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105 エレキ・インスト(1)

夏になるとどうしても聴きたくなるのが「エレキ・インスト」です。ブルーグラス・ファンにとってはあまり馴染みのないものですが、これは通称「テケテケ・サウンド」と呼ばれるもので、ヴェンチャーズを筆頭に1960年代半ばに我が国で大流行をしました。

当時の日本の若者たちはアメリカのポップ・シーンをなぞってばかりいましたが、東京オリンピック開催の1964年を境に独自の方向性を示し始めます。この年、アメリカのポップ・シーンがビートルズ中心の展開となっていくのに対して、日本ではヴェンチャーズに代表されるエレキ・インスト・ロック中心の展開となっていったのです。

105 エレキ・インスト(1)_a0038167_20211419.jpgまずアメリカから無名インスト・バンド、アストロノウツが「♪ノッテケ、ノッテケ、ノッテケ、サーフィン」でお馴染みの、彼らのオリジナル・ナンバー「太陽の彼方に」(原題:MOVIN')で評判となり、サーフィン・ブームに火をつけます。ヴェンチャーズ・サウンドを彷彿させるこの曲に前述の日本語詞をノッケた藤本好一(ブルー・ジーンズ)のカバー曲が大ヒットし、さらに橋幸夫の和製サーフィン・ソング「恋をするなら」の爆発的なヒットによって日本のサーフィン・ブームは頂点に達したのでした。

105 エレキ・インスト(1)_a0038167_20214681.jpgこうした中、アストロノウツの先輩格であるヴェンチャーズの人気も沸騰し、1964年から65年にかけて、彼らは「ダイヤモンド・ヘッド」、「キャラバン」などのヒットを立て続けに放ち、日本の若者たちのあいだに一大エレキ・ブームを巻き起こしました。そんな彼らに触発されて、寺内タケシのブルー・ジーンズや、東宝の若手俳優・加山雄三が率いるランチャーズを筆頭に、ヴェンチャーズ・スタイルのバンドが続々と登場してきたのでした。

こうした風潮にノッテケとばかりに、東京オリンピックに合わせて急速に普及したテレビもこの傾向を加速させます。フジTV「勝ち抜きエレキ合戦」(65年6月放映開始)をきっかけに、各局はバンド・コンテスト番組をこぞって放映し、日本中のエレキ少年たちがそれらの番組出場をめざして秘かに腕を磨いたのでした。そんな中に、のちに日本のブルーグラス界を背負うことになる人材が何人も含まれていたことは疑う余地もありません。(つづく)

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by scoop8739 | 2005-07-05 20:25 | 異ジャンル交流
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