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168 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (8)

スターディ時代 (4)

a0038167_0145011.jpg「ヘイ・リトル・ガール」の録音を最後にバンジョーのビル・エマーソンがバンドを去って行きます。彼は1959年にビル・ハレルのバンドに籍を置きました。この時期に録音されている「Eating Out Of Your Hand」や「One Truck Mind」でエマーソンのバンジョーを聴くことができます。その後ジミー・マーチンのバンドに移籍し多くの録音を残します。

さて、ビルが去った後にバンジョーのパートを受け持ったのが、それまでジェントルメンを陰から支えていた男、ピート・ロバーツ(カイケンダル)でした。ピートはこれ以前にはレッド・アレンのバンドでバンジョーを弾いていました。

1958年11月、彼らは新しくリリースするシングル盤のためにスターディで5度目のセッションに挑みます。このときに録音されたのが「デビルス・オウン」と「ローリング・ストーン」でした。この時のベーシストはロイ・セルフからディキシーでのデビュー盤でベースを担当したトム・モーガンに替わっています。

「デビルス・オウン」でダフィーはマンドリンからドブロへと持ち替えて演奏していますが、「ローリング・ストーン」では逆にドブロからマンドリンへと持ち替えて演奏しています。「ローリング・ストーン」という曲は、ピートがキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」のメロディを少しアレンジし、別の詞を乗せて作っています。恋に破れてさすらう男の心情が、チャーリー・ウォーラーのヴォーカルから溢れています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-29 21:04 | カントリー・ジェントルメン

167 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (7)

スターディ時代 (3)

ジェントルメンは、1958年5月になるとスターディでの3度目のセッションを行います。この時に録音されたのが、「ハイ・ロンサム」、「バンジョー・ホップ」、「チャーチ・バック・ホーム」、「ジョン・ハーディー」、「マウンテニアーズ・フリング」、「ブルーグラス・フィドル・スペシャル」、「トレインズ・イン・ザ・ホロー」の7曲でした。この時のフィドルはカール・ネルソンです。さらに日を改めて「ヘイ・リトル・ガール」を録音しています。ここでのフィドルがジョン・ホールに変わります。これ以降、ジェントルメンのセッションにはフィドルが一切使われなくなります。

「ハイ・ロンサム」はエコーを効かせ、ハミング・コーラスなどでウォーラーを盛り上げます。ピート・カイケンダルがセカンド・マンドリンで参加し、ジョン・ダフィーはこの曲ではオーヴァー・ダビングでベースを弾いています。「バンジョー・ホップ」はビル・エマーソン作のバンジョー・チューンです。「チャーチ・バック・ホーム」はジェントルメン十八番のセイクレッド・ソングで、ダフィーのリードに被さるハミング、コーラスが絶妙です。この曲ではピートがリード・ギターを聴かせます。ジェントルメンは後日、この曲を「アロング・ザ・ウェイ」というタイトルでリメイクしています。

「ブルーグラス・フィドル・スペシャル」は、「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」のタイトルでブルーグラスではお馴染みの曲です。また「ジョン・ハーディー」はジェントルメン風タイトルでは「カントリー・コンサート」となっています。随所に凝ったテクニックを配しているものの、バンジョーとマンドリンであっさりと片付けたといった感じの仕上がりです。「マウンテニアーズ・フリング」も同じくフィドル・チューンです。「トレインズ・イン・ザ・ホロー」ではダフィーがドブロを披露しています。「ヘイ・リトル・ガール」はマンドリンの軽やかなイントロに続いてダイナミックなコーラスでたたみかけてきます。ウォーラーのリード・ギターや、ビルのバンジョーもじつに溌剌としています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-25 22:40 | カントリー・ジェントルメン

166 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (6)

スターディ時代 (2)

カントリー・ジェントルメンが、その活動初期に録音した一本のマスター・テープが、1966年になって東京音羽のキング・レコード本社に届けられます。このテープはDE-865番という整理ナンバーがふられたにもかかわらず、長い間倉庫に眠ってしまいます。

a0038167_22253448.jpg8年後の1974年になって中身を調べると、このテープは彼らがスターディで初めて録音したものから63年頃までに録音されたものであることが判りました。その一部はシングル、EP、オムニバス・アルバムなどで発表されたもの含まれていましたが、ほとんどは未発表の曲でした。これを基に作られたのが「アーリー・セッション・オブ・カントリー・ジェントルメン」というアルバムです。

収録されている曲は
A面
バンジョー・ホップ (Banjo Hop)
バックウッド・ブルース (Backwood Blues)
トラヴェリン・ドブロ・ブルース (Travelin' Dobro Blues)
ジョン・ハーディー (John Hardy)
マウンテニアーズ・フリング (Mountaineer's Fling)
ブルーグラス・フィドル・スペシャル (Bluegrass Fiddle Special)
B面
イッツ・ザ・ブルース (It's the Blues)
ザッツ・ザ・ウェイ・ユー・フィール (If That's The Way You Feel)
ブルー・マン (Blue Man)
リメンバランス・オブ・ユー (Remenberance Of You)
ヒルズ・アンド・ホーム (Hills & Home)
トレインズ・イン・ザ・ホロー (trains In The Horrow)

この中で、A面2曲目とB面1曲目は前回に説明した通りです。当時は録音データなど一切不明でしたが、1998年にキング(スターディ)より2枚組のCD「High Lonesome: The Complete Starday Recordings」としてリリースされ、これによってすべてが解明されました。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-24 22:26 | カントリー・ジェントルメン

165 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (5)

スターディ時代 (1)

初めてのレコーディングより僅かに遅れて、スターディ・レコードと契約し(この時期、スターディは全米に流通網を持つマーキュリー・レコードと業務提携していました)、この年12月に、まず「バックウッド・ブルース」、「イエスタデイズ・ラブ」を、さらに同月、「デキシー・ルックアウェイ」、「イッツ・ザ・ブルース」の計4曲をレコーディングします。この時にフィドルがジョン・ヘイルからカール・ネルソン(Carl Nelson)に替わります。

前2曲のベースは、当時、ビル・ハレルのバンドに在籍していたロイ・セルフが、後2曲のベースはピート・カイケンダル(この人はこれより先、ジェントルメンとの関わりを多く持ちます)が弾いています。また、「イエスタデイズ・ラブ」でジョン・ダフィーがオーバー・ダビングでドブロを披露しています。

この中から「バックウッド・ブルース」と「イッツ・ザ・ブルース」がカップリングされ、1958年4月にスターディよりシングル盤(Starday 45-347)として発売されます。前述した通り、この時期はスターディとマーキュリーが業務提携していた、所謂マーキュリー・スターディ時代でした。これより前のディキシーでの初めてのシングル盤にはレコード番号が付けられなかったので、事実上これが「カントリー・ジェントルメン」として世に出た最初のレコードであると言ってもいいでしょう。

「バックウッド・ブルース」は、古いジャズのナンバー「バイ・バイ・ブルース」を下敷きにしています。「デキシー・ルックアウェイ」のマンドリン演奏はバンジョーのスリー・フィンガー奏法のように聴こえます。この曲のアレンジはビル・エマーソンです。また「イエスタデイズ・ラブ」と「イッツ・ザ・ブルース」の2曲はダフィーの作となっています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-16 23:11 | カントリー・ジェントルメン

164 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (4)

ファースト・レコーディング(The First Recording)

1957年9月、彼らは「ディキシー」という彼らのプライベート・レーベルで、シングル盤用に初めてのレコーディングを行ないます。レコーディング・パーソナルは同じくワシントンD.C.出身の、フィドルにジョン・ヘイル(John Hail)、ベースにトム・モーガン(Tom Morgan)というミュージシャンを加えて、ブルーグラス史上初の都会(東部)人によるブルーグラス・ミュージシャンのレコードが作られたのでした。

かつて(1923年)、ビクターがフィドリン・ジョー・カースンの「Little Old Cabin In The Lane」を出来が悪いという理由で、レコード番号なしでテスト発売したことがありましたが(後に番号をつけて発売したのは再吹き込みマスターでした)、ジェントルメンのディキシー盤にもレコード番号はつけられませんでした。

さて,この時に録音されたのは「Going to The Races」と「Heavenward Bound」の2曲でした。この2曲に関しては、私の手元に音源がないために解説のしようがありません。しかし後年、「Heavenward Bound」の方はレベル・レコードからリメイクされてリリースされます。ジョン・ダフィー作となるこの曲を聴く限り、あまり華やかな感じがしましません。

また「Going to The Races」は、1964年にフォークウェイズからのライヴ盤「Going Back To The Blue Ridge Mountain」(残念ながらCD化されていません。早くCD化されることを望んでいます)にリメイクされて収録されます。この曲はカーター・スタンレー作の「Gonna Paint The Town」を下敷きに作られていて、まさにスタンレー・ブラザーズのスタイルで演奏されています。

【資料参考:King Records “Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-15 22:53 | カントリー・ジェントルメン

163 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (3)

イン・ザ・ビギニング(In The Beginning)

カントリー・ジェントルメンは1960年代に最も有名かつ強力なバンドでした。彼らが誕生したのは1957年7月4日と言われています。きっかけはバンジョー奏者のビル・エマーソンでした。彼は1938年1月27日ワシントンD.C.に生まれ、少年時代にスミッティ・アーヴィンにバンジョーを習った後、アーヴィン・ファミリーに加入してワシントンD.C.にて初めてプロ・デビューを果たします。

彼はすぐにバズ・バズビーのバイユー・ボーイズというバンドに移籍しましたが、そこにはギター奏者のチャーリー・ウォーラーという青年が在籍していました。チャーリーは1935年1月19日テキサス生まれの、少年時代をルイジアナの綿畑で過ごしたという典型的な「プアー・ボーイ」でした。彼はカントリー・シンガーのハンク・スノウやマック・ワイズマンをアイドルとして育ち、力強い歌唱力を持った非常に優れたギタリストと成長します。

1955年のある日、バズ(マンドリン)を含むメンバー数人が自動車事故に遭い入院を余儀なくされました。残されたビルとチャーリーは、その夜にブッキングされていた居酒屋でのステージをキャンセルしたくないと思い、バズの代役としてビルの少年時代からの友人だったジョン・ダフィという青年を連れてきます。ジョンは1934年メリーランド州ベセズダの生まれで、少年時代から聖歌隊で歌い、青年期に多くのアマチュア・バンドでその腕を磨いていました。彼は独特の力強い歌い方をするテナー・シンガーで、マンドリンのスタイルは活気に溢れる斬新なものでした。

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こうして急場しのぎで組み立てられたバンドでしたが、3人は多分にもれず息投合し、その頃都会で人気の出始めていたオズボーン・ブラザースのボーカル・スタイルを取り入れたトリオ・コーラスを売りに人気を集めます。こうして彼らはブルーリッジ・レーベルの社長であり、有名なD.J.だったドン・ウェンズの紹介を貰い、ヴァージニア州アーリントンのWARL局を中心にワシントンD.C.周辺のバーやクラブで活動し腕を磨いたのでした。さらに数ヶ月間ほど演奏活動を続けた後、3人は新しくバンドを結成することを決めました。ジョン23歳、チャーリー22歳、ビル19歳という若いグループ「カントリー・ジェントルメン」の誕生でした。

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by scoop8739 | 2006-01-12 20:38 | カントリー・ジェントルメン

162 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (2)

カントリー・ジェントルメン、本邦初登場。

カントリー・ジェントルメンのレコードが日本で初めて発売されたのは1963(昭和38)年7月のことでした。前年にはキングストン・トリオの「花はどこへ行った」が、またこの年にはピーター・ポール&マリーの「パフ」、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が発売され、フォーク・ムーブメントが我が国にも上陸し、カレッジ・フォークのつぼみが形成されていきます。ちなみに第一回スチューデント・フェスティバル・コンサートはこの年の8月31日に今はなき銀座ガスホールで開かれています。しかしまだフォーク・ソングのバンドは出演していなく、カントリー・メッセンジャーズ、ウェイフェアリング・ストレンジャーズ、カントリー・クインテットといった、約15のカントリー&ウエスタン系のバンドばかりでした。

a0038167_20544728.jpgさて、「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」とタイトルされたこのアルバムは、キング・レコードよりロンドン・レーベルでリリースされています(レコード番号:London MH-46)。このアルバムはマーキュリーの名盤「フォーク・セッション・インサイド」に至るまでの過渡期、いわば試行錯誤を繰り返した時期ともいうべき1958年頃から62年頃までの間に、スターディに録音された曲を集めたものでした。つまり完成形に至るまでのプロトタイプと言えるものだったのです。

A面
レッド・ロッキング・チェアー (Red Rockin' Chair)
二人の少年 (Two Little Boys)
びっこのウィリー少年 (Willie Roy, The Crippled Boy)
サンライズ (Sunrise)
沈黙と涙 (Silence Or Tears)
フリーダム・ベル (New Freedom Bell)
ザ・チャーチ・バック・ホーム (The Church Back Home)
B面
我が心は終りぬ (I Know I've Lost You)
ボクだけのこと (Nobody's Business)
水、静かなるところ (Down Where The Still Waters Flow)
カントリー・コンサート (Country Concert)
トムへの手紙 (A Letter To Tom)
おとめの挽歌 (I'll Never Marry)
この神の子等 (These Men Of God)

これは、現在では「Bluegrass At Carnegie Hall」というタイトルでCDになっているものと、曲順こそ違え全く同じものです。さて次回からは、カントリー・ジェントルメンの歴史と、彼らが録音した数多くの曲を、できるかぎり順を追って解説していきたいと思います。

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by scoop8739 | 2006-01-11 20:55 | カントリー・ジェントルメン

161 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (1)

カントリー・ジェントルメン、いまだに人気衰えず。

2006年になったばかりの1月1日、ヤフー・オークションにカントリー・ジェントルメンの古いレコードが出品されました。それは1966年6月に発売された日本盤「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」、1967年4月に発売された輸入盤「Sing Live From The Stage Of The Roanoke Bluegrass Festival」、そしてもう1枚は1968年3月に発売された日本盤「ジェシー・ジェイムス」の3枚でした。

a0038167_2141513.jpgそれぞれのレコードは初め800円の値がつけられてスタートします。そして1週間後の8日、終了間際に3枚のうちの1枚、「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」がとんでもない入札ラッシュとなり、とうとう7750円という値で落札されたのでした。

今でこそこのレコードに収められている曲は、2001年6月にキング(スターディ)からリリースされたCD「High Lonesome」にすべて収録されていますが、かつては日本だけの発売だったためにマニアの間では「幻のアルバム」と呼ばれていて、本国アメリカではレア盤になっていると聞いたことがあります。

A面
風に吹かれて (Blowing In The Wind)
500マイル (Five Hundred Miles)
この国はみんなの国 (This Land Is Your Land)
ホーム・スウィート・ホーム (Home Sweet Home)
ロング・ジャニー・ホーム (Long Journey Home)
テイク・ディス・ハンマー (Take This Hammer)
おお、スザンナ (Oh Susanna)
B面
草競馬 (Camptown Races)
レッド・リヴァー・ヴァレー (Red River Valley)
フリー・リトル・バード (Free Little Bird)
マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム (My Old Kentucky Home)
ローズ・コネリー (Rose Connelly)
グッドバイ・ケイティー (Goodbye Katie)
蛍の光 (Auld Lang Syne)

曲名でおわかりの通り、これは1960年代半ばのフォーク・ブーム当時、わりとポピュラーだった曲ばかりを集め、日本キング・レコードが独自に企画して日本盤だけのために特別に録音したものです。レコーディングに際して、メンバーはあまり時間がかけられず、わりと短時間に終わらせたと言われています。

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by scoop8739 | 2006-01-10 21:45 | カントリー・ジェントルメン

160 ナイトウォーク

(Nightwalk)

信じられないでしょうが、昔、こんな話を聞いたことがあります。

大学時代、音楽サークルの後輩におかしな症状を持つものがいた。彼の話では、自分は昔から夜中に寝ながらにして叫んだり家の中をうろついたりする奇妙な病気に悩まされていると言う。そんな話を聞かされていたある日、私は彼と一晩同部屋ですごす機会ができた。別にその症状を目の当たりにしようといった怖いもの見たさではなく、ちょうど学園祭の最中で、翌朝早くから校内で演奏するために数人でキャンパス近くの部員の下宿部屋になだれ込んだというだけの理由で、むしろしかたなくでありその後輩の症状については誰もがすでに忘れていた。

…さらに話は続きます。

酒のせいもあって、ほとんどの部員が寝てしまっている中で、私を含め2,3人はいまだ音楽談義に花を咲かせていた。するとベッドで既に寝ていたその後輩が突然ムクッと起き上がった。「何だ、起こしちゃったのか?」と誰かが言った。しかし様子がおかしい。目はうつろでフラフラと頭が揺れていて、丁度何かで見た薬物中毒の人間の様である。何かを探しているしぐさを見せていたが、ふと脇に立てかけてあったベース・ギターに目を止め、それをかかえて弾き出したのである。しばらくして手を休め、「せんぱーい!弾けないっすよお…」と一言、そのまま倒れ込んでしまった。恐る恐る覗き込むと、なんと彼は熟睡していたのである。始めは、コイツの言っていたことは本当だったのか!とみんなで大笑いだったのだ。

ずいぶんと長い前置きでしたが、「ナイトウォーク」ってそんなテーマの曲でしたっけ?

a0038167_2021635.jpgカントリー・ジェントルメンの“ジャズ路線”つながりのトリをとるこの曲は、バンジョー・パートのエディ・アドコックの作曲です。ベースのリフに乗って、ペプシ・コーラのビンを釘でたたいてリズムをとるピート・ロバーツ(カイケンダール)、それに続いて軽快なエディの非ブルーグラス的なバンジョー、さらにジャージーなジョン・ダフィーのマンドリン・プレイ。これは当時(1960年代前半)のブルーグラスの範疇を越えていました。そこで世間はこれを「ブルーグラス・ジャズ」と命名します。

この曲に見られるように、ブルーグラスには珍しいアドリヴまがいのフレーズが斬新だったのでしょうか、当時、彼らが演奏活動していたコーヒー・ハウスなどには現役のジャズメンがわざわざ聴きに来ていたと言われています。なお、この曲は2度録音されています。1度目は1963年4月にスターディにおいて、そして2度目が同年9月、あのマーキュリーの名盤「フォーク・セッション・インサイド」のための録音でした。

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by scoop8739 | 2006-01-06 20:05 | 不朽の名曲

159 心の痛手

(Heartaches)

カントリー・ジェントルメンの“ジャズ路線”つながりで紹介するのがこの曲です。これはとても古い曲で、1931年にジョン・クレナーが作詞し、アル・ホフマンが作曲したものですが、同年1月にガイ・ロンバード楽団によってレコーディングされ、4月から6月にかけてヒットしました。その後1933年にもテッド・ウィームス楽団がエルモ・タナーの口笛ソロをフィーチャーしビクターにおいて録音しています。これはルンバ風のアレンジと口笛の面白さで評判になっています。さらにウィームス楽団は1938年にも、タナーをフィーチャーしてデッカにて再録音し、この時はまずまずの結果だったようです。

a0038167_1832717.jpg第2次世界大戦がはじまり、楽団員が次々と戦地に赴くと彼はバンド活動を停止しますが、終戦を機に再編します。偶然にもこの1946年末にノース・カロライナのラジオDJが、13年前に録音された「ハート・エイクス」を気に入って繰り返しオンエアしたところ、全国的に火がつきヒット・パレードのトップに踊り出るという珍事が起こり、オールド・スタイルな彼のバンドは一躍注目の的となりました。

「ハート・エイクス」は1930年代当時としてはモダンなラテン・リズムのインストで、ノンビリしたメロディがなんとも心地いいナンバーでした。人々の耳を捉えた最大の要因は、2番のメロディをユーモラスな口笛で吹き通している点にあったのでしょう。この思いがけないヒットのお礼に、ウィームス楽団は件のラジオDJの誕生パーティーで出張演奏をプレゼントしたそうです。10年以上前に録音した曲を100万枚以上売ってくれたのですから、これくらいするのは当然ですよね。

この時期、彼はマーキュリーに所属していましたが、“インスタント・スマッシュ”を機に各社は競って彼の過去のカタログを再発します。RCAだけでなくデッカも1938年に再録音されたこの曲をリリースしています(ヒットチャートには両方のレコード番号が並記されていたようです)。再発売されたビクター盤とデッカ盤の両方がチャートに16週間も1位をマークしました。

a0038167_1842325.jpgこの曲をブルーグラス・アレンジしたのがカントリー・ジェントルメンでした。彼らはバンジョーのエディ・アドコックとマンドリンのジョン・ダフィーによるジャージーなインストゥルメンタルが売り物でした。この曲でも、エディはギターのマール・トラヴィスやチェット・アトキンスのギャロッピング奏法と、ダン・リーノウのスタイルをさらに発展させた画期的なフィンガリングを聴かせてくれます。これにジョンの華々しいマンドリン演奏が加わることによって作品をさらに完成度の高いものへと昇華させ、さらにトム・グレイの4ビート・ベースやチャーリーの刻むギターのリズムが彼らを好サポートし、よりジャズっぽさを強調させていったのでした。

この4人が同時に在籍している期間、つまり1961年の春から63年の夏までに数多くのライヴやスタジオ録音がなされていますが、中でもこの曲を収録したアルバム「フォーク・セッション・インサイド」はブルーグラスの名盤中の名盤と言っても過言ではないでしょう。

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by scoop8739 | 2006-01-02 18:05 | 不朽の名曲