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385 愛しの泡沫アルバム(その49)

レッド・エリスとジミー・ウィリアムズ

アーカンソー州で生まれ育ったレッド・エリス(Red Ellis)は17歳でギターを弾き始めます。21歳で兵役に就いた後はラジオやテレビのエンジニアになるために学校で学び、ミシガン州アナーバーのラジオ局でカントリー・ゴスペル専門のDJを勤め始めました。この間に自ら歌い演奏するためヒューロン・ヴァレー・ボーイズ(The Huron Valley Boys)を結成しています(シリーズ5に既述)。

1958年秋のある日曜日の朝、レッドがラジオ番組でスタンレー・ブラザーズのレコードを流していた時に電話を受けました。その相手はジミー・ウィリアムズと名乗ります。ジミーはその当時、デトロイトに住んでいてキャデラックの工場で働いていたのです。

ジミー・ウィリアムズ(Big Jim Williams)は13歳からプロとしてマンドリンの演奏を始めます。マック・ワイズマンらとノース・カロライナ州エアリーや、ヴァージニア州リッチモンドの「旧領地の納屋ダンス・パーティー」(Old Dominion Barn Dance)に出演するなど約5年間ほど共に演奏活動をしていました。

その後、スタンリー・ブラザーズとクリンチ・マウンテン・ボーイズのオリジナル・メンバーとして約6年間ほど演奏活動したり、「ロンサム・パイン・フィドラーズ」でも演奏をしています。

ジミーはレッドに一緒にアルバムを作ろうと働きかけます。一方レッドは突然の申込みに戸惑いますが、実際にジミーと会って彼の歌と演奏を聴くにつれて構えていた心が絆され一緒にアルバムを作ることを決断します。

a0038167_08443405.jpg1958年の暮までに2人はそれぞれに曲を作り、1961年までの間にスターデイ社で32曲ものセイクレッド曲を録音しました。これらのうち13曲がEPフォーマットでリリースされ、それから1961年後半にアルバムとしてリリースされます。それが『丘からの聖なる叫び』(Holy Cry From The Hills)でした。

このアルバムの1曲目にはフラット&スクラッグスも取り上げて有名となった曲「私どこで羊を護るの」(Where Will I Shelter My Sheep)をオリジナルのエイコーン姉妹が歌っているもので収録されています。他の15曲はレッドとジミーによる歌と演奏でした。

a0038167_08375244.pngそれから9年後の1971年、ミシガン州ジャクソンにあるジェサップ・レコード(Jessup Records)のアーティスト兼社長トミー・クランクは再び彼らのアルバムをレコーディングするためにレッドとジミー・ウィリアムズを再会させます。こうしてリリースされたのが『神が一緒にブルーグラスを連れ戻す』(God Brings Bluegrass Back Together)というアルバムでした。

https://www.youtube.com/watch?v=AgngbYs2yJw/

アルバムに収録された12曲のうち8曲をジミーが作り、1曲をレッドが作っています。レッドのギターとヴォーカル、ジミーのマンドリンとヴォーカルに加え、バンジョーにジョージ・ウッディー(George Woody)、フィドルにジェイムズ・ブライアント(James Bryant)、ベースにヴァージル・ショウス(Virgil Shouse)というメンバーでした。


a0038167_08373306.jpgちなみに6年後の1977年になって、このアルバムの続編となる『デヴィッド少年のハープ』(Little David's Harp)がリリースされています。このジャケットには前作で使われていた写真が再使用されています。撮影の機会がなかったのか、安く上げるためなのかは不明ですが…?

https://www.youtube.com/watch?v=9PkzHscUxRk/

それぞれの音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。


by scoop8739 | 2019-05-27 08:49 | 泡沫アルバム探訪 | Comments(0)
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