カテゴリ:カントリー・ガゼット( 12 )

246 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その9)

a0038167_15201036.jpgカントリー・ガゼットの1986年の日本ツアーでは、ボビー・クラークが1984年のように再びギターを演奏しています。1986年の終わりにビリー・ジョー・フォスターがグループを離れます。198612月と19871月に録音された次のアルバム『厳密なインストルメンタル(Strictly Instrumental)』では、レギュラーのアラン、ローランド、ジーン・ウーテンに加え、ビリー・ジョー・フォスターがゲスト・ミュージシャンとして参加しましたが、彼はベースではなくフィドルだけで参加しています。ベースでキャシー・チアヴォーラ(Kathy Chiavola、「Dillard and Clark」元メンバー)と、ギターのデヴィッド・グリア(David Grier)が彼らをサポートしています。このアルバムはガゼットによる初のフル・インストルメンタル・アルバムでした。アルバムは2つの「グラミー賞」を獲得しています。なおこれはローランドにとっての最後のアルバムとなりました。

a0038167_15195415.jpg1987年、アラン・マンデとジョー・カーは一緒にテキサス州でアルバム『ようこそ西テキサスへ(Welcome To West Texas)』を録音し、1991年にリリースします。

1988年になってガゼットは2回目で、これが最後となる「解散」をします。ローランド・ホワイトはグループを去って後「ナッシュビル・ブルーグラス・バンド」に加入します。

残されたアラン・マンデは、マンドリンとボーカルのダウン・ワトソン(Dawn Watson)、ギターとボーカルのクリス・ヴァンダーチュイン(Chris Vandertuin)、そしてベースとボーカルスティーヴ・ガーナー(Steve Garner)という若い未知のミュージシャンたちとグループを組みます。彼らはアランが1986年以来フルタイムで教えてきたテキサス州レヴェルランドにある「サウス・プレーンズ・カレッジ(South Plains College)」のブルーグラス・プログラムの元学生たちでした。新しいカントリー・ガゼットのメンバーは19899月に一緒に活動し始め、古典的なカントリー・ガゼットのサウンドを継承すると共に新しい音楽を創り始めます。

a0038167_15193459.jpg彼らは1990年春から夏にかけてスタジオに入り、ドブロの元メンバー、ジーン・ウーテンとフィドルとマンドリンのジョー・カーの助けを借りて新しいアルバム『キープ・オン・プッシング(Keep On Pushing)』のためのレコーディングを始めます。


新生ガゼットはデビュー・アルバムから20年近く経った今、再びアルバムのタイトル曲であるジーン・クラークの歌をレコーディングしました。アルバムにはブルーグラスのスタンダード曲あり、ウッディ・ガスリーの「Pretty Boy Floyd」(The Byrdsも収録)があり多彩な選曲となっています。

また同年、過去のアルバムの中から選曲された編集盤「Hello, Operator....This Is Country Gazette(Flying Fish)がリリースされています。

20年もの間、カントリー・ガゼットは常に独特のサウンドを創ってきました。そのバンド・スタイルの要素には音楽スタイルの多様性、またメンバーそれぞれのインストルメンタル・ワークを含むボーカル・アレンジ、ハーモニー・ワークなどがあります。アランはインタビューでこう語っています。「私たちの音楽には楽器の豊かさがあるので、ある楽器に集中すれば興味深く創造的なものを見つけることができます。また曲を強制するのではなく、曲のニーズに合わせて演奏を調整しようとします。それがガゼットの姿勢ですが、私たちはいつも音楽を演奏するのではなくブルーグラスを演奏するということに注意を払いました」


a0038167_15222760.jpg1994
年、ローランド・ホワイトはシュガー・ヒル・レーベルで2枚目のソロ・アルバム『Trying To Get To You』をリリースしました。ジーン・ウーテンはそのアルバムでドブロを演奏しています。


これにてカントリー・ガゼットの音楽歴を終わります。


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by scoop8739 | 2018-01-09 15:24 | カントリー・ガゼット

245 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その8)

1983年の819日から21日まで、ガゼットはコロラド州デンバー近郊のアダムズ郡フェアグラウンドで行われた「第11回ロッキー山岳ブルーグラスフェスティバル」で演奏をします。この時のメンバーはローランド・ホワイト、アラン・マンデと、オリジナル・メンバーのバイロン・バーライン、ロジャー・ブッシュでした。彼らはファースト・アルバムからの曲を中心に演奏しています。


1984
1月からジーン・ウーテンがギターとドブロでバンドに参加します。5月にはベース・プレイヤーがビリー・ジョー・フォスター(Billy Joe Foster)に代わりました。


また1984年には、アランとローランドはカントリー・ガゼットの『ライブ・オン・ザ・ロード』を『セルフ・リリース・テープ』としてリリースします。これは日本でのみ発売されたLP盤と同じ内容のものでした。アランが語るには「ローランドと私はいつかランダムにライブ・パフォーマンスを録音しました。それらのテープを聴いていると、スタジオ録音では再現するのが難しいエネルギーやら、自発性や、興奮を覚えました。そのために我々はこれらの録音を利用することに決めました」というものでした。

a0038167_08330887.jpgまた日本の制作会社「MAPS Inc.」は、1985527日に京都で行われたライブを録画したビデオを日本でのみ販売します。これは現在のガゼットのラインナップではなく、アラン、ローランド、バイロン、ロジャーでの「カントリー・ガゼット・リユニオン・バンド」でした。

a0038167_08333440.jpg1985年にカントリー・ガゼットは数多くのツアーからスタジオに戻って、新しいアルバム『Bluegrass Tonight!』をレコーディングします。このアルバムは1986年にリリースされました。しかしガゼットのメンバーが書いた唯一の曲はアランの「グレート・アメリカン・バンジョー・チューン(The Great American Banjo Tune)」だけでした。メンバーはローランド、アラン、ジーン・ウーテンに、ビリー・ジョー・フォスターがギター、エレクトリック・ベース、フィドルで参加しています。

a0038167_08325759.jpg同じ年、アランは別のソロ・アルバム『伝統の中で(In The Tradition)』をリリースします。そのアルバムではガゼットのメンバー全員がサポートしています。また元メンバーだったジョー・カーもギターとマンドリンなどで参加しました。アランはこのアルバムのために4つのオリジナル曲を書き、残りはトラディショナル・ソングやダン・リノ作の2曲などでした。


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by scoop8739 | 2018-01-04 08:34 | カントリー・ガゼット

244 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その7)

a0038167_14194634.jpg1980年の終わりにアラン・マンデが『フェスティバル・フェイバリッツ(Festival Favourites Vol.1)』と『同(Festival Favourites Vol.2)』の2枚のアルバムをレコーディングします。それぞれのアルバムのプレーヤーはアラン、ローランド、ジョー・カー、マイケル・アンダーソンに加えて、ゲストとしてロバート・ボウリンがフィドルで参加しています。この2枚のアルバムのほとんどは伝統的な曲ばかりでしたが、中にはダグ・ディラード、アール・スクラッグス、ビル・モンローの曲も収録されています。

a0038167_14201178.jpgこれらのソロ・アルバムのレコーディングの後、『アメリカン&クリーン(AmericanClean)』というタイトルの新しいアルバムをレコーディングします。これはスリム・リッチーによってプロデュースされ、ラインアップはアラン、ローランド、ジョー・カー、マイケル・アンダーソンのレギュラー・メンバーに加え、ゲストにはサム・ブッシュ(フィドル)、スリム・リッチー(ギター)、ダーレル・ノリス(Dahrell Norris、ドラム)という布陣でした。

アルバムのすべての曲は伝統的な2曲を除いて、テキサスからオクラホマ地方のソングライターによって書かれています。1曲目の「ブラザー・スリム(Brother Slim)」という曲はアランとバイロンの共作です。このアルバムは1981年にフライング・フィッシュ・レーベルからリリースされました。

a0038167_14205135.jpg1981年の終わりにマイケル・アンダーソンがバンドを去り、グレッグ・ケネディ(Greg Kennedy、ベース)が加入するも、わずかの間でビル・スミス(ベース)に替わります。グレッグ・ケネディが在籍時のライヴ録音は1984年にリリースするアルバム『Live On The Road』で聴くことが出来ます。グレッグの唯一の収録曲はケンタッキー・カーネルズのメドレーで、彼はベースとボーカルを担当しています。このメドレー曲は198112月にオレゴン・シティのライヴ・ハウス「ハリーズ・ムスターシェ(Harry's Mustache)」で録音されたものでした。

a0038167_14203557.jpg198211月にナシュヴィルでガゼットとハーシャル・フリーマン(Herschel Freeman)によって制作されたアルバム『アメリカのブルーグラス・バンド(America's Bluegrass Band)』ではビル・スミスのベース(一部グレッグ・ケネディーが参加している)でレコーディングされています。このアルバムではギブ・ギルボウ(Gib Guilbeau)の「街の花嫁取り(Take A City Bride)」も収録されました。アルバムは1982年にフライング・フィッシュからリリースされています。

バンドはこのアルバムのリリース後に解散しますが1983年に再決成されます。再会したラインナップは、ローランド・ホワイト、アラン・マンデ、ベースのマイケル・アンダーソン、ドブロのジーン・ウーテンでした。彼らはその後5年間に亘ってアメリカとヨーロッパでツアーを行っています。


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by scoop8739 | 2017-12-26 14:25 | カントリー・ガゼット

243 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その6)

1977年から次のカントリー・ガゼットのアルバムをレコーディンするまでの期間、アランとローランドは新しいバンド・メンバーを探し始めます。

a0038167_08310653.jpgその間に、アランとローランドは昔のメンバーのバイロン・バーラインとデイヴ・ファーガソン、さらにエディ・シェルトンらと一緒に、『ストーン・マウンテン・ボーイズ』というアルバムをリリースしています。このアルバムにはゴードン・ライトフットの「朝の雨(Early Morning Rain)」と「レッドウッド・ヒル(Redwood Hill)」)の2曲や、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの名曲「悲しみはぶっとばせ(You've Got To Hide Your Love Away)」、バイロンの「ハックルベリー・ホーンパイプ(Huckleberry Hornipe)」ほか、ブルーグラスの名曲が収録されています。

さらにアランとローランドは、ビル・モンローと一緒にバンドで活躍したフィドル・プレイヤーのボビー・ヒックスのソロ・アルバムのために、そのセッションで数曲のフィドル・チューンをバック・アップしています。

1978年になってやっと、テキサスで「ロアノーク」というバンドにいたジョー・カー(Joe Carr、ギター&ヴォーカル)とマイケル・アンダーソン(Michael Anderson、ベース&ヴォーカル)がバンドに参加することになりました。

a0038167_08315627.jpg1978年の秋、ガゼットはそれまでのアコースティック・インストゥルメントにゲスト・ミュージシャンとしてデイヴ・ファーガソン(フィドル)、スリム・リッチー(ギター)、トミー・スパーロック(Tommy Spurlock、ドブロ&ヴォーカル)、マイク・マッカーティ(Mike McCarty、ドラム)、マイケル・J・ドホーニー(Michael J. Dohoney、ドラム)という布陣で、アルバム『これとお金のすべて(All This and Money Too)』をレコーディングします。このアルバムの収録曲は、フライング・ブリトゥズのナンバーから2曲、ビートルズの「エリナー・リグビー(Eleanore Rigby)」、フラット&スクラッグスの名曲「なぜ言わないの?(Why Don't You Tell Me So)」などが収録され素晴らしい出来上がりとなりました。

a0038167_08372319.jpg1979622日から24日には「第6回テルライド・ブルーグラス・カントリー・ミュージック・フェスティバル」に出演し、エルトン・ジョンの曲「ホンキー・キャット」を演奏します。これがライヴ・レコーディングされてフライング・フィッシュ(Flying Fish)より、「テルライヴ(Tellulive)」というタイトルでリリースされています。

次に1979年と1981年にアメリカをツアーした日本のブルーグラス・バンド「ロスト・シティ・マッド・ドッグス(The Lost City Mad Dogs)」のアルバムのためにガゼットのメンバーたちは彼らをバック・アップしています

この年、ガゼットのメンバーは再びいくつかのソロ・アルバムをレコーディングしています。

a0038167_08325342.jpg最初はアラン・マンデで、ガゼットのメンバー(アラン、ローランド、マイケル・アンダーソン、ジョー・カー)と共にアルバム『バンジョー・キッズ・ピックス・アゲイン(Banjo Kids Picks Again)』をレコーディングします。 ゲスト・ミュージシャンにはサム・ブッシュ、スリム・リッチー、ジェリー・ダグラス(ドブロ)が参加しました。

a0038167_08330385.jpg続いてはダン・ハッカビーのアルバム(ガゼットのメンバーではないのですが、ガゼットのソロ・アルバムに多く参加しています)でした。これは19799月にレコーディングされた『アコウスティック・スティール(Acoustic Steel)』というものでした。

a0038167_08351649.jpgさらにジョー・カーがソロ・アルバム『オッター・ナンセンス(Otter Nonsens)』をレコーディングします。これにはカントリー・ガゼットのメンバー全員とスリム・リッチー、ロバート・ボウリン(Robert Bowlin、ギター)がゲスト参加しました。


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by scoop8739 | 2017-12-22 08:46 | カントリー・ガゼット

242 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その5)

197610月、カントリー・ガゼット(アラン、ローランド、ロジャー、ケニー)はジョージア州のアトランタ・ファルコンズ・スタジアムで演奏します。このライヴからは何曲かがボイリッシュ・レコード(Boilish Records OZ / 970)より「LIVE in AtlantaGA - October 1976」というタイトルでリリースされました。そのアルバムでのガゼットのトラックは、おなじみのメドレー「Keep On Pushing」「Tried So Hard」「Swing Low Sweet Chariot / Out To Lunch / Sunny Side Of The Mountain」です。

その後、ケニー・ワーツはフルタイムの音楽活動を諦めエンジニアとして働くことに決めます。少し遅れてロジャー・ブッシュとデイヴ・ファーガソンもバンドを去っていきました。

しかし1977年に行われた日本ツアーにはロジャー・ブッシュがベースに戻り、ビル・ブライソン(後にクリス・ヒルマンとハーブ・ペダーセンと「デザート・ローズ・バンド」を結成する)がギターで参加しています。

この日本ツアーではダブル・アルバムのために多くの演奏がレコーディングされましたが、当初リッジ・ランナー・レコードはアルバム「ライヴ・イン・ジャパン」のリリースを予定していたものの結局リリースはされませんでした。

注:1984年に日本でのみカントリー・ガゼットのアルバム「Live On The Road(DIW Records & CGT-1)がリリースされています。

a0038167_08514699.jpgこの年にアラン・マンデはかつての旧友サム・ブッシュと1968年に発売した「プア・リチャーズ・アルマナック」以来のセッションを行い、「サム・アンド・アラン(Together Again For The First Time)」をリリースします。このアルバムはアランとサムの他にはローランド・ホワイトと、ニューグラス・リヴァイヴァルからカーティス・バーチ、ジョン・コーワンの2人が参加しています。アルバムの半分はオリジナル曲でした。またビートルズの「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby)」はこのアルバムのためにレコーディングされています。この曲はガゼットが2年後に再レコーディングしています。

a0038167_08523653.jpg日本ツアーの後、残ったアラン・マンデとローランド・ホワイトは、1977年にリッジ・ランナー・レコードに「どのようにして生活するのか(What A Way To Make A Living!)」をレコーディングします。ゲスト・ミュージシャンには、バイロン・バーライン(フィドル)、スキップ・コノーヴァー、マイク・リッチー(Mike Richey、ギター)、リチャード・グリーン(Richard Greene、フィドル)、ビル・ブライソン(Bill Bryson、ベース&ヴォーカル)が参加しています。

1977年の終わりにガゼット(ローランドとアラン)は、オクラホマ芸術人文委員会が主催する10週間に及ぶ「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」に参加します。バンジョーのアランとマンドリンのローランドに加え、ビル・ブライソンがギターを演奏しました。

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by scoop8739 | 2017-12-18 09:05 | カントリー・ガゼット

241 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その4)

a0038167_12265230.jpg続いてデイヴ・ファーガソンのソロ・アルバム「虹の彼方に(Somewhere Over The Rainbow)」がリリースされました。アラン・マンデ、ローランド・ホワイト、ロジャー・ブッシュがサポートし、アルバムには多くの伝統的な曲と、ポール・サイモンの曲やステファン・グラッペッリの「ホーボー・ブルース(Hobo Blues)」、ボブ・ウィルズの「色あせし恋(Faded Love)」などが含まれています。このアルバムのゲスト・プレイヤーはジョー・カー(Joe Carr、ギター、1978年からカントリー・ガゼットの正式メンバーとなります)、ダン・ハッカービー(Dan Huckabee、ドブロ)、スティーブン・ブルトン(Stephen Bruton、ギター)、グレッグ・ファーガソン(Greg Ferguson、ギター)が参加しています。

a0038167_12270896.jpgまた、ローランド・ホワイトは1976年にアラン、ロジャー、ケニー・ワーツ、デイヴ・ファーガソンの全員と「ロックン・ロールに生まれたわけじゃない(I Was’t Born To Rock’n Roll)」」をリリースします。このアルバムにはローランドとクラレンスによって書かれた曲「パウダー・クリーク(Powder Creek)」が収録されています。

1976年、カントリー・ガゼットは再びオランダを訪問し、アルバム「アウト・トゥ・ランチ」を宣伝しました。ロジャー・ブッシュはオランダでの滞在中、金曜日の夕方にウィム・ブルメンダール(Wim Bloemendaal)のVARAラジオ番組「ナッシュビル」でこのアルバムについて語っています。アルバムの新曲の一部とケンタッキー・カーネルズの歌とロジャー・ブッシュのセッション・ワークが演奏されました。

1976419日に彼らは、ジョン・ハートフォード、ディラーズ、ダグ・ディラード、リック・ネルソン&ザ・ストーン・キャニオン・バンド、オザーク・マウンテン・デアデビルズなどと共演しています。

また1976514日にはスウェーデンを訪れ、フォルスバッカというところでショーを行っています。

a0038167_12274505.jpg19765月に録音されたダン・ハッカビーのアルバム「なぜこの男は笑っているんだ?(Why Is This Man Smiling)」にはアラン、ローランド、デイヴ、ロジャーのガゼットのメンバーがサポートしています。アルバムにはバイロンやアラン・マンデの書いたガゼットの曲や、ジョー・カー、マール・トラヴィス、ボブ・ウィルスの曲などが収録されています。なお、このアルバムにはゲスト・ミュージシャンがほんの少ししかいなく、ガゼットのライブも含まれているため、実際のところカントリー・ガゼット名義でリリースしても良かったのではないかと思われます。

a0038167_12280636.jpgこれらのソロ・アルバムはすべて、スリム・リッチー(Mike "Slim" Riche)のリッジ・ランナー・レーベルでリリースされました。スリム・リッチーはノーマンというところに音楽店を持っているジャズ・ギタリストです。彼は質の高いブルーグラスを録音することを目標に、1975年にこのレーベルを設立しています。彼はまたカントリー・ガゼットのアルバムと、メンバーそれぞれのソロ・アルバムのいくつかを作っています。スリム自身も、メンバーのアランや、ジョー・カー、ダン・ハッカビーに加え、リッキー・スキャッグス、サム・ブッシュ、ビル・キース、リチャード・グリーンの協力でソロ・アルバム「ジャズ・グラス(Jazz Grass)」をリリースしています。

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by scoop8739 | 2017-12-14 12:29 | カントリー・ガゼット

240 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その3)

このアルバムのリリース後、バンドは1973年後半にアルバム「ブルーグラス・スペシャル」をリリースしたヨーロッパのアリオラ(Ariola)と契約してレーベルを切り替えます。なぜならガゼットの人気はアメリカよりもヨーロッパの方が高かったからでした。

同じ頃、ケニー・ワーツがバンドを離れ、代わってバンドはトニー・ライスを雇う計画があったのでしたが、結局ローランド・ホワイトに白羽の矢が刺さります。

a0038167_10392960.jpgまた彼らは1973年の終わりからツアーで忙しく新しくレコーディングする時間が取れませんでしたので、リンダ・ロンシュタットとライヴを行った同じ場所、マッケイブス・ギターショップ(McCabe's Guitar Shop)で録音されたアルバム「Live」を197411月にリリースします。制作は前作と同じくジム・ディクソンで、トランスアトランティック(Transatlantic)レーベルからのリリースでした。ドブロでのゲスト・プレイヤーはスキップ・コノーヴァーです。

1975年になってバイロン・バーラインがバンドを離れサンダンスを結成します。バーラインが去った後、すぐにケニー・ワーツがフィドラーのデイヴ・ファーガソン(Dave Ferguson)と共にバンドに戻ってきました。

a0038167_10400472.jpgアラン・マンデは1975年の夏、自身のアルバム用にレコーディングしています。このアルバムは新たにスタートしたリッジ・ランナー(Ridge Runner)というレーベルから、「バンジョー・サンドイッチ(Banjo Sandwich)」というタイトルでリリースされました。このアルバムのミュージシャンはガゼットのメンバー、ローランド・ホワイト、デイヴ・ファーガソン、ロジャー・ブッシュと、ゲストにドク・ハミルトン(Doc Hamilton、ギター)が加わっています。このアルバムには、スニーキー・ピート(Sneaky Pete Kleinow。オリジナルのフライング・ブリトゥ・ブラザーズのメンバー)の「ビート・ザ・ハート(Beat The Heat)“という曲が収録されています。

1976年に彼らはジム・ディクソンの制作でフライング・フィッシュ(Flying Fish)・レーベルから、アル・パーキンス(Al Perkins)をペダル・スチールに迎え、3枚目のスタジオ・アルバム「昼食で外出中(Out To Lunch)」(通算4枚目)をレコーディングします(ファーガソンはゲスト・プレイヤーとして参加)。このアルバムはヨーロッパでは「Sunny Side Of The Mountain」というタイトルでリリースされています。

a0038167_10403628.jpgアルバムに収録されたのは、グラム・パーソンズの「スティル・フィーリング・ブルー(Still Feeling Blue)」、ウェイロン・ジェニングス(Waylon Jennings)の「Sure Didn't Take Him Long」、ミッキー・ニューベリーの「Why You Been Gone So Long」、トム・パクストンの「Last Thing On My Mind」(この2曲はクラレンス・ホワイトの未完成のソロ・アルバムのためにレコーディングされたものと同一曲です)ともちろん彼らが作曲した曲もありました。


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by scoop8739 | 2017-12-11 10:42 | カントリー・ガゼット

239 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その2)

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1972年5月、カントリー・ガゼットはカリフォルニア州サンタモニカのマッケイブス・ギターショップにてリンダ・ロンシュタットとのショーを行っています。以前からリンダとの音楽活動の話がたくさんありましたが、なかなか一緒に演奏するチャンスがありませんでした。

このライヴではリンダがすべての曲を歌っています。メンバーはリンダ、バイロン、ロジャー、アラン、スキップ・コノーヴァー(ドブロ)、ボブ・キメル(リンダのバック・バンド「ストーン・ポニーズ」の元メンバー。コーラス)でした。この時の模様はYoutubeにアップされています。

またバイロン・バーラインとアラン・マンデは、197344日、ボブ・バクスター(Bob Baxter)の「ギター・ワークショップ」というTVショーでクラレンス・ホワイトと共演しています。演奏曲は「野生の花(Wildwood Flower)」「モッキング・バード(Listen To The Mocking Bird)」「クラウディド・ソング(The Crowded Song)」「私は巡礼者(I Am A Pilgrim)」「兵士の愉しみ(Soldier’s Joy)」「サリー・グッディン(Sally Gooin)」でした。この番組のビデオは1998年にシエラ・レコード(Sierra Records)から「Together Again For The Last Time」というタイトルでリリースされました(後に「Clarence WhiteGuitar Workshop」としてDVDにて再発行されています)。

19734月頃にバイロンの家でガゼットの自作のためのセッションが行われました。参加したのはバイロン、ロジャー、ハーブ・ペダーセン、ローランドとクラレンスのホワイト兄弟で、いろいろな曲がテープに録音されました。

1973628日、29日の両日にクラレンス・ホワイトが最初のソロ・アルバムを録音し始めます。クラレンスの兄のローランドは、ガゼットのメンバーであるバイロン・バーラインとロジャー・ブッシュと、初期のガゼット・メンバーであったハーブ・ペダーセンにサポートを依頼します。さらに追加のミュージシャンとしてリランド・スクラー(Leland Sklar)、エド・グリーン(Ed Green)、ライ・クーダー(Ry Cooder)を呼んでいます。この時レコーディングされたのは「Never Ending Love」、「Last Thing On My Mind」、「Alabama Jubilee」と「Why You Been Gone So Long」でした。制作はジム・ディクソンに依頼しています。

それから16日後の715日、クラレンスはカルフォルニア州パームデールでの仕事を終え、機材を詰め込んでいる時に、泥酔した運転手の車に撥ねられて29歳の若さで亡くなっています。

ガゼットの面々は19739月、10月に亘るヨーロッパ各地とイギリスのツアーの後に、彼らの2枚目のスタジオ・アルバム「日々の仕事はやめないで(Give Up Your Day Job)」をレコーディングします。制作は前作と同じくジム・ディクソンです。ゲストにはハーブ・ペダーセン、レランド・スクラー(Leland Sklar)、アル・パーキンス(Al Perkins)が参加しています。

a0038167_10351594.jpgこのアルバムで彼らは様々な音楽ジャンルの曲をレコーディングしています。スティーヴン・スティルズの「フォールン・イーグル(The Fallen Eagle)」、グラハム・ナッシュの「ティーチ・ユア・チルドレン(Teach Your Children)」、レスター・フラットとアール・スクラッグスの「ダウン・ザ・ロード(Down The Road)」、エルトン・ジョンの「ホンキー・キャット(Honky Cat)」、ドン・マクリーンの「ウィンターウッド(Winterwood)」、そしてハーブ・ペダーセンの作品などでした。

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by scoop8739 | 2017-12-07 09:23 | カントリー・ガゼット

238 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その1)

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「カントリー・ガゼット」は1970年代に最も影響力のあったブルーグラス・バンドと言われ、しかもヨーロッパで最も人気のあったカントリー・バンドの1つでした。彼らはロサンゼルスに拠点を置き、ブルーグラスとカントリー・ロックをブレンドし、その過程で80年代に起こるニューグラス運動の種を蒔いてきたのです。

フィドルとマンドリンのバイロン・バーライン、ベースのロジャー・ブッシュ、バンジョーのビリー・レイ・レイザムは1971年にバンドを組みディラード&クラークと共演します。このトリオにはギタリストのハーブ・ペダーセン(Herb Pedersen)がゲスト・プレイヤーとして参加します。その後ビリーはすぐにアラン・マンデと交代し、この1971年には20世紀フォックス映画「ウェルカム・ホーム」(Welcome Home, Soldier Boy)のためにいくつかの曲を録音しています。

a0038167_10313608.jpg1972年になってバーラインとブッシュは、フライング・ブリトゥ・ブラザーズの最後となるライブ・アルバム「ザ・ラスト・オブ・ザ・レッド・ホット・ブリトゥズ」に参加します。

さらに2人はブリトゥズのセッション直後に、ギターのケニー・ワーツを彼らのバンドに参加するよう説得し、ブリトゥズの解散後には彼を加えたバンドのデビュー・アルバム「Our Traitor in Our Midst(パーティーの裏切り者)」のレコーディングに取りかかります。

このアルバムはジム・ディクソン(※1)によって制作された最初のアルバムとして、1972年にユナイテッド・アーティストによってリリースされました。これにはハーブ・ペダーセン、スキップ・コノヴァー(Skip Conover)、クリス・スミス(Chris Smith)がゲスト・プレイヤーとして参加しています。

a0038167_10332012.jpgアルバムは伝統的なブルーグラスとカントリー・ソング(「ロスト・インディアン」やルーヴィン・ブラザーズの「アイ・ウイッシュ・ユー・ニュー(I Wish You Knew)」と、オリジナル曲で構成されています。アメリカン・コミック並みのカラフルなアルバムのパッケージが楽しい雰囲気を演出しています。

※1 ジム・ディクソンは、バーズ(The Byrds)のレコーディングの際にプロデューサーを務め、後にバーズのマネージャーとなっています。当時、自分がマネージメントして売り出そうとしていたジェット・セット(後のバーズ)にベーシストを必要としていたディクソンは、クリス・ヒルマンにベーシストとしての参加を要請します。ディクソンがどうしてマンドリン奏者のクリスを誘ったのか、そしてヒルマンがどうしてその申し出を受けたのか、理解に苦しむところですが、この人選がなければ後に「カントリー・ロック」というものは誕生しなかったかも知れません。

その年の夏、ガゼットはより多くのロック指向のリスナーのためにディズニー・ランドで演奏活動を行います。さらにスティーブ・ミラー、クロスビー&ナッシュ、ドン・マクリーンのオープニング・アクトとしても演奏します。またその年の後半に彼らはアムステルダムでライブ・アルバム「ブルーグラス・スペシャル」を録音しリリースしています。


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by scoop8739 | 2017-12-04 12:37 | カントリー・ガゼット

57 カントリー・ガゼット考(その3)

さて、話を最初に戻すことにします。
どういういきさつだったのかは判りませんが、今から20年前の1985年5月に「リユニオン・バンド」として来日したガゼットは、1本のライヴ・ビデオを残してメンバーは再びそれぞれの道を歩み始めます。

a0038167_20462135.jpgそのビデオを観ると、さすがに往年のテクニックは衰えているものの、これぞガゼットという見事なまでのアンサンブルで最後までボクを飽きさせないまま約100分間のステージを進行させていきます。構成は3部になっていて、1stステージと2ndステージがそれぞれ12曲ずつの24曲に、アンコールとして4曲の合計28曲が収録されています。

COUNTRY GAZETTE: Live in Japan
(MAPS Video-004)
Produced by Takashi Fujii for MAPS Inc.
with Alan Munde, Roland White, Byron Berline & Roger Bush.
1st STAGE;
1. Durham's Reel
2. Never Ending Love
3. Lonesome Road
4. Sunny Side Of The Mountain
5. Snow Ball
6. Honky Cat
7. Forked Deer
8. Little Darlin' Pal Of Mine
9. Don't Let Your Deal Go Down
10. Hot Burrito Breakdown
11. To Prove My Love To You
12. Sally Goodin
2nd STAGE;
13. Huckleberry Hornpipe
14. Down The Road
15. I Wish You Knew
16. New River Train
17. Wheel Hoss
18. Medley : Keep On Pushin'/Tried So Hard/Swin Low, Sweet Chariot
19. Dusty Miller
20. Boil Them Cabbage Down
21. If You're Ever Gonna Love Me
22. Aggravation
23. Uncle Pen
24. Medley : Will You Be Lonesome Too/Roll In My Sweet Baby's Arms/Foggy Mountain Breakdown
ENCORE STAGE;
25. I Know What It Means To Be Lonesome
26. Dear Old Dixie
27. Hard Hearted
28. Orange Blossom Special

全28曲のすべてがガゼットのオリジナル曲とブルーグラス・スタンダード曲で構成されていて、取り立てて目新しいものがあるわけではないのですが、逆にそれが観る者に安心感を与え、懐かしさと気楽な気分で約100分間のステージに付き合えたのでしょう。ただボクにもっと英語を理解する力があれば、ロジャーのおしゃべりを楽しめたはずなのですが…。

ここでボクが感じたことを述べると、日本のファンはガゼットのオリジナルをアラン・マンデ、ローランド・ホワイト、ロジャー・ブッシュに加えて、バイロン・バーラインとしていることです。つまり中期から後期(1985年当時)の中心メンバーに、初期のリーダーだったバイロンを加えた4人がオリジナルだと認識していて、招聘元もこれを認めた上で彼らをチョイスして「リユニオン・バンド」を組んだのだろうと思います。

でもガゼットのオリジナルというと、何度も書きますが、ケニー・ワーツを除いては考えられません。そう、何度も何度も書かせていただきますが、ガゼットといえば、ウエスト・コースト特有のファンタスティックで抜けるようなヴォーカル、ハーモニーがトレード・マークであり、デビュー・アルバム「パーティの裏切り者」で受けた衝撃こそ、それまでのブルーグラス・グループにはなかった斬新な発想と表現方法だったのです。そのハーモニー作りの中心人物が他ならぬケニー・ワーツでした。

しかし放浪癖(と言われている?)のケニーにコンタクトを捕ることが困難だったのか、金銭だけでは招聘できなかったのか、そのいきさつは判りませんが、結果上記の4名が「リユニオン・バンド」として来日しました。ケニーが駄目ならばということでは「ハーブ・ペダーセン」という線も考えられたはずです。彼はアルバム・デビュー以前のガゼットのメンバーであり、声質も明るく爽やかでガゼットのリード・ヴォーカルには誰よりも相応しい存在ですし、彼らの1作目、2作目でも素晴らしいヴォーカルとハーモニーを聴かせてくれています。

それでもガゼットにローランド・ホワイトを加えたいという、かつての日本のブルーグラス・ファンは、ガゼットに「ケンタッキー・カーネルズ」の面影を求めていたとしか考えられないのですが、いかがなものでしょうか?
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2005-03-03 20:48 | カントリー・ガゼット