289 「ニューグラス」への道(その8)

ビートルズがブルーグラスに与えた直接的な影響

1960年代の初頭に吹き荒れたビートルズ旋風は、アメリカンのポップス・シーンに大きな影響を与えたばかりか、同時期にアメリカで流行したフォーク・リヴァイヴァルで生まれたスターたちに大きく影響を与えます。ボブ・ディランのフォーク・ロック化や、バーズの誕生がその良い例でした。

さて、ボストン市街の北側を流れるチャールズ河をはさんだ北隣、ケンブリッジの街はハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)を含む学研都市として有名な場所です。その辺りを中心に活躍していたのがチャールズ・リヴァー・ヴァレー・ボーイズでした。彼らはハーバード大学を始めとする名門校の学生たちによって1959年に結成されたバンドです。

そんな彼らのデビュー・アルバムはなんと英国からでした。1962年にかの地のレコード店主ダグ・ドーベルが彼らに興味を示し、自身のレーベル「フォークロアー」から記念すべきデビュー盤『ジョージア郵便の持ち込み』(Bringin’ In the Georgia Mail)をリリースします。

その後、バンドはアメリカで1000枚限定の自主製作盤を発表しますが、これはケンブリッジの名門コーヒー・ハウス「クラブ47」でのライブを収めたアルバムでした。これがボストンやニューヨークで大絶賛を浴びます。

a0038167_08375172.jpg素晴らしいバンドだと目を付けたのがフォーク・リヴァイヴァルと深く係わったプレスティッジ・レーベルでした。プレスティッジ社は彼らの本格的なアメリカ・デビュー盤制作を画策し、自主製作盤の権利を買い取って1962年に『ブルーグラスとオールドタイム・ミュージック』(Bluegrass and Old Timey Music)というタイトルで発売します。

さらにプレスティッジ社は1964年にセカンド・アルバムの制作に着手し、『ブルーグラスをご一緒に』(Blue Grass Get Together)を発表しました。これは本格的で素晴らしいブルーグラス・アルバムとしてブルーグラス・ファンからも高い評価を受けます。

チャールズ・リヴァー・ヴァレー・ボーイズの活躍場所は全米に広がったコーヒー・ハウスやフォーク・ソング・フェスティヴァルでしたが、残念なことに期待するほどの人気は上がらず苦戦の連続となります。

そこでエレクトラ・レコードの著名なプロデューサーであったポール・ロスチャイルドは、意欲的にもブルーグラスによるビートルズ・ソング・カヴァーを作ることを思い立ち、ナシュヴィルの精鋭をサポートにレコーディングに取りかかります。

a0038167_08380749.jpgそして出来上がったアルバムは、ベーシックな部分ではオリジナルの雰囲気を壊すことなく、かと言って無難なアレンジに終始していないところが魅力的なものでした。それは数あるビートルズ・カヴァー盤の中でも異彩を放ちながらも熱心なビートルズ・ファンに高く評価されます。

ボブ・シギンズ(Bob Siggins)のバンジョー、ジョー・ヴァル(Joe Val)のマンドリン、エヴァレット・アレン・リリー(Everett Allen Lilly)のベース、ジム・フィールズ(Jim Field)のギターとリード・ヴォーカル、それぞれのどれをとってもフォーク・シーンとビートルズを同時体験している彼らならではの特異な状況が手に取るように伝わります。またフォーク・ロックの出現に対するオールド・タイマーのあせりも感じられて興味をそそられるアルバムとなっています。


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by scoop8739 | 2018-06-13 08:41 | Road To New Grass
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