エマーソンの押しつけ的なバンジョーがいなくなった分、間違いなくオゥルドリッジの奏法は表現力が豊かになっています。

またバンドでテナーを歌っていたエマーソンが抜けたことで、このアルバムからマイク・オゥルドリッヂの4歳上の兄デイヴがテナー・ヴォーカルで参加します。デイヴは大工を生業としながらギターやマンドリンを演奏しています。


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by scoop8739 | 2018-02-02 09:38 | セルダム・シーン