295 「ニューグラス」への道(その14)

サイケデリック・ロック期に一瞬輝いた伝説的なバンド(前編)

「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれたドラッグやサイケデリック文化が花開いた時代に、ほんの一瞬だけ輝いてすぐ散っていった超短命の伝説的なバンドがバッファロー・スプリングフィールドでした。

彼らのサウンドは新しい時代を切り開こうとする前向きな精神を感じさせる刺激的なものでした。当時のザ・フーを思わせるような実験的なギターの使い方といい、「サイケデリック」という言葉にぴったりの浮遊感覚、伝統音楽と実験音楽との奇妙な融合、すべてがこの時代を象徴していました。(「ウエストコースト・ロック」Produced by Minoru Sasakiから引用)

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バンドは、スティーヴン・スティルス(Stephen Stills、ギター・キーボード・ボーカル)とリッチー・フューレイ(Richie Furay、ギター・ボーカル)の2人がニール・ヤング(Neil Young、ギター・ピアノ・ボーカル)と出会ったのをきっかけに、ブルース・パーマー(Bruce Palmer、ベース)を誘って1966年4月に結成されました。

彼らはバーズのマネージャーであるジム・ディックソンの紹介で、パッツィー・クラインやザ・ディラーズとプレイしたこともあるドラマーのデューイ・マーチン(Dewey Martin)を加えバンドの陣容を整えます。

a0038167_08422876.jpgグループ名はスティルスとフューレイが居候していたフリードマンの家の外に停めてあった蒸気ローラー車のメーカー名(Buffalo-Springfield Roller Company)から採ったそうです。

彼らは1966411日にハリウッドのナイト・クラブ「トゥルバドール」でデビューし、数日後にはザ・ディラーズ、バーズの前座としてカリフォルニアを短期間ツアーします。

ツアー終了後にバーズのクリス・ヒルマンがサンセット・ストリップの有名なナイト・クラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」のオーナーに強く働き掛け、彼らは19666月から2カ月間、「ウィスキー・ア・ゴーゴー」のレギュラーとして採用されました。

この間の演奏が評判を呼び、多くのレコード会社が彼らに興味を示しますが、最終的にアトランティック・レコードとの契約を獲得しアルバムのレコーディングに取り掛かかります。

プロデューサーのチャーリー・グリーンとブライアン・ストーン(ともにソニー&シェールのマネージャーでもある)はヤングの声を気に入らず、ヤングの作品の大半のリード・ヴォーカルをフューレイに割り当てました。

アルバムのリリースに先立ち、ファースト・シングル「今日、クランシーは歌わない」(Nowadays Clancy Can't Even Sing)をリリースしますがこの曲は大した反響を得ませんでした。

a0038167_08310290.jpgそして196612月、このファースト・シングルも含むデビュー・アルバム『バッファロー・スプリングフィールド』がアトランティック傘下のアトコ・レーベルからリリースされます。


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by scoop8739 | 2018-06-29 08:43 | Road To New Grass
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