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104 モダン・ジャズとブルーグラス(3)

今回が最後の「ジャズとブルーグラスを同じ土俵で語る」シリーズ、第3弾です。

さて話をジャズに戻しますと、1960年代のジャズの中でも安定した形で勢力を伸ばしていったのが、ジョン・コルトレーンや彼の推進したフリー・ジャズと、それ以上にマイルス・デイヴィスを軸としたモード・ジャズ〜新主流派ジャズでした。これらふたつのスタイルが大きな原動力となって、ジャズをさらに発展させていったのです。

しかしその後ジョン・コルトレーンが急逝し、これによって求心力を失ったフリー・ジャズは徐々にパワーが減弱して、いい意味でも悪い意味でもその方向性を拡散させることになってしまいます。一方、新主流派ジャズを創造発展させた主役のマイルスは、さらに次なるステップへと目を向けていました。それが1968年から始まるロックへの接近で、これによって1970年代のジャズ・シーンもマイルスを中心に大きく揺れ動くことになるのです。

a0038167_20165987.jpg1970年代の幕開けは、1969年に録音されたマイルス・デイヴィスの「ビッチェズ・ブリュー」(Columbia/Sony)によって告げられました。1970年春に発売されたこのアルバムは、従来のジャズには認められないポリリズムとロック・ビートの斬新な結合が話題を呼び、多くのミュージシャンに強い影響を及ぼします。

ロック的な要素をマイルスが自分の音楽に取り入れるようになったのは、そのしばらく前の作品からでした。1968年に録音した「マイルス・イン・ザ・スカイ」(Columbia/Sony)で初めて8ビートとエレクトリック・ギターを導入してみせた彼は、続く「キリマンジャロの娘」(同)で電気ピアノを採用し、ロック的なビートもさらなる創造的な形で持ち込むことに成功したのでした。

そして翌年に録音された次作の「イン・ア・サイレント・ウェイ」(同)で、マイルスは従来のレギュラー・コンボによるレコーディングという習慣を取り崩し、さまざまなメンバーの起用と大胆なエレクトリック・サウンドを導入してみせたのでした。そうした過程を経て発表したのが「ビッチェズ・ブリュー」だったのです。

これらの作品においてマイルス・ミュージックに肌で触れることができたミュージシャンたちが、彼とともに1970年代における新しい音楽の中心人物となっていきました。1970年代初頭には、マイルスのグループから巣立ったミュージシャンたちによって、この時代のシーンをリードするいくつかの重要なグループが結成されています。

1970年代前半はまさにマイルス一派が音楽シーンを独占し、また彼らによって音楽が発展していったと言えるほどの勢いがありました。彼らの演奏は様々な音楽ジャンルからの要素を吸収したものであったため、“クロス・オーヴァー”、のちに“フュージョン”と総称される音楽へと繋がっていきます。

a0038167_2017351.jpgさてここでジャズに遅れること20年、ブルーグラスは第3の世代と言われるプレイヤーや女性プレイヤーによって大きく様変わりし始めます。複雑なフレーズやコード進行を持つ楽曲や、ジャズ、フュージョン、ロックなどへの接近によって、もはやブルーグラスにカテゴリーできないものまで現れてきました。こうしたものは広義に「アメリカーナ」と呼ばれ、従来のブルーグラスとは一線を画していますが、どこまでがブルーグラスで、どこからがアメリカーナなのかはっきりしないものもあります。しかし音楽の形態がどう変わろうと、その底辺に流れているのはアパラチアン山脈に息づくアイリッシュ系アメリカンのルーツ・ミュージックに他ならないのです。(この項、終わり)

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by scoop8739 | 2005-06-30 20:23 | ブレイク・タイム

103 モダン・ジャズとブルーグラス(2)

前回ひんしゅくを買ったついでに、「ジャズとブルーグラスを同じ土俵で語る」シリーズの第2弾を…。

1950年代末のジャズ・シーンは、モード・ジャズやフリー・ジャズの登場によってハード・バップ一色だったそれまでに比べて多彩な広がりを見せようとしていました。そうした状況を大きく発展させたのが次の10年間でした。

1950年代は、ハード・バップからファンキー・ジャズという亜流が生まれ、さらにそこから1960年代前半にロックと結びついたジャズ・ロックと呼ばれるポップな演奏も行われるようになりました。すなわちこの時代のジャズ・シーンでは、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、ジャズ・ロック、モード・ジャズ、フリー・ジャズなどのさまざまなスタイルを持った演奏形態が、それぞれに切磋琢磨しながら頂点を極めようとしていたのです。

ここで話をブルーグラスに持っていくと、ジャズに遅れること10年、ほら、似たような状況が起こっているではありませんか。1960年代末にニューグラスの芽が現れ、1970年代には、ブルーグラスにもそれまでに比べて多彩な広がりが起こり始めます。

a0038167_2038115.jpg幕開けは、サム・ブッシュが推進するニューグラスによって切り落とされました。またサム同様に独自の手法でニューグラスの道を模索していたベテラン、ジョン・ダフィーの率いるセルダム・シーンの登場でした。興味深いのは、サムがロックをベースにしてニューグラスのイディオムを開発したのに対し、セルダム・シーンはシンガー・ソングライターのものやフォーク・ミュージックからアイディアを持って来たということです。方法論や音楽的なルーツが異なっていたにもかかわらず、両者が結果として共通項の多いスタイルを提示してみせたところに、それまでのブルーグラスから脱出したいという強い気持ちが伝わってきます。つまり、従来のブルーグラスという概念をそれまでにはなかった手法と方法論で超越することによって、より自由な演奏を目指したのでした。

ニューグラスの初期においては、サムのニュー・グラス・リバイバルとセルダム・シーンが自転車の前輪と後輪のような役割を果たしながら、この独特な音楽性を発展させていきました。そしてやがてここにカントリー・ガゼット、J.D.クロウのニュー・サウス、エディ・アドコックのセカンド・ジェネレーション、レッド・ホワイト&ブルー(グラス)、カントリー・クッキングといったバンドが加わるようになって、ニューグラスは名実共にひとつの大きな流れへと発展したのでした。

一方1970年半ばに、デル・マッカリーを中心として巻き起こったのがニュー・トラディショナルの動きでした。これに続いてリッキー・スキャッグスを中心としたブーン・クリークや、ジミー・ゴウドロウのニュー・トラディション、ベテランのレッド・アレン率いるアレン・グラスが、ブルーグラスの温故知新運動を巻き起こします。


a0038167_20394695.jpg加えて1970年代半ばには、こうしたブルーグラスの流れと離れたところからもうひとつの人気を呼ぶスタイルが登場してきます。それが西海岸で起こったデヴィッド・グリスマンを中心としたドウグ・ミュージックでした。ドウグ・ミュージックはブルーグラスに使われる楽器を用い、サザン・マウンテン・ミュージックとジャズのフィーリングを掛け合わせた新しいアコウスティック・ミュージックとして生まれました。その後ドウグ・ミュージックはバンドのメンバーだったトニー・ライスやダロル・アンガーらによってさらに新しいものへと進化していきます。

一方、東海岸の大都会ニューヨークでは、カントリー・クッキングのメンバー、アンディ・スタットマン(m)やトニー・トリシュカ(bj)、さらに新世代のバンジョー・プレイヤー、ベラ・フレックの活動も無視ができません。彼らはブルーグラスにプラス・サムシングとしてジャズやフュージョンを取り入れ、実験的な作品を次々と発表していきます。こうしてブルーグラスは、多くを飲み込んだ新しい音楽ジャンルへと変貌し始めるのです。

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by scoop8739 | 2005-06-28 20:41 | ブレイク・タイム

102 モダン・ジャズとブルーグラス(1)

ジャズとブルーグラスを同じ土俵で語るというのも変な話ですが、第2次世界大戦前後に花開いたモダン・ジャズと時同じくして生まれたブルーグラスは、片やアフロ・アメリカン、片やアイリッシュ系アメリカンという両極端の人種によって形作られているものの、その歴史的な進化過程はよく似ています。

1940年代は第2次世界大戦をはさみ、アメリカ社会は多いに揺れ動きました。それに伴ってスイング・ジャズの黄金時代が終焉を迎え、よりアグレッシヴな演奏を主体としたビバップ(バップと呼ぶこともあります)と呼ばれる新しい形態とコンセプトによる音楽が誕生します。

ジャズはスイング時代までは、基本的にダンス・ミュージックとしての役割に重きが置かれていました。それが複雑なフレーズやシンコペーションを伴うビバップになると、この音楽で踊ることが非常に難しくなり、観賞用の音楽としての要素が強まってきたのです。

1940年代初頭にニューヨークのハーレムで生まれたビバップは、1950年代に入るといっそう熱狂的でブルース・フィーリングを強調したハード・バップへと進化を遂げます。また、ビバップの対極に位置する音楽として、最少の人数でビッグ・バンド・サウンドを演奏するという、マイルス・デイヴィス(トランペット)やレニー・トリスターノ(ピアノ)が提唱、実践したクール・ジャズも一般的なものとなり、そこから影響を受けたウェスト・コースト・ジャズは、イースト・コーストのハード・バップに相対するムーヴメントとして形成されてまいります。

とりあえず1950年代までのモダン・ジャズの歴史を書いたつもりですが、なんだかブルーグラスにも当てはまることが多くあると思いませんか?

さてここ数ヶ月、ボクはジャズの旧譜、つまりジャズが最も輝いていた1950年代に録音されたブルーノートの1500番台を中心にたくさんのジャズを聴いています。ブルーノートの1500番台というと、時期はちょうどビバップからハード・バップへと移行している頃のものです。

a0038167_15293537.jpgブルーノートの1500番台はマイルス・デイヴィスから始まります。その当時のマイルスはドラッグの渦中にありましたが、この1501番と1502番の2枚に分けて録音された演奏に耳を傾けると、さすがに「帝王マイルス」です。たとえドラッグの海に溺れていようと決して演奏に妥協はありません。

妥協をしないことで有名なマイルス・デイヴィスにこんな逸話があります。それは1954年12月24日に、ピアノのセロニアス・モンクを含むクインテットを率いてプレスティッジ・レーベルで行ったレコーディングのことです。このクリスマス・イヴに行われたセッションで収録された演奏は、のちに「バグス・グルーヴ」(BAGS GROOVE)と「マイルス・デイヴィス&ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ」という2枚のアルバムに残されています。

a0038167_15301080.jpg中でも2テイクが録音された「ザ・マン・アイ・ラヴ」という曲は、俗に「喧嘩セッション」と呼ばれているもので、今日までのジャズ史を飾るエピソードのひとつとして知られる演奏です。このエピソードとは次のようなものでした。

マイルス・デイヴィスはこの曲の吹き込みにあたって、モンクに自分がソロをとっている時にバックでピアノを弾かないように言ったというのです。プライドの高いモンクはそれに腹を立て、マイルスはソロを終えても演奏しようとしませんでした。実際にレコーディングでは、そんなモンクにマイルスがトランペットで、今度はお前が弾くのだと促す様子まで収録されています。マイルスとモンクの一触即発的な緊張感が、この時の演奏を一層スリリングなものにしたというのが伝えられているエピソードです。

さて話をブルーグラスに転じますと、ジャズのマイルス・デイヴィスにあたる人がビル・モンロウではなかったろうかと思われます。そんな彼に「喧嘩セッション」のようなエピソードがあったのでしょうか?
以前NINOさんのブログ(http://bgrassjp.exblog.jp/)で、ビル・モンロウとケニー・ベイカーの逸話がありましたが、ブルーグラス60年の歴史の中にも、もっともっとおもしろいエピソードがたくさんあるのかもしれませんね。

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by scoop8739 | 2005-06-26 15:27 | ブレイク・タイム

101 バイブルを道標に

(I’m Using My Bible For A Road Map)

ロニー・リーノウは、父ドンのもとで幼くしてプロ・デビューをしています。以来40年、大ベテランの域に達した彼が弟たちとのレノ・ブラザーズを解散した後、新たに結成したのがリーノウ・トラディションでした。

a0038167_1629012.jpgこのリーノウ・トラディションには、ニュー・トラディションで活躍していたダニー・ロバーツ(m)、ジム&ジェシーのバンドで来日経験があるマイク・スコット(bj)、ヒース・ヴァン・ウィンクル(bs)、ジャッキー・ミラー(f)が在籍し、ここに弟のデイル(m)とドン・ウェイン(bj)、リッキー・シンプキンズ、グレン・ダンカン、ロブ・アイクスなどが参加してデビュー・アルバム「ポートフォリオ」が作られました。

収録されている曲は、リーノウ&スマイリー、オズボーン・ブラザーズ、マール・ハガード、そしてリーノウ・ブラザーズなど、ロニーがこれまで積み上げてきたキャリアを振り返るといった趣きに加えて、ソングライターとしての彼の存在をアピールした作品なども織り交ぜ、ベテランならではの落ち着いたブルーグラスに仕上げています。このアルバムの1曲目に収録されているのが、リーノウ&スマイリーの名曲「バイブルを道標に」です。父ドンの作曲によるセイクレッド・ナンバーをロニー風にアレンジして歌っています。
Ronnie Reno & The Reno Tradition / Portfolio (Shell Point)

ブルーグラスのファミリー・ゴスペル・グループの第一人者がルイス・ファミリーです。彼らの活動50周年を記念した素晴らしいアルバムの中にもこの曲があります。彼らは特別に歌が上手いわけでもなく、メンバーのリトル・ロイ(bj)以外にはリード楽器もないのに、一度聴いたら頭にこびりつくその強烈なインパクトが特徴のグループです。
The Lewis Family / 50th Anniversary Celebration (Daywind)

クリス・ヒルマンによるデサート・ローズ・バンドがブルーグラスに挑んでいる「エヴァー・コール・レディ」にもこの曲が収録されています。アルバムはクリスとバーニー・レドンが中心となって多くのセイクレッド・ナンバーを聴かせてくれますが、この曲はアカペラ・コーラスからスタートし、アル・パーキンスのドブロが実にタイミングよくブレイクしています。
Chris Hillman & Desert Rose Band / Ever Call Ready (Sugar Hill) (CD化されていません)

全盛を誇っていたカントリー・ジェントルメンからトム・グレイ(bs)、ジョン・ダフィー(m)、エディ・アドコック(bj)が相次いで去った後、代わりにビル・イエイツ(bs)、ジミー・ゴウドロウ(m)、ビル・エマーソン(bj)が加入し、チャーリー・ウォーラーを中心とした第3期黄金時代が始まります。この時代に作られたのが「ワン・ワイド・リヴァー」というジェントルメン初のゴスペル・アルバムでした。この中にも「バイブルを道標に」は収録されています。
The Country Gentlemen / The Early Rebel Recording 1962-1971 (Rebel)

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by scoop8739 | 2005-06-12 16:41 | 不朽の名曲