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カテゴリ:泡沫アルバム探訪( 59 )

400 愛しの泡沫アルバム(その59)

ロイ・マクミランとハイ・カントリー・ボーイズ

マンドリン奏者のロイ・マクミランは1930年ヴァージニア州キャロル郡ファンシー・ギャップで生まれ育ちました。8歳の時にラジオで聴いたビル・モンローに感化されマンドリンを弾くことを始めます。モンローは常に彼のヒーローでした。

1950年にノース・カロライナ州ウィンストン・セーラムに移り、そこで彼はレストランの料理人として生活を始めます。後に転職して塗料と自動車修理の仕事を始めますが、彼にとってブルーグラスは常に人生の大部分であり、ブルーグラスのエンターテイナーになることが彼の夢でした。

1960年代初頭、ロイは遂に念願の夢であったプロのバンドに加入します。それがノース・カロライナ州のポフタウンで活動する「ラリー・リチャードソンとブルー・リッヂ・ボーイズ」(シリーズ16に既述)でした。

リチャードソンがバンドを去ってから、ロイは次の数年間「ワンダリング・バレー・ボーイズ」で働き、1968年になると彼は「ブルー・リッヂ・パートナーズ」(シリーズ33に既述)に加わりマンドリンと歌でその才能を開花させます。

1970年にブルー・リッヂ・パートナーズを辞し、自らのバンド「ハイ・カントリー・ボーイズ」(The High Country Boys)を結成しました。

バンドはロイのマンドリンとヴォーカルを筆頭に、ギターとヴォーカルにグラディ・バリンズ(Grady Bullins)、バンジョーにレイ・エドワーズ(Ray Edwards)でスタートし、フェスティバルやショーなどで演奏し始めました。

同年春にはフィドルにカール・ジョイナー(Carl Joyner)、さらに堅実なベース奏者で卓越したテナーと高いバリトン・ヴォーカルのダレル・ロウランド(Darrell Rowland)が加わります。そして最後にロイの息子ダグがギターとヴォーカルで参加しました。

1971年のノース・カロライナ州のカールトン・ヘイニー(Carlton Haney)主催のキャンプ・スプリングス・フェスティバルにおいて、レベル社々長のディック・フリーランド(Dick Freeland)はこのバンドのサウンドとプロ意識に非常に感銘を受けてレコード契約を結びます。

a0038167_08474331.jpgそして1972年の初めにファースト・アルバム『ハイ・カントリー』(High Country)のためにレコーディングを始め、翌73年にリリースされました。このアルバムには「コールド・ウィンド」を始め9曲のオリジナル曲とメンバー作曲の3曲、全12曲のすべてがオリジナルです。アルバムはリリースされるや人々から絶賛されました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=nsdcq5wHFBI/


by scoop8739 | 2019-07-11 08:49 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

399 愛しの泡沫アルバム(その58)

ジム・マッコール

オハイオ州シンシナティ周辺で労働者階級向けのバーを中心に演奏活動をしていたアール・テイラー(Earl Taylor)は、フォーク・リヴァイヴァルの恩恵を受け、1959年にアルバム『ブルーグラスからのフォーク・ソング』(Folk Songs From The Blue Grass)で思わぬメジャー・デビューを果たします。

このバンドにギターとヴォーカルで加わったのがジム・マッコール(Jim McCall)でした。ジムとアールの歌声はよくマッチし最強のコーラス・デュオとなります。このコンビで1968年から71年の間にルーラル・リズム社からリリースされたアルバムは3枚あります。

a0038167_08263968.jpgジムはこの間にソロ・アルバムのためのレコーディングを続け、1972年にヴェトコ社から『弾いて歌って』(Pickin’ & Singin')というアルバムをリリースしました。

https://www.youtube.com/watch?v=t2qHaDkUbLY&t=1073s/

アルバムはジムとバンド仲間のバンジョー奏者ヴァーノン・マッキンタイア・ジュニア(Vernon McIntyre Jr.)、エレキ・ベースにヴァーノンの妻のエリザベス(Elizabeth McIntyre)、マンドリンにフレッド・スペンサー(Fred Spencer)、サイド・ギターにロイ・リー・センターズ(Roy Lee Centers)という編成となっています。収録されている曲はブルーグラス・スタンダードが全18曲で、そのうち14曲をジムが一人で歌い、4曲がインスト曲でした。

a0038167_08272489.jpgこのアルバム発売を機にジムはヴァーノンと新たに「アパラチアン・グラス」(The Appalachian Grass)というバンドを組み、同年と翌1973年に同社よりアルバム2枚をリリースしています。そのひとつ、1972年のアルバムはジムの作品を5曲含む全11曲の意欲作となりました。

このアルバムの翌年にはメンバーを少し替え、ニューグラス時代を意識してかピアノとドラムを導入したアルバムをリリースします。

https://www.youtube.com/watch?v=MTe2BgmbVIM&t=742s/

B面2曲目にグラム・パーソンズの「ヒッコリー・ウインド」を加えるなど時代に合わせた選曲がなされています。

なおバンドはヴァーノンが引き継ぎ現在も活動中です。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-07-08 08:29 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

396 愛しの泡沫アルバム(その57)

ブラッシュ・アーバー

a0038167_08311860.jpg1971年にカリフォルニア州サンディエゴで結成された「ブラッシュ・アーバー」(Bruch Arbor)は、翌1972年にバンド名をタイトルにしたアルバムでデビューしています。

メンバーはウェイン・ライス(バンジョー、ギター、ヴォーカル)、ケニー・マンズ(ギター、ヴォーカル)が中心となり、ジョー・ライス(マンドリン)、ジム・ライス(スティール・ギター)、デイヴ・ローズ(ベース)の5人編成となっています。なおウェイン、ジョー、ジムは兄弟ですが、あの有名なライス兄弟(トニー、ラリー、ロン、ワイアット)とはまったく関係ありません。

アルバムは主にケニー・マンズのオリジナル曲中心でしたが、他にはクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの「プラウド・メアリー」(Proud Mary)やトラディッショナル曲の「遠くへ飛んで行く」(I’ll Fly Away)や「クリンチ・マウンテン・バックステップ」(Clinch Mountain Backstep)などを収録しています。

https://www.youtube.com/watch?v=5MFOrqInjYo&t=60s

アルバムの中の「プラウド・メアリー」が全米トップ60に達すると、バンドは南カリフォルニアでかなり人気となりました。そしてディズニーランド、ナッツベリーファーム、そしてシーワールドなどの観光名所などで頻繁に演奏するようになります。

a0038167_08313078.jpgデビュー・アルバムのヒットに続いて、翌1973年に『ブラッシュ・アーバー2』をリリースします。こちらのアルバムにはギルバート・オサリヴァンの「アローン・アゲイン」(Alone Again)などを収録し、極めてカントリー的なハーモニーとポップ志向を打ち出しました。

https://www.youtube.com/watch?v=TGUzXgPsbjo/

彼らは1973年にカントリー・ミュージック・アカデミーで「今年のヴォーカル・グループ」と「今年のツアー・バンド」にも選ばれるほどの実力バンドとなります。しかしこの2枚の後にバンドはカントリー・ロックへと舵を切り、大きくスタイルを変えてしまいました。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-07-01 08:33 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

395 愛しの泡沫アルバム(その56)

ホワイトウォーター

1972年にニューグラスの旋風を受けてデビューしたのが「ホワイトウォーター」(Whitewater)なるグループでした。ホワイトウォーターとは「激流」という意味がありますが、その名前の通り随所に若さほとばしる演奏を聴かせるバンドです。

彼らの出身地は西海岸とはいえオレゴン州とアイダホ州という、ブルーグラスが盛んなアメリカ南東部からは少し離れた地域というのが特徴的です。彼らはワシントン州シアトルにあるノースウエスト大学周辺で演奏活動を行っていました。

メンバーはベースとリード・ヴォーカルを担当するアルデン・イエーツ(Alden Yates)、マンドリン、ギター、ベースのポール・スミス(Paul Smith)、この二人がオレゴン州の出身。

フィドル、ギター、ベースとヴォーカルのテディ・ジョーンズ(Teddy Jones)、バンジョーのマイケル・ウェンドリング(Michael Wendling)の二人がアイダホ州の出身。

a0038167_08380711.jpgアルバムはアメリカン・ヘリテイジ社から『白い雲の中の春』(Springtime In The White Clouds)といういささかメルヘンティックなタイトルでリリースされ、全10曲のうち5曲がメンバーによるオリジナルでした。

A面4曲目「5つの雨の日」はポールの作。同5曲目「Gマイナー・ブレイクダウン」(G Minor Breakdown)とB面2曲目「チューナー・ソング」(The Tuner Song)がマイケルの作です。B面1曲目「もう一つの歌」(Another Song To Sing)はテディ作、同5曲目のアルバムのタイトルにもなった「白い雲の中の春」はアルデン作となっています。

インスト曲ではA面3曲目ロッシーニ作の「ウィリアム・テル序曲」(Ballad Of The Lone Ranger)でしょうか? クラシックの名曲をバンジョーとマンドリンが上手くブルーグラスにアレンジして聴かせます。また同5曲目の「Gマイナー・ブレイクダウン」も三味線を聴いているようで面白い作りの曲です。

全曲聴いてみて、歌ものよりインスト曲に興味をかき立てられるバンドでした。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=tRopCz-Ox_4/


by scoop8739 | 2019-06-27 08:39 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

394 愛しの泡沫アルバム(その55)

ビル・グラントとデリア・ベル

デリア・ノウェル(Delia Nowell)はテキサス州ボーナムで1938年に生まれ、子供の頃にオクラホマ州ヒューゴに移住します。彼女はスタンレー・ブラザーズやビル・モンローのブルーグラス音楽に触発されて10代の頃から歌い始めました。大人になってボビー・ベル(Bobby Bell)と結婚した彼女は、1959年にボビーの友人で歌の上手いビル・グラント(Bill Grant)と親しくなります。

ビル・グラントは1930年、オクラホマ州に住むインディアンのチョクトー族(Choctaw)に生まれヒューゴ近くの牧場で育ちます。彼は成長するとビル・モンローに触発されマンドリンを弾き始めました。そのうち彼らは一緒に歌い始め、すぐにラジオKIHNヒューゴ局で「リトル・デキシー・ヘイライド」(Little Dixie Hayride)という番組の常連になります。

1960年の後半には二人はボナム兄弟(The Bonham Brothers)と一緒にバンドを組んで各地のブルーグラス・フェスティバルに出演し人気者になりました。彼らはバンド名を「キアミチ・マウンテン・ボーイズ」(The Kiamichi Mountain Boys)と名乗ります。この変わった名前は、グラントとベルの家の近くにあるキアミチ山脈にちなんだものでした。また、商才のあるビルは独自のレーベル「キアミチ・レコード」を主体に数多くのレコードをリリースしています。

a0038167_08464204.jpgまず1972年にはバンド名でデビュー・アルバムをリリースします。メンバーはビルのマンドリンとリード・ヴォーカル、デリアのギターとテナー・ヴォーカルを中心に、バンジョーのベン(Ben Bonham)、ギターのグレン(Glen Bonham)、フィドルのオーヴィル(Orville Bonham)、ベースのヴァージル(Virgil Bonham)のボーナム兄弟を従えての6人編成でした。このアルバムはジャケットをカラフルにして1976年に再リリースされています。

a0038167_08490998.jpg続く1974年に『キアミチ・カントリー』(Kiamichi Country)をリリースしました。

https://www.youtube.com/watch?v=tcHCvEcf6VI/

a0038167_08342701.jpg翌1975年には『そこに泉あり』(There Is A Fountain)、同年『最後のクリスマス・ツリー』(The Last Christmas Tree)と、その勢いは止まりません。

https://www.youtube.com/watch?v=oSi9mF1d9pM/

さらに翌1976年には『14の思い出』(Fourteen Memories)、1978年には『オクラホマにつながる道』(My Pathway Lead To Oklahoma)、翌1979年には『マウンテン・スタイルのブルース』(The Blues - Mountain Style)と立て続けにアルバムをリリースしています。またボナム・ブラザーズ名義でも、1976年に『2世代』(Two Generations)というアルバムをほぼ同じメンバー編成でリリースしています。

こうして有名になった彼らでしたが、ボナム兄弟がツアーを嫌ったためにバンドは1980年に解散しました。その後、ビルとデリアの2人はジョンソン・マウンテン・ボーイズ(The Johnson Mountain Boys)と一緒に仕事をしたり、またその時々でいろんなミュージシャンと一緒に演奏活動を行っています。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-06-24 08:57 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

393 愛しの泡沫アルバム(その54)

ウェンディ・ミラー&マイク・リリー

1970年あたりから本格的に若手ブルーグラス・ミュージシャンがベテラン・バンドへ加入するようになります。これは既成のブルーグラスがニューグラスの潮流に刺激されて現代的な新しい方向へと導かれる原動力となりました。

ウェンディ・ミラーとマイク・リリーもまたそういった動きをしてきます。彼らは若手トラディッショナル・ブルーグラス・ヴォーカリストのトップ・グループの一角を占めるラリー・スパークのロンサム・ランブラーズに加わり、バンドのサウンド作りに貢献してきました。

ウェンディ・ミラーはケンタッキー州キャプトンに生まれ、ビル・モンローに触発されてブルーグラスの道を歩むこととなります。彼のスタイルは新旧ブルーグラスのエッセンスを巧みにブレンドさせたソリッドな演奏が特徴です。

一方のマイク・リリーはウェンディと同じくケンタッキー州の出身で、彼のバンジョー・スタイルは古くはクローハンマーに始まり、スクラッグスからスタンレーのオーソドックスなものから、マール・トラヴィスのギターのリック、そして普通のバンジョー奏者なら避けて通るダン・リーノのスタイルまで、あらゆるスタイルに果敢に挑んでいます。

a0038167_08381468.jpgそんな彼らがユニットを組み作ったアルバムが、1972年にリリースされた『ニューグラス・インストルメンタル』(New Grass Instrumentals)でした。

このアルバムにはウェンディのマンドリンの直接の師匠であるノーマン・リー・フォルクナー(Nolan Lee Faulkner)がセカンド・マンドリンで参加しています。その演奏はA面4曲目「ツイン・マンドリン・ワルツ」(Twin Mandolin Waltz)とB面4曲目「金のスリッパ」(Golden Slippers)で聴くことが出来ます。

またギターのエディ・キャロル(Eddie Carroll)はこのアルバムのレコーディング当時はチャーリー・ムーアのデキシー・パートナーズで活躍しています。セカンド・ギターのジェイムズ・ミラーはノーマン・リー・フォルクナーと同じくミラー・ブラザーズで活躍していました。

全12曲の収録曲のうち5曲が彼らのオリジナルとなっています。

ウェンディとマイクはこのアルバムを始め3枚のアルバムをリリースした後、本格的に彼らのバンドを結成しました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=acOgHwTvhmo/


by scoop8739 | 2019-06-20 08:39 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

392 愛しの泡沫アルバム(その53)

ポニー・エクスプレス

1972年、当時ブルーグラス・アライアンス在籍中だったサム・ブッシュは、バンド・マスターのロニー・ピアースを除く4人のメンバーと共にアライアンスを退団し「ポニー・エクスプレス」というバンドを立ち上げます。

しかしすぐにこのバンド名は既に他のグループによって使われていることが判明し、「ニューグラス・リヴァイヴァル」と名を改めます。その「ポニー・エクスプレス」という名で活動していたのが、テネシー州在住の3人の常駐医師と法律を勉強中の学生が加わった素人バンドでした。

a0038167_09360218.jpgこのバンドは1970年にメンバーたちがテキサス大学医学部に通っていた折に結成され、1972年にはメリーランド州マウント・レイニアに本拠を置くレベル社から1枚のアルバムをリリースしています。そのアルバム・ジャケットに映る4人はいささか古めかしい衣装を纏って、まるでたった今、田舎から出てきたようにも見えます。

4人は、バンジョーとギターとヴォーカルのジム・アーサー(Jim Arthur)、ギターとヴォーカルのフィル・ロウ(Phil Roe)、マンドリンとギターとヴォーカルのスティーヴ・バーンズ(Stave Barnes)、そしてベースとヴォーカルのトム・イーデス(Tom Eades)でした。

ケンタッキー州の丘陵地帯、ジョージア州の山岳地帯、そしてテネシー州のデルタ地帯で育った彼らの作る音楽は、ニューグラス時代を反映して古き良き音楽からの選曲に現代的な表現を加味したものとなっています。

A面4曲目にはセルダム・シーンのデビュー・アルバムA面1曲目の「レイルロード・ライン」(Raised By The Railroad Line)を収録しています。さすがにシーンには敵いませんが、こういったチャレンジ精神は若者の特権なのでしょう。

ところでこのアルバムをリリースした後に、メンバーの一人フィル・ロウは1973年から1974年まで陸軍医療隊に入隊し韓国の基地に駐留します。そのためバンドは個々のキャリアを追求するために解散しました。

参考までに、ロウは1974年まで陸軍の軍医を務め、その後は勤務医として働いていたのですが、2003年から2007年まではジョンソン・シティの副市長、2007年から2009年までは市長を務めた後に共和党より出馬して、現在テネシー州第1区選出の下院議員として活躍しています。

もしもこのバンドが解散せずに、それぞれがキャリアを重ねながらバンド活動を維持していたのなら、第2のセルダム・シーンになっていたのかもしれません。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=6n9-3a5Z7l0&t=543s/


by scoop8739 | 2019-06-18 09:38 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

391 愛しの泡沫アルバム(その52)

ダグ・グリーン

通称「レンジャー・ダグ」と呼ばれているダグラス・グリーンは、1977年に結成された「ライダー・イン・ザ・スカイ」(Riders in the Sky)の創設メンバーとして有名です。

彼は1946年の生まれ、高校生の時にブルーグラスに出会います。1968年にミシガン大学に通っている間は映画やテレビ番組で出会った「歌うカウボーイ」に魅了され続け、そこを卒業した後はテネシー州ナシュヴィルにあるヴァンダービルト大学で「歌うカウボーイ」を研究し文学修士号を取得したほどでした。

彼は学生時代の1967年と69年の一時期、ビル・モンローのバンドでベースを弾くなど演奏活動を手伝っています。また同時期にジミー・マーチンのバンドでも活動していました。

a0038167_08553679.jpgそんな彼が1972年にバンジョー奏者のヴィック・ジョーダンやバック・ホワイト・ファミリーのサポートを得て2枚のアルバムをリリースしています。まず1枚目がステート・フェア社からリリースされた『神 の目に』(In God's Eyes)という全19曲のセイクレッド集でした。

https://www.youtube.com/watch?v=v_DASk959a4/

a0038167_08554751.jpg続いて名門オールド・ホームステッド社から『ライザ・ジェーンとサリー・アン』(Liza Jane & Sally Anne)というアルバムをリリースしています。タイトルはブルーグラスでは有名な曲名ですが、彼の2人の娘の名前なのだそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=cTDb5t3VqqM&t=7s/

両アルバムともメンバーはダグのギターとリード・ヴォーカルに、ヴィック・ジョーダン(Vic Jordan)のバンジョー、バック・ホワイト(Buck White)のマンドリンとヴォーカル、バックの娘シャロン(Sharon White)のギターとヴォーカル、シェリル(Cheryl White)のベースとヴォーカルとなっています。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

余談ですが、ダグは2002年にヴァンダービルト大学出版「サドルの中の歌」という著書を出版しています。この本は1930年代に流行った「歌うカウボーイ」のことを書いていて、彼は第2次世界大戦以前の西部劇全盛期から今日までの、映画や音楽、さらに演奏者へのインタビューを含め、30年に亘って研究してきたのだそうです。


by scoop8739 | 2019-06-13 08:57 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

390 愛しの泡沫アルバム(その51)

ブルーグラス・タールヒールズ

ラルフ・スタンレーのバンド「クリンチ・マウンテン・ボーイズ」で1970年代前半に活躍したギター奏者のリッキー・リー(Ricky Lee)は、リード楽器としてのギターを新たな高みへ導くべく若い世代に多くのインスピレーションを与えました。

そのリッキーがクリンチ・マウンテン・ボーイズに加入する直前まで属していたのが「ブルーグラス・タールヒールズ」(The Bluegrass Tarheels)です。

バンドは以前には「ディキシー・ヒルビリーズ」(The Dixie Hillbillies)という名で活動していましたが、1971年9月頃ビル・モンローによって光栄にも、彼らがノース・カロライナ州の出身であることから、州に付けられたニック・ネーム「タールヒール」と改名させられます。

a0038167_09114556.jpgさて、そんな彼らのデビュー・アルバムが1972年にリリースされた『タールヒール・カントリー』(Tarheel Country)でした。

リード・ギターのリッキー・リーだけが目立ちますが、他メンバーはギターとリード・ヴォーカルのジェイムズ・ランドルフ(James Randolph)、マンドリンとテナー・ヴォーカルにロバート・マックドウガル(Robert McDougal)、バンジョーとバリトン・ヴォーカルにジェリー・エドマンソン(Jerry Edmunson)、フィドルにドイル・ドナヒュー(Doyle Donahue)、そしてベースにボブ・フォード(Bob Ford)の6人編成となっています。

このアルバムのハイライトはA面1曲目の「水はとても冷たい」(Water So Cold)です。アメリカ南北戦争中の南軍の将軍ストーンウォール・ジャクソンの逸話を基にハロルド・ハワードによって作られた曲でした。

そして同2曲目のラルフ・スタンレー作「ケティ・ダリー」(Katy Daly)、同4曲目のアール・テイター作「子どもたちが泣いている」(Children Are Crying)、B面2曲目のA.P.カーター作「私が恋しいか?」(Will You Miss Me)、同3曲目「砂糖まみれの恋」(Sugar Coated Lovre)、同6曲目「美しき人生」(Beautiful Life)などのスタンダード曲が巧みに歌われています。

またA面3曲目「45号列車」(Train 45)、同6曲目「ワシントン郡」(Washington County)、B面1曲目「ロンサム・ルーベン」(Lonesome Reuben)、同4曲目「スパニッシュ・グラス」(Spanish Grass)などのインスト曲も素晴らしく、リッキー・リーの演奏も聴きものです。

バンドはリッキー・リーが抜けた後の翌1973年と1975年に2枚のアルバムをリリースしています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=JnR55QXSyRQ/


by scoop8739 | 2019-06-10 09:15 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)

386 愛しの泡沫アルバム(その50)

フット・ヒル・ボーイズ

オールド・タイム、マウンテン・ミュージックの聖地ゲイラックスにあるブルー・リッヂ山岳地帯マウント・エアリー地域の出身で、かつてチャーリー・モンローやジム・イーンズなど多くのブルーグラス・レジェンドと共に活動してきた名手たちが集ったグループが「フット・ヒル・ボーイズ」(The Foot Hill Boys)でした。

フィドルのウェイバーン・ジョンソン(Wayburn Johnson)は1928年にウェスト・ヴァージニア州ローガンで生まれ、幼い頃にマウント・エアリーに引っ越してきました。

彼がこのバンドに参加する以前は、ウッディ・ウッディとウッドチョッパーズやアート・ジョンソンとサザン・メロディーズ、アル・ホークスとメロディ・メーカーズ、チャーリー・モンロー、ジム・イーンズ、マック・ワイズマン、ルディ・ライルとジョンソン・ブラザーズ、オスカー・サリバンとラリー・リチャードソンなど様々なバンドで演奏していました。

またジョンソンは1971年にいくつかの州開催の選手権やユニオン・グローブ・グランド・チャンピオンシップなどで多くの賞を獲得しています。

バンジョー奏者のカレン・ギャリアン(Cullen Galyean)は1939年に生まれ、ラルフ・スタンレーの影響を受けて16歳の時に初めてボビー・ハリソン(後述)らと共にヴァージニア・マウンテン・ボーイズに加入します。その後はチャーリー・モンローやハイロ・ブラウンのバンドでも活動していました。

a0038167_09565018.jpg彼はマウンテン・ランブラーズが1959年にアトランティック・レコードからリリースしたアルバムではフィドルとバンジョーを演奏しています。

1960年代半ばにはM-K-B社でエド・ヴォグラー(Ed Vogler)と一緒にシングル盤3枚をレコーディングしていました。その盤でギャリアンはギターを弾き、1969年にボーダー・マウンテン・ボーイズとしてホームステッド社盤でリリースされたアルバムではリード・ギターも演奏しています。

https://www.youtube.com/watch?v=72J9N8NnyuY/

a0038167_09571280.jpgマンドリンとバリトンのアイヴァー・メルトン(Ivor Melton)は1927年にゲイラックスの近くに生まれ、ギターとテナーのボビー・ハリソン(Bobby Harrison)は1934年にゲイラックスに生まれています。メルトンとハリソンとバンジョー奏者のギャリアンは共にヴァージニア・マウンテン・ボーイズで20年以上プレイしていました。

https://www.youtube.com/watch?v=GmWsWjS4MQY/

最後にベース奏者のジョニー・ヴィッパーマン(Johnny Vipperman)は1929年にマウント・エアリーで生まれ、ウィルマ・リーやストーニー・クーパーのようなよく知られたグループで活躍していて、1951年にはビル・モンローのバンドでも仕事をしていました。

a0038167_09590382.jpg1971年9月8日にフィドルのウェイバーン・ジョンソンが43才という若さで急死したため、それまでに録音していた曲をまとめた彼らの唯一のアルバムがカウンティからリリースされています。

https://www.youtube.com/watch?v=tU-VSuQqIaA&t=1028s/

そのアルバム・ジャケットを見ると懐かしいアパラチア山系の家が建ち並び、典型的な古き良き時代のブルーグラス・ミュージックを連想できます。無名バンドながら想像通りの素朴な音が実にまとまりよく収録されていてとても満足感を味わえます。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-30 10:13 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)