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207 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (45)

フォークウェイズへの録音 (11)

発売保留となったマーキュリー社へのアルバム「ナッシュヴィルの監獄」(Nashville Jail)のレコーディングからほどなくして、レベル社のフリーランド社長からアルバム制作の話が持ちかけられます。彼らはレコーディング場所をニューヨーク州にあるシラキュース大学内の「レコーディング研究所」と決め、そこで短期合宿に入ります。

この間に、大学の傍にあったライヴハウスでも演奏をしています。その模様を、大学内にあるレコード店で働く若者がテープに残していました。後に聴いてみると、この出来があまりに良かったため、彼らはフォークウェイズ社に持ち込んでレコード化を奨めます。レコーディングされた場所は「ザ・フォーク・ギャラリー」、196411月1日のことでした。

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録音されたものはしばらく発表されず、これもまたお蔵入りか?と思われたのですが、どういう訳か1967年4月に「イン・コンサート」と題されて、当時ジェントルメン人気に沸いていた日本だけで発売されます。後に本国アメリカで発売されたアルバム名は「ゴーイング・バック・トゥ・ザ・ブルー・リッジ・マウンテンズ」(Going Back To The Blue Ridge Mountains)でした。

ただし、邦盤「イン・コンサート」と「ゴーイン・バック〜」(長いので省略)とは曲順が違います。これまた米盤を正式な盤として採用させていただきます。

さらに、録音したテープがベース音を上手く捕えることができなかったため、永くベーシスト不在のライヴと言われていましたが、どうやらエド・フェリスが弾いていることが判明したようです。

それでは(発売当時のLPに合わせて)A面から説明しましょう。

非ブルーグラス的なマンドリンのイントロから始まる1曲目はタイトル曲「ブルーリッジの山々」(Going Back To The Blue Ridge Mountains)です。デルモア・ブラザーズによって歌われていた曲で、作者はアルトン・デルモア(ペンネームはジム・スコット)です。デルモア・ブラザーズ同様、数多くの「兄弟デュエット」によって歌われもしています。なおこの曲は、悪女と別れて故郷のブルーリッジの山々に帰る決意をする男の歌です。ドライヴのかかった豪快なナンバーで、以前録音していた「青い鳥が呼んでいる」(Bluebirds Are Singing For Me)に曲趣が似ています。チャーリーのヴォーカルが力強くて気持ちいいですネ。

2曲目「ゴーイング・トゥ・ザ・レイセズ」(Going To The Races)は、ジェントルメンにとっては記念すベきデビュー・シングルとして録音されていた曲です。1930年代中頃にJ.E.メイナーとマウンテニアーズがヒットさせていたもので、1958年にはスタンレー・ブラザーズが「街を塗りつぶせ」(Gonna Paint The Town)と書き替え歌っています。歌は、「競馬に行って儲けがあったら楽しもうゼ」という他愛もない内容です。この辺り、ハリウッドのミュージカル映画の主題歌「私を野球に連れてって」(Take Me Out To The Ball Game)を意識しての作品なのか、どうなのか? ジョンによって、競馬レースを彷彿させるような曲調で歌われます。

3曲目の「ブルー・ベル」は、前録音作(この時点ではお蔵入り中)の「アズロ・カンパーナ」(Azzorro Campana)と題名違いの同一曲です。カントリー界の偉大な歌手で、名ギタリストでもあったマール・トラヴィスが1940年代後期にこの曲を録音し、さらに1960年にはアルバム「ウォーキング・ザ・ストリング」(Walking The String)に収録しています。ちなみに「ブルー・ベル」というのは鐘形の花を咲かせる草の一種だそうです。

4曲目「暗い炭坑の中で」(Dark As A Dungeon)では、ジョンが「近年、フォーク・ミュ―ジック界ではポピュラーになってきた曲」と紹介していますが、説明の言葉通り「炭坑夫の哀歌」です。この曲もまた1946年に、マール・トラヴィスによって書かれ歌われていて、チャーリーはマールに敬意を表して編曲せずに歌っています。ちなみに今回のクレジットでは作者がウィリアム・ヨークとなっていて、これはスターディ社の社長ドン・ピアス氏のペンネームです。

今回はここまでにして、続きは次回で。


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by scoop8739 | 2017-08-09 10:58 | カントリー・ジェントルメン

206 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (44)

トム・グレイの退団

お蔵入りとなったアルバム「ナッシュヴィルの監獄」の録音途中で、ベース奏者がトム・グレイからエド・フェリスに代わります。

a0038167_08451514.jpgトム・グレイがカントリー・ジェントルメンに加入したのは196010月のことでした。レコーディングとして残っているは19613月からで、その月の19日にスターディでの10回目のセッションが行われています。この時、シングル盤のために用意した「レッド・ロッキング・チェア」(Red Rockin’ Chair)、「我が心は終りぬ」(I Know I've Lost You)2曲に加え、「イフ・ザッツ・ザ・ウェイ・ユー・フィール」(If That’s The Way You Feel)が録音されています。

そして翌年の4月、ジェントルメンとしては2枚目のアルバム「フォークソング&ブルーグラス」(Folksong & Bluegrass)(Folkways FA2410)で華麗なベース・プレイを披露することとなります。

トムは少年期からオールド・タイム・ミュージックに興味を持ち、レコードの収集を始めます。また12歳からはギターとマンドリンを弾き始め、ユニークなフラット・ピッキング・スタイルで演奏していたジョージ・シャフラーに影響を受けたと語っています。

シャフラーが1952年からベース奏者に転向するや、彼のウォーキング・スタイルのベースにのめり込むようになります。同時に、ジャズ界のベーシスト、キター・ベッツやギタリストのチャーリー・バードにも興味を覚えたそうです。

高校生となったトムは、通い始めたジェントルメンのライヴでメンバーと親しくなり、彼らのセッションに参加することになります。そして、当時のベース奏者だったジム・コックスが病気になった時には代演できるまでに成長します。

入学したジョージ・ワシントン大学ではブルーグラス・バンドの一員として演奏技術を磨きます。この時には既にウォーキング・ベースを修得していたようです。そして1960年の秋、いよいよジェントルメンの正式なメンバーになります。その時、彼はまだ19歳の学生でした。

以来4年間、ジェントルメンを(文字通り)底辺から支えてきたトムでしたが、「ブルーグラス・アンリミテッド」誌の編集者だったサリー・ゴヴァースとの結婚を機に、これからの生活を考えた時にミュージシャンとしての収入に不安を覚えます。

悩んだ末に、彼は月刊誌ナショナル ジオグラフィック」の発行元として有名な同協会に就職し、地図作りを仕事に選んだのでした。

ところで、トム・グレイが表舞台に復帰したのはそれから4年後のことでした。ビル・エマーソンとクリフ・ウォールドロンのバンド「ニュー・シェイズ・オブ・グラス」での新しいアルバム制作のために、ベース奏者として雇われたのです。

この時の縁があって、さらに3年後の「セルダム・シーン」への正式参加に繋がるのですが、それはまた別の話で…。

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by scoop8739 | 2017-08-08 08:45 | カントリー・ジェントルメン

205 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (43)


引き続き6曲目以降を聴きましょう。

a0038167_15140633.jpeg6曲目「冷たい風が吹く」(A Cold Wind A Blowin’)は、2曲目の「この世に住む場所もなくて」同様、ジョン・ダフィとアン・ヒル・ストリーターの合作です。ディランの「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)を意識した内容で、曲調はブルーグラスなのですが、政治的ニュアンスのプロテスト・ソングと言った方がいいかもしれません。この曲の別テイクは、1966年にリリースされたアルバム「ブリンギング・メリー・ホーム」にも収録されています。なお資料では、この曲のベース奏者がエド・フェリスとなっています。私が調べたところでは、3曲目「エレクトリシティー」と、5曲目の「ブラウン・マウンテン・ライト」も、エド・フェリスのようですが、いかがでしょう?

7曲目「アンクル・ジョー」(Uncle Joe)は、エディが幼い頃育った家の近くに住む初老の黒人をモデルにして作り歌っています。この曲もまた1966年にリリースしたアルバム「ブリンギング・メリー・ホーム」に別テイクとして収録されていますが、どちらかと言うとこちらの方に軍配が上がりそうです。

8曲目「ブルー・ヨーデル No.3」(Blue Yodel #3)はカントリー・ヨーデルの第一人者ジミー・ロジャースが作って歌っていた曲で、別名「夕陽のヨーデル」と呼ばれていました。ビル・モンロゥに影響を受けたジョンのヴォーカルが冴えわたります。

9曲目「栄光への脱出のテーマ」(Theme From Exodus)は、元々ポール・ニューマン主演で1961年に制作された映画「栄光への脱出」の主題歌でした。グレゴリー・ペックやアンソニー・パーキンスが出演した映画「渚にて」の主題曲を手がけたアーネスト・ゴールドが作曲しています。ジョンとエディはこの曲を原曲の雰囲気を損なうことなく見事にブルーグラス・インストへとアレンジしています。この曲の別テイクは、1968年にリリースされたアルバム「ザ・トラベラー」に収録されています。

10曲目「お墓のそばに花を植えて」(Flowers By My Graves)は、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」(You Are My Sunshine)を歌って有名なカントリー歌手ジミー・デイヴィスの作です。ビル・モンロゥが得意としたセイクレッド・ソングを、ジョンとチャーリーとエディの3部コーラスで歌い上げています。

オリジナル盤としての録音は以上の10曲でしたが、1990年にCDとして初リリースされるようになった時に、さらにもう1曲録音されていたのが11曲目の「待っていたのかい?」(Are You Waiting Just For Me)でした。この曲はテキサスの吟遊詩人と謳われたカントリー歌手のアーネスト・タブの作曲です。原曲はのんびりとしたものですが、ジェントルメンは軽快なバンジョーのイントロと共にノリノリのアップ・テンポで演奏されています。

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by scoop8739 | 2017-08-03 15:14 | カントリー・ジェントルメン

204 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (42)


マーキュリーへの録音
(4)

名盤「フォーク・セッション・インサイド」を発表して以降、ジェントルメン人気は高まるばかりでした。各地のライヴ・ハウスやフェスティバルからの出演依頼が殺到し、しばらく活動はライヴ中心となります。

さて、前作の録音から9ヶ月後の1964年6月5日、彼らはマーキュリー社への次のアルバム制作のため、久々にウィンウッド・スタジオでレコーディングをします。この時レコーディングされた10曲は、マーキュリー社との契約のもつれからか、結局リリースされずにお蔵入りしたのでした。

それから26年後の1990年、ピート・ロバーツの経営するカパー・クリーク社から突然の様にリリースされることになりました。

考えてみますと、あの世界的に有名なロック・グループ、ビーチ・ボーイズが、超「幻のアルバム」と言われていた「スマイル」を37年もの後に、作者ブライアン・ウィルソン自らの手によって完成させリリースした時、世代を超えた多くのファンたちからは大歓迎されたものでした。

一方ジェントルメンのこのアルバムは、当時のファンにとってリリースを喜ぶのには「時すでに遅し」の感を否めることができません。

a0038167_16372947.jpegそれでは、当時録音された10曲と、1990年にリリースされた際にボーナス・トラックとして追加された1曲を合わせて聴いてみましょう。

1曲目のタイトル曲「ナッシュヴィルの監獄」(Ballad of Nashville Jail)ドン・マクハンの作です。フォーク・セッション・インサイド」でも書きましたが、彼は「漁師の花嫁」(Young Fisherwoman)の作曲者でもあります。ジム&ジェシーのグループでギターを弾いていたり、テイター・テイトと共にベイリー・ブラザースのバンドにも在籍していました。ミドル・テンポのこの曲はジョンとチャーリーの斉唱で歌われています。

2曲目「この世に住む場所もなくて」(This Worlds No Place To Live)は、アン・ヒル・ストリーター(後にピート・ロバーツと結婚)の作詞、ジョン・ダフィーの作曲です。チャーリー・ウォーラーは出来上がったこの曲を評して、「このアルバムの中の最高傑作だ」と言ったそうですが、曲調は「500マイル」にとてもよく似ています。それをジョンが哀愁たっぷりに歌います。この曲は別テイクですが、1965年1月最後の週にシラキュース大学で録音され、レベル社からリリースされたアルバム「ブリンギング・メリー・ホーム」にも収録されています。

3曲目「エレクトリシティ」(Electricity)はとても神懸かった曲です。こういった歌を「リリジャス・ナンバー」(Religious Number)と呼んでいますが、宗教的な生まれ変わりを信じるというような内容のようです。ヒルビリー系のカントリー歌手としてそこそこ名を売っていたジミー・マーフィーが自作自演していた曲でした。リード・ヴォーカルのチャーリーはこの頃とても声がよく伸び溌剌と歌っています。また、間奏では独特のギターを聴くことが出来ます。アルバム「イエスタデイ&トゥデイ」vol.1にも同じテイクが使われています。

4曲目「アズロ・キャンパーナ」(Azzurro Campana)は、英語名「ブルー・ベル」と呼ばれる曲で、この後もジェントルメンのナンバーとしてよく演奏されます。バンジョーのエディとマンドリンのジョンの共作です。前アルバム「心の痛手」に共通するエディのバンジョー・ワークや、ジョンのギターとマンドリンを持ち替えての演奏が聴きものです。

5曲目「ブラウン・マウンテン・ライト」(Brown Mountain Light)は、3曲目の「エレクトリシティ」と同じように「光」のことを歌っていますが、こちらの方は「お化けの灯火」といったものです。「マウンテン・デュー」(Mountain Dew)やエルヴィス・プレスリーの歌で有名になった「愛していると言ったっけ」(Have I Told You Lately That I Love You)でお馴染み、スコット・ワイズマン作となっていますが、元々はノース・キャロライナ地方に伝わる民謡だと思われます。チャーリーのよく通るリード・ヴォーカルに続いてジョンとエディとによる3部コーラスとなります。

3.4、5曲目はこれ以降、彼らの十八番曲として、アルバム「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」や「ゴーイン・バック・トゥ・ザ・ブルー・リッジ・マウンテン」(邦題「イン・コンサート」オリジナルとは曲順が違います)などのライヴ盤に残されています。

この続きは次回へ。

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by scoop8739 | 2017-08-01 08:38 | カントリー・ジェントルメン