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189 ちょっと一服、1963年(昭和38年)の流行歌を…

カントリー・ジェントルメンがアメリカ東海岸で活躍していた1963年(昭和38年)とは一体どんな年だったのでしょう。日本での流行歌に対比させながら話を進めてまいりましょう。

昭和30年代も終わり頃になると、流行歌の世界でも世代代わりを感じさせるような状況になってきました。つまり、三橋美智也、春日八郎、フランク永井、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみといった昭和20年代、30年代の前半から活躍していた大スターたちに代わって、若いスターがヒットを飛ばすようになります。

a0038167_15165716.jpgこの年のヒット曲を思いつくまま挙げてみると、梓みちよが歌った「こんにちは赤ちゃん」、舟木一夫の「高校三年生」、三田明の「美しい十代」、北原謙二の「若いふたり」、坂本九の歌った「見上げてごらん夜の星を」などの青春歌謡が数多くヒットしています。

また、梓みちよと田辺靖雄の「ヘイ・ポーラ」、ダニー・飯田とパラダイス・キングをバックに九重佑三子が歌った「シェリー」などのカヴァー・ポップスもヒットしました。

洋楽では、サーフィン&ホットロッド・ブームをうけて、ビーチ・ボーイズの「サーフィン・U.S.A.」、ジャン&ディーンの「サーフ・シティ」、アストロノウツの「太陽の彼方」、サーファリーズの「ワイプ・アウト」、ロニー&デイトナスの「GTOでぶっとばせ」が流行り、ジョニー・シンバルの「ミスター・ベースマン」、カスケイズの「悲しき雨音」、ジョニー・ティロットソンの「キューティ・パイ」、ヴェルヴェッツの「愛しのラナ」といったアメリカン・ポップスがラジオ番組でよく流れていました。

前年から引き続いてのフォークソング・ブームに乗って、PP&Mの「パフ」や、ロルフ・ハリスの「悲しきカンガルー」、ニュー・クリスティ・ミンストレルズの「グリーン・グリーン」なんかがヒットしています。そして極めつけがボブ・ディランの「風に吹かれて」でした。

またこの年、バンジョーという楽器を日本で広く知らしめた曲「ワシントン広場の夜は更けて」(ヴィレッジ・ストンパーズ゛)も流行しています。

一般的には、高度成長政策による所得上昇にともなって各家庭にテレビ受像機が急速に普及し、話題のテレビ番組を一家揃ってみることが団欒娯楽の中心になったのもこの頃でした。結婚と同時に、独身時代の4畳半一間のアパートから何とか抜け出し、水道完備・ガス見込みの文化住宅に住み、テレビ、洗濯機、冷蔵庫など電化製品を所狭しと並べて、台所のある部屋の真ん中に赤外線の電気ごたつ、卓上にはミカンやおかきを置き、みんながテレビをみながらそれに手をのばし、「狭いながらも楽しい我が家」を実感するというのがこの頃の「しあわせ」の典型で、「ホーム・ドラマ」も次々と制作されています。

しかし、明るい話題ばかりでもありませんでした。衝撃的な事件が起きたのもこの年です。それは翌年に開催される予定の東京オリンピックを世界に生中継しようということで、宇宙通信衛星を使って中継放送が行われていた11月23日のことでした。

時のアメリカ大統領、ジョン・F・ケネディのメッセージを日本に伝えるべく、大統領がダラス空港に着き、オープン・カーに乗って人々の歓呼にこたえる映像を送っていた時のことでした。人々に手を振っていた大統領が突然座席に倒れたのです。まったく偶然にも、中継放送の最中に大統領が暗殺された瞬間が映し出されたのでした。

テレビはリアルタイムで出来事の映像を伝えると言われてきました。国内の事件報道などで確かにそれを実感しはじめていたのですが、世界の出来事ではまだまだ先の話だと思っていました。その最初を東京オリンピックでとNHKの技術陣は意気込んでいたのでしたが、それが一年も前にこんな衝撃的な事件で実現しようとは誰も想像できなかったのです。これをきっかけにテレビはその速報性を自覚し、めざめたように事件現場からの生中継報 道を行うようになりました。

さて、話を流行歌に戻すと、この年の「紅白歌合戦」は81.4%という驚異的な視聴率を記録しています。一体どんな顔ぶれで、どんな歌を歌ったのか、誰もが興味のあるところでしょうが、いくら他に愉しみがなかったといっても、この視聴率は現在では考えられないものですね。
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by scoop8739 | 2006-03-30 15:17 | ブレイク・タイム

188 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (28)

レベルへの録音 (3)

前回(1962年11月)に引き続いて1963年3月、ジェントルメンは再びレベル社で3曲ほど録音しています。その3曲は「疲れ果てて」(I Am Weary)、「せつない日」(Sad and Lonesome Day)、「青い鳥が呼んでいる」(Bluebirds Are Singing For Me)ですが、この3曲にしても正式な記録なのかどうかわからないようです。

a0038167_20505222.jpg先にも書きましたが、レベル社がレコーディングに用いた場所はピート・カイケンダル所有の「ウィンウッド・スタジオ」(Wynwood Studio)というところで、ここはのちのマーキュリーでのアルバム「フォーク・セッション・インサイド」が録音されたのと同じ場所でした。だからこれらの曲がマーキュリー盤に使われたものなのか、リハーサルとしてレコーディングされていたものなのか、不思議と区別がつかないのです。

レベル社のコメントによると、これらのセッションの途中でマーキュリー社との契約が成立したので、ここでレコーディングされた曲がマーキュリーのアルバムに収録されたとのことです。もしもレベル社のコメントが正しいのであれば、「フォーク・セッション・インサイド」はすでに半年前から準備されていたことになります。ちなみにレベル盤はモノラルで録音されており、マーキュリー盤ではステレオとなっています。どうもこの辺りにヒントが見つかりそうですが、いかがなものでしょうか?

なお、この3曲については「フォーク・セッション・インサイド」の項でまとめて解説させていただきます。


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。
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by scoop8739 | 2006-03-29 20:51 | カントリー・ジェントルメン

187 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (27)

フォークウェイズへの録音 (10)

a0038167_17162636.jpgカントリー・ジェントルメンのフォークウェイズ3作目にして最初のライヴ・アルバム「オン・ザ・ロード」は、それまでブルーグラスが演奏される場所とは全く異なる場面、観客へのアプローチで、彼らの面目躍如たるところを示してくれました。このアルバムのB面は、オハイオ州コロンバスのあるセイクレッド・マッシュルームというコーヒー・ハウスで行われたライヴの模様をレコーディングしたものです。

1曲目の「心の痛手」(Heartaches)は、1947年にヒットしたジャズ系ポピュラーのスタンダード曲です。ジェントルメンは「サンライズ」で示したように、ブルーグラスとは少し離れた切り口、ニュアンスで、この曲を彼らなりのアレンジで聴かせています。

2曲目の「グラス・オブ・ワイン」(Little Glass Of Wine)は、スタンレー・ブラザーズも歌っていた殺人をテーマにした曲です。恋人の不実を誤解した男性が、ブドウ酒のグラスに毒を入れて殺人を犯し、自らもそれを飲んで死んでいったという話です。

3曲目「エルサレムを歩いて」(Walking In Jerusalem)は、次の曲「私は巡礼者」同様、キリストの伝道の旅をテーマにしたもので、エルサレムの歴史的叙述を素材にしています。

4曲目の「私は巡礼者」(I Am A Pilgrim)も前曲同様のセイクレッド曲で、素材は旧約聖書の創世記にある「アブラハムの放浪」から持ってきています。作者はお馴染みのカントリー・シンガーのマール・トラヴィスで、この曲は大御所ビル・モンロウや、ケンタッキー・カーネルズなどもレコーディングしているほど、今ではブルーグラスの名曲となっています。

5曲目「トムへの手紙」(Letter To Tom)は、1960年1月のスターディ3度目のセッションを最初に、カーネギー・ホール・コンサートでも取り上げている彼らのお得意のナンバーです。

6曲目の「ロウ・ハイド」(Raw Hide)は、ブルーグラス・インストゥルメンタルの定番曲で、ビル・モンロウの作です。ジェントルメンのライヴでは必ずと言っていいほど取り上げられています。マンドリンの演奏技術がたっぷりと聴けるもので、ジョンの弦も切れんばかりの迫力ある演奏を楽しめます。

7曲目はコミカルにアレンジした「ブルー・リッジ・マウンテン・ブルース」(Blue Ridge Mountain Blues)です。アパラチアン山系のスモーキーな山小屋の背景描写が数多く使用されています。ジェントルメンはこの曲をおもしろおかしく、英国人風な訛りで歌い、観客の大受けを得ています。

このアルバムでは、ダフィ、ウォーラー、アドコック、グレイの“クラシック・カントリー・ジェントルメン”による、彼らにしか為し得ないハイ・テンション・ブルーグラスの真髄を聴くことができます。


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by scoop8739 | 2006-03-26 17:27 | カントリー・ジェントルメン

186 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (26)

レベルへの録音 (2)

続く11月17日、ジェントルメンは3曲ほど録音したことになっています。その3曲とは「白バラ」(White Rose)、「サンライズ」(Sunrise)、「沈黙と涙」(Silence Or Tears)ですが、この辺りのレベル社のコメントが曖昧なため、はたして正式な記録なのかどうかわからない(というのも、アルバム「イェスタデイ&トゥデイ Vol.3」のレコーディング記録とボックス・セット「アーリー・レコーディング」との記録に決定的な違いあるため)のです。

のちに権利の関係からか、この録音はレベル社のためにしたことになっていますが、レベル社との契約以降、ジェントルメンは「ウィンウッド・スタジオ」(Wynwood Studio)でレコーディングをするようになりました。ところがまだスターディ社との契約も残し、さらに話を複雑にしてしまうことになるのが、あの名盤「フォーク・セッション・インサイド」もこのスタジオで録音されたものなのでした。

いずれにせよ「白バラ」は記録では新出の曲ですので,これは間違いないこととして(ところがボックス・セット「アーリー・レコーディング」では翌1963年4月にも録音されたという記録があります)、「サンライズ」と「沈黙と涙」の2曲については先のスターディ社での11回目のセッション(1961年11月6日)と同じもののように思えます。

a0038167_21201092.jpg話が横道に逸れてしまいましたが、「白バラ」はいかにもジョン・ダフィーらしいオリジナル曲です。この曲は伝承歌「プリティ・ポリー」(Pretty Polly)にインスパイアされて作られたものと思われますが、歌詞の内容と曲調がうまく調和していないところが、いかにもジェントルメンらしいところではないでしょうか?


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいております。

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by scoop8739 | 2006-03-23 21:16 | カントリー・ジェントルメン

185 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (25)

レベルへの録音 (1)

a0038167_1110259.jpg1962年になってカントリー・ジェントルメンはレベル社と契約しました。この辺の事情は全くわからないのですが、スターディ社との契約を維持しながら、フォークウェイズ社とも契約し、さらにレベル社と契約を結ぶという荒技をやっています。このレベル社というのは、1959年11月にチャールズ・R・“ディック”・フリーランドによって設立されたレコード会社で、ワシントンD.C.エリアのミュージシャンを中心にシングル盤制作を始めています。

さてカントリー・ジェントルメンは1962年11月、クリスマス・シーズンに間に合わせるべくシングル用に2曲ほどレコーディングします。それは「クリスマス・タイム・バック・ホーム」と「ホームワード・バウンド」という曲でした。

「クリスマス・タイム・バック・ホーム」は、メンバーのジョン・ダフィーがアン・ヒルの手を借りて作曲したものです。このアン・ヒルという女性はピート・カイケンダルの奥さんです。セッションではクリスマスらしい音として、ヴィブラフォンが使われています。演奏しているのはレイ・マーシャルというミュージシャンでした。

もうひとつの「ホームワード・バウンド」は、ジェントルメンが1957年にリリースしたデビュー・シングル盤の片面に収録されていた曲です。この盤は今ではマニア溜飲の幻アイテムとなっていますが、同曲をレベル社での初レコーディングに持ってきたというところに彼らの意気込みが感じられます。


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】

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by scoop8739 | 2006-03-21 11:10 | カントリー・ジェントルメン

184 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (24)

フォークウェイズへの録音 (9)

a0038167_011397.jpg1963年6月にリリースされたLP「オン・ザ・ロード」は、カントリー・ジェントルメンの真骨頂と言うべきライヴ・コンサートの模様を伝えたものでした。このアルバムのA面は1962年4月13日、オハイオ州イエロー・スプリングにあるアンティオク大学でのライヴです。この場所では過去にオズボーン・ブラザーズが、ブルーグラス・バンドとして初めてのライヴを行っています。

1曲目「ハンサム・モリー」(handsome Molly)は、イギリスの伝統的なフォーク・ソングをアレンジしたもので、フォークウェイズでの2枚目のアルバム「シング&プレイ・フォークソングズ・アンド・ブルーグラス」に収録されています。

2曲目の「サニー・サイド・オブ・ライフ」(Sunny Side Of life) は、ビルとアールのボリック兄弟のグループ、ブルー・スカイ・ボーイズのオリジナル曲です。ブルーグラス特有の楽天的な内容の歌で、ジェントルメンはこのライヴで初めて発表した後、1971年にリリースしたアルバム「One Wide River To Cross」でもレコーディングしています。

3曲目「エレン・スミスの物語」(Poor Ellen Smith)は、実際に起こった殺人をテーマにしたもので、サザン・マウンテン・フォークの名曲です。主人公は恋人であるエレン・スミスを射殺した罪で投獄され、彼女への懺悔の気持ちで歌っているものです。ジェントルメンはスターディ社とフォークウェイズ社の双方でスタジオ録音しています。

4曲目の「黒いヴェール」(Long Black Veil)は、レフティ・フリーゼルが1951年に歌って大ヒットさせた曲です。不倫関係と殺人事件を絡ませた内容の曲で、人間関係の弱点を効果的に用いた社会性あるストーリーを持った歌です。ジェントルメンはフォークウェイズでの初のアルバム「カントリー・ソングズ、オールド・アンド・ニュー」で初めてレコーディングしていますが、ライヴでも必ずと言っていいほど演奏している曲です。

5曲目「おじいさんの古時計」(Grandfather's Clock)もサザン・マウンテン・フォーク・ソングの代表的な曲です。昔から居間に飾ってある愛用の古時計に、今は亡き祖父の面影を重ねるという、いかにも古き良き時代の風情を忍ばせる名曲です。トム・グレイによる間奏のベース・プレイが聴きものです。

6曲目の「住む家もなく」(Ain't Got No Home ) はカントリー・ブルースに見られるシンプルな内容をテーマにした曲です。チャーリーがいろいろと声色を変えてコミカルに歌います。前曲とこの曲は当時、初めて公式に発表されていますが、以前からライヴでのレパートリーだったようです。

彼らのライヴは、そこがたとえコンサート・ホールであれ、コーヒー・ハウスであれ、いつも軽いジョークが飛び出して、リラックスして演奏を楽しんでいるように聴こえます。

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by scoop8739 | 2006-03-19 00:15 | カントリー・ジェントルメン

183 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (23)

スターディへの録音 (11)

a0038167_210150.jpgB面1曲目の「レッド・ロッキン・チェアー」(Red Rockin' Chair) もこの年3月の10度目のセッションでレコーディングされている曲です。ジェントルメン以前には「Sugar Baby」とか「Honey Baby」というタイトルでも歌われていました。ジェントルメンはとてもドライヴの聴いた演奏を聴かせてくれます。

2曲目「おとめの挽歌」(I'll Never Marry) は1959年3月、6度目のセッションでレコーディングされています。リンダ・ロンシュタットも取り上げているこの曲を、ジェントルメンはドブロを多用して演奏しています。

3曲目の「びっこのウィリー少年」(Willie Roy, The Crippled Boy)は、このセッションで録音された曲です。チャーリーとジョンのデュエットでダイナミックに歌われます。

4曲目「サンライズ」(Sunrise)は、ジェントルメンの得意とするジャズ・ナンバーをブルーグラス・アレンジしたものです。チャーリーによると,ジャズやブルーグラスはフリーダム・タイプの音楽であると言います。そこで自分たちが何か新しいものをやろうとすると(やると)、特にジャズを意識しているわけではないにしろ,ファンの耳にはジャズ的なサウンドとして受け取られたのだそうです。エディのユニークなバンジョーとトムの正確なベースが素晴らしい曲です。

5曲目「沈黙と涙」(Silence Of Tears)も、このセッションで初めて録音された曲です。この曲はトムのオリジナルで、ジョンが男性的な力強いハイ・テナーで一気に聴かせます。

6曲目「ニュー・フリーダム・ベル」(New Freedom Bell) ) は1959年6月、7度目のセッションでレコーディングされました。ハイ・ファルセット・コーラスで歌われる自由を讃えた希望の歌です。

7曲目「チャーチ・バック・ホーム」(Church Back Home)の録音が一番古く、19587年5月に行われた3度目のセッションからのものです。カントリー・チャーチへ想いをたぐると言った、よくあるパターンの郷愁歌です。ジョンのリードに被さるようなハミングといい、コーラスといい、全く手慣れたいい感じです。のちに「Along The Way」というタイトルで再録音されています。


【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-03-17 21:02 | カントリー・ジェントルメン

182 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (22)

スターディへの録音 (10)

a0038167_23514341.jpgカントリー・ジェントルメンにとってカーネギー・ホール・コンサートの成功は、スターディ社にとっては新たなビジネス・チャンスとなりました。スターディ社はジェントルメンが既にレコーディングしてあった6曲に,新たにスタジオ録音した8曲(新録6曲、再録2曲)を加えて1枚のアルバムをリリースします。題して「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」。まさに他人のふんどしにも似た、何とも安直なタイトルではありませんか。しかしジェントルメンにとってはスターディでの初アルバムであり、それまでの総決算のようなベスト盤となったのでした。このレコーディングは1961年11月6日のことでした。

A面1曲目の「我が心は終りぬ」(I Know I've Lost You)はこの年3月の10度目のセッションでレコーディングされている曲です。ジョンのテナー・リードとドブロがいやが上にもブルーなムードを盛り上げます。

2曲目「ボクだけのこと」(Nobody's Business)は1959年5月、6度目のセッションでもレコーディングされていますが、その時はエディが加入する前で、バンジョーはピートが弾いています。今回のはエディのバンジョーで再レコーディングされました。

3曲目「水、静かなるところ」(Down Where The Still Waters Flow)は、チャーリーのリード・ボーカルによるカントリー色強い、天国を讃えたセイクレッド・ナンバーです。なおこの曲はピートの作となっています。

4曲目の「カントリー・コンサート」(Country Concert)は、正式なタイトルは「ジョン・ハーディ」です。チャーリーによると、エディがバンドに加入する際に持ってきたレパートリーと言われていますが、ビル・エマーソンが在籍していた頃のセッションでも録音されたことがある曲です。

5曲目「トムへの手紙」(Letter To Tom) は1960年1月の8度目のセッションでレコーディングされています。ドブロが効果的に使われているスローなナンバーです。

6曲目「二人の少年」(Two Little Boys)は、南北戦争が背景となったかなり古い曲です。ジェントルメンによってアップ・テンポに演奏されましたが、このレコーディング以来、チャーリーのフェイバリット・ソングとなりました。

7曲目の「この神の子等」(These Men Of Gold)は、先のカーネギー・ホール・コンサートでも歌われていますが、正式にスタジオ録音されたのはこの時が初めてでした。


【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-03-16 23:53 | カントリー・ジェントルメン

181 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (21)

フォークウェイズへの録音 (8)

a0038167_18402466.jpg2001年にCDとして再発リリースされた「オン・ザ・ロード・アンド・モア」のボーナス・トラックに収録されたのは、「さぼりたや節」、「トムへの手紙」、「ジョン・ハーディ」、「フィールズ・ハヴ・ターンド・ブラウン」、「この神の子等」、「小さな雀」の6曲でした。

「さぼりたや節」(Ain't Gonna Work Tomorrow)は、「明日は私の結婚式」(Tomorrow's My Wedding Day)というタイトルでもお馴染みの曲で、1960年1月スターディでの8回目のセッションでレコーディングされ、同年5月に行われたフォークウェイズでのアルバム「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」でも再びレコーディングされているジェントルメンお得意のレパートリー曲です。

「トムへの手紙」も同じく1960年1月スターディでの8回目のセッションでレコーディングされた曲です。CD「オン・ザ・ロード・アンド・モア」では、1963年1月に行われたコーヒー・ハウス「セイクレッド・マッシュルーム」でのライヴでも歌われています。

「ジョン・ハーディ」はジェントルメン・ヴァージョンとしては「カントリー・コンサート」というタイトルでクレジットされていますが、最初にレコーディングされたのは1958年5月、スターディでの3回目のセッションでした。この曲が再びレコーディングされるのはこの翌々月の11月、スターディでの11回目のセッションでした。

「フィールズ・ハヴ・ターンド・ブラウン」は、1961年春に行われたフォークウェイズでのアルバム「フォーク・ソングス・アンド・ブルーグラス」のためにレコーディングされた曲です。ジェントルメンはこれ以降も数多くのライヴで歌い続け、メンバーがすっかり変わった後年まで歌い継がれた曲です。

「この神の子等」(These Men Of God)は,この時点でスタジオ録音はされてはいませんが、翌々月の11月、スターディでの11回目のセッションでレコーディングされ、その後も数多くのライヴで歌い続けられます。

「小さな雀」は、前年5月に行われたフォークウェイズでのアルバム「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」でレコーディングされた曲です。

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by scoop8739 | 2006-03-12 18:41 | カントリー・ジェントルメン

180 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (20)

フォークウェイズへの録音 (7)

カントリー・ジェントルメンは、持ち前のショウマン・シップとユニークかつ立体的な演奏スタイルでブルーグラス界のダーク・ホース的な存在となり、北東部地域の大学キャンパスにおける人気バンドとなっていったのでした。時代的に言うとモダン・フォークでの
キングストン・トリオやブラザーズ・フォアに匹敵するほどの存在だったようです。

さてそんなジェントルメンが一部のファンのみならず、多くの聴衆に知れ渡るようになるきっかけとなったのは、なんと言ってもカーネギー・ホールに出演したことではないでしょうか。

1961年9月16日、音楽誌シング・アウト主催のコンサートに出演した彼ら4人は、ギター、5弦バンジョー、マンドリン、ベースだけで音楽的な技術はもとより、エンターティナーとしての立場、義務を心憎いまでに披露し、聴衆を十二分に満足させたのでした。その模様はフォークウェイズのエンジニアによってしっかりと録音されていました。

ところがこのテープは長い間お蔵入りされていて、40年後の2001年になって初めて、以前LPで発売されていたライヴ・アルバム「オン・ザ・ロード」がCD化される際に陽の目を見ることとなったのでした。

a0038167_23301618.jpgアルバム「オン・ザ・ロード」のボーナス・トラックとして私たちの前に姿を現したのは僅か6曲でしたが、それらは彼らのエンターティナーぶりを余すことなく伝える内容のものでした。曲自体はそれ以前にスターディに録音されていたものとほぼ同じなのですが、コンサートの雰囲気を伝えるには十分すぎる素晴らしいものだと思います。

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by scoop8739 | 2006-03-10 23:31 | カントリー・ジェントルメン