カテゴリ:ディラン・ソングス( 8 )

336 ブルーグラスの中のディラン(その8)

アルバムの中のディラン・ソング(3)

a0038167_08455487.jpgボブ・ディランのブルーグラス・バージョンの極めつけは、ティム・オブライエンが1996年にリリースした『レッド・オン・ブロンド』(Red On Blonde)でしょう。

これはアルバムまるごとディラン・ソング集となっています。このアルバムに収録されている曲は全13曲あり、かいつまんで書いてみます。

まずはディランが1963年にリリースした2枚目のアルバム『フリーホィーリン』から「戦争の親玉」(Master Of War)と「オックスフォード・タウン」(Oxford Town)の2曲です。

さらに、1965年にリリースした5枚目の『ハイウェイ61の再訪問』(Highway 61 Revisited)から「墓石のブルース」(Tombstone Blues)や、同1965年にリリースした6枚目の『みんな家に帰す』(Bringing It All Back Home)から「地下のホームシック・ブルース」(Subterranean Homesick Blues)と「マギーの農場」(Maggie’s Farm)の2曲も収録されています。

1967年リリースのディラン初のカントリー・ロックのアルバム『ジョン・ウェズレー・ハーディング』(John Wesley Harding)からは「邪悪な伝達人」(The Wicked Messenger)が収録されています。

1970年リリースの10枚目の『新しい朝』(New Morning)からは「父の夜」(Father Of Night)や、1974年リリースの15枚目の『惑星波』(Planet Waves)からは「いつまでも若く」(Forever Young)なんかも収録されています。

1978年リリースの『ストリート・リーガル』(Street-Legal)からは「セニョール」(Sênor "Tales Of Yankee Power")、翌1979年の『ゆっくり列車がやって来た』(Slow Train Coming)から「人間はすべての動物の名付け親」(Man Gave Names To All The Animals)や、1985年に発売されたボックスセットにのみ収録されていた(ただし1964年にレコーディングしていた)曲「疲れた曲を眠らせる」(Lay Down Your Weary Song)も収録されています。

一番新しいアルバムとしては、1989年リリースの『オー・マーシー』(Oh Mercy)から「みんな壊れている」(Everything Is Broken)が収録されています。

以上、知っている限りを書いてみましたが、アルバムを通して聴く限り、ティム・オブライエンの“ディラン愛“がひしひしと伝わってまいります。
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by scoop8739 | 2018-11-28 08:49 | ディラン・ソングス

335 ブルーグラスの中のディラン(その7)

アルバムの中のディラン・ソング(2)

a0038167_15455572.jpgオリジナル・メンバーがすっかりいなくなったセルダム・シーンですが、2000年発表のアルバム『シーンのすべて』(Scene It All)では、9曲目に「スペイン製レザーのブーツ」(Boots Of Spanish Leather)を収録しています。この頃はバンジョーのベン・エルドリッヂ以外のオリジナル・メンバーはもう誰も残ってはいません。
この曲はディランが1964年のアルバム『時代は変わる』(The Times They Are A'Changin')に収録していた曲で、海を渡って離れた2人の恋人の話として、彼の初期の作品の中でも最も愛されているバラードの1つです。

a0038167_15460907.jpg1999年にCDデビューしたグラス・キャッツは、2014年に発表した7枚目のアルバム『マウンテン・マイ・ベイビー・アンド・ミー』(The Mountains My Baby And Me)ですが、その5曲目に「風に吹かれて」(Blowin’ In The Wind)が収録されています。この曲ではリード・ヴォーカルをマンドリンのラッセル・ジョンソンがとり、コーラス部でベースのティム・ウッダールのリードに変わり、ラッセルはテナーとなります。この曲もYoutubeでご覧になれます。

a0038167_15480836.jpg今や飛ぶ鳥を落とす勢いのクリス・シーリが在籍していたバンド、ニッケル・クリークも2005年発表のアルバム『なぜ火は死ぬべきか?』(Why Should The Fire Die?)6曲目に「明日は長時間」(Tomorrow Is A Long Time)を収録しています。

この曲はディランが1963年にニューヨーク市タウン・ホールで演奏したものを1971年に発表したアルバム『グレーテスト・ヒッツ』で初出しています。ちなみにこの曲は、エルヴィス・プレスリーが1966年5月26日にアルバム『なんて偉大な芸術なんだ』(How Great Thou Art)のセッションでも録音していました。
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by scoop8739 | 2018-11-22 15:50 | ディラン・ソングス

334 ブルーグラスの中のディラン(その6)

アルバムの中のディラン・ソング(1)

a0038167_09332193.jpgJ.D.クロウ&ニュー・サウスが来日した折にレコーディングされた1976年発表のアルバム『ホリデイ・イン・ジャパン』のA面6曲目に収録されているのが、ディランがナシュヴィルで録音したカントリー・ロック・アルバムからの1曲で、以来ブルーグラスの中ではよく知られたインスト曲「ナシュヴィル・スカイライン・ラグ」でした。この曲はアール・スクラッグス・レビューのレパートリーとなってポピュラーなものとなっています。

a0038167_09333172.jpgまたニュー・サウスのメンバーだったトニー・ライスといえば、ゴードン・ライトフットの曲ばかり演っていると思われがちですが、意外やディラン・ソングも歌っています。彼が1983年に発表したアルバム『教会通りのブルース』(Church Street Blues)のA面4曲目に収録されているのがディラン作の「もう一夜」(One More Night)です。

a0038167_09334003.jpg続く翌1984年発表のアルバム『肩が冷たい』(Cold On The Shoulder)のA面4曲目には、かつてヒルメンも演奏していた「あなたをうまく運ぶ」(Faretheewell)が収録されています。

a0038167_09335247.jpgまだまだ続きます。1986年に発表したアルバム『私とギター』(Me And My Guitar)のB面5曲目に「あなたのような恋人」(Sweetheart Like You)を収録していますし、1993年に発表のアルバム『演奏し歌っているブルーグラス』(Plays And Sings Bluegrass)では11曲目に「北国から来た少女」(Girl From North Country)を収録しています。

a0038167_09345691.jpg「北国から来た少女」が出たついでと言っちゃあ何ですが、サム・ブッシュが2000年に発表したライヴ・アルバム『アイス・キャップ/テルライドの峰』( Ice Caps : Peaks Of Telluride)の2曲目にこのディラン・ソングが収録されています。サムはいつものようにブルーグラスというよりかはロック風のヴォーカルでグイグイと迫ってきます。ジェリー・ダグラスがドブロで好サポートしています。この曲はYoutubeで、2014年IBMA 2014年大会の演奏を見ることができます。
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by scoop8739 | 2018-11-19 09:45 | ディラン・ソングス

333 ブルーグラスの中のディラン(その5)

フラット&スクラッグスの中のディラン(2)

ルイーズ・スクラッグスの企みは上手く当たり、フラット&スクラッグスのアルバムは商業的にも成功したと言えます。しかしバンド・サウンドの変化は同時にメンバー間の不和を生むことになりました。

ナシュヴィル・サウンドが前面に押し出され、フィドルの必要性がなくなり、フラットの歌にも精彩が欠けてきます。

フラット自身はそのことを公然と批判することはありませんでしたが、バンドが分裂した後の1971年にフォーク&ブルーグラス・ジャーナル誌のインタビューでは「私の好むと好まざるとに関わらず、プロデューサーは勝手に選曲し、ディランの曲を押し付けてきた」と述べています。後年、フラットは特にアルバム『ナシュヴィル・エアプレイン』のカヴァー曲を嫌っていたと言われています。

a0038167_14050724.jpgそしてとうとうバンドは終焉を迎えます。彼らの最後のアルバム『最後の攻撃』(Final Fling)では全11曲中7曲ものディラン曲が演奏されています。フラットにとっては諦めと歌い納めの感情が入り混ざっていたことだったでしょう。

A面1曲目に「ハニー、もう一度チャンスをおくれ」(Honey, Just Allow Me One More Chance)、2曲目はインストで「ナシュヴィル・スカイライン・ラグ」(Nashville Skyline Rag)、6曲目に「マギーの農園」(Maggie’s Farm)。B面1曲目は「手配人」(Wanted Man)、3曲目に「もう一夜」(One More Night)、4曲目「北国から来た少女」(Girl From The North Country)、そして5曲目に「もうひとつ多めの朝」(One Too Many Mornings)の全7曲です。

a0038167_14091690.jpgバンドが分裂後の1970年にはアール・スクラッグスがソロ第1弾アルバムを発表します。それが『ナシュヴィル・ロック』(Nashville’s Rock)というアルバムで、この中にはビートルズやローリング・ストーンズの曲に混ざりディランの曲が1曲収録されています。ここでもインスト曲の『ナシュヴィル・スカイライン・ラグ』が演奏されています。

a0038167_14072968.jpgさらにフィドルのヴァッサー・クレメンツや2人の息子たちと組んだ新しいバンド「アール・スクラッグス・レビュー」が1972年に発表したアルバム『カンサス州ライヴ』(Live At Kansas State)のA面5曲目「行く手に希望が」(Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine))とB面3曲目の「行くあてもなく」(You Ain't Going Nowhere)がディラン曲でした。

「行くあてもなく」は、1968年にバーズがカントリーとロックを融合させる新しい試みとして発表したアルバム『ロデオの恋人』(Sweetheart Of The Rodeo)に収録され、たちまちカントリー・ロックやブルーグラスの間で広がったディランの名曲の一つです。この曲は1970年にブルーグラス・アライアンスが発表したアルバム『ニュー・グラス』のB面4曲目にも収録されていました。また1971年にはクリフ・ウォルドロンがアルバム『旅の灯り』(Travelling Light)に収録していて、ニューグラスの定番曲となりました。
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by scoop8739 | 2018-11-15 14:11 | ディラン・ソングス

332 ブルーグラスの中のディラン(その4)

フラット&スクラッグスの中のディラン(1)

1955年以来、フラット&スクラッグスの敏腕マネージャーだったスクラッグスの妻ルイーズは、夫アールを1959年ニューポート・フォーク・フェスティバルで演奏できるように売り込み、それを成功させ、「フォーク・リヴァイヴァル」でのブルーグラスの地位向上に貢献します。

a0038167_09340306.jpgリヴァイヴァル・ブームの風を強く感じた彼女は、アルバム『有名なカーター・ファミリーの歌』(Songs of the Famous Carter Family)や『私たちの国の民謡(Folk Songs Of Our Land)などを手がけてバンドを異ジャンルまで広く宣伝しました。

ところが1960年代半ばになり、ビートルズを始めとする英国ロックの侵攻によってブルーグラスへの風向きが悪くなるのを察すると、彼女はコロンビア・レコードのプロデューサー、ボブ・ジョンストンの意見を取り入れて、フォギー・マウンテン・ボーイズにリズム・ギターを増やし、ドラムを入れたりしてヘビーなサウンドに変えていきます。

そこでレパートリーに取り入れたのがディランの曲でした。そして時代に応じた題材を前面に打ち出し、積極的にバンドを変化させました。

彼らがディラン曲を初めてレコーディングしたのは1966年5月16日のことです。それはシングル盤でディランの「母よ、私の心の中に」(Mama,You’ve On My Mind)でした。この曲ではナシュヴィルのスタジオ・ミュージシャン、チャーリー・マッコイのブルース・ハープが使われています。(ご参考までに、動画がTV番組「じゃじゃ馬億万長者」シーズン5 の14話に収録されています)

a0038167_09342225.jpg彼らのバンド・サウンドが大きく変化するのは1968年発表のアルバム『変わる時』(Changin’ Time)からでした。このアルバムには全11曲中5曲のディラン曲がすべてA面に収録されています。
1曲目「洪水の中で」(Down In The Flood)、2曲目「ミスター・タンブリン・マン」(Mr. Tambourine Man)、3曲目「くよくよするなよ」(Don't Think Twice, It's All Right)、5曲「風に吹かれて」(Blowin' In The Wind)、6曲目「それは僕じゃないよ」(It Ain't Me Baby)に加え、4曲目にはフォーク・ソングの定番曲。ピート・シーガー作「花はどこへ行った」(Where Have All The Flowers Gone)も収録されています。

a0038167_09341278.jpg同じく1968年には、アルバム『ナシュヴィル・エアプレイン』(Nashville Airplane)がリリースされます。この中にもA面1曲目に「転がる石のように」(Like A Rolling Stone)、同6曲目に「今夜僕は君のもの」(I'll Be Your Baby Tonight)、そしてB面1曲目に「雨の日の女」(Rainey Day Woman #12&35)、同4曲目に「時代は変わる」(The Times They Are A-Changin')と、全11曲中4曲収録されました。
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by scoop8739 | 2018-11-12 09:38 | ディラン・ソングス

331 ブルーグラスの中のディラン(その3)

カントリー・ジェントルメンの中のディラン(2)

前レコーディングから7ヶ月後の1966年6月15日、16日の2日間、カントリー・ジェントルメンは再びメリーランド州バルチモアにある「レコーディングス・Inc」にて、レベル社のためのレコーディングを行っています。

そこで彼らはディラン曲の「ベイビー・ブルー」(It’s All Over Now, Baby Blue)をレコーディングしました。この曲はフォーク・ソングの神様と呼ばれるようになったディランが、1965年1月15日にニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオで録音した名曲です。

曲の由来についてディラン本人はこう語っています。「この曲を書いたときのことは覚えている。ジーン・ヴィンセントの歌を思い出していたんだ。ずっと好きだった曲の一つだ。高校生のときよく歌ったよ。もちろんあとで僕は別のベイビー・ブルーについて歌ったわけだけど」と。ジェントルメンのヴァージョンではジョンが切々と歌い上げています。

a0038167_08373062.jpgこの曲は、「スパニッシュ・トゥー・ステップ」とのカップリングで1967年1月にレベル社よりシングル発売されました。さらに1968年4月に発売されたアルバム『旅する人』(The Traveler)にも収録されています。
このアルバムの背景には当時の「フォーク・ブーム」というものがありました。ブームは彼らにも多くの仕事を与えてくれました。しかしそんなブームを嫌っていたのがメンバーのチャーリー・ウォーラーでした。彼は生粋のブルーグラッサーであり、伝統的なブルーグラス音楽を愛していたからです。

a0038167_08394394.jpg翌年の1969年3月16日に録音したアルバム『そのようにやりなさい』(Play It Like It Is)のA面1曲目に「彼は友だちだった」(He was A Friend Of Mine)を収録しています。この曲はディランのオリジナルではありませんが、彼のブートレグ集に収録されているアメリカの古いフォーク・ソングでした。
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by scoop8739 | 2018-11-08 08:40 | ディラン・ソングス

330 ブルーグラスの中のディラン(その2)

カントリー・ジェントルメンの中のディラン(1)

カントリー・ジェントルメンがディランの曲を演奏していることはファンのみならず有名な話です。それはリーダーであったジョン・ダフィーの好みと言う以外に理由はありません。

a0038167_08371709.jpegダフィーがディランを意識して作った曲がアルバム『ナシュヴィルの監獄』の6曲目に収録されている「冷たい風が吹く」(A Cold Wind A Blowin’)でした。この曲はディランの「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)を意識した内容で、曲調はブルーグラスなのですが政治的ニュアンスのプロテスト・ソングです。また別テイクとして、1966年にリリースされたアルバム『不思議な少女』(Bringing Mary Home)にも収録されています。

このアルバムは1965年2月23、24、25日の3日間に亘って、ニューヨーク州シラキュースにある同大学内の「レコーディング研究所」(The Recording Lab)に於いてレコーディングされたものです。

a0038167_08414850.jpgそのアルバムのB面2曲目にジェントルメンとしては初めてディラン作品を収録しています。それが「北国の少女」(Girl From The North Country )でした。この曲はディランの2枚目のアルバム『フリーホイーリン』(Freewheelin')に収録されており、ディランが北国からやって来た少女との過ぎし日の恋を偲んで作った歌と言われています。原曲自体がカントリー風であり、ジェントルメンは自らのスタイルにアレンジして演奏しています。

a0038167_08435933.jpg続いてジェントルメンがディラン曲に取り組んだのが同1965年11月15日のことでした。このレコーディングは、翌1966年6月に『フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル』と題されて日本でのみキング・レコードから発売されました。

アルバムのA面1曲に有名曲「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)が収録されています。この曲は1962年4月にディランがグリニッジ・ヴィレッジの有名なコーヒー・ハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」という店で、友人たちと長時間に亘って黒人の公民権運動について討論した果てに数分で書き上げたと言われています。

またこの曲は1963年夏にピーター・ポール&マリーがカヴァーして世界的大ヒットとなっています。ジェントルメンはブルーグラスのテイストを残しつつも、フォーク・スタイルのコーラスで歌い上げています。
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by scoop8739 | 2018-11-05 08:46 | ディラン・ソングス

329 ブルーグラスの中のディラン(その1)

ディラン曲のカヴァー

a0038167_09514611.jpgボブ・ディランがレコード・デビューした1962年から近年までに亘ってカントリーやブルーグラスのスタイルで演奏された彼の楽曲のカヴァーは100以上あると言われています。その内の約70%はディランが1960年代に作った曲でした。これらの曲をカヴァーしたアーティストたちはディランの音楽を親しみ込めた演奏で、より多くの観客に向け、新たなスタイルとして提示しました。

それは1960年代に、ディランの音楽で生まれたより大きな商業世界から新しい観客を引き込んだばかりでなく、伝統的なカントリーやブルーグラスの聴衆の嗜好をも拡大させることとなりました。1964年7月27日、28日の両日に亘って、いち早くカントリー畑からジョニー・キャッシュがコロンビアにおいてディラン作「Mama, You’ve Been My Mind」を録音しています。キャッシュとディランはこの月に開催されたニューポート・フォーク・フェスティバルで初めて出会い、キャシュはその時、ディランの2枚目のアルバム『フリーホイーリン』(Freewheelin’)に魅了されたそうです。驚くことにキャシュがディランの歌に関心を持ったのはバーズに半年先行していたのです。

バーズは1964年に結成され、翌年1月20日にコロムビアでディラン作「ミスター・タンブリン・マン」をレコーディングし、同年4月12日にデビューします。既にご存知の通り、この曲は発売から2カ月後の6月26日にビルボードの全米チャートで1位を記録し、さらにその1カ月後にはイギリスのチャートでも1位に輝きました。

ところで、ブルーグラス・シーンにおいて初めてディランの曲を演奏し録音したグループは誰だったのでしょう。記憶と記憶が正しければ、それはディラーズではなかったでしょうか?

ディラーズは1964年リリースの2枚目のアルバム『ライヴ…ほぼ』(Live!…Almost)の中でB面2曲目に「ウォーキン・ダウン・ザ・ライン」(Walkin' Down The Line)を収録しています。この曲はディランが1962年に書いたもので、それまでに彼のどのアルバムにも収録されてはいませんでした。とは言えフォーク・ソング雑誌「ブロードサイド」に譜面が掲載され、1963年にディラン自らがデモ用に録音してはいたものの、1991年までは正式にリリースはされてはいなかったのです。

ところが、ディラーズのマネージャーであったジム・ディクソンがメンバーにこの曲を演奏して聴かせ覚えさせたのでした。つまり、ディクソンは自分好みの曲を選曲しレコーディングさせたということです。

ディクソンはこの後、バーズのマネージャーも務めることとなり、同じように彼好みの曲をバーズに演奏させ、レコーディングさせることで「ミスター・タンブリン・マン」の大ヒットに繋がったのではないかと考えられます。

それが証拠に、1969年にジム・ディクソンがプロデューサーとして関わったヒルメンのデビュー・アルバムには、A面4曲目「あなたをうまく運ぶ」(Faretheewell)、B面1曲目「船が来るとき」(When The Ship Comes In)とディランの曲が選択されているからなのでした。
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by scoop8739 | 2018-11-01 09:54 | ディラン・ソングス