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242 カントリー・ガゼットの音楽歴 (その5)

197610月、カントリー・ガゼット(アラン、ローランド、ロジャー、ケニー)はジョージア州のアトランタ・ファルコンズ・スタジアムで演奏します。このライヴからは何曲かがボイリッシュ・レコード(Boilish Records OZ / 970)より「LIVE in AtlantaGA - October 1976」というタイトルでリリースされました。そのアルバムでのガゼットのトラックは、おなじみのメドレー「Keep On Pushing」「Tried So Hard」「Swing Low Sweet Chariot / Out To Lunch / Sunny Side Of The Mountain」です。

その後、ケニー・ワーツはフルタイムの音楽活動を諦めエンジニアとして働くことに決めます。少し遅れてロジャー・ブッシュとデイヴ・ファーガソンもバンドを去っていきました。

しかし1977年に行われた日本ツアーにはロジャー・ブッシュがベースに戻り、ビル・ブライソン(後にクリス・ヒルマンとハーブ・ペダーセンと「デザート・ローズ・バンド」を結成する)がギターで参加しています。

この日本ツアーではダブル・アルバムのために多くの演奏がレコーディングされましたが、当初リッジ・ランナー・レコードはアルバム「ライヴ・イン・ジャパン」のリリースを予定していたものの結局リリースはされませんでした。

注:1984年に日本でのみカントリー・ガゼットのアルバム「Live On The Road(DIW Records & CGT-1)がリリースされています。

a0038167_08514699.jpgこの年にアラン・マンデはかつての旧友サム・ブッシュと1968年に発売した「プア・リチャーズ・アルマナック」以来のセッションを行い、「サム・アンド・アラン(Together Again For The First Time)」をリリースします。このアルバムはアランとサムの他にはローランド・ホワイトと、ニューグラス・リヴァイヴァルからカーティス・バーチ、ジョン・コーワンの2人が参加しています。アルバムの半分はオリジナル曲でした。またビートルズの「エリナー・リグビー(Eleanor Rigby)」はこのアルバムのためにレコーディングされています。この曲はガゼットが2年後に再レコーディングしています。

a0038167_08523653.jpg日本ツアーの後、残ったアラン・マンデとローランド・ホワイトは、1977年にリッジ・ランナー・レコードに「どのようにして生活するのか(What A Way To Make A Living!)」をレコーディングします。ゲスト・ミュージシャンには、バイロン・バーライン(フィドル)、スキップ・コノーヴァー、マイク・リッチー(Mike Richey、ギター)、リチャード・グリーン(Richard Greene、フィドル)、ビル・ブライソン(Bill Bryson、ベース&ヴォーカル)が参加しています。

1977年の終わりにガゼット(ローランドとアラン)は、オクラホマ芸術人文委員会が主催する10週間に及ぶ「アーティスト・イン・レジデンス・プログラム」に参加します。バンジョーのアランとマンドリンのローランドに加え、ビル・ブライソンがギターを演奏しました。

by scoop8739 | 2017-12-18 09:05 | カントリー・ガゼット | Comments(0)
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