252 至高のサウンド(その6)

役者が揃って

例えばオーケストラには優秀なコンサート・マスターや指揮者が、野球チームには確実性のある4番打者や守りの要となる名捕手が必要なように、名プレイヤーが集まっているだけでは優れたバンドとは言えません。そこにバンドの中心となるキーマンが必要になります。

そう考えたマイク・オゥルドリッヂは、バンドをより進化させるためにエマーソン&ウォルドロンのレコーディング・セッションで知り合ったジョン・ダフィーをこのジャム・セッションに招きます。当時のダフィーは楽器修理を生業とし表立っての音楽活動を休止していました。

エルドリッヂの自宅地下で行われている実験的なセッションを体験したダフィーは、カントリー・ジェントルメンでなし得なかったブルーグラス音楽へのプログレッシヴなアプローチが可能になると感じバンドへの参加を決めます。こうしてバンド最大の目玉となるダフィーのバンド加入が決まりました。

また一説には、ジョン・ダフィーはカントリー・ジェントルメンのマネージャー、レン・ホルスクロウの紹介でスターリングと出会い、心の奥に燻っていたブルーグラスへの思いが再点火したとも言われ、ダフィーは再び自らのバンドを持つことを決意したとされています。

いずれにせよ全てのキャストが揃いバンドとして機能し始めると、彼らはこのセッションの成果を披露するために地元のクラブで週に1夜だけ出演し、時にはコンサートやフェスティバルで演奏し始めます。

バンドが円滑に動き出すにつれて、彼らはワシントンD.C.にある小さなクラブで6週間プレイした後に19721月頃からメリーランド州ベテスダにあるライヴ・ハウス「レッド・フォックス・イン」をフランチャイズとして毎週火曜日にライヴ活動を始めます。この頃にはデイヴ・オゥルドリッヂがバンドを去り、再びウォルドロンの下に戻っていきます。

そしていよいよ3月5日には、メリーランド州クリントンにある「ロイ・D・ホーマー・アンド・アソシエイツ・スタジオ」にて、旧知のレベル社社長チャールズ・フリーランド氏プロデュースの下、アルバムのレコーディングを始めたのでした。

a0038167_09551480.jpg出来上がったアルバムでまず驚かされたのがジャケット・デザインです。黒い背景の前に並ぶ5人のプレイヤーは下半身しか見えてない、「一体だれなの?」と思わせるデザインはまさに奇をてらっていました。この“姿を現さない”のにはこんな意味が含まれています。

メンバー全員が定職(Regular Work)を持っているために、自らを“めったに姿を見せないバンド”との意味を込めて「セルダム・シーン」(Seldom Scene、以降「シーン」と表記)と名付け、ジャケット・デザインで洒落てみたのです。これが都会人らしい“粋さ”なのでしょう。

この時、ジョン・ダフィー40歳、マイク・オゥルドリッヂ36歳、ベン・エルドリッヂ36歳、ジョン・スターリング34歳、トム・グレイ33歳。公私ともに脂の乗り切った世代、しかもブルーグラスに限ることなく広範囲に音楽を知る5人の男たちの初演の幕が切って落とされたのでした。


[PR]
by scoop8739 | 2018-02-08 09:57 | セルダム・シーン
<< 253 至高のサウンド(その7) 251 至高のサウンド(その5) >>