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308 「ニューグラス」への道(その26)

カントリー・ロック誕生の背景

グラム・パーソンズがバーズに持ち込んだ“カントリーにロックを結びつける”というアイデアは、西海岸の音楽シーンで急速に他のアーティストに飛び火していきます。

もともとカリフォルニアはアメリカ合衆国のそう長くない歴史の中でもより歴史の浅い土地です。また開放的な気候風土も相まって伝統にとらわれることなく新しい音楽スタイルを築くには好都合な場所でした。

事実、カントリー・ロック以前にもサーフィン・サウンド、フォーク・ロック、サイケデリック・ロックなどの斬新なスタイルが生まれています。

しかし、このカントリーとロックとの融合作業は、実はそれほど簡単なことではありませんでした。何故なら、ある部分でカントリーはアメリカの体制を支持する音楽、ロックは反体制を象徴する音楽だったからです。思想の異なる両音楽のファンがそう易々と歩み寄ることはなかったのでした。

カントリーの有名なD.J.のラルフ・エメリーは、バーズの『ロデオの恋人』をヒッピーのカントリーだと批判し、また人気歌手のマール・ハガードは自作の「さすらいの流れ者」(Okie From Muskogee)の中で徴兵カードを焼いてしまうようなヒッピーを攻撃しています。

こういう状況下にありながら西海岸の多くのアーティストがカントリー・ロックに向かった理由は何だったのでしょうか?

ひとつには、60年代のL.A.やサンフランシスコのロック・シーンには本格的なブルーグラス出身者が潜在していたということが挙げられます。

かつてカリフォルニアは「ブルーグラス不毛の地」と言われていました。バンジョー、マンドリン、フィドルなどのアコゥスティック楽器で奏でられるブルーグラスはトラディッショナルな音楽と誤解されやすいのですが、ところがこの音楽形態は、ビル・モンローが1940年代にアパラチアン山脈に伝わるマウンテン・ミュージックを土台に、カントリーや黒人ブルースの要素を融合させて完成させた新しい音楽のスタイルだったのです。そして逆にブルーグラスはカントリーにも影響を与えていたのです。

そんなブルーグラスが西海岸のラジオ曲で紹介され始めたのは1950年代の後半のことでした。間もなくカリフォルニアにはいくつかのブルーグラス・バンドが胎動し始めます。

そこには後にロック・フィールドで活躍するクリス・ヒルマン、バーニー・レドン、ケニー・ワーツ、ラリー・マレー、クラレンス・ホワイト、ジェリー・ガルシア、デヴィッド・ネルソンらの姿がありました。

当時はフォークがひとつの主流音楽で、彼らはフォーク系スポットなどに活動の場を得ています。中でもケンタッキー・カーネルズのクラレンス・ホワイトは天才的なギター・テクニックで注目を浴びていました。

ところが西海岸でブルーグラスが深く根付くのに充分な時間は残されていませんでした。なぜなら1964年にアメリカに上陸したビートルズが、人々の興味をアコゥスティック音楽からエレクトリックなロック音楽に向けてしまったからです。そして次第に西海岸のブルーグラス・ミュージシャンたちも自ら希望して、また生活のためにやむを得ずロックに転向していきました。

しかし彼らブルーグラス出身のロック・ミュージシャンが後年、ルーツ・ミュージックに目覚めたことがカントリー・ロック形成にはずみをつけたばかりか、新たにディラーズ、ハーブ・ペダーセン、デヴィッド・グリスマン、ピーター・ローワン、バイロン・バーライン、リチャード・グリーンなどのブルーグラス・ミュージシャンをもシーンに巻き込んでいったのです。


by scoop8739 | 2018-08-06 08:38 | ニューグラスへの道 | Comments(0)
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