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231 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (66)

レベルへの録音 (23)

さらに1週間の後、つまり1月24日にアルバムのための最後の録音を致します。3曲ほど録音されたのですが、実際にアルバムに使われたのは1曲だけでした。

その1曲が「栄光への脱出のテーマ」(Theme From Exodus)です。エディ・アドコックは映画を観た後、曲を思い出しながらバンジョー・インスト曲にするために採譜したそうです。この曲は名盤「フォーク・セッション・インサイド」の次に発売するはずだった「ナッシュヴィルの監獄」(Nashville Jail)に収録される予定でした。結局発売が見送られることとなり、このタイミングで再度のレコーディングとなりました。

次にレコーディングした曲が「銀色の鐘」(Silver Bell)です。この曲はカントリー・スター、ドク・ウィリアムズによってヒットし大衆化しました。ジェントルメンはワシントンD.C.でラジオ番組のテーマ曲として使われていたのを聞いてレコーディングを思いついたそうです。だがアルバムには収録されませんでした。

3曲目の「愛と冨と」(Love And Wealth)もまたルバムには収録されませんでした。この曲はアメリカ版「金色夜叉」とでも言いますか、愛とお金を秤にかけて、お金の方を選んだ女性のことを未練たらしく歌った曲です。ルーヴィン兄弟が作り歌っていましたが、オズボーン・ブラザーズ盤を始め、後年、デヴィッド・グリスマンの名盤「ヒア・トゥデイ」でもこの曲を聴くことが出来ます。

これらの2曲は、アルバムには収録されませんでした。でも近年、4枚組ボックス・セット「アーリー・レコーディング19621971」で陽の目を見ることができました。

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by scoop8739 | 2017-10-30 17:04 | カントリー・ジェントルメン

230 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (65)

レベルへの録音 (22)

前回のレコーディングから1週間をおいての1月17日、さらに録音を続けます。この時の録音曲は以下の4曲です。

a0038167_13324276.jpg「多くの道程」(Many A Mile) はエディによると、「フォーク・グラス」と呼ばれるような曲調の歌で、1965年にカナダのシンガー・ソングライター、バフィー・セントメリーによって広く知られるようになりました。作者はネイティヴ・インディアンのフォーク歌手のパトリック・スカイです。「これまで幾マイルもさすらい、あの世にたどり着くまで、さらに幾マイルもさすらい続けて行く」と歌われるこの曲は、チャーリーにとっては、とても歌いづらいものだったようです。

「アメリア・エアハートの物語」(Amelia Earhart’s Last Flight)は、1927チャールズ・リンドバーグの快挙に続いて、初めての大西洋単独横断飛行をした女性の物語です。彼女は1937年(昭和12年)には赤道上世界一周飛行に挑戦しますが、同年7月上旬、南太平洋において行方不明となりました。この曲の作者はスウィフト・カウボーイズのリーダーだったデイブ・マッケナリーで、彼はこの曲を書いたのは、1937年にニューヨーク州で行ったキャンプ・ファイアの周りであったと語っています。1960年代には、グリーンブライア・ボーイズによってブルーグラスにアレンジされ歌われています。この曲はまた、「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.1にも収録されています。

「家路につきて」(Lord, I’m Coming Home)は、1892年に賛美歌作曲者ウィリアム・J・カークパトリックによって作られたセイクレッド曲です。ジェントルメンはこのゴスペル・ナンバーを伝統的な4部コーラスで歌っています。レコーディングされはしたものの、この曲はアルバムには収録されず、結局「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.2で陽の目を見ることになります。

アルバムのタイトル曲「旅する人」(The Traveler)はジョンが彼の妻に捧げた曲で、独特の作風であるフォーク・ソング調に仕上がっています。当然、背景には当時の「フォーク・ブーム」というものがありました。ブームは彼らにも多くの仕事を与えてくれました。しかしそんなブームを嫌がっていたのがチャーリーでした。彼は生粋のブルーグラッサーであり、伝統的なブルーグラス音楽を愛していたのです。

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by scoop8739 | 2017-10-24 09:49 | カントリー・ジェントルメン

229 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (64)

レベルへの録音 (21)

年が変わり1968年に入ると、カントリー・ジェントルメンはレベル社での2枚目のアルバムのためにレコーディングを始めます。録音場所はメリーランド州クリントンにある「ロイ・ホーマー&アソシエーツ」でした。

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1月に4回、計12曲のセッションを行っています。この中から、以前に録音していた曲を合わせ、全12曲のアルバム収録曲を決めます。

まず1月9日、この日の録音は次の3曲でした。

「バッファロー・ガールズ」(Baffalo Girls)は伝統的なアメリカの歌で、1844年に黒人役俳優吟遊詩人ジョン・ホッジズにより書かれ、「ラブリー・ファン」(Lubly Fan)というタイトルで出版されました。その後アメリカ国内で広く流行したため、彼は各地の聴衆に合わせるように歌詞を変更しています。例えばニューヨークでは「ニューヨーク・ギャル」であったり、ボストンでは「ボストン・ギャル」となり、またアラバマでは「アラバマ・ギャル」と歌われています。この曲をジョンとエディがインスト曲としてアレンジしました。

「美しき人生」(A Beautiful Life)は、神の子として日ごと善行を積むことを善しとする行き方を歌ったセイクレッド曲です。1918年にウィリアム・ゴールデンによって作られたこの曲は、モンロゥ・ブラザーズを始めビル・モンロゥやスタンレー・ブラザーズ盤でも有名です。ジェントルメンは正統派4部コーラスで歌います。ここではエド・フェリスのバス・ヴォーカルを聴くことが出来ます。

「かの地への求道」(I’m Working On A Road To Gloryland)も前曲に負けず劣らず日々の善行を歌ったセイクレッド曲です。作者はレスター・フラットで、195159日にフラット&スクラッグスとしてコロンビア・レコードにシングル盤用に録音しています。ジェントルメン・バージョンでは、ギターの間奏はジョンだと思われます。コーラス部のリードがチャーリー、テナーがジョン、バリトンがエディ、そしてバスがエド・フェリスです。ただしバスのソロはエディが担当しています。

翌1月10日には、次の2曲をレコーディングしました。

「ボーダー・アフェア」(A Border Affair)はジョンの愛唱曲です。この曲には3、4の別名があり、カナダのフォーク・デュオ「イアンとシルビア」がアルバム「四つの強い風」(Four Strong Winds)の中で収録していて、「スペイン語は愛の言葉」(Spanish Is A Loving Tongue)というタイトルで歌っています。チャールズ・バジェット(あなぐま)・クラークによって作られ、この曲を最も有名にしたのがフォーク歌手のリチャード・ダイアー・ベネットでした。我が国ではモダン・フォークの初期に学生フォーク・バンドに愛された曲で、杉田二郎なんかが得意としていました。後に高石友也とナターシャー・セブンによって「ミ・アモール・ミ・コラソン」という題名で歌われています。

「南部の兵士」(Johnny Reb)はエディがジョニー・ホートンのアルバムから学んだ曲です。作者はマール・キルゴアという人で、彼はカントリー歌手のジョニー・ホートンとトミー・ローためにこの曲を書いています。ジェントルメン・バージョンではエディのリード・ヴォーカルで歌われます。なお、チャーリーは12弦ギターを使用しています。


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by scoop8739 | 2017-10-19 13:33 | カントリー・ジェントルメン

228 ちょっと一服、1967年(昭和42年)の音楽事情

この年、私は中坊を卒業し晴れて高校生となりました。

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とは言え、やってることはあまり変わりません。アイビー少年を継続中で、相変わらずの音楽好きは止めを知りません。ラジオ講座を聴くふりして深夜ラジオに没頭するような毎日を過ごしておりました。中でもモコ・ビーバー・オリーブがDJをやってた「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」や、「バイタリス・フォーク・ビレッジ」なんかが私の好きな番組でした。

世の中は、モッズルックやイエイエ娘などが流行っているようでしたが、地方都市に住む高校生にはあまり関心のある出来事ではありませんでした。そんなことより、親の目を盗んで見ていた11PMのカバー・ガールのボイン姿や、立ち読みで平凡パンチのヌード写真を見て喜んだり、ツイッギーの来日でミニスカートがブームとなったおかげでパンチラを拝める幸せを感じていたり、兄の使っていたMG5を黙って使って鏡を眺めてはほくそ笑んだりと、軽佻浮薄な日々を送っていました。

a0038167_09075734.jpg映画の世界では、内藤陳が「おら、ハードボイルドだど!」と言っている間に、ジェームズ・ボンドはとうとう日本にも現われ「007は二度死ぬ」をヒットさせ、クレージー・キャッツは本場ラスベガスの大通りで「黄金作戦」を展開するなど、あの頃の日本は「昭和元禄」春爛漫といった時代でした。

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この年に流行っていた歌というと、前年から勃興してきたグループ・サウンズが隆盛を極めます。最大のヒット曲はジャッキー吉川とブルー・コメッツの歌う「ブルー・シャトウ」でしょう。この曲はこの年の日本レコード大賞を受賞しています。

ブームに便乗して美空ひばりまでもが「真っ赤な太陽」を歌いヒットさせたり、タイガースの「君だけに愛を」で、ジュリーの放つ指差しポーズに胸をズキュンとさせた娘たちが続出するなど、このブームは永遠に続くものと思われておりました。ところが翌1968年までの栄華でしかなく、平家物語同様「おごれるものは久しからず」、あっけなく幕を閉じてしまいました。

逆に冬の到来と共にこつ然と現われたのがザ・フォーク・クルセダースの「帰ってきたヨッパライ」でした。深夜放送から端を発した灯火が、あっという間に日本全国に燃え広がり、オリコン・チャート初のミリオンヒットを記録し、世に言う「アングラ・フォーク」のブームを生み出したのでした。

歌謡曲に耳を転じますと、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」や、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」など、どんなご時勢だろうが相変わらずムード歌謡は強い!といった感じです。

さてこの年に我が国で流行った洋楽というと、ビートルズが2月にリリースした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レーン(両A面)」に続き、7月の「愛こそはすべて」、11月の「ハロー・グッドバイ」と立て続けにヒットにさせ圧倒的な強さを見せる中、同じ英国からビージーズの「マサチューセッツ」、ハーマンズ・ハーミッツの「見つめあう恋」、ルルの「いつも心に太陽を」、アメリカからはモンキーズが「デイドリーム」、タートルズが「ハッピー・トゥゲザー」、ドアーズが「ハートに火をつけて」、スコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ」を、そしてギリシア出身のヴィッキーが「恋はみずいろ」をヒットさせています。なんとまぁ、ハッピー・ソングの多かったことでしょう。

しかし世の中は次第に、「中国の文化大革命」、「フランスの5月革命」での学生運動を皮切りに、アメリカでは「いちご白書」で有名な「コロンビア大学闘争」など世界中に学生運動の波が立ち始め、やがて我が国でも暗雲が漂い始めることになります。


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by scoop8739 | 2017-10-17 09:09 | ブレイク・タイム

227 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (63)

レベルへの録音 (20)

カントリー・ジェントルメンはアメリカ東海岸地方を中心に、大学やコーヒー・ハウス、そして時にフェスティバルの出演と、慌ただしくも充実した日々を過ごしていました。

「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」から約10ヶ月後の1967年5月30日、メリーランド州リヴァーデールにある「ボブ・ロイド・スタジオ」というところで1曲レコーディングしています。この曲はシングル発売されず、レベル社での2枚目のアルバムのために取って置かれますが、結局、そのアルバムでも使われることはありませんでした。

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タイトルが「黄金の鐘が鳴るとき」(When They Ring Those Golden Bells)というこの曲は、後に「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」Vol.1に収録されることになります。ジョン・ダフィのリードで歌われる哀愁漂うセイクレッド・ナンバーです。

同年9月3日には、バージニア州ベリーヴィルにある「ウォーターメロン・パーク」でのライヴの模様が残されています。それが以下の5曲でした。

「黒いベール」(The Long Black Veil)は、1960年のフォークウェイズ社でのアルバム「カントリー・ソングズ・オールド&ニュー」で初めてレコーディングされて以来、1962年の「オン・ザ・ロード」でのライヴなど、ジョンが好きな曲のようでどのステージでもたいてい演奏されています。ジョンの張りつめたハイ・リードが悲壮なまでに曲を盛り上げています。この曲もアルバム「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.1に収録されました。

「双頭の鷲の下に」(Under The Double Eagle)もまた、アルバム「カントリー・ソングズ・オールド&ニュー」以来、よく演奏されるチャーリーの得意曲です。後半のコード・ワークを多用したプレイは十八番となっています。エディが鮮やかなギャロッピング・バンジョーを披露し、ジョンも切れのよいマンドリンを聴かせます。この曲も同じくアルバム「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.1に収録されました。

「ゲット・イン・ライン・ブラザー」(Get In Line Brother)は、ジョンのもっとも得意とするセイクレッド・ナンバーです。エディの少し走り気味のスリー・フィンガー・スタイル・バンジョーに続いて、これぞブルーグラス・カルテットという名唱が聴かれます。この曲もまた、アルバム「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.1に収録されました。

「クリプル・クリーク」(Cripple Creek)は、ライヴならではのジョークが聴ける曲です。196411月にレコーディングされたライヴ盤「ゴーイング・バック・トゥ・ザ・ブルー・リッジ・マウンテンズ」にも収録されました。冬の寒い朝に、レコード・プレイヤーが暖まるにつれ回転速度が次第に早くなって行く感じを演奏で表しているとのことです。バンジョーの練習にいかがでしょうか? この曲はアルバム「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.2に収録されました。

「天国」(Heaven)は、ボイドとヘレンのマクスパデン夫妻が作った有名なセイクレッド・ナンバーで、フラット&スクラッグスの「ソング・トゥ・チェリッシュ」やレッド・アレンの「ブルーグラス・カントリー」にも収録されています。ジョンのお気に入りのナンバーで、彼独特のヴォーカル・スタイルを聴かせてくれます。後にセルダム・シーンのアルバム「アクト3」にも収録されています。軽やかなマンドリンのイントロに始まり、天国への讃歌を哀愁あるヴォーカルで聴かせてくれます。この曲は「イエスタデー・アンド・トゥデイ」Vol.3に収録されました。


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by scoop8739 | 2017-10-16 14:05 | カントリー・ジェントルメン

226 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (62)

我が国でのみ発売されたベスト盤

我が国のカントリー・ジェントルメン人気で次々と彼らのレコードが発売されています。

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日本でのみ発売された通算4枚目のアルバム「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」(Folk Hits Bluegrass Style)1966年6月発売)に続き、同年12月には同じくキング・レコードから「サンライズ」と題されたアルバムが発売されています。

この盤は以前スターディ社でレコーディングした曲を編集したもので、ジャケットの帯には「サンライズ ザ・カントリー・ジェントルメン 第2集」(SUNRISE The Country Gentlemen Vol.)と書かれています。収録されている曲を書きましょう。

A

1.「いとしのアラリー」(Darling Alalee)

2.「二人の少年」(Two Little Boys)

3.「サンライズ」(Sunrise)

4.「ウィリー少年の涙」(Willy Roy, The Cripple Boy)

5.「沈黙と涙」(Silence or Tears)

6.「ブルー・マン」(Blue Man)

7.「オレンジ・ブロッサム・フィドル」(Orange Blossom Fiddle)

B

1.「ヘイ・リトル・ガール」(Hey, Little Girl)

2.「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)

3.「ナイトウォーク」(Night Walk)

4.「レッド・ロッキン・チェアー」(Red Rockin’ Chair)

5.「誰のためだか」(Nobody’s Business)

6.「ニュー・フルーダム・ベル」(New Freedom Bell)

7.「トラヴェリン・ドブロ・ブルース」(Travelin’ Dobro Blues)

以上の14曲ですが、ご覧になっておわかりの通りジェントルメンが活動の初期(1958年〜1961年)にスターディ社に録音したものを編集した日本オリジナル盤です。

ところで、「第2集」と表記されていますが、では「第1集」とは一体なに?と思ってもそんなものは存在しません。いや、あえて「第1集」と呼べるものがあるとすれば1962年5月発売の米国盤の「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」(Bluegrass At Carnegie Hall)のことでしょう。

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また、曲順がわずかに違っている日本編集盤で、1963年7月に発売されたジェントルメン本邦初のアルバム「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」(London MH-48)となるのでしょうか?

A

1.「我が心は終りぬ」(I Know I’ve Lost You)

2.「ボクだけのこと」(Nobody’s Business)

3.「水、静かなるところ」(Down WEhere The Still Waters Flow)

4.「カントリー・コンサート」(Country Concert)

5.「トムへの手紙」(A Letter To Tom)

6.「二人の少年」(Two Little Boys)

7.「この神の子等」(These Men Of God)

B

1.「レッド・ロッキン・チェアー」(Red Rockin’ Chair)

2.「おとめの挽歌」(I’ll Never Mary)

3.「びっこのウィリー少年」(Willy Roy, The Cripple Boy)

4.「サンライズ」(Sunrise)

5.「沈もくと涙」(Silence or Tears)

6.「ニュー・フルーダム・ベル」(New Freedom Bell)

7.「ザ・チャーチ・バック・ホーム」(The Church Back Home)

ほら、曲名は少し違っていますし、7曲ほど重複はあるものの、「第2集」同様、ジェントルメンが活動の初期(1958年〜1961年)、スターディ社に録音したものからの編集盤ようです。

つまり、この「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」、日本盤「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」を「第1集」と仮定しての「第2集」だった訳なのです。

ちなみに、1969年5月に日本編集盤「カントリー・ジェントルメン・ベスト・アルバム」というものが発売されていますが、これはまた別のものです。ああ、紛らわしい!


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by scoop8739 | 2017-10-12 08:58 | カントリー・ジェントルメン

225 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (61)

ザップへの録音 (2)

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B面1曲目「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)は、1963年4月に行われたスターディ社での最後となったレコーディング以来、196410月のライヴ「Going Back To The Blue Ridge Mountains」でも歌われていて、各地のライヴでも必ずと言っていいほど歌われる定番曲です。イントロのマンドリンが小気味よく響き、チャーリーも気持ちよく歌っているのが伝わります。

2曲目の「野は褐色に染まりて」(The Fields Have Turned Brown)1961年9月のライヴでも録音されていました。その模様は、フォークウェイズ社から発売された「オン・ザ・ロード」に収録されていて、昔から彼らがライヴ・レパートリーとしていたお得意のナンバーです。後にはセルダム・シーンのライヴ定番曲にもなっています。コーラスを追いかけるようにバンジョーが流れるようなフレーズを奏でます。

軽やかに始まる3曲目「ブルー・ベル」もまた、「Going Back To The Blue Ridge Mountains」ライヴの中で演奏されたインスト曲です。エディの安定感のあるバンジョーに続き、ジョンもまた軽やかなフレーズを奏でます。勢いに乗ってチャーリーもギターをつま弾き、三者三様の楽しいインストになりました。

緊張感走るマンドリンのトレモロで始まる4曲目「ミュール・スキナー・ブルース」は、「Going Back To The Blue Ridge Mountains」ライヴのラストを飾った曲でした。ジョンの耳にキンキン響くハイテナーと、間奏のバンジョー、ギターの軽やかな演奏が楽しいライヴをさらに盛り上げます。

さて5曲目の「ビッグ・ブルース」は、このフェスティバルの前月、レベル社のシングル盤のためにスタジオ録音したばかり、出来立てホヤホヤの新曲です。こうしてライヴで歌われると、この曲の性格上、大受けすること間違いなしです。

と、これが米国盤のすべてですが、果たして、記録にはもう1曲残されています。それが、「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」Vol.2に収録された次の曲です。

「ウィンディー・アンド・ウォーム」(Windy And Warm)はチェット・アトキンスの当たり曲で、ドク・ワトソンの演奏でもお馴染みのナンバーです。ギャロッピング・バンジョーをマスターするには格好の練習曲と言えます。特にバックにまわった時のプレイには興味が沸きます。ブルージーなマンドリン演奏に続き、エドがベース・ソロを聴かせます。

さてこのアルバム、日本盤は遅れること7年後の1974年7月に、「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」というタイトルでキング・レコード(GT-6023)より発売されます。

日本盤の場合はA面とB面が逆さになっていて、さらにA面1曲目に「待ってておくれ」(Are You Waiting Just For Me)が追加されています。この曲は、「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」から下ること2年後の録音です。また、B面1曲目には「乙女の挽歌」(I Never Will Mary)が追加されています。この曲はすでに書いていますが、1963年8月18日にマサチューセッツ州ヴァインヤードにある「ムーンカッサー・コーヒー・ハウス」にて録音されたものでした。

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by scoop8739 | 2017-10-10 11:30 | カントリー・ジェントルメン

224 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (60)

ザップへの録音 (1)

1966年7月3日、カントリー・ジェントルメンは、バージニア州フィンキャスルで催されたカールトン・ヘイニー主催のブルーグラス・フェスティバルに出演します。

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この時の模様がライヴ録音され、後にレベル社の補助的なレーベル「ザップ」(Zap)から、1967年4月に「Live From The Stage Of The Roanoake Bluegrass Festival(Zap ZLP-101)として発売されます。

それでは米国オリジナル盤に収録されている曲をご紹介致しましょう。

A面の1曲目「9ポンドのハンマー」(Nine Pound Hammer)は、ジェントルメンが1963年4月、レベル社の廉価版企画「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」のためにA面1曲目に収録している曲です。線路工事の人夫が毎日9ポンドの重いハンマーを打ちながらぼやく歌です。チャーリーとジョンの掛け合いヴォーカルがテンポよく、間奏での火の出るようなマンドリンやギャロッピング・バンジョーも、これぞジェントルメンといった感じです。

同じくギャロッピング・スタイルのバンジョーのイントロで始まる2曲目「パレット・オン・ザ・フロア」(Make Me A Pallet On The Floor)もまた、「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」のA面2曲目に収録されている曲です。いわゆるトランプ・ソングに分類されるもので、3部コーラスから始まり、間奏のマンドリンが現代的でブルージーなフィーリングを醸し出します。2番のリード・ヴォーカルはエディです。

3曲目「リパブリック讃歌」(Battle Hymn Of Republic)は、アルバム「不思議な少女」(Bringing Mary Home)A面3曲目に収録されているインスト曲です。エディのスリー・フィンガー・スタイルのバンジョー演奏をふんだんに聴くことが出来ます。

4曲目の「ロンサム・デイ」(Lonesome Day)1963年9月、アルバム「フォーク・セッション・インサイド」でのスタジオ初録音以来、彼らが得意とするナンバーで、ライヴ・レパートリーの常連曲です。3部コーラスに始まり、間奏では、バンジョーがブロック・コードを刻んだり不思議なフレーズで演奏します。マンドリンはブルージーなフレーズを奏でます。

マンドリンのトレモノでキック・オフする5曲目「二人の少年」(Two Little Boys)は、チャーリーの伸びのあるリード・ヴォーカルと、メリハリのある3部コーラスが聴きものです。間奏のバンジョーやマンドリンを含め、この曲が彼らのライヴの常連曲であることを物語るように安心して聴けます。

というところで、続きは次回に。


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by scoop8739 | 2017-10-05 08:44 | カントリー・ジェントルメン

223 ちょっと一服、1966年(昭和41年)の音楽事情。

先週が最終回だったNHK朝のドラマ「ひよっこ」は、東京五輪が開催された昭和39年(1964年)の秋から物語がスタートしています。「あかね荘」に入居した当時のみね子の部屋から見えた東京タワーは完成から8年後の姿ということになります。

その昭和41年は戦後21年にあたります。

42ヶ月も続いた「岩戸景気」(昭和33年=1958年)、それに建設ラッシュやテレビ需要の増加などに沸いた東京五輪景気の後に訪れた証券不況(昭和40年=1965年)に続き、今も語られる「いざなぎ景気」(第二次世界大戦後初の建設国債を発行)が昭和40年(〜昭和45年)に始まっています。

昭和40年の不況により向島電機が倒産するという憂き目にあってしまったヒロインのみね子(有村架純)でしたが、「すずふり亭」で働き始める昭和41年になると再び好景気に突入した世の流れにも乗り、みね子の生活水準も向上していきます。

この頃になると庶民の生活水準も向上し低価格大衆車の登場によりマイカーブームが到来します。「新三種の神器」あるいは「3C」と呼ばれた「カラーテレビ」「車(カー)」「クーラー」が国内の消費増加を大幅に後押ししました。

この年の最大の出来事はやっぱりビートルズの初来日公演ではないでしょうか? 3日間で計5回のステージを行い、全国から13千人のファンが詰めかけたそうです。

この影響で、その後10月に「ザ・スパイダース」の「夕陽が泣いている」が大ヒットしています。翌年には「ザ・タイガース」をはじめ続々と新グループが結成されGSの黄金時代に突入。昭和43年頃までブームが続きました。

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さてこの年、昭和41年(1966年)の歌謡曲では、レコード大賞受賞曲の橋幸夫「霧氷」を始め、千昌夫「星影のワルツ」、青江三奈「恍惚のブルース」、布施明「霧の摩周湖」、美空ひばり「悲しい酒」、美川憲一「柳ケ瀬ブルース」など、今でも歌える歌が発売されています。

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洋楽に耳を転じますと、シュープリームス「恋はあせらず」、サイモンとガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」、セルジオ・メンデスとブラジル’66「マシュ・ケ・ナダ」、ウィルソン・ピケット「ダンス天国」、ビーチ・ボーイズ「グッド・ヴァイブレーション」、ローリング・ストーンズ「黒くぬれ」、パーシー・スレッジ「男が女を愛するとき」、フランク・シナトラ「夜のストレンジャー」など、今でも色褪せない名曲揃いです。

もちろんビートルズ人気は相当なもので、「ペイパーバック・ライター」を6月にリリースし日本公演でも歌ってくれました。またアルバム「リボルバー」からのシングル盤「イエロー・サブマリン/エリナー・リグビー」もこの年にヒットしています。

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by scoop8739 | 2017-10-03 17:25 | ブレイク・タイム

222 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (59)

レベルへの録音 (19)

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前レコーディングから7ヶ月が経ちました。

1966年6月15日、16日の2日間、カントリー・ジェントルメンは再びメリーランド州バルチモアにある「レコーディングス・Inc」にて、レベル社のためのレコーディングを行います。レベル社へのレコーディングとしては約1年ぶりのことでした。

今回レコーディングした曲は次の通りです。

「ブルー・ベル」(Blue Bell)

この曲はジョンの父が歌っていたイタリアのオペラ曲にヒントを得て作られたと言われているインスト曲です。1964年6月にマーキュリー社へのセカンド・アルバム用に録音したこともありましたし、また同年11月にはニューヨーク州シラキュースにある「フォーク・ギャラリー」でのライヴ録音もしています。たぶんこの時期、彼らのライヴのレパートリー曲だったのでしょう。

「ビッグ・ブルース」(Big Bruce)

この曲は、カントリー歌手のジミー・ディーンが歌って大ヒットした「ビッグ・バッド・ジョン」をパロディにした曲です。身体の大きな、美容院に勤めるブルースという名のゲイのことを歌っています、というか、語りです。ライヴやコンサートでは、原曲を良く知る観客に向けてのくすぐりであり、冗談を言うように歌います。

以上の2曲はカップリングで、196610月にレベル社での4枚目のシングル盤としてリリースされました。

「ベイビー・ブルー」(It’s All Over Now, Baby Blue)

フォーク・ソングの神様と呼ばれるようになったボブ・ディランが、1965115ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオで録音した名曲です。この曲の由来についてディラン本人はこう語っています。「この曲を書いたときのことは覚えている。ジーン・ヴィンセントの歌を思い出していたんだ。ずっと好きだった曲の一つだ。高校生のときよく歌ったよ。もちろんあとで僕は別のベイビー・ブルーについて歌ったわけだけど」と。ジェントルメンのヴァージョンではジョンが切々と歌い上げています。この曲は、「スパニッシュ・トゥー・ステップ」とのカップリングで、19671月にレベル社より発売されます。また、以下の2曲と共に、1968年4月に発売されるアルバム「ザ・トラベラー」にも収録されます。

「マッターホルン」(Matterhorn)

この曲は、カントリー歌手のメル・ティリスによって作られ歌われています。それをチャーリーがグループに持ち込み、初のレコーディングとなりました。以来、チャーリーの十八番になっています。1967年5月に、「リパブリック讃歌」とのカップリングでシングル発売されます。

「暗い炭坑の中で」(Dark As A Dungeon)

この曲もまた、196411月にニューヨーク州シラキュースの「フォーク・ギャラリー」でライヴ録音をしていますが、スタジオでは初録音となります。ジェントルメンはそれ以降、ずっとライヴで演奏するほどの必須レパートリーです

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by scoop8739 | 2017-10-02 09:10 | カントリー・ジェントルメン