284 「ニューグラス」への道(その3)

オズボーン・ブラザーズの弛みない試み

オズボーン・ブラザーズは1960年2月にブルーグラス界では初めて大学のキャンパスで演奏したバンドでした。場所はオハイオ州にあるアンティオーク大学です。この時、大学での観衆はブルーグラスをフォーク・ミュージックの一つとして捉え、バンドの演奏の素晴らしさに驚嘆しました。

このカレッジ・コンサートでの成功は多くのブルーグラス・バンドをフォーク・マーケットへ送り込むこととなり、その結果、彼らはフラット&スクラッグスと共にフォーク・ファンをブルーグラスへと駆り立てる原動力となりました。

ところが彼らが対象としていたのは常にカントリー・ミュージックを支えているファン以外の何者でもなかったのです。と言うのもフォーク・ファンの多くが少なからず移り気で、彼らの良き理解者、ファンにはなり得ないということをいち早く嗅ぎ取っていたからでした。

またそれ以上に、彼ら自身がフォーク・ファンの好む“ブルーグラスのオールディーズ”には興味がなく、専らオリジナル・ソングによるオリジナル・サウンドの発展に取り組みたいという、彼ら一流のクールな審美的好みがあったのです。

1960年代になると彼らはライブとスタジオ・ワークに電子楽器と打楽器を持ち込ます。このことがブルーグラスの音楽愛好家の間で小さな論争を引き起こしました。なぜなら、それまでのブルーグラス・バンドには楽器に電気を組み込んだものがなかったからで、これ以降も正統なブルーグラス・バンドではあまりやらない方法でした。

a0038167_09160270.jpg1963年にはデッカ・レコードと契約し、1965年8月に移籍第1作『ヴォイセス・イン・ブルーグラス』(Voices In Bluegrass)(DL74602)を発表してからの10年間、ほぼ1年1作のペースでアルバムを発表し、そのたびにセンセーショナルな話題を提起し続けます。

デッカ以前に所属していたMGMでの最後のアルバムとなった『カッティン・グラス』(Cuttin’ Grass)(SE4149)と前記『ヴォイセス・イン・ブルーグラス』で彼らはオズボーンズ・スタイルの“モダン・ブルーグラス”を完成させます。これはもちろんカントリー・ジェントルメンともフラット&スクラッグスとも違ったアプローチによるもので、洗練されたスマートな感覚のものとなりました。

a0038167_09101254.jpg続く1966年8月にリリースしたアルバム『アップ・ジス・ヒル&ダウン』(Up This HillDown)(DL74767)ではアコウスティック・サウンドにますます磨きがかかり、ソリッドでモダンなサウンドが耳に心地よく迫ってきます。

しかし彼らはその間にも既に新しい試みを始めていました。196510月のセッショッンには、ハーガス・ロビンス(Hargus Robbins)のピアノをフィーチャーしたカントリー・スタイルを取り入れ、カントリー〜エレクトリック・グラスへの傾斜を強めていきます。

このカントリーへの接近を決定的なものとしたのは翌1966年末にリリースされたシングル盤「The Kind Of Woman I Got」の成功でした。

この曲は従来のアコゥスティック・ベースに満足できずにエレクトリック・ベースを取り入れ、レイ・イーデントン(Ray Edenton)に加え、名手グラディ・マーチン(Grady Martin)をバックに、まことにブルーグラスらしからぬリズムと曲調でまとめられています。そしてこの曲がスマッシュ・ヒットを記録したことによって彼らのスタイルは決定的な変貌を成し遂げます。

さらに翌1967年春の「ロール・マディ・リヴァー」(Roll Muddy River)と、それに続く「ロッキー・トップ」(Rocky Top)の大ヒットによって彼らのカントリー・グラス・スタイルは完全に定着し、電気楽器と大出力アンプがブルーグラス界にも一般的なものとなったのです。


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by scoop8739 | 2018-05-29 09:19 | Road To New Grass
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