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カテゴリ:泡沫アルバム( 39 )

375 愛しの泡沫アルバム(その39)

ウォルター・ヘンズレー

ブルーグラスの世界では実力があるのに演奏仲間やファンに馴染みの少ないプレイヤーが沢山います。バンジョー奏者のウォルター・ヘンズレー(Walter Hensley)もそんな一人でした。

ウォルターは1936年にヴァージニア州グランディで生まれ、1957年初頭にアール・テイラーとストーニー・マウンテン・ボーイズの一員としてカーネギー・ホールで演奏しています。また1960年の一時期、エディ・アドコックの代役としてカントリー・ジェントルメンでも演奏していました。

a0038167_09085727.jpg1964年にメジャー・レーベルのキャピトルからリリースされた彼のソロ・アルバム 『5弦バンジョーの今日』(The 5 String Banjo Today)では、「世界は日の出を待っている」(The World Is Waiting For The Sunrise)、「君微笑めば」(When You’re Smiling)、「おじいさんの古時計」(Grandfather's Clock)などのスタンダード曲を楽しく演奏しています。そのドライヴするバンジョーと独創的なリックは、ウォルターの名前をバンジョー奏者たちの間でカルト伝説の地位にまで高めました。

a0038167_09093255.jpgそんな彼が1969年に発表したアルバムが『ニュー・グラスを弾く』(Pickin’ On New Grass)でした。アルバムはタイトルとは関係なく、とくにニュー・グラスの曲が収録されている訳ではありません。

演奏メンバーはウォルター・ヘンズレーの他に、ギターにジム・ヘンズリー(Jim Hensley)、マンドリンにダニー・カーティス(Danny Curtis)とフランキー・ショート(Frankie Short)、ドブロにラッセル・フーパー(Russ Hooper)、ベースには名手エド・フェリス(Ed Ferris)、そしてスネア・ドラムでジョン・ウォーレン(John Warren)がサポートしていました。

ティム・ニュービィ(Tim Newby)の著書「ボルチモアのブルーグラス」(Bluegrass in Baltimore)によると、このアルバムはメリーランド州ボルチモアのレコーディング・スタジオで1969年のある日曜日の夜のセッションで録音されたとあります。

また、ビル・モンローの伝記作家であるリチャード・D・スミスは、「ウォルターは5弦バンジョー・プレイヤーの中でも非常に過小評価された偉人の一人である」とも述べています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=KjSH0kyT8UI


by scoop8739 | 2019-04-22 09:11 | 泡沫アルバム | Comments(0)

374 愛しの泡沫アルバム(その38)

チャーチ・ブラザーズ

ノース・カロライナ州ファーガソン近くの集落で製材所の労働者だった父アルバートとその妻ベシーの下に生まれたチャーチ3兄弟は、長男ウィリアム・シーアーズ「ビル」が1922年、次男エドウィンが1925年、そして三男ラルフが1928年に生まれています。彼らはフィドルとバンジョーを巧みに弾く父の影響で幼い頃から音楽に親しんで育ちました。

長男ビル・チャーチは1940年代にロイ・ホールと彼のブルーリッジ・エンターテイナーズ(Roy Hall & His Entertainers)の一員となって、ノース・カロライナ州アッシュビルで「農場と楽しい時間」と呼ばれるラジオ番組に出演します。

次男ラルフは地元で従兄弟のワード・エラー(Arthur Ward Eller)や近所に住むドレイク・ウォルシュ(Drake Walsh)、ガーとエルマーのバウァーズ兄弟らと共に演奏活動を始めました。やがて三男エドウィンがバンドに加わり、彼らは地元のラジオ局WILXとWKBCや学校などで演奏を始めるようになります。

第二次世界大戦が勃発するとビルとエドウィンが徴集されますが、彼らが帰還したのち1946年にバンドは正式に結成され、チャーチ兄弟と彼らのブルー・リッジ・ランブラーズ(Church Brothers & Their Blue Ridgre Ramblers)と名乗りました。

メンバーはギターとヴォーカルにビル、フィドルにエドウィン、マンドリンとヴォーカルにラルフが中心となり、ワード・エラー、ドレイク・ウォルシュのギター、バンジョーにはガー・バワーズ(Gar Bowers)またはジョニー・ネルソン(Johnny Nelson)、ベースにラルフ・ペニントンという編成でした。

彼らは1950年に最初のレコーディングを行っています。それはすぐに彼らとわかる独特のサウンドであり、優れたオリジナル曲を伴っていました。

このセッションからは1951年の夏頃にリッチ・R・トーンで最初のリリースとなり、2枚目のリリースは同年秋と続きます。これら2つのシングル盤はノース・カロライナ州や近隣の州でバンドの人気を大きく後押ししました。

ところがシングル盤を2枚リリースしただけで、その他の曲は未発表のまま時間だけが過ぎ去ってしまいます。

a0038167_14453110.jpgそれから10年を経過してバンドはすでに解散していました。ドイツのレコード会社GHPとラウンダー社はバンドのレコーディングした遺産を流通させるための努力を始めます。その結果、1968年にGHPから発表されたのが『伝統的なブルーグラス』(Traditional Bluegrass)というアルバムでした。

https://www.youtube.com/watch?v=pKHZSeFjRGE/

a0038167_14454638.jpgまた1981年にはラウンダー社から『初期のブルーグラス第8集』(The Early Days Of Bluegrass Vol.8 / The Church Brothers)がリリースされています。

https://www.youtube.com/watch?v=yipyEjIsi5A/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-04-18 14:48 | 泡沫アルバム | Comments(0)

373 愛しの泡沫アルバム(その37)

ニュー・ディール・ストリング・バンド

アメリカ東部の都会派バンドにはカントリー・ジェントルメンを筆頭にグリーンブライア・ボーイズ、チャールズ・リヴァー・バレー・ボーイズ、エリック・ワイズバーグ、ジム・ルーニーなど、東南部のコアなブルーグラスにない洗練された音作りが特徴的です。

このようなフォーク・リヴァイヴァルから生まれたバンドと同じフレイヴァーが感じられるバンドに「ニュー・ディール・ストリング・バンド」(The New Deal String Band)がありました。

ニューグラスの旗手であったサム・ブッシュは1970年当時はまだ高校生で、ノース・カロライナ州ユニオングローブで行われていたフィドル・フェスティバルに出かけ、そこで初めてこのバンドを目撃します。

そしてこう語っています。「彼らヒッピーの男たちがブルーグラスの世界で今までにない革新的な演奏をするのを見て、私は彼らと友達になった。彼らはブルーグラスの境界線を大きく押し進めてくれた」と。またサムは1970年代初頭にもっとも影響力のあった革新者として、カントリー・クッキング(Country Cooking)とこのバンドを挙げています。

a0038167_08590763.jpgそんな彼らが1969年にずばり『ブルー・グラス』というタイトルのアルバムをリリースしています。

メンバーはギターとヴォーカルのリロイ・サヴェージ(Leroy Savage)、バンジョーとヴォーカルのジーン・ナイト(Gene Knight)、マンドリンとヴォーカルのフランク・グレートハウス(Frank Greathouse)、フィドルのアル・マッキャンレス(Al McCanless)、リード・ギターのバック・ピーコック(Buck Peacock)、そしてベースのボブ・ホワイト(Bob White)の6人編成でした。

アルバムは諸々の影響を受けてかブルーグラスのスタンダード曲に混じってロック色の強い曲が収録されています。例えば、A面6曲目にビートルズの「ドント・パス・ミー・バイ」(Don’t Pass Me By)、B面3曲目にディランの「もう一夜」(One More Night)、同6曲目にローリング・ストーンズの「期待なし」(No Expectation)が収録されています。

彼らはこのアルバム1枚きりで表舞台から消えてしまいますが、1970年代初期に生まれた貴重な都会派バンドとして心に留めておきたいものです。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=3CclK9tcY8I&t=5s


by scoop8739 | 2019-04-15 09:00 | 泡沫アルバム | Comments(0)

372 愛しの泡沫アルバム(その36)

ベニーとヴァリー・ケイン夫婦

ブルーグラスには夫婦デュエットも珍しくありません。ベニーとヴァリーのケイン夫婦(Benny and Vallie Cain)はトラディッショナル志向のハーモニー・デュエットでした。彼らの歌声は心地よく、しかしやや変わったハーモニーが特徴的です。彼らはブルーグラスの世界ではあまり有名ではありませんが、アメリカ中にその音楽を普及させる努力を怠りませんでした。

夫ベニー・ケインは1921年にコネチカット州ニュー・ヘイヴンに生まれ、3歳の時から両親と一緒にウェスト・バージニア州バークレー・スプリングスに移り住み、8歳でハーモニカを吹き始めます。成人してからは米国財務省に勤務しながらパートタイムの娯楽として音楽活動を続けます。

一方、妻のヴァリーは1927年にメリーランド州キャッツミラーに生まれ、1934年頃にバークレー・スプリングスに引っ越してきました。そして1947年にベニーと出会い、数ヵ月内に彼らはカントリー・カズンズというバンドを結成します。二人は1950年7月に結婚しワシントンD.C.に移住しました。

彼らが結婚した年、夫婦はそれまで主に歌っていたカントリー音楽から、彼らのヴォーカル・ハーモニーとうまく溶け合うブルーグラスにスタイルを変えます。

ベニーは公務員の仕事を続けながら彼らは平日はレストランやクラブで演奏し、週末にはしばしば公園やカーニバルなどで演奏を続けました。

そして1956年に最初のレコーディングをし、アデルフィ・レーベルからシングル盤をリリースします。さらに1962年に彼らはレベル社と提携し次の2年間で3枚のシングル盤をリリースしました。

a0038167_08484373.jpg1968年リリースのレベル社オムニバス・アルバム『壮観なブルーグラス』(Bluegrass Spectacular)4枚組、計70曲のうち彼らの歌声が18曲も収録されています。

1969年に待望のオリジナル・アルバムがリリースされました。全12曲中9曲がオリジナル曲です。この時のメンバーは、マンドリンとヴォーカルのベニー、ギターとヴォーカルのヴァリーを中心に、バンジョーにジョニー・ウィスナント(Johnny Whisnant)、エレキ・ベースには息子ポールの4人で編成されています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=bZHsNUmsG3U&t=3s/


by scoop8739 | 2019-04-12 08:54 | 泡沫アルバム | Comments(0)

371 愛しの泡沫アルバム(その35)

ゴインズ・ブラザーズとロンサム・パイン・フィドラーズの親密すぎる関係

ウエスト・ヴァージニア州南西部ブラウンウェルに生まれ育ったメルヴィン(1933年生まれ)とレイ(1936年生まれ)のゴインズ兄弟は、成長してそれぞれがギター、バンジョーを習得します。

弟レイは1953年までロンサム・パイン・フィドラーズのメンバーとして活動し、翌53年に兄のメルヴィンとバンドを組みました。オリジナル・メンバーの中にはフィドルにジョー・メドウスも在籍しています。

ジョーがスタンレー・ブラザーズのバンドに移籍した後、解散したロンサム・パイン・フィドラーズからエズラ・クラインとカーリー・レイ・クライン(従兄弟同士)が加入します。

さらに翌1954年になると、今度は再建されたロンサム・パイン・フィドラーズにメルヴィンとレイが二人揃って加入したのです。

1955年になって兄弟は「第2次」ゴインズ・ブラザーズを再結成します。一時期、レイがバンドを離れていた間のバンジョー奏者には元ロンサム・パイン・フィドラーズのビリー・エドワーズが参加します。

1961年になると兄弟は再びロンサム・パイン・フィドラーズに加わります。この頃にスターデイ社から3枚のアルバムがリリースされていますが、これらのアルバムは実質的にゴインズ・ブラザーズのアルバムと言っても過言ではありません。ギター、バンジョーはゴインズ兄弟で、フィドルにカーリー・レイ・クライン、ベースはエズラ・クラインという4人組で、ヴォーカルは兄弟が担当しているからです。

このように、ゴインズ・ブラザーズというとよくロンサム・パイン・フィドラーズと混同されるのですが、実際こんな関係もあって、むしろ混同しているのが正しいのかもしれません。

a0038167_15254751.jpgそんなゴインズ・ブラザーズが初めてその名前で1969年にレム社からリリースしたのが、アルバム『ブルーグラスの新旧ヒット曲』(Bluegrass Hits Old & New)でした。メンバーには兄弟の他に、フィドルにポール・マリンズ(Paul Mullins )、ベースにケンタッキー・スリム(Kentucky Slim)を配した4人編成となっています。

そんな訳で、このアルバムは聴けば聴くほどロンサム・パイン・フィドラーズの印象が拭えません。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=6oTleJwv1cM/


by scoop8739 | 2019-04-08 15:29 | 泡沫アルバム | Comments(0)

370 愛しの泡沫アルバム(その34)

ホワイト・ライトニン

クラレンス・ホワイトのアルバム名のようなバンド「ホワイト・ライトニン」(White Lightnin’)は、フィドル奏者のビアード・レイ(Byard Ray)と従兄弟でバンジョー奏者のオブレイ・ラムゼイ(Obray Ramsey)を中心に、セッション・ミュージシャンたちで構成されたグループ名です。

ビアードとオブレイはそれぞれ共に1910年の生まれで、1960年代のフォーク・リヴァイヴァル期にノース・カロライナ州アシュビルで行われたフォーク・フェスティバルで見出されるまではオールド・タイムのデュオとして定期的に演奏活動をしていました。

1962年にプロデューサーのジョン・サイモンはデュオをニューヨーク市に招待し録音作業を始めます。その時点からこの2人の音楽キャリアは歪みを受け続けました。

a0038167_08374836.jpg彼らは奇妙な組み合わせの実験的な録音プロジェクトに巻き込まれ、これらのセッションから一緒に編集されたアルバムは『岩の下のファイル』(File Under Rock)とタイトルされ1969年にABCレコードよりリリースされます。

アルバムに参加したミュージシャンは、ビアードとオブレイを中心に、ギターにレン・ノヴィー(Len Novy)、ラルフ・カザルス(Ralph Casals)、サム・ブラウン(Sam Brown)、ベースにチャック・レイニー(Chuck Rainey)、ピアノにデイヴ・フィッシュバーグ(Dave Frishberg)、トランペットとフリューゲルホルンにジミー・オゥエンス(Jimmy Owens)、ドラムにハーブ・ラヴル(Herb Lovelle)、コーラスはワンドラス・ジョイ・クラウズ(The Wondrous Joy Clouds)となっています。

素朴なバンジョーとフィドルの演奏に、ロックの洗礼を受けたであろう若いミュージシャン達のバックアップを受けて、アパラチアの山村で鍛えあげられた伝統なフォーク、マウンテン・ミュージックが奏でられます。なんとも素朴で暖かい歌声がたまらない魅力となっています。

なお、アルバム中の曲「柳の園の下で」(Down In The Willow Garden)は1971年のヒッピー・ウェスタン映画『ザカリア』(Zachariah)の挿入歌となりました。

https://www.youtube.com/watch?v=38Vb5yL1gxU/

ちなみに、ビアードとオブレイをサポートしたチームは1969年に「駅中の床屋」(The Terminal Barbershop)というチーム名でアトコ・レコードよりミュージカル『ヘアー』に収録されていた曲を集めた『ヘア・スタイル』(Haie Styler)というアルバムをリリースしています。

https://www.youtube.com/watch?v=kyD17pjhAvc/


by scoop8739 | 2019-04-04 08:40 | 泡沫アルバム | Comments(0)

369 愛しの泡沫アルバム(その33)

ブルー・リッヂ・パートナーズ

紛らわしいことにブルーグラスには同じ名前を名乗るバンドが複数存在します。

地名にブラザーズ、マウンテン・ボーイズ、リヴァー・ボーイズ、ランブラーズ、などを付ければそれらしいバンド名となりますが、得てして同じ名前になることもよくあるようです。以前に書いた「ケンタッキー・マウンテン・ボーイズ」などがそうです。今回取り上げる「ブルー・リッヂ・パートナーズ」(The Blue Ridge Partners)もそんなバンドの一つでした。

バンドは女性ベース奏者のオーディーン・ラインベリー(Audine Lineberry)とバンジョー奏者のウェイン・ハウザー(Wayne Hauser)によって1966年に結成されています。

このバンドに1968年、マンドリン奏者のロイ・マクミラン(Roy Berlin McMillan)が加入してきます。このことによって停滞していたバンドの評判は飛躍的に上がりました。ファンはフェスティバルやショーなどで、マンドリン奏者、歌手、そしてフロントマンであるマクミランがいかに才能にあふれているか、またブルーグラス界で最も多作なソングライターの一人であるかを認識します。

a0038167_08561956.jpg1969年にリリースされたアルバム『山の民』(Mountain Folks)のA面1曲目のタイトル曲は後にラルフ・スタンレーによってレコーディングされ、B面5曲目の「アップ・イン・ザ・ハイカントリー」は1998年にリリースされた「ビッグ・カントリー・ブルーグラス」のデビュー・アルバムのタイトルにもなっています。そのアルバムでは14曲中6曲がマクミランの曲でした。

https://www.youtube.com/watch?v=ih3mfi9oWiM&t=127s/

閑話休題、1969年当時のブルー・リッヂ・ボーイズのメンバー構成はロイ・マクミランのマンドリンとヴォーカル、ウェイン・ハウザーのバンジョー、トミー・マルボース(Tommy Malbouth)のフィドル、さらに女性メンバーが2人、ギャレン・ロウ(Galene Lowe)のギターとオーディーン・ラインベリーのベースの5人編成でした。

a0038167_08591738.jpgバンドはフィドルがトミー・マルボースからバディ・ペンドルトン(Buddie Pendleton)に替わり、1970年にバンド名タイトルで2枚目のアルバムをリリースしています。

そして同年、ロイ・マクミランはバンドを去り「ハイ・カントリー・ボーイズ」(The High Country Boys)を結成します。これについては改めてご紹介致します。

さてその後のバンドの消息はわかりませんが、1977年にオールド・ホームステッド社系列から「アルバート・エリオットとブルー・リッヂ・パートナーズ」(Albert Elliott And The Blue Ridge Partners)というアルバムがリリースされます。ところがそのアルバムには以前のメンバーの姿が誰一人も残っていませんでした。メンバーが総替えとはさすがに考えられませんので、これは同名異バンドだと思われます。

https://www.youtube.com/watch?v=axuRb5UqhbE/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-04-01 09:05 | 泡沫アルバム | Comments(0)

368 愛しの泡沫アルバム(その32)

パイク・ブラザーズ

既述のジミー・グッドローのアルバム・デビュー(シリーズ25)でご紹介したバンジョー奏者のフレッド・パイクは、ロードアイランド州に生まれますが、まもなく一家は北に向かって移動します。

1ダースほどいる子供たちの中でフレッドは最年少でした。そのうち楽器を習得したのはわずか5人でしたが、フレッドは4年後にはすでにステージ・ショーやダンス会場で演奏をしていました。

兄弟のうちフレッドと兄のアールが1947年にファミリー・バンドを結成します。このバンドは1960年代半ばから1970年代初頭にかけてコネチカット州東部で演奏活動をしています。

バンドはフレッド(バンジョー、ギター、ドブロ)とアール(Earl、ギターとヴォーカル)、その妻のニータ(Nita、ヴォーカル)、デイヴ・パプーガ(Dave Papuga、ギター)、ジョン・ピエラ(John Piela、ベース、バンジョー)という編成で「パイク・ブラザーズとパイン・ヒル・ランチャーズ」(Pike Brothers & The Pine Hill Ranchers)と名乗ります。そしてグループにアールとニタの最年長の娘アレーヌ(Earlene)が加入してきました。

a0038167_08283734.jpgアレーヌは非常に才能のある歌手で、そのハスキーで少年のような歌声は独特で当時14歳にもかかわらず大人びて聴こえました。1968年になってバンドはレベル社よりアルバムをリリースします。

https://www.youtube.com/watch?v=qjjwPB70JIw/

フレッドとアールのオリジナルが3曲収録され、サポートにはマンドリンでA面2曲目、4曲目とB面2曲目にダン・リーノの息子ロニー、B面4曲目にジョン・ダフィーがそれぞれ参加しています。

a0038167_08311507.jpgこの後、バンドは「パイク・ファミリーとパイン・ヒル・ランチャーズ」と名を改めて1970年に2枚目のアルバム『温かくて快適』(To Warm And Comfort You)をリリースしました。

https://www.youtube.com/watch?v=15A_CCQUqn0/

しかし残念なことに、アレーヌが骨癌による合併症のため1972年8月11日に18歳という若さで亡くなってしまいました。

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-03-29 08:38 | 泡沫アルバム | Comments(0)

367 愛しの泡沫アルバム(その31)

ジム・イーンズ

ユダヤ人入植者として1923年にヴァージニア州マウンテン・バレーで生まれたジム・イーンズ(Homer Robert Eanes Jr.)は、ミュージシャンであった父に鍛えられギターを習得します。

17歳になってから父の参加するバンド「ロイ・ホールとブルー・リッジ・エンターテイナーズ」に加入しヴァージニア州ロアノークのラジオ局を中心に演奏活動をしていました。父の死後は「アンクル・ジョーとブルー・マウンテン・ボーイズ」に移籍し、さらに1948年からはビル・モンローのバンドに加わりフラット&スクラッグスと共に活動しています。

1949年には自身のバンド「シェナンドー・バレー・ボーイズ」(The Shenandoah Valley Boys)を結成し、2年後の1951年に彼はブルー・リッヂ社とリッチ・R・トーン社のそれぞれでシングル盤をリリースします。

その後デッカ社とのレコーディング契約をした際にバンドは音楽スタイルをブルーグラスからカントリー・ミュージックに変えました。イーンズはバンドを「微笑むジムと彼のボーイズ」(Smilin’ Jim and His Boys)と改名して1955年までデッカにてレコーディングを行っています。

その後、スターデイ社で発表した曲「ユア・オールド・スタンバイ」(Your Old Standby)が彼の代表曲となりました。また彼が書いた曲「恐れない」(In His Arms I’m Not Afraid)という心に触れる福音曲は多くの有名なミュージシャンによって録音されています。

1960年代になってイーンズはいくつかのラジオ局のDJとして働きます。そして1960年代後半には「レッド・スマイリーとブルーグラス・カッタプス」に加入しました。スマイリーが病気のため引退した時にはイーンズはそれを「シェナンドー・バレー・カルテット」と改名しバンドを引き継ぎます。このバンドは後に「シェナンドー・カッタプス」となります。

a0038167_08353209.jpgさてそんなイーンズのソロ・アルバムがスターデイ社に残されています。1967年に彼の最大のヒット曲をタイトルにリリースされたアルバム『ユア・オールド・スタンバイ』がそれでした。このアルバムにはスターデイ社所属のプレイヤーたちが彼をサポートしています。マンドリンにジョン・ダフィー、ギターにチャーリー・ウォラー、バンジョーにウォルター・ヘンズレイ、ドブロにラッセル・フーパー、そしてベースにエド・フェリスといった豪華かつ強力な布陣でした。

全10曲中イーンズのオリジナル曲がA面1曲目とB面2曲目の2曲、そしてA面2曲目「スペインの淑女」(Lady Of Spain)はかつてシェナンドー・ヴァレー・ボーイズ時代(1958年)にアレン・シェルトン、スコット・ストーンマンらによって演奏された曲でした。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=iPFF7hR1Ukg&t=3s/


by scoop8739 | 2019-03-27 08:37 | 泡沫アルバム | Comments(0)

366 愛しの泡沫アルバム(その30)

ダイナ叔母さんのキルティング・パーティー

カントリー・ジェントルメンの演奏で一躍有名になった曲「ダイナ叔母さんのキルティング・パーティー」(Aunt Dinah’s Quilting Party)をバンド名にしたのがアメリカ西海岸で生まれたニュー・グラス系のグループでした。

メンバーはフィドルのビル・カニンガム(Bill Cunningham)、バンジョーのロン・リグラン(Ron LeGrand)、マンドリンのラリー・ライス(Larry Rice)、ヴォーカルとギターのトム・クーヘル(Tom Kuehl)、ドブロのマイク・ルイス(Mike Lewis)とベースのメル・ドーハム(Mel Durham)からなる6人編成です。

彼らはこの時代の他のバンドと同じように、フラット&スクラッグスやグリーンブライア・ボーイズ、ハーツ&フラワーズの影響を受け、ブルーグラスとフォーク・ロックを組み合わせたようなサウンドを目指していました。バンドの情報が乏しくラリー・ライス以外のことは詳しくわかりませんが、南カリフォルニアのさまざまなクラブでライヴ活動を行っていたようです。

a0038167_08433313.jpg1968年に発表されたアルバム『1930年代を再演』(Replays The 1930's)は、A面1曲目から「私の青空」(My Blue Heaven)に始まり、ファッツ・ドミノの名唱でおなじみB面4曲目の「浮気はやめた」(Ain't Misbehaven')など1930年代によく歌われた往年のスランダード曲をブルーグラスにアレンジして歌われています。

A面3曲目の「誰かが僕の彼女を盗んだ」(Somebody Stole My Gal)はテッド・ウィームズ楽団によってよく知られた曲です。アレンジ違いでもっとわかりやすくは吉本新喜劇のテーマとなっている曲です。同7曲目の「今誰かが彼女にキスしているか心配だ」(I Wonder Who's Kissing Her Now)はペリー・コモの歌唱でも有名です。

このように古いジャズ風、あるいはジャグ・バンド風の曲のブルーグラス版といったところです。何しろブルーグラス調と思えば突然クラリネットが出てきたり、実に楽しげに演奏されます。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=FjFKmwg6gS0


by scoop8739 | 2019-03-25 08:54 | 泡沫アルバム | Comments(0)