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196 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (35)

スターディへの録音 (13)

1963年7月、日本で初めてカントリー・ジェントルメンのLPが発売されました。これはスターディ社でのベスト盤「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」と同じ内容で、日本向けにタイトルを「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」と改めた初期ジェントルメンの全貌をしっかりと伝える内容のアルバムでした。

a0038167_12143847.jpgところで、この年のジェントルメンは超多忙を極めます。彼らはその人気に伴って多くのライヴとレコーディングを抱えることとなります。その中のひとつに、スターディ社所属のアーティスト、ビル・クリフトンのレコーディング・セッションで彼のバック・バンドを勤めます。

このレコーディングは「ビル・クリフトン・ミーツ・ザ・カントリー・ジェントルメン」(Starday)のタイトルで本邦でもリリースされています。また1975年に、このアルバムは西ドイツのベア・ファミリーより3枚組アルバム「ゴーイング・バック・トゥ・ディキシー」としてリリースされ、さらに2001年6月には「Around The World To Poor Valley」(Bear Family 16425 HK)という8枚組CDボックスの一部に完全収録されています。ここでは彼らがバックを勤めた全作品をタイトルだけでもご紹介しましょう。

8月5、6、7日の3日間でレコーディングされた曲は全16曲でした。
ゴーイング・バック・トゥ・ディキシー (Going Back To Dixie)
母の祈り(Your Mother Still PraysFor You, Jack)
どぶろく造り (Moonshiner)
ジャスト・ア・スマイル (Just A Smile)
ロンリー・リトル・キャビン (Lonely Little Cabin)
鉱夫の子の夢 (Dream Of The Miner's Child)
グランドホッグ・ハント (Groundhog Hunt)
エンジン23 (Engine Twenty-Three)
ジム・ハットフィールドの息子 (Jim Hatfield's Son)
土曜の夜 (Saturday Night)
ロンサム・フォー・ユー (Lonesome For You)
怠け者の求婚 (Lazy Courtship)
輝ける河を越えて (Across the Shining River)
ロール・ザ・コットン・ダウン (Roll The Cotton Down)
テイク・ミー・バック (Take Me Back)
ロンサム・フィールド (Lonesome Field)

続いて9月3、4日の2日でレコーディングされた曲は全15曲でした。
緑の谷間 (The Little Green Valley)
人生の重荷をおろす時 (When I Lay Burdens Down)
岸辺で (At My Window)
レイ・ダウン・マイ・オールド・ギター (Gonna lay Down My Old Guitar)
柳のそよぐ所 (Where The Willow Gently Sways)
君といれば (When I'm With You)
孤独の夜 (My Nights Are Lonely)
窓辺の灯 (Lamp In The Window)
ルイーズ・コリンズ (Louis Collins)
アイル・ビー・サティスファイド (I'll Be Satisfied)
オールド・ルーベン (Old Ruben)
マイ・シンディー・ガール (My Cindy Girl)
ディキシー・ランブル (Dixie Ramble)
ビッグ・ビル (Big Bill)
ブリンギング・マリー・ホーム (Bringing Mary Home)

【資料参考: Bear Family“Bill Clifton / Going Back To Dixie”(Bear Family 15000-2)】

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by scoop8739 | 2006-04-16 12:15 | カントリー・ジェントルメン

195 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (34)

レベルへの録音 (7)

4月14日のアルバム「フーテナニー」のレコーディング後、ジェントルメンはレベル社でさらに3曲録音しています。その3曲は「白バラ」(The White Rose)、「ジェントルマン・イズ・ブルー」(The Gentleman Is Blue)、「フィラデルフィア・ロウヤー」(Philadelphia Lawyer)ですが、この中でとくに「白バラ」については記録が曖昧なため、実際この日に録音されたのかどうかは正確ではありません。その「白バラ」はすでに解説していますので、他の2曲に話を進めましょう。

「ジェントルマン・イズ・ブルー」はエディとジョンの合作によるインストゥルメンタル曲です。これは非常にブルージーなナンバーで、所謂みんなで即興演奏していたら出来上がったというような曲です。これをピートがテープに録音し、それを元に本格的に仕上げました。この曲は、最初「Dのブルース」と呼ばれていましたが、途中からジョンが「スイフト・キック・イン・ザ・B」なる意味不明のタイトルを思いつきます。しかし結局、「ジェントルマン・イズ・ブルー」という曲名に落ち着きました。エディの何とも形容しがたいバンジョー・プレイが聴きものです。ベース・ソロのトムもいつになくスィングしています。

「フィラデルフィア・ロウヤー」は、ウッディー・ガスリーが書いた「リーノウ・ブルース」を、カントリー・シンガーのローズ・マドックスが詞をそのままに改題したものです。曲の内容は結婚を拒んだ恋人を殺害する話を歌ったバラードで、ジョンがソロで歌い、間奏のバンジョーはオーソドックスに演奏されています。この曲は本邦ではアルバム「ダイナおばさんのパーティー」(キングGT6022)に収録されました。

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-13 20:07 | カントリー・ジェントルメン

194 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (33)

フーテナニーって何?

再度書きますが、「フーテナニー」(hootenanny)というのは、フォーク・ソングのバンドやら歌い手たちが次々に出てきて歌い、最後は観客を巻き込んでシング・アウトで締め括るというコンサートの形式です。アメリカ発祥のこの波はやがて我が国にも到達します。一連のブームはモダン・フォークのうねりとなって全国に広がりました。

1958年にキングストン・トリオの「トム・ドゥリー」が全米No.1のヒットします。この曲は翌591月に日本でも発売されてヒットしました。そして61年には早くもキングストン・トリオが来日し、翌62年にはブラザース・フォア、さらに翌63年にピート・シーガーなど蒼々たるシンガーが来日しています。

これを受けて、我が国では大学のキャンバスを中心にしてフォーク・ソング・ブームが起き、そのイベントを「フーテナニー」と呼んで、各大学主催で続々と開催されました。フォーク・ギターを持って歌いだしたという点では、エレキかアコギかの違いだけで、ベンチャーズのそれと同質の流行であったといえるのですが、こちらの中心は成城、青学といった、どちらかというと育ちの良い「良家のお坊ちゃん」的な若者が多く、多種多才な人間が混在していた「エレキ」とは雰囲気を異にしていました。

1966年にモダン・フォーク・カルテットのリーダーだったマイク真木が「バラが咲いた」でデビューします。「日本初のフォーク・ソング」のふれ込みでしたが、作詞・作曲はポップス色が強かったとはいえ、既成の作曲家、浜口庫之助で、明らかに売れ線狙い、当時のフォーク青年たちをガッカリさせたものです。それでも、この曲は思惑通りに大ヒットしました。

この成功を受けて、黒沢久雄のいたブロード・サイド・フォーが「若者たち」でデビューします。さらに成城学園高等部3年生だった森山良子が「この広い野原いっぱい」でデビュー。この曲は森山良子の自身の曲で、おそらく日本フォークとしてはオリジナル・ヒット第一号でしょう。こうして「カレッジ・フォーク」と呼ばれた第一次フォーク・ソング・ブームは静かにその勢いを増していったのです。

また、スチューデント・パワーという推進力を得たサブ・カルチャーの波は、音楽のみならず、ファッションをも巻き込んでいきます。カレッジ・フォークのグループはそのほとんどが、アメリカン・トラッド、アイビー・ルックに身を包み、これが一般学生にまで普及し、女子学生のミニ・スカートの流行と合わせて、そのカジュアルなスタイルは、それまでの学生服、白いブラウスにプリーツ・スカートを一気に古い物へと追いやったのでした。

1963年はフーテナニー(アメリカの「みんなでフォーク・ソングを楽しみましょう」の意味)という言葉が入ってきて、 日本初のフーテナニー・コンサートが開催された年です。この頃はまだ、アメリカのカントリー&ウエスタンが全盛であり、フォークソングはそれほどでもなかったので、このフーテナニー‘63はフォークをやっていた人たちにとって大きな出来事でした。

こういう動きによって、当時のフォークシンガーたちは自ら歌う場所を確保していったのです。主な出演者は、セント・ポールズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズ、カントリー・フレッシュメン、山田耕筰、真中勝子という人たちでした。


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by scoop8739 | 2006-04-12 16:25 | カントリー・ジェントルメン

193 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (32)

レベルへの録音 (6)

a0038167_11043901.jpgB面1曲目「ノックスヴィル・ガール」(Knoxville Girl)は、古いイギリス民謡の「ウェックスフォード・ガール」(Wexford Girl)をベースに作られた曲で、ルーヴィン・ブラザースがレコーディングをしています。ジェントルメンは曲を通してトリオ・コーラスで歌っています。この曲は2003年に発売されたCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)にも収録されています。

2曲目の「レッド・ウィング」(Red Wing)はケティ・ミルズが1907年に作曲し、のちにサーランド・チャタウェイが詞をつけました。1920年代に多く演奏された非常にポピュラーな曲です。バンジョーが快調に飛ばし、マンドリンがそれに続きます。途中からエディが手癖のようなギャロッピングを差し挟みます。

3曲目「ニアラー・マイ・ゴッド・トゥ・ジー」 (Nearer My God To Thee) は、サラ・フラワー・アダムスの詞に、1856年ロウウェル・メイソンが曲をつけた、讃美歌320番「主よ、みもとに」、または聖歌260番「主よいよいよ」として知られた曲です。「どこに行けばあなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはいまし陰府(よみ)に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます」と歌われます。ルーヴィン・ブラザースもまたレコーディングをしている曲ですが、ジェントルメンはギターとマンドリンをバックにクワルテットで歌います。

4曲目の「ケティ・ディア」(Katy Dear)は古くはカーター・ファミリーやブルー・スカイ・ボーイズによって歌われたトラディッショナル・ソングです。「オハイオの岸辺で」に似た内容の歌で、ジェントルメンの素晴らしいトリオ・コーラスが聴かれます。この曲も前述のCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)に収録されました。

5曲目「ユー・レフト・ミー・アローン」(You Left Me Alone)はベースのトム・グレイがジェリー・スチュアートと共作した曲です。切り裂くようなジョンのマンドリンでキックオフし、この曲もトリオ・コーラスで歌われます。この曲も同じくCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)に収録されました。

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-10 22:51 | カントリー・ジェントルメン

192 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (31)

レベルへの録音(5)

a0038167_11043901.jpg「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」とタイトルされたカントリー・ジェントルメンのアルバムは、ブルーグラス・マーケット以外のより広い聴衆を獲得するため、ディスカウント・ストア向けに販売されました。

そのA面1曲目の「9ポンドのハンマー」 (Nine Pound Hammer)は、線路工事人夫が毎日9ポンドの重いハンマーを打ちながらぼやいてるような曲で、ブルーグラスではスタンダード曲となっています。ジェントルメンの演奏ではギターの入ってくるタイミングがとてもよく、3回目のブレイクではエディのギャロッピング・バンジョーも心地よく聴かれます。

2曲目「パレット・オン・ザ・フロアー」 (Pallet On The Floor)は、フォーク畑ではウィーヴァースやエリック・フォン・シュミット、オデッタに歌われた古い民謡ですが、ジェントルメンはこの曲を現代的に、かつブルージーに料理しています。トリオ・コーラスに始まり、チャーリー、エディ、ジョンの順に歌われます。この曲は後年、アルバム「ロアノーク・ライヴ」や「イエスタデイ・アンド・トゥデ」vol.3で発表されています。

3曲目の「イースト・ヴァージニア・ブルース」 (East Virginia Blues)は、マンドリンのクロス・ピッキングのイントロに続いてトリオ・コーラスで歌われます。バンジョーもマンドリンのフレーズをなぞるような演奏を聴かせます。この曲もブルーグラスではスタンダード曲ですね。やはりアルバム「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」vol.2で発表されました。

4曲目「エディ・オン・ザ・フリーウェイ」 (Eddie On The Freeway)は、「パティ・オン・ザ・ターンパイク」(Patty On The Turnpike)というフィドル・チューンをエディ流にアレンジしたインストゥルメンタル曲です。バンジョーが弾むように高らかに鳴り響き、マンドリンも淀みのない流れるようなブレイクを聴かせてくれます。

5曲目の「500マイルも離れて」 (500 Miles)は、いうまでもなくフォーク・ソングのスタンダード曲です。我が国ではピーター・ポール&マリーの歌で有名ですが、キングストン・トリオなども歌っています。しかしジェントルメンが取り上げたのはジャーニーメンのヴァージョンでした。このジャーニーメンというのは、のちにママス&パパスを結成するジョン・フィリップスと、「花のサンフランシスコ」(ジョン・フィリップス作)のヒットで有名なスコット・マッケンジーが在籍していたフォーク・グループでした。ちなみに彼らは「パレット・オン・ザ・フロアー」もレパートリーにしていました。ジェントルメンはこの曲をアルペジオ風のバンジョーと、マンドリンがトレモロでイントロのメロディーを奏で、ジョンのリード・ヴォーカルにつなぎます。この曲はアルバム「25 YEARS」(CDでもリリース)で発表されました。

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-07 21:20 | カントリー・ジェントルメン

191 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (30)

レベルへの録音 (4)

フォーク・ソングのバンドや歌い手たちが次々に出てきて歌い、最後は観客を巻き込んでシング・アウトで締め括るという観客参加型のコンサート形式を「フーテナニー」(hootenanny)と呼んでいます。そんな中から「花はどこへ行った」とか、「勝利を我らに」だとか、「ウィモアエ(ライオンは寝ている)」などの曲が生み出され、あるいは掘り起こされ、いわゆるモダン・フォークの波が起こったのでした。

さて、その「フーテナニー」をタイトルにしたカントリー・ジェントルメンのアルバムがレコーディングされたのは、先のスターディでのセッションから3日後の4月14日のことでした。たった1日でレコーディングされたのには訳がありました。このアルバムはレベa0038167_10481863.jpgル社によってディスカウント・ストア向けに制作されたもので、コストをかけずに格安販売する目的で作られています。ジェントルメンは、格安販売だからこそ多くのリスナーに聴いてもらえるとの理由からレコーディングに踏み切ったというのです。つまり彼らの目的とは、自分たちの音楽をより多くの聴衆にアピールすること、それもブルーグラスのファンだけでなく、その手の音楽を聴きたいと思った人には誰にでもアピールするように仕向けることでした。これについて彼らは素材選択として、より新しく、より広い聴衆を指向した曲がレパートリーに加えられました。

このアルバムは「デザイン」というレーベルで発売されています。本邦未発売ですので、その存在すらあまり知られていませんでした。しかし最近になってその音源が少しずつCD化され始めたのは、ジェントルメン研究にとって実に喜ばしいことです。なお、このアルバムに収録されていたのは以下の10曲でした。

A面
9ポンドのハンマー (Nine Pound Hammer)
パレット・オン・ザ・フロアー (Pallet On The Floor)
イースト・ヴァージニア・ブルース (East Virginia Blues)
エディ・オン・ザ・フリーウェイ (Eddie On The Freeway)
500マイル (500 Miles)
B面
ノックスヴィル・ガール (Knoxville Girl)
レッド・ウィング (Red Wing)
ニアラー・マイ・ゴッド・トゥ・ジー (Nearer My God To Thee)
ケティ・ディア (Katy Dear)
ユー・レフト・ミー・アローン (You Left Me Alone)

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-04 20:32 | カントリー・ジェントルメン

190 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (29)

スターディへの録音 (12)

ジェントルメンはスターディ社との契約に不満を抱き、新たにレベル社と契約するや次々とレコーディングを始めました。そこでスターディ社は1963年4月11日、彼らとの最後のシングル盤制作のセッションをウィンウッド・スタジオで行います。この日レコーディングされたのがシングル用の曲「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)と、「ナイトウォーク」、「ジェシー・ジェイムズ」の計3曲でした。

「どぶろく造りのやかん」は、アルバート・フランク・ベドウ作のいかにも通好みの一風変わったムードを持った曲で、ボブ・ディランやジョーン・バエズによっても歌われています。チャーリーはラジオでこの曲を聴いて、バンドで演奏してみようと思い立ったのだそうです。なお、この曲は以前に録音されていた「サンライズ」とのカップリングで翌5月にシングル・リリースされると、ソルト・レイク・シティのカントリー・チャートで1位を獲得しています。

しかしながら、このとき彼らはより広範な全米的人気を得るチャンスを逃しています。というのも、この曲はキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」と同様に全米ヒットさえ可能と思われたのでした。ところがメンバーのジョン・ダフィーは、ミュージック・ビジネスに対して頑までの警戒心からメジャー・レーベル(たぶんマーキュリー)からのリリースを拒否したのでした。その結果、彼らはフォーク・ブームの絶好のチャンスに、その音楽性では圧倒的に優位であったにもかかわらず、全米的な名声を逃してしまったのでした。

閑話休題。「ナイトウォーク」はエディ・アドコックによるインストゥルメンタル曲です。 いうまでもなくこの曲は、それまでのブルーグラスにないタイプのものでした。ピートがペプシ・コーラの瓶を釘でリズムをとると、エディのバンジョーがテンポよくスタートします。まさにブルーグラス・ジャズと呼ばれるに相応しい名曲の誕生でした。

「ジェシー・ジェイムズ」は、アメリカ南部に実際に存在した“鼠小僧”のような怪盗を歌った曲で、フォークウェイズでのデビュー・アルバム「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」にも収録されています。ジェントルメンの歌う数多いトラッド・ナンバーの中でも、とりわけ人気の高い曲です。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-04-02 10:35 | カントリー・ジェントルメン