カテゴリ:泡沫アルバム( 18 )

355 愛しの泡沫アルバム(その19)

ログ・キャビン・ボーイズ

エドワード・イーガー(Edward “Shorty” Eager)は1941年2月13日ペンシルベニア州モントラントンに生まれ、1980年にはジョージア州に移り独特のスタイルのバンジョー奏者として活躍しました。

彼は5歳で音楽を始め、ジミー・マーティンのバンドにはJ.D.クロウと入れ替わりで入団しています。また元グランド・オール・オープリーのスター、チャーリー・ベイリーや、テネシー・ボブとディキシー・ライナーズなど多くの著名なミュージシャンのバンドでも働いていました。

その後、彼は自らのバンド「ログ・キャビン・ボーイズ」(The Log Cabin Boys)を結成し毎週日曜日にショーを行っています。しかしバンドを解散してからはペンシルベニア州からノース・カロライナ州へと移り、何年もの間、重機の操縦者として働きながらマギー・バレーのテディ・サットンのオールド・カントリー・ストアで4年間演奏しました。

a0038167_12303281.jpgさて、彼の率いる「ログ・キャビン・ボーイズ」(The Log Cabin Boys)が1967年にルーラル・リズムからリリースしたのが『ブルーグラスの有名曲』(Bluegrass Favorites)というアルバムでした。アルバムは所謂ブルーグラス・スタンダードをたっぷり全20曲収録しています。

メンバーはバンジョーのエドワード・イーガー(Edward “Shorty” Eager)を筆頭に、ギターとヴォーカルのチャールズ・キング(Charles King)、セカンド・ギターにチャールズ・コナード(Charles Conard)、フィドルのビル・フィリップス(Bill Phillips)、ベースにジェイ・ヘイニー(Jay Haney)の5人編成となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=qgCwVYEFEWM&t=110s


by scoop8739 | 2019-02-15 12:31 | 泡沫アルバム

354 愛しの泡沫アルバム(その18)

「カッタプス」を名乗るバンドいろいろ

ブルーグラスのバンドで初めて「カッタプス」(Cut ups)を名乗ったのは誰だったのでしょうか?

「cut up」というのは「切り刻む」とか「切り込む」という意味があります。これは「ブルーグラス=青草」という言葉があるのを前提として名付けられているのだと思われます。

ずばり「Bluegrass Cut ups」を名乗ったのはダン・リーノと別れてバンドを組んだレッド・スマイリーでした。ご存知の通り、1952年にダンとレッドが初めて組んだバンド名が「テネシー・カッタプス」(The Tennessee Cut ups)。この時点ではダンもレッドもビル・モンローのバンドに遠慮してか、「ブルーグラス」を名乗らず暗にそれと思わせるように「Cut ups」だけを使ったようです。

ところが「ブルーグラス」がビル・モンローのバンド名だけではなく、一般的に音楽のジャンルとして確立された1960年代になると、レッドは堂々と「Bluegrass Cut ups」をバンド名としたのでした。

以来、「カッタプス」はブルーグラスのバンド名に良く使われるようになります。知っているところだけでも「カントリー・カッタプス」、「ケンタッキー・カッタプス」、「シェナンドー・カッタプス」、「ヴァージニア・カッタプス」といろいろあります。

「カントリー・カッタプス」名義では1956年に「クリフ・ウォルドロンとカントリー・カッタプス」が「インディアン・ママ」(Indian Mama)というロカビリーのシングル盤をリリースしています。これはどうも私たちの知るあの「クリフ・ウォルドロン」ではないようです。

a0038167_10583158.jpg次に登場するのが1966年に『日暮れのブルーグラス』(Bluegrass at Sunset)をリリースしたケンタッキー・カッタプス」でした。このバンドはバンジョーとヴォーカルのノラ・ホーラン(Noah Hollan)、フィドルのハーブ“ソニー”コリンズ(Herb 'Sonny' Collins)、そしてベースのメル・ホゥック(Mel Houck)で、ギターとマンドリンは不明の5人編成です。しかしながらバンドはこのアルバム限りで姿を消し「泡沫バンド」となっています。

https://www.youtube.com/watch?v=ODmr0ZKLdLA&t=383s

a0038167_10584336.jpg続く1967年に『カントリー・カッタプスは大学に行く』というアルバムで登場したのが、のちにバンジョーで名を成すエド・シェルトン(Ed Shelton)と、ギターのトラヴィス・ステュワート( Travis Stewart)、マンドリンのビリー・ポック(Billy Pogue)の3人組でした。エド以下はその後に名前が挙ってこないので、これもまた「泡沫バンド」となっています。

https://www.youtube.com/watch?v=4r1jS1jNYYM&t=60s

どの音源もYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-02-11 11:03 | 泡沫アルバム

353 愛しの泡沫アルバム(その17)

レイモンド・フェアチャイルド

ネイティヴ・インディアンの血を引くヴェンチャーズのノーキー・エドワーズと同様、ブルーグラス界のノーキーと謳われるレイモンド・フェアチャイルド(Raymond Fairchild)もまたノース・カロライナ州スワインでチェロキー・インディアンの家系に生まれました。

彼は少年の頃から母親から音楽を学んで育ち、ラジオ番組を聴くうちに最も大きな音楽的影響を受けたのがアール・スクラッグスとダン・リーノでした。

成長した後、石工として働きながら演奏活動を始めます。そのうち彼は世界で最も速いバンジョー弾きと言われるようになり、バンジョー選手権のチャンピオンを5回受賞するなど数多くの賞を獲得します。

a0038167_08312534.jpg1961年に22才でシムズ・レコード社から『アメリカの最も本物のフォーク・バンジョー』(America's Most Authentic Folk Banjo)というアルバムでデビューしました。

その2年後に1963年にルーラル・リズム社と契約し、『スモーキー・マウンテンのバンジョー奏者の王様』(King Of The Smokey Mountain Banjo Players)をリリースします。

a0038167_08313605.jpgそして1966年には『ママの好きなブルーグラス・ミュージック』(Mama Likes Blue Grass Music)というアルバムをリリースしています。

これはワンマン・アルバムですが、サポート・メンバーとしてリード・ギターとヴォーカルにモーガン・キャントレル(Morgan Cantrell)、リズム・ギターとヴォーカルにモーリス・ヘイグッド(Morris Haygood)、フィドルにハーディス・パターソン(Herdis Patterson)、ベースにデヴィッド・E・フォレスター(David E. Forrester)が参加しています。

このアルバムは全23曲もの大ブルーグラス名曲集となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=8WLECmgifDI&t=225s


by scoop8739 | 2019-02-07 08:33 | 泡沫アルバム

352 愛しの泡沫アルバム(その16)

ラリー・リチャードソン

ラリー・リチャードソンは1927年にオールド・タイムの聖地であるヴァージニア州ゲイラックスに生まれ、ブルーグラス音楽の初期の時代を象徴するオールド・スタイルのマウンテン・バンジョー奏者として育ちます。

彼は1949年に、ボビー・オズボーンと共にロンサム・パイン・フィドラーズをそれまでのオールド・タイム・バンドからブルーグラス・バンドに変え、1950年からの1年間はビル・モンローのバンドでバンジョー奏者として活躍しました。

また、1956年にフォークウェイズ社からリリースされた『アメリカン・バンジョー:スリー・フィンガーとスクラッグス・スタイル』(American Banjo: Three-Finger and Scruggs Style)には彼の演奏する「バッキング・ミュール」と「ロンサム・ロード・ブルース」の2曲が収録されています。

a0038167_08384339.jpgそんな彼がギター&ヴォーカルのレッド・バーカーと組んで1965年にカウンティ社からリリースしたのが『ブルー・リッジ・ブルーグラス』というアルバムでした。

メンバーはバンジョーのラリー、ギターとヴォーカルのレッドを中心に、バディ・クリスプ(ギターとヴォーカル)、ロニー・パーベット(マンドリン)、バディ・ペンドルトン(フィドル)の5人編成です。

このアルバムはトラディッショナルなブルーグラスを強調した12曲で構成され、とりわけA面1曲目「私を落として」(Let Me Fall)は好評価されました。ほかにも「ポールとサイラス」(Paul & Silas)、「心の痛み」(Pain In My Heart)、「悲しく寂しい日」(Sad & Lonesome Day)、「ブルーリッジ山脈を越えて」(My Home's Across The Blue Ridge Mountains)など、時代的にもどことなくカントリー・ジェントルメンのレパートリーを感じさせる内容となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=sQNpnbphkb8&t=300s


by scoop8739 | 2019-02-04 08:39 | 泡沫アルバム

351 愛しの泡沫アルバム(その15)

チャーリー・ムーアとビル・ネイピア

ブルーグラス・シンガーとしては恵まれた才能と充分なキャリアがあるのに、本邦ではレコードが発売されていないために全く知られていないという人が沢山います。ここに紹介するチャーリー・ムーアとビル・ネイピア(Charlie Moore & Bill Napier)もそんな人たちでした。

ムーアは1935年にサウス・キャロライナ州に生まれ、1958年にデキシー・パートナーズを結成し、バンジョーのボビー・トンプソンを加えてデモ・テープをスターデイ社に送ると、これが認められて最初のレコーディングを行います。

こうしてバンドの人気も上がり地元のラジオ曲で番組を持つようになりますが、バンジョーに欠員が出るとそこに参加したのがネイピアでした。

ネイピアは1935年ヴァージニア州の生まれで、1956年頃にクリンチ・マウンテン・ボーイズにマンドリンで加入し名曲「ディキシーの夜明け」(Daybrake In Dixie)の演奏で不動の名声を築きます。

1959年にムーアのバンドにネイピアが加わり、バンドはアメリカン・レーベルで2度のレコーディングをしますがそれは失敗に終わります。しかしフロリダに移った後にTV局のレギュラーの座を得て再び彼らの人気は上昇しました。

その後、何度かのメンバー・チャンジを繰り返しながらもムーア&ネイピアは1966年までにキング・レコードに9枚のレコードを残しています。

a0038167_09013779.jpg今回ご紹介のアルバムは、キングより1965年にリリースされた6枚目のアルバム『すべての寂しがり屋のトラック運転手へ』(Songs By Moore & Napier For All Lonesome Truck Drivers)です。

彼らの最大のヒット曲「トラック運転手の女王」(Truck Driver’s Queen)をB面1曲目に収録する他、全12曲のトラック運転手への歌が楽しめる内容となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=Te-6TvPcCf4&t=2s


by scoop8739 | 2019-02-01 09:03 | 泡沫アルバム

350 愛しの泡沫アルバム(その14)

アール・テイラーと彼のブルー・グラス・マウンテニアーズ

アール・テイラー(Earl Taylor)は1926年ヴァージニア州カンバーランドに生まれ、1953年頃からマンドリニストとしてブルーグラス界に身を置きました。そして1955年にはジミー・マーチンが作った「サニー・マウンテン・ボーイズ」に加入し、57年まで活動します。

a0038167_09055604.jpgその後、自身のバンド「ストーニー・マウンテン・ボーイズ」を結成。1959年にはアラン・ロウマックスの監修の下、ユナイテッド・アーティスト社から『ブルーグラスからのフォーク・ソング』(Folk Songs From The Bluegrass)というアルバムをリリースしています。

この時のメンバーは、アールのマンドリンとヴォーカル、バンジョーにウォルター・ヘンズレー(Walter Hensley)、ギターとヴォーカルのサム・ハッチンズ(Sam Hutchins)、フィドルのカーチス・コーディ(Curtis Cody)、ベースにヴァーノン・マッキンタイア(Vernon McIntyre)という5人編成でした。しかし、バンドはこのアルバム1枚残したきりで消息不明となります。

時が移り、アルバムはフォーク・リヴァイヴァルの波に乗り1964年に再発されます。しかしアールはその時すでに新しいバンドを結成していました。

a0038167_09062667.jpgこのアルバムで再び火がついたアールは、1964年に新しいメンバーによってキャピトルから『ブルーグラス・テイラー・メイド』(Bluegrass Taylor-Made)というアルバムをリリースします。アルバム・タイトルは、テイラー(Taylor)と仕立て屋(Tailor)をかけた何とも粋なネーミングでした。

メンバーはアールと旧知のウォルター・ヘンズレーに加えて、ギターとヴォーカルにジム・マッコール(Jim McCall)、フィドルにベテランのベニー・マーチン(Benny Martin)、ベースはたぶんロイ・ハスキー(Roy Huskey)かと思われます。

アルバムは全12曲で、今ではスタンダードと言える曲ばかりです。勢いの中にも涙のひと雫を感じさせるジムのリード・ヴォーカルに、アールの典型的なテナーが加わり、さらに5つの楽器が一体となってブルーグラスの伝統的な演奏スタイルが演じられます。

ところがこのアルバムの後、アールは一時バンドを解散し、再びジミー・マーチンのセッションに加わっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=HzIljN4OYHs&t=151s


by scoop8739 | 2019-01-29 09:07 | 泡沫アルバム

349 愛しの泡沫アルバム(その13)

ダイアンとグリーンブライア・ボーイズ

ダイアンはニューヨークに生まれロスで育ち、十代前半からテレビや映画の世界で活躍していていました。彼女は子ども頃からカントリー歌手のローズ・マドックス(Rose Maddox)のファンであることを公言するほどブルーグラスやカントリー音楽に親しみ、自身の音楽活動にも意欲的でした。

旧知の仲だった音楽プロデューサー、ジム・ディクソンの尽力で、当時ファースト・アルバムを発表後にアメリカ西海岸地域でプロモート・ツアーを行っていた「グリーンブライア・ボーイズ」(The Greenbriar Boys)の楽屋を訪ね、両者は初めて顔を合わせることとなりました。

お互いは数曲ジャムをした後に、その場の勢いでなんと一緒にステージに上がり2曲ほど歌を披露したそうです。

この共演がきっかけとなり、ダイアンとグリーンブライア・ボーイズの共演アルバム制作の企画が立ち上がり、レコーディングが実現します。

グリーンブライア・ボーイズは2年前にもジョーン・バエズと「私の友だち」(Pal Of Mine)という曲をレコーディングした経験もあり、ポップスへの接近を容認していたのでしょう。

a0038167_10375041.jpgこうして1963年に発表されたのが『ダイアンとグリーンブライア・ボーイズ』(Dian & The Greenbriar Boys)でした。

ダイアンはこのアルバムを発表の後は表立った音楽活動をしておらず、アルバム1枚残しただけでした。このようにタレントの気ままなノリで作られたアルバムだった訳ですが、グリーンブライア・ボーイズのファンにとってはありがたい1枚となりました。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=MPyZpDy39B0&t=15s

余談ですが、ダイアンの従兄弟は後にシンガー&ソングライターとして活躍するランディ・ニューマンだということです。


by scoop8739 | 2019-01-24 10:44 | 泡沫アルバム

348 愛しの泡沫アルバム(その12)

エリック・ワイズバーグとマーシャル・ブリックマン

エリック・ワイズバーグは1939年にニューヨーク市に生まれ、ジュリアード音楽院で学んだ経験を持つ音楽エリートです。

a0038167_08373394.jpg彼は1963年に、フォーク・グループ「タリアーズ」の元メンバーだったマーシャル・ブリックマンと組んでアルバムを発表します。それが『バンジョーとブルーグラスの新次元』(New Dimention In Banjo & Bluegrass)でした。

このアルバムにサポート・メンバーとして呼ばれたのが、前年に「ケンタッキー・カーネルズ」として初のアルバムを録音したばかり、当時19歳で新進気鋭ギタリストのクラレンス・ホワイトでした。

またフィドルにはセッション・マンとして活躍中のゴードン・テリーと、ベースにジミー・ボンドが参加しています。

エリックのバンジョー・スタイルは、ボストンからビル・モンローのバンドに参加したビル・キースや、ナシュヴィルのボビー・トンプソンらが開発しつつあったメロディック・スタイルであり、アール・スクラッグスの完璧なまでの従来の奏法を、さらに乗り越えようとするチャレンジャーぶりみせています。

どちらかと言うと、ハードにドライヴするというより、丹念に計算されたメロディ・ラインを重視しているように思われます。この点において彼のユニークな行き方が窺えます。

アルバムのタイトルである「新次元」をさらに押し進めたのが、1973年にリリースした『映画「脱出」オリジナル・サウンド・トラッ盤』でした。こちらは映画のヒットもあり「泡沫」とならずに今でも語り継がれる「名盤」となっています。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。
https://www.youtube.com/watch?v=1Rf7Lo-4kt4&t=3s

なお参考までに、マーシャル・ブリックマンはジョン・フィリップスと共に「ママス&パパス」を結成する直前までの「ニュー・ジャーニーメン」で活動していましたが、その後は脚本家となり、ウッディ・アレンが監督・主演を務めた映画『アニー・ホール』の脚本で1977年のアカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞しています。最近の有名な映画としては『ジャージー・ボーイズ』で脚本を手がけました。

by scoop8739 | 2019-01-21 08:40 | 泡沫アルバム

347 愛しの泡沫アルバム(その11)

ロジャー・スプラング

ロジャー・スプラング(Roger Sprung)というバンジョー奏者がいます。1930年8月ニューヨークに生まれ、7歳の時にピアニストを演奏し始め、10歳の頃にはすでに耳で曲をマスターできるようになったといいます。さらにブルーグラスとは直接の関わりを持たずにスクラッグス・スタイルを習得したという特異な人です。

1947年に彼の兄がニューヨークのワシントン・スクエアで聴いたというフォーク・ミュージックに関心を持つと、まず初めにギターを弾き出し、すぐにバンジョーに興味を持ってアール・スクラッグスの演奏をレコードで聴き、誰に教えを乞うことなく演奏できるようになりました。

彼は1953年にフォーク・リヴァイヴァルの到来を先取って、エリック・ダーリン(Erik Darling)とボブ・キャリー(Bob Carey)を誘ってフォークセイ・トリオ(Folksay Trio)を結成しアルバムを残しています。

このトリオで歌った「トム・ドゥリー」は後にキングストン・トリオによって大ヒットします。その後、エリックとボブは(アラン・アーキン(Alan Arkin)を加えてフォーク・バンド「タリアーズ」(The Tarriers)を結成しています。

一方ロジャーは、1957年にライオネル・キルバーグ(Lionel Kilberg)とマイク・コーヘン(Mike Cohen)と共にブルーグラス風のバンド「シャンティ・ボーイズ」(The Shanty Boys)を結成します。このバンドは1958年にエレクトラ社から1枚のアルバムをリリースしています。

収録されているのは都会人には珍しいスタンレー・ブラザーズやビル・モンロー作品あたりで、1958年というとフォーク・リヴァイヴァルがまさに始動しようとしていた時代だけに、そんな頃に早くもブルーグラス音楽を都会に持ち込んだ功績は大きいものでした。

a0038167_08285946.jpg1963年に彼は豊富な音楽経験から脱トラディッショナルなブルーグラスを創造します。フォークウェイズ社からリリースされたのがアルバム『プログレッシヴ・ブルーグラスの1つと違ったインスト曲』(Progressive Bluegrass 1 And Other Instrumentals)というアルバムでした。
ロジャーのバンジョーに加え、ギターにドク・ワトソン("Doc" Watson)、リズム・ギターにジョー・ロッカー(Joe Locker)マンドリンにウィリー・ロッカー(Willie Locker)、ドラムにボブ・トーマス(Bob Thomas)、ベースにオリーフィリップス(Ollie Phillips)という布陣です。

全12曲の中にはアメリカ合衆国国歌「星条旗よ永遠なれ」(Stars And Stripes Forever)や、カントリー・ジェントルメンのアレンジでお馴染みの「世界は日の出を待っている」(The World Is Waiting For Sunrise)、「匕首マック」(Mack The Knife)、「マラゲーニャ」(Malaquena)、「グリーンスリーヴス」(Greensleeves)といったスタンダード曲を独自の演奏スタイルで聴かせてくれます。

https://www.youtube.com/watch?v=D8khUJ6ZozA

https://www.youtube.com/watch?v=7kN77ECZrdY

https://www.youtube.com/watch?v=i7RfTnh8to4

https://www.youtube.com/watch?v=8Q6sorWvnaw

https://www.youtube.com/watch?v=Wypv_mrCyZo

ロジャー・スプラングのブルーグラスに対するプログレッシヴなアプローチは、時代を超えて現われるトニー・トリシュカ、ベラ・フレックなどに受け継がれたようです。
by scoop8739 | 2019-01-17 08:33 | 泡沫アルバム

345 愛しの泡沫アルバム(その9)

ステュ・ラムゼイ

少しばかり前の時代、エレキ小僧たちが自宅に録音機材を持ち込んで一人で全ての楽器を演奏し、それをオーバー・ダビングする「一人多重録音」というものが流行っていました。通称「宅録」と言われ、我が国でこの「宅録」の元祖というのが加山雄三さんでした。

加山さんは高校時代に、父で映画俳優の上原謙が買ってきた大きなワイヤー・レコーダーやテープ・レコーダーで録音と再生を繰り返して多重録音をして遊んでいたそうです。

1962年の映画「日本一の若大将」の宣伝用に、サン出版でフォノシートとしてリリースされた「ブルー・スウェード・シューズ」や「グリーン・フイールズ」等の楽曲で、これらの一部が加山さん一人による多重録音で制作されていました。

この「一人多重録音」という作業は、本場アメリカのエレキ少年たちの間では盛んに行われていたようです。もちろん一人で複数の楽器を演奏できるという才能が必要ですが。

1960年初頭にシカゴのヨーク・コミュニイ高校を卒業し、有名なオールド・タウン・スクール・オブ・フォーク・ミュージックでオールド・タイムを学んだステュ・ラムゼイ(Stu Ramsay)はオーバー・ダビングの手法を使い、たった一人でブルーグラス・バンドを演じています。

a0038167_08422116.jpgバンジョーにドブロにギターにハーモニカを、その若い情熱で取っかえ引っかえ演奏し、そうして録音されたアルバムは、当時の都会の若者たちがフォーク・リヴァイヴァルという熱風の中でブルーグラスに夢中になっていった様子がひしひしと伝わってきます。

このアルバムは1963年にリリースされ、「トレイン45」、「クリプル・クリーク」、「ディキシーの夜明け」などのブルーグラス・スタンダードに加え、フォーク、ブルース、ラグタイム、そしてオリジナル曲で構成されています。

ステュはこのアルバムから6年後に、ブルース・ハープ奏者シカゴ・スリムと共にブルースのアルバムをリリースしています。ここでのステュはみごとに転身しブルース・ギターとヴォーカルを披露しています。

https://www.youtube.com/watch?v=Ny3HqSNsFR8/
by scoop8739 | 2019-01-10 08:43 | 泡沫アルバム