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251 至高のサウンド(その5)

バンドのジレンマ

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1971年、ウォルドロンは5枚目のアルバム『トラヴェリング・ライト』(Traveling Light)をリリースします。

このアルバムでは、クリス・クリストファーソンの「ひとりぼっちの夜」(Help Me Make It Through The Night)、グランパ・ジョーンズの「落葉」(Falling Leaves)、マール・ハガードの「陽のあたる人生」(Sunny Side Of My Life)、ボブ・ディランの「行く場所とてなく」(You Ain’t Go Nowhere)などあらゆる音楽ジャンルの素材を積極的に取り入れ、さらにメンバーのオリジナル曲も加えて充実しています。まさしくこのアルバムはウォルドロンの音楽生活の中でも最高の傑作となりました。

なお、このアルバムには前作のメンバーに加えて、オゥルドリッヂ兄弟の弟ジャック(のちにカメラマンとなります)がスネア・ドラムで参加しています。

しかし順風満帆と思われたウォルドロンのバンドでしたが、1971年頃になるとその運営が困難となってきました。バンドの人気が高まると同時に日増しにツアーへの要請も増えてまいります。ところがバンジョーのエルドリッヂもドブロのオゥルドリッヂも傍らに勤め人という足かせがありました。彼らは定職を辞めてまで音楽で生計を立てるつもりもなく、次のアルバムを最後にバンドを去ることを決めます。

そんな中でのウォルドロンの通巻6枚目のアルバムは、『神に身元に』(Just A Closer With Thee)というタイトルとなりました。

同年8月、オゥルドリッヂとエルドリッヂは次のアルバムのためのセッションには「お気に入りにはなれない」(We Can’t Be Darlings Anymore)の1曲のみ参加してバンドを去って行きます。

クリフのバンドには新しくバンジョーに新進気鋭、マルチ・プレイヤーのジミー・アーノルド(Jimmy Arnold)、マンドリンにはジーン・ジョンソン(Gene Johnson、後にセカンド・ジェネレーションに移籍)が加入し、残りのレコーディングを再開します。

さて、バンドを去ったエルドリッジはオゥルドリッジを誘い毎週それぞれの仕事が終わった後に自宅地下でジャム・セッションを始めます。このセッションにはギターとリード・ボーカルのジョン・スターリングとマイクの兄デイヴが参加することになりました。

スターリングは1940年3月26日、ノース・カロライナ州ダーラムで生まれ、医科学校を修了した後、ベトナム戦争時には外科医として米軍に勤務しています。

ワシントンD.C.の「ウォルター・リード軍病院」での勤務後に、近くのライヴ・ハウスなどで歌っていたところをオゥドリッヂとエルドリッヂに出会い、互いの才能を認め合いながら意気投合します。

彼らはまたこのセッションに、国立地理協会で製図の仕事をしながらブルーグラスのアルバム制作サポートをしているトム・グレイ(194121日イリノイ州シカゴ生まれ)を誘います。彼は言わずとも知れた第1期黄金期を(底辺から)支えた元カントリー・ジェントルメンのメンバーで、このジャンルでは最高と言われているベース・プレーヤーでした。


by scoop8739 | 2018-02-05 14:36 | セルダム・シーン | Comments(0)
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