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249 至高のサウンド(その3)

エマーソン&ウォルドロンの2ndアルバム『ブルーグラス・カントリー』と3rdアルバム『ブルーグラス・セッション』

a0038167_13374988.jpgこうして生まれた2枚目のアルバムが1970年にリリースされた『ブルーグラス・カントリー』(Bluegrass Country)でした。このアルバムから彼らの代表的なヒット曲が生まれます。それはイギリスのロック・バンド、マンフレッド・マン(Manfred Mann)によって歌われていた「フォックス・オン・ザ・ラン」(Fox On The Run)をブルーグラスにアレンジしたものでした。

このアルバムにも、カントリー・ジェントルメンを正式に辞め楽器修理を生業としていたジョン・ダフィーがセッションに参加し、マンドリンとヴォーカルでサポートしています。

1曲目の「プラウド・メアリー」(Proud Mary)はブルーグラス・プレイヤーとして初めてのレコーディングでした。この曲のマンドリンはビル・ポッフィンバーガーが弾いています。

マンドリンと言えば、A面4曲目「ミッドナイト・スペシャル」(Midnight Special)、同6曲目「良き日は過ぎて」(All The Good Times)B面3曲目「深い河」(Deep River)、同6曲目「21年間」(Twenty-One Years)のマンドリンはジョン・ダフィーが弾いています。またなんとA面3曲目「淋しい夜」(A Lonesome Night)のマンドリンはオゥルドリッヂが弾いているのですヨ。

もちろんオゥルドリッヂ本来のドブロではオリジナル曲としてA面2曲目「ランニング・サウス」(Runnin’ South)が収録されていますが、まだジョッシュ・グレイヴスのコピーからは脱しきれていません。彼の才能が開花するのはもう少し先のことです。

a0038167_11170772.jpgエマーソンとウォルドロンのバンドはとても人気となり次々とアルバムがリリースされます。早くも同じ1970年にリリースされたのが3枚目のアルバム『ブルーグラス・セッション』(Bluegrass Session)でした。全2作では数多くの曲でテナーを歌っていたエマーソンですが、このアルバムでは2曲しか歌っていません。つまり逆を言えばウォルドロンのソロが増えたということです。

特筆すべき曲はA面1曲目の「朝の雨」(Early Morning Rain)と、同6曲目の「ロダイ」(Lodi)でしょう。前者はフォーク・シンガーのゴードン・ライトフットの作、後者はロック・バンド、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの曲を上手くアレンジしています。またB面3曲目「スパニッシュ・グラス」(Spanish Grass)と同5曲目の「ローラの調べ」(Laura’s Tune)はオゥルドリッヂ作のインスト曲です。しかしまだこれらの曲で彼のスタイルは確立されてはいません。なお、このアルバムにもジョン・ダフィーがマンドリンとベース・ヴォーカルで参加しています。


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by scoop8739 | 2018-01-29 13:45 | セルダム・シーン

248 至高のサウンド(その2)

「エマーソン&ウォルドロン」のファースト・アルバム

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彼らの初のアルバムは1968年に『草(ブルーグラス)の新たな彩り』(New Shades Of Grass)と題されリリースされました。

かなりクセのあるウォルドロンのヴォーカルですがとてもバイタリティに溢れています。またジミー・マーチンに鍛えられたビッグ・バンジョーを弾くエマーソンは、このバンドではテナーも歌っています。

面白いことにこのアルバムにはカントリー・ジェントルメン在籍時(のはず?)のジョン・ダフィーがサポート・ミュージシャンとして名を連ねています。ダフィーはA面5曲目「蛇」(The Snakes)、B面2曲「レッド・ウィング」(Red Wings)、同3曲「さよならを言えない」(You Don’t Say Goodbye)でマンドリン、B面1曲目「バウンド・トゥ・ライド」(I’m Bound To Ride)ではフィンガー・ピッキング・スタイルのリード・ギターを披露し、またB面3曲目「さよならを言えない」では力強いテナーも聴かせてくれます。

またちょっとしたエピソードですが、アルバム・ジャケットに写っているウォルドロンのギターはフェンダー社のものです。実際には彼は一度もこのギターを使ったことがなかったそうです。かつてエマーソンがフェンダー社からバンジョーを進呈されており、「せっかく高価なバンジョーをやったのだから、ついでにギターも持たせて写真を撮ればいい宣伝になるヨ」とばかりに、フェンダー社がウォルドロンにもギターを進呈したのだとか…?

ところで、このアルバムが話題になってバンドには新しい才能が加入します。その一人が「ワシントン・スター新聞」(Washington Star News)でグラフィック・デザインの仕事をしているドブロ奏者のマイク・オゥルドリッヂでした。

彼は19381130日、ワシントンD.C.に生まれ、13歳の時にギターを始めています。すぐにフラット&スクラッグスのフォギー・マウンテン・ボーイズのドブロ奏者、ジョッシュ・グレイヴスに影響を受けドブロを演奏し始めます。

1967年にメリーランド大学を卒業したオゥルドリッヂは同州ベゼスタにあるデザイン会社に就職し、「ワシントン・スター新聞」のグラフィック・デザイナーとして働く傍ら、活発な演奏活動を通して腕を磨きます。

持って生まれた音楽センスとテクニックで、オゥルドリッヂは次第にワシントンD.C.エリアでは名の知れた存在となっていきます。

この才能を見逃さなかったエマーソンとウォルドロンはオゥルドリッヂをバンドに誘い、フォギー・マウンテン・ボーイズのようなバンド・スタイルを確立させようと考えます。

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by scoop8739 | 2018-01-19 11:18 | セルダム・シーン

247 至高のサウンド(その1)

きっかけは「クリフ・ウォルドロン」から

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クリフ・ウォルドロンは1941年4月4日、ウェスト・ヴァージニア州のジョーロという町で生まれ、若い時期にブルーグラス音楽に興味を持ちギターとマンドリンを弾くようになりました。

17歳の時、ヴァージニア州グランデという町でサザン・ランブラーズ(Southern Ramblers)というバンドに入りマンドリンを担当します。このバンドは地元のラジオ局に30分の番組を持っていました。

1963年になってウォルドロンは結婚を機にワシントンD.C.により近いヴァージニア州北部に居を移します。当時のワシントンD.C.はカントリー・ジェントルメンに代表されるようにフォーク・リヴァイヴァルの波に乗ってブルーグラス音楽は大学生を中心として大変な人気がありました。

ウォルドロンも多分に漏れず、その地で「ページ・バレー・ボーイズ」(The Page Valley Boys)というバンドに属しマンドリン奏者として活躍します。バンドにはビル・エマーソン(Bill Emerson)が在籍していて、やがてエマーソンはウォルドロンを誘って「リー・ハイウェイ・ボーイズ」(The Lee Highway Boys)を結成します。このバンドはすぐに「エマーソン&ウォルドロン」(Emerson & Waldron)と名に改め、ワシントンD.C.界隈の人気バンドとなりました。

エマーソンとウォルドロンの他にはマンドリンのガーランド・オルダーマン(Garland Alderman)とベースにトム・グレイ(Tom Gray)がいました。それから6ヶ月後にフィドルのビル・ポッフィンバーガー(Bill Poffinberger)が入り、しばらくしてトム・グレイが抜け、替わってエド・フェリス(Ed Ferris)が加入しています。

彼らはワシントンD.C.周辺にみられるブルーグラス音楽の新しい潮流に逆らうことなく、フォークからロックまであらゆる音楽ジャンルの素材を積極的に取り入れ演奏しました。

彼らはこの方法で次々と新しい音楽をアレンジして演奏します。例えばティム・ハーディンの「もし私が大工だったら」(If I Were A Carpenter)やクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(C.C.R.)の「プラウド・メアリー」(Proud Mary)、ゴードン・ライトフットの「朝の雨」(Early Morning Rain)などがありました。
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by scoop8739 | 2018-01-16 11:11 | セルダム・シーン

246 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その9)

a0038167_15201036.jpgカントリー・ガゼットの1986年の日本ツアーでは、ボビー・クラークが1984年のように再びギターを演奏しています。1986年の終わりにビリー・ジョー・フォスターがグループを離れます。198612月と19871月に録音された次のアルバム『厳密なインストルメンタル(Strictly Instrumental)』では、レギュラーのアラン、ローランド、ジーン・ウーテンに加え、ビリー・ジョー・フォスターがゲスト・ミュージシャンとして参加しましたが、彼はベースではなくフィドルだけで参加しています。ベースでキャシー・チアヴォーラ(Kathy Chiavola、「Dillard and Clark」元メンバー)と、ギターのデヴィッド・グリア(David Grier)が彼らをサポートしています。このアルバムはガゼットによる初のフル・インストルメンタル・アルバムでした。アルバムは2つの「グラミー賞」を獲得しています。なおこれはローランドにとっての最後のアルバムとなりました。

a0038167_15195415.jpg1987年、アラン・マンデとジョー・カーは一緒にテキサス州でアルバム『ようこそ西テキサスへ(Welcome To West Texas)』を録音し、1991年にリリースします。

1988年になってガゼットは2回目で、これが最後となる「解散」をします。ローランド・ホワイトはグループを去って後「ナッシュビル・ブルーグラス・バンド」に加入します。

残されたアラン・マンデは、マンドリンとボーカルのダウン・ワトソン(Dawn Watson)、ギターとボーカルのクリス・ヴァンダーチュイン(Chris Vandertuin)、そしてベースとボーカルスティーヴ・ガーナー(Steve Garner)という若い未知のミュージシャンたちとグループを組みます。彼らはアランが1986年以来フルタイムで教えてきたテキサス州レヴェルランドにある「サウス・プレーンズ・カレッジ(South Plains College)」のブルーグラス・プログラムの元学生たちでした。新しいカントリー・ガゼットのメンバーは19899月に一緒に活動し始め、古典的なカントリー・ガゼットのサウンドを継承すると共に新しい音楽を創り始めます。

a0038167_15193459.jpg彼らは1990年春から夏にかけてスタジオに入り、ドブロの元メンバー、ジーン・ウーテンとフィドルとマンドリンのジョー・カーの助けを借りて新しいアルバム『キープ・オン・プッシング(Keep On Pushing)』のためのレコーディングを始めます。


新生ガゼットはデビュー・アルバムから20年近く経った今、再びアルバムのタイトル曲であるジーン・クラークの歌をレコーディングしました。アルバムにはブルーグラスのスタンダード曲あり、ウッディ・ガスリーの「Pretty Boy Floyd」(The Byrdsも収録)があり多彩な選曲となっています。

また同年、過去のアルバムの中から選曲された編集盤「Hello, Operator....This Is Country Gazette(Flying Fish)がリリースされています。

20年もの間、カントリー・ガゼットは常に独特のサウンドを創ってきました。そのバンド・スタイルの要素には音楽スタイルの多様性、またメンバーそれぞれのインストルメンタル・ワークを含むボーカル・アレンジ、ハーモニー・ワークなどがあります。アランはインタビューでこう語っています。「私たちの音楽には楽器の豊かさがあるので、ある楽器に集中すれば興味深く創造的なものを見つけることができます。また曲を強制するのではなく、曲のニーズに合わせて演奏を調整しようとします。それがガゼットの姿勢ですが、私たちはいつも音楽を演奏するのではなくブルーグラスを演奏するということに注意を払いました」


a0038167_15222760.jpg1994
年、ローランド・ホワイトはシュガー・ヒル・レーベルで2枚目のソロ・アルバム『Trying To Get To You』をリリースしました。ジーン・ウーテンはそのアルバムでドブロを演奏しています。


これにてカントリー・ガゼットの音楽歴を終わります。


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by scoop8739 | 2018-01-09 15:24 | カントリー・ガゼット

245 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その8)

1983年の819日から21日まで、ガゼットはコロラド州デンバー近郊のアダムズ郡フェアグラウンドで行われた「第11回ロッキー山岳ブルーグラスフェスティバル」で演奏をします。この時のメンバーはローランド・ホワイト、アラン・マンデと、オリジナル・メンバーのバイロン・バーライン、ロジャー・ブッシュでした。彼らはファースト・アルバムからの曲を中心に演奏しています。


1984
1月からジーン・ウーテンがギターとドブロでバンドに参加します。5月にはベース・プレイヤーがビリー・ジョー・フォスター(Billy Joe Foster)に代わりました。


また1984年には、アランとローランドはカントリー・ガゼットの『ライブ・オン・ザ・ロード』を『セルフ・リリース・テープ』としてリリースします。これは日本でのみ発売されたLP盤と同じ内容のものでした。アランが語るには「ローランドと私はいつかランダムにライブ・パフォーマンスを録音しました。それらのテープを聴いていると、スタジオ録音では再現するのが難しいエネルギーやら、自発性や、興奮を覚えました。そのために我々はこれらの録音を利用することに決めました」というものでした。

a0038167_08330887.jpgまた日本の制作会社「MAPS Inc.」は、1985527日に京都で行われたライブを録画したビデオを日本でのみ販売します。これは現在のガゼットのラインナップではなく、アラン、ローランド、バイロン、ロジャーでの「カントリー・ガゼット・リユニオン・バンド」でした。

a0038167_08333440.jpg1985年にカントリー・ガゼットは数多くのツアーからスタジオに戻って、新しいアルバム『Bluegrass Tonight!』をレコーディングします。このアルバムは1986年にリリースされました。しかしガゼットのメンバーが書いた唯一の曲はアランの「グレート・アメリカン・バンジョー・チューン(The Great American Banjo Tune)」だけでした。メンバーはローランド、アラン、ジーン・ウーテンに、ビリー・ジョー・フォスターがギター、エレクトリック・ベース、フィドルで参加しています。

a0038167_08325759.jpg同じ年、アランは別のソロ・アルバム『伝統の中で(In The Tradition)』をリリースします。そのアルバムではガゼットのメンバー全員がサポートしています。また元メンバーだったジョー・カーもギターとマンドリンなどで参加しました。アランはこのアルバムのために4つのオリジナル曲を書き、残りはトラディショナル・ソングやダン・リノ作の2曲などでした。


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by scoop8739 | 2018-01-04 08:34 | カントリー・ガゼット