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294 「ニューグラス」への道(その13)

バーズを脱退したジーン・クラークのその後

既述ではありますが、バーズは1965年4月にコロムビア・レコードからボブ・ディランのカヴァー曲「ミスター・タンブリン・マン」(Mr. Tambourine Man)でデビューしました。

そのB面に採用された「きみを欲しいと思ってた」(I Knew I'd Want You)はメンバーの一人、ジーン・クラークが書いた曲です。彼は続く6月にリリースされた同じくディランのカヴァー曲「やりたいことのすべて」(All I Really Want To Do)のB面曲「スッキリしたぜ」(I'll Feel A Whole Lot Better)も書き、バーズのファースト・アルバム『ミスター・タンブリン・マン』では「あなたはいない」(Here Without You)、ジム・マッギンとの共作曲「泣くことはないさ」(You Won't Have To Cry)など、メンバー中で一番多くオリジナル曲を書いてバーズの屋台骨として活躍しました。

さらにサード・シングル「ターン・ターン・ターン」(Turn! Turn! Turn! To Everything There Is a Season)のB面でも彼の書いた「時間を気にしない彼女」(She Don't Care About Time)が採用され、アルバム『ターン・ターン・ターン』には3曲が採用されています。

本当はもっとたくさんの曲を書いているのですが、アルバム中に彼の曲が多くなりすぎるという理由で、他のメンバーがクレームをつけたために多くは収録されませんでした。もっともこの時期のバーズの楽曲は基本的に彼の曲以外はボブ・ディランなどのカヴァー曲ばかりで、彼の曲を多く採用すると彼にばかり印税が入るので、特にジム・マッギンやデヴィッド・クロスビーとしては面白くなかったようです。

そして翌1966年1月には彼とジム・マッギン、デヴィッド・クロスビーの3人で共作したサイケデリック・ロックの先駆けともいえるシングル「霧の8マイル」(Eight Miles High)の録音を済ませますが、2月になると前述した楽曲の採用の件で他のメンバーとの衝突があったり、飛行機嫌いでツアーに出るのが不可能になったことを理由に彼はバーズを脱退してしまいます。

a0038167_11243232.jpgバーズを脱退した後のクラークは、翌1967年2月にゴスディン・ブラザーズとの共演盤を発表します。これは共演盤とは言いながらも実質的には彼のソロとしてのファースト・アルバムとなるものでした。

『ジーン・クラーク・ウィズ・ゴスディン兄弟』(Gene Clark With The Gosdin Brothers)とタイトルされたそのアルバムには、クリス・ヒルマン、マイケル・クラーク、クラレンス・ホワイト、レオン・ラッセル、グレン・キャンベル、ヴァン・ダイク・パークス、ダグ・ディラードなど錚々たる顔ぶれがレコーディングに参加しています。

このアルバムには、後にカントリー・ガゼットのファースト・アルバムに収録された失恋ソング「頑張ったネ」(Tried So Hard)や「押し続けよう」(Keep On Pushin’)のオリジナルが収録されています。プロデュースはラリー・マークスとゲイリー・アッシャーで、コロムビア・レコードからリリースされました。

クラークはこの後、デヴィッド・クロスビーが脱退したバーズに再び在籍するも3週間で脱退し、彼のソロ・アルバムのレコーディングに参加したバンジョー奏者のダグ・ディラードと意気投合し、1968年にディラード&クラークを結成します。

a0038167_11243960.jpgところで、クラークとの共演を果たしたヴァーンとレックスのゴスディン兄弟は1968年に『さよならの音色』(Sound Of Goodbye)というタイトルでキャピトル・レコードからアルバムを発表しています。リチャード・ハワード(Richard Howard)とエディ・ラビット(Eddie Rabbit)の作によるアルバム・タイトル曲は、これも後にカントリー・ガゼットのファースト・アルバムに収録されました。

なおゴスディン兄弟は、かつてクリス・ヒルマンと共に「ヒルメン」で活動していました。


by scoop8739 | 2018-06-27 11:27 | Road To New Grass | Comments(0)
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