206 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (44)

トム・グレイの退団

お蔵入りとなったアルバム「ナッシュヴィルの監獄」の録音途中で、ベース奏者がトム・グレイからエド・フェリスへと代わります。

a0038167_08451514.jpgトム・グレイがカントリー・ジェントルメンに加入したのは196010月のことでした。レコーディングとして残っているは19613月からで、その月の19日にスターディでの10回目のセッションが行われています。この時、シングル盤のために用意した「レッド・ロッキング・チェア」(Red Rockin’ Chair)、「我が心は終りぬ」(I Know I've Lost You)2曲に加え、「イフ・ザッツ・ザ・ウェイ・ユー・フィール」(If That’s The Way You Feel)が録音されています。

そして翌年の4月、ジェントルメンとしては2枚目のアルバム「フォークソング&ブルーグラス」(Folksong & Bluegrass)(Folkways FA2410)で華麗なベース・プレイを披露することとなります。

トムは少年期からオールド・タイム・ミュージックに興味を持ち、レコードの収集を始めます。また12歳からはギターとマンドリンを弾き始め、ユニークなフラット・ピッキング・スタイルで演奏していたジョージ・シャフラーに影響を受けたと語っています。

シャフラーが1952年からベース奏者に転向するや、彼のウォーキング・スタイルのベースにのめり込むようになります。同時に、ジャズ界のベーシスト、キター・ベッツやギタリストのチャーリー・バードにも興味を覚えたそうです。

高校生となったトムは、通い始めたジェントルメンのライヴでメンバーと親しくなり、彼らのセッションに参加することになります。そして、当時のベース奏者だったジム・コックスが病気になった時には代演できるまでに成長します。

入学したジョージ・ワシントン大学ではブルーグラス・バンドの一員として演奏技術を磨きます。この時には既にウォーキング・ベースを修得していたようです。そして1960年の秋、いよいよジェントルメンの正式なメンバーになります。その時、彼はまだ19歳の学生でした。

以来4年間、ジェントルメンを(文字通り)底辺から支えてきたトムでしたが、「ブルーグラス・アンリミテッド」誌の編集者だったサリー・ゴヴァースとの結婚を機に、これからの生活を考えた時にミュージシャンとしての収入に不安を覚えます。

悩んだ末に、彼は月刊誌ナショナル ジオグラフィック」の発行元として有名な同協会に就職し、地図作りを仕事に選んだのでした。

ところで、トム・グレイが表舞台に復帰したのはそれから4年後のことでした。ビル・エマーソンとクリフ・ウォールドロンのバンド「ニュー・シェイズ・オブ・グラス」での新しいアルバム制作のために、ベース奏者として雇われたのです。

この時の縁があって、さらに3年後の「セルダム・シーン」への正式参加に繋がるのですが、それはまた別の話で…。

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# by scoop8739 | 2017-08-08 08:45 | カントリー・ジェントルメン