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321 「ニューグラス」への道(その38)

フェスティバルの新しい試み

「ウッドストック・フェスティバル」はどちらかというと政治的な背景を持っていましたが、ブルーグラスのそれは政治的目的というより、演奏者、およびプロモーターの経済的目的を達成させることと、また新しい入場者のブルーグラス音楽への好奇心を満たすことにあります。

1969年秋、メリーランド州キャラウェイで行われた「第1回メリーランド・インディアン・サマー・ブルーグラス・フェスティバル」ではケンタッキー州ルイヴィルからやって来たブルーグラス・アライアンスやワシントンD.C.から駆けつけたエマーソン&ウォルドロンのバンドが人気を集めます。彼らはそれまでのブルーグラスとはひと味もふた味も違っていました。

1970年代に入るとフェスティバルは以前よりも増え、そのせいで各フェスティバルではビッグネーム・バンドが揃っての出演が少なくなっていきます。逆に多くのフェスティバルではローカル・バンドをフィーチャーし、ときに一つや二つのビッグネーム・バンドを入れて成功するケースも現われてきました。

ローカル・バンドの中にはアライアンスやエマーソン&ウォルドロンらの人気にあやかり、新しい音楽ジャンルを取り入れたバンドが登場し入場者の話題となりました。ビル・モンローによる1971年の「ビーン・ブロッサム・フェスティバル」ではニュージーランドで唯一のプロのブルーグラス・バンド「ハミルトン・カウンティ・ブルーグラス・バンド」や、日本からやって来た「ブルーグラス45」がステージに上がっています。

またフェスティバルには初登場のジョン・ハートフォードが、ドブロにタット・テイラー、ギターにノーマン・ブレイク、フィドルにヴァッサー・クレメンツといったアルバム『エアロ・プレイン』(Aero-Plain)の仲間と共に出演しました。そしてプログレッシヴなバンドとしては、ビル・エマーソンが移籍した新生「カントリー・ジェントルメン」や「ブルーグラス・アライアンス」も出演しています。

同じ年に行われたもう一つの大きなフェスティバル、キャンプ・スプリングスで開催された「第7回レイバーデイ・ウィークエンド・オリジナル・ブルーグラス・ミュージック・フェスティバル」にはアール・スクラッグスが息子たちを中心とした彼のレビューと共に出演しています。

このフェスティバルのもう一つの目玉となったのは、「ミュールスキナー・ニュース」誌によるファン投票の表彰でした。この年の賞を総なめにしたのはカントリー・ジェントルメンで、最も有望なバンドはトニー・ライス、サム・ブッシュ、コートニー・ジョンソンらを庸するブルーグラス・アライアンスでした。

そうした主催者の地道な努力もあって、1972年のシーズンにはかつてないほど多くのフェスティバルが開催されました。そしてその多くで入場者数が増加しています。


by scoop8739 | 2018-10-01 15:45 | ニューグラスへの道 | Comments(0)
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