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358 愛しの泡沫アルバム(その22)

クーン・クリーク・ガールズ

カントリー・ミュージック界でハーモニカ奏者、作曲家、そして有能なプロモーターだったのがジョン・レアでした。彼の作った歌は約500以上もあり、そのうちの1つ「貨物列車のブルース」(Freight Train Blues)はハンク・ウィリアムスを始め、ロイ・エイカフ、ドク・ワトソン、ボブ・ディランによって歌われ続けています。

そんな彼が1937年にオハイオ州で「レンフロ渓谷音楽センター」(Renfro Valley Barn Dance)を設立します。この団体は何年もの間、彼自身のバンドやホーマーとジェスロ(Homer&Jethro)、その他多くののアーティストたちをプロモートし、また何千人もの地域住民に伝統的な音楽を聴かせるためにこの小さな谷に集めました。その結果、ライアは独創的なプロモーターとしての評判を得て、オハイオ州とケンタッキー州の音楽シーンに大きな影響を与えます。

レアのプロモーションでの成功はテレビの世界にも広がりました。1950年代半ばに彼はCBSのTVショーを主催し、そして1960年代には「ジョン・レアのレンフロ渓谷の納屋のダンス」(John Lair’s Renfro Valley Barndance)と題した映画まで製作されました。

彼はショーのために女性のクローハンマー・スタイルのバンジョー奏者リリー・メイ・レドフォード(Lily May Ledford)と彼女のバンドをスカウトします。

バンドは妹ロージー(ギター)、エスター・ヴァイオレット・ケーラー(マンドリン)、イヴリン・デイジー・ランゲ(ベース)の4人編成で、メンバーすべてが女性という珍しいものでした。

彼女たちは1930年代にその活動を始めていて、1940年代から1950年代にかけては地域のラジオ番組で名声を得ていました。

ジョン・レアは彼女たちに「クーン・クリーク・ガールズ」(The Coon Creek Girls)といういささか古めいたバンド名を付けます。

ステージでリリー・メイは白、ロージーはピンク、エスターはバイオレット、そしてイヴリンは金と白の、すべてレースとリボンでトリミングされた美しいドレスで登場し伝統的なストリング・バンド・スタイルの音楽を演奏しました。しかし1939年にエスターとイヴリンがバンドを去り、レドフォードの末妹スージーが加入しています。

358 愛しの泡沫アルバム(その22) _a0038167_09170375.jpgこのバンドは1968年になってニューポート・フォーク・フェスティバルに出演すると瞬く間に名声を獲得し、カウンティ社からアルバム・デビューをしました。このアルバムがリリースされたのも1968年のことでした。メンバーはレドフォード3姉妹だけです。

音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。

https://www.youtube.com/watch?v=YABQQXFohC4&t=123s/


by scoop8739 | 2019-02-26 09:19 | 泡沫アルバム
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