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36 ブルーグラス界の真打ち登場

a0038167_949497.jpg1969年にカントリー・ジェントルメンを辞して以来、実質的にほとんど演奏活動を中断していたジョン・ダフィーが、この風変わりな名前のバンドを結成したのは1972年のことでした。彼らの名声、実績、人気は、バンドの結成が発表されると同時にブルーグラス界の注目を一身に集めるものでした。

結成当時のメンバーは、クリフ・ウォードロンのニュー・シェイズ・オブ・グラスからマイク・オールドリッジ(ドブロ、バリトン・ボーカル)と実兄のデイブ(ギター)、ベン・エルドリッジ(バンジョー)、そしてダフィーとカントリー・ジェントルメン時代に一緒だったトム・グレイ(ベース)に加えて、それまではまったく無名のジョン・スターリング(ギター、ボーカル)という6名編成でした(すぐにデイブが離脱し5人編成となります)。

彼らはその名前が示すように、「セルダム・シーン」(SELDOM SCENE)、つまり「めったに見ることのできない」存在だったのです。というのも彼らは他のブルーグラス・バンドと大きく違って、メンバー全員が昼間は社会的にも高度な技術を持つ職業に従事しており、演奏活動はいわば副業だったからです。だからといって彼らがアマチュア的な存在かと言うと、これが驚愕すべきテクニシャンの集まりですからそこらのセミ・プロとは大違いという訳です。彼らは週に1、2度、ワシントンD.C.エリアのライヴ・ハウスを拠点に活動し、それ以外はアルバム製作に時間を割くといったやり方で、堅実な道を選ぶことによってバンドを維持していきました。

新人のスターリングを除けば、それぞれが今までどんな活躍をしていたかは十分に知り尽くされていますし、またこのメンバーがどんなサウンドを創り出すのかは(単純に考えればカントリー・ジェントルメンとニュー・シェイズ・オブ・グラスを足して2で割ったようなものであることは)だいたい想像できました。ところが彼らのデビュー・アルバムを聴いた人びとは、その想像が外れていたことに軽いショックを受けると同時に、単純な計算では計りきれないサムシングが多すぎることに驚き、そして大喜びをしたのでした。

それは、ジョン・ダフィーがカントリー・ジェントルメンの時代から長年持ち続けていた音楽理念と、ブルーグラスの世界では全くの新人のはずのジョン・スターリングの音楽的センス、そしてマイクの華麗で優雅なドブロ、ベンのこれまた色彩豊かなバンジョー、さらにトムのタイトなフォー・ビート・ベースが加わったのですから、もうブルーグラス界では敵なしです。

彼らのレパートリーはとてもカラフルで、ビル・モンロー、フラット&スクラッグス、ドン・リーノウのブルーグラス系はもとより、ハンク・ウィリアムス、ボブ・ウィルス、マール・ハガードのカントリー系、リック・ネルソン、ジョン・プラインのポップス系、スターリングのオリジナル曲、それに当然のことながらカントリー・ジェントルメン時代の愛唱歌と、非常に幅広いレパートリーを次々と採用しています。

その選曲のひとつひとつは極度に用心深いバランスで考慮されており、ブルーグラスの岸から完全に足を離さない慎重さが伺えますし、ソフィスティケイトされた感覚で統一されたアレンジメントと、高度なテクニックによる演奏は、それまでのブルーグラス音楽からは数段高いところに位置していました。そして何より心地よい期待外れは、ジョン・スターリングのボーカル・センスのみごとなことでした。

Act 1 (Rebel)
1. Raised by the Railroad Line
2. Darling Corey
3. Want of a Woman
4. Sweet Baby James
5. Joshua
6. Will There Be Any Stars in My Crown
7. City of New Orleans
8. With Body and Soul
9. Summertime Is Past and Gone
10. 500 Miles
11. Cannonball
12. What Am I Doing Hanging 'Round?

バンド名を受けての「アクト1」という粋なタイトルがつけられた彼らのデビュー盤ですが、ジャケット・デザインも上半身が闇に覆われて「めったに見られない」(seldom scene)という憎い演出がなされています。このアルバムは1971年の発売当時、針を落とした(古い表現になりましたが…)誰もがそのサウンドに驚愕したという内容で、(60年代までの)古いブルーグラス音楽に親しんでいた人たちには、最初に軽い違和感を伴ない最後には新鮮さと不思議な充実感を与えるものでした。しかし30年以上経った今でも、聴くたびに十分に新しさを感じさせてくれます。

4曲目ジェームズ・テイラー作の「スウィート・ベイビー・ジェイムス」はブルーグラス界広しと言えども、スターリング以外にうまく歌いこなせる人はまずいないでしょう。また2、8、9曲目のような古いブルーグラス・ソングも歌のうまさとアレンジの新鮮さがプラスされて全くニュアンスの違ったものに聴こえます。とくに8曲目の「ボディ・アンド・ソウル」は先のニュー・グラス・リバイバルのアルバムと聴き比べると面白いでしょう。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-14 09:47 | ブルーグラスの歴史

35 ワシントンD.C.エリアの動き

a0038167_926433.jpgカントリー・ジェントルメンの初代バンジョー奏者ビル・エマーソンは、ジミー・マーチンのバンドを経て、1960年代半ばにはケンタッキー・ジェントルメンというバンドにいました。1967年、このバンドにクリフ・ウォードロンというギター弾きが入団してきて2人は意気投合し、68年7月には念願のバンドを立ち上げたのでした。新しいバンドの名前は「リー・ハイウェイ・ボーイズ」と名乗り、同年暮にはレベル・レコードとの契約に成功してデビューします。ちなみにこのアルバムにはリード・ギターとしてジョン・ダフィーが特別参加しています。

1969年頃からはメンバー移動も収まり、クリフ(ギター、リード・ボーカル)、ビル・エマーソン(バンジョー、テナー・ボーカル)のほかは、マイク・オールドリッジ(ドブロ、バリトン・ボーカル)、ビル・ポフィンバーガー(フィドル)、エド・フェリス(ベース)に定着します。

彼らは1969年から70年に間にさらに2枚のアルバムを残しています。レパートリーの多くはカントリー・ジェントルメンが志向したようなコンテンポラリー・ロック、ソウル、カントリーから多くを取り入れていて、もっとも有名なものはイギリスのロック・バンド、マンフレッド・マンの「フォックス・オン・ザ・ラン」をアレンジした曲でした。クリフのカントリー・タッチのボーカルと、ジミー・マーチンに鍛えられてより精密でドライブ感あふれるサウンドを聴かせるようになったエマーソンのバンジョーに加えて、マイクの哀愁感が織り成す華麗な響きのドブロとで、D.C.エリアでもっとも新しいサウンドを聴かせるバンドとして人気を集めるようになったのです。

1970年5月、エマーソンがエディ・アドコックの抜けた後釜として、古巣のカントリー・ジェントルメンに移ることとなりバンドは解散の憂き目を見ますが、バンド再建にかけるクリフの熱意でバンドは新編成されました。バンジョーにベン・エルドリッジ、マンドリンとテナー・ボーカルにマイクの兄のデイヴ・オールドリッジを加え、クリフがリーダーとなって「ニュー・シェイズ・オブ・グラス」が誕生したのでした。バンドはD.C.エリアのライヴ・スポットで活動しながら落花流水のような独自のサウンドに磨きをかけていきます。

The Best of Cliff Waldron (Rebel )
1. Wash My Face in the Morning Dew
2. I'm Lonesome Without You
3. Four Strong Winds
4. Sunny Side of My Life
5. Falling Leaves
6. Thinking About You
7. Ice Covered Birches
8. Satan's Jeweled Crown
9. Your Love Is Like a Flower
10. Violet and the Rose
11. Brand New Wagon
12. Silver Wings
13. I'm Lost and I'll Never Find the Way
14. Veil of White Lace
15. Loving You So Long
16. Close the Door Lightly When You Go
17. Nobody's Love Is Like Mine

こうしたレコードでの人気によってフェスティバルへの出演やライヴ・ハウスの出演量が増えてくると、逆にメンバーの中のパート・タイム・ミュージシャン、ドブロのマイクとバンジョーのベンが昼間の仕事を維持できなくなるためにバンドをやめざるを得なくなります。

彼らはセミプロとしての活動を希望していたので、彼らの実力を買っていたレベル・レコードの社長ディック・フリーランドは、カントリー・ジェントルメンをやめた後に楽器のリペアをやっていたジョン・ダッフィーに相談します。こうして着々と大きなプロジェクトが始動しはじめたのでした。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-13 09:25 | ブルーグラスの歴史

34 アライアンスからニュー・グラス・リバイバルへ

a0038167_10384278.jpgブルーグラス・アライアンスの音楽センスをさらに進めた形でニュー・グラス・リバイバルがデビューしたのは1971年のことでした。彼らはすぐさま母体であるアライアンスを凌ぐ実力を示し、ジェリー・リー・ルイスのロックン・ロール・ナンバー「火の玉ロック」で一気にグルーグラス界のスターとなっていきます。

中心メンバーはマンドリンとフィドルの奇才サム・ブッシュ。彼は多くのフィドル・コンテストでチャンピオンに輝いたと言う実力を持ち、1969年にはアラン・マンデらと「プア・リチャーズ・オールマナック」というセッション・アルバムを残してアライアンスに入団しています。バンジョー奏者のコートニー・ジョンソンはビル・キース・スタイルのクロマチック奏法の第一人者で、サムとの交流を通じてアライアンス入りします。ギターとドブロのカーチス・バーチは多くのバンドを渡り歩きアライアンスに入団しました。そしてベース奏者のイボ・ウォーカーはアライアンスのオリジナル・メンバーでした。

彼らはブルーグラス・ミュージシャンから受けるイメージとはほど遠く、伸び放題の長髪によれよれのジーンズ、Tシャツというスタイルでしたが、彼らの鋭く研ぎすまされた感性は、体質として持っているロック的フリーなセンスに基づいているもので、いままでのどのブルーグラス・ミュージシャンからも感じられないものでした。そして彼らのサウンドは、その大胆なアレンジと幅広いレパートリーの消化力、ピーター・ローワンを模範としたサムの若々しいボーカルと、どれをとってもロック・ファンをもブルーグラス音楽に巻き込む大きな魅力にあふれていました。

彼らはブルーグラス音楽の枠を越え、機会さえあればロック・コンサートへも出向き、またロックもそのレパートリーに取り込むといったどん欲さで大きく活動します。そんな中、レオン・ラッセルとのジョイントで1973年夏にツアーを行ない、益々ロック感覚に磨きをかけていきました。

The New Grass Revival (Hollywood)
1. Pennied in My Pocket
2. Cold Sailor
3. I Wish I Said (I Love You One More Time)
4. Prince of Peace
5. Ginseng Sullivan
6. Whisper My Name
7. Great Balls of Fire
8. Lonesome Fiddle Blues
9. Body and Soul
10. With Care from Someone

4曲目「プリンス・オブ・ピース」はレオン・ラッセルのヒット曲をサムの大胆なアレンジでグラス・ロックとして聴かせてくれます。5曲目「ジンセン・サリバン」はクロス・ピッキング・ギターの名手ノーマン・ブレイクの曲。文字どおり火の出るような演奏とボーカルが聴ける7曲目「火の玉ロック」は、1957年ジェリー・リー・ルイスのヒット曲です。このアルバムのハイライトは8曲目「ロンサム・フィドル・ブルース」です。フィドル奏者ヴァッサー・クレメンツの作曲ですが、クライマックスで聴けるサムのフィドルは圧巻です。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-10 10:37 | ブルーグラスの歴史

33 ナッシュビル・ピッキン・セッションとブルーグラス・アライアンス

a0038167_9391153.jpg1960年代半ばになると南東部のブルーグラス・ミュージシャンの中には、フォークやカントリーから吸収したモダンな感覚を、まったくブルーグラス音楽の範囲で演奏しようと試みる人たちが出てきます。彼らはブルーグラス音楽にあまり関心のないナッシュビルという環境の中で、ブルーグラスの新生面を切り開いて行こうという試みに取り組んだのでした。この動きを称して「ナッシュビル・ピッキン・セッション」と言いますが、これに参加していたのがロイ・エイカフのバンドでギターを弾いていたチャーリー・コリンズ、ジョニー・キャッシュのレコーディング・セッション・マンとして売り出し中のノーマン・ブレイク、ポーター・ワゴナーのバンドでフィドルを弾いていたマック・マガーハ、そしてバンジョー奏者のラリー・マックニーリーという人たちでした。

中でもノーマン・ブレイクのリード・ギターと、ラリー・マックニーリーのバンジョーは非常に個性的で、ノーマンのプレイはドック・ワトソンのクロス・ピッキング奏法にクラレンス・ホワイトからのブルージーなシンコペイションを使ったアドリブを多用した最先端を行くものでした。一方、ラリーのバンジョー・スタイルは、アール・スクラッグスとドン・リーノウのパターンをミックスしたものですが、細かいブリッジの部分にビル・キースや当時ナッシュビルで人気の出てきたボビー・トンプソンのクロマチック・ロールを巧みに挿入して独自のスタイルとしたものでした。

それから1年後、ナッシュビル・ピッキン・セッションをさらに大衆化した形で、1968年にケンタッキーからブルーグラス・アライアンスが登場します。メンバーはギター奏者のダン・クレアリー、バンジョー奏者のバディ・スパーロックを中心に、ロニー・ピアスのフィドルが絡むといったもので、さながらナッシュビル・ピッキン・セッションを彷佛とさせました。彼らはフォークを思わせるボーカルやハーモニーをブルーグラスのリズムに本格的に溶け込ませるといった点で初めてのバンドでした。そしてその演奏スタイルはビル・モンローやスタンレー・ブラザーズといったトラディッショナルなバンドとは一線を画し、フォーク・リバイバルでブルーグラスのファンとなった第三世代ともいわれる層に瞬く間に広がっていったのです。

彼らはデビューから1971年までの4年間にわずか2枚のアルバムしか残していません(残念ながらどれもCD化されていません)が、ブルーグラスの新しい時代を予言するかのように2作目のアルバム・タイトルは「ニュー・グラス」と名付けられ、ブルーグラス新時代の先鞭をつけたのでした。

アライアンスはその後メンバー・チェンジを繰り返します。クロス・ピッキングの名手ダン・クレアリーが抜けた後のギターにはクラレンス・ホワイトの流れを汲む新星トニー・ライスが入団してきます。そして1970年初秋にマンドリンのサム・ブッシュ、そのすぐ後の11月にはバンジョー奏者のコートニー・ジョンソン、翌71年末にカーチス・バーチ(ギター、ドブロ)とメンバーが次々と替わりました。こうして設立メンバーはフィドル奏者のロニー・ピアスとベース奏者のイボ・ウォーカーだけとなってしまったのでした。

このバンドの評価は高く人気もあったのですが、収入面では苦しい状況が続き、トニーはサムと共同生活をはじめます。この期間、二人は自分たちの演奏に生かす糧としてブルーグラスにとどまらず様々な音楽に触れたといわれています。彼らの間にはより新しいものを求めるように何かが煮えたぎっていたのでした。

1972年にトニーがJ.D.クロウのバンドに加わるため退団すると、ロニーを除くメンバーは「ポニー・エキスプレス」というバンドを立ち上げ、アライアンスを退団します。このバンドこそ新時代の台風の眼となるバンド「ニュー・グラス・リバイバル」に他ならなかったのです。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-09 09:37 | ブルーグラスの歴史

32 混沌の時代、1960年代後半

a0038167_1024779.jpg1960年代後半のアメリカでは、ベトナム戦争が激化する中でサンフランシスコの若者たちが戦争や人種差別に反対して自然への回帰を謳い、ドラッグによる精神や感性の解放を主張していました。彼らはヒッピーとかフラワー・チルドレンなどと呼ばれ、ドラッグをやりながら延々と即興演奏を続けるバンドや、ライト・ショーなどの幻想的な映像に快楽を求めました。1967年6月にサンフランシスコ郊外のリゾート地モンタレーで行われたポップ・フェスティバルには、ジェファーソン・エアプレイン、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、ママス&パパス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーといったサイケデリック・サウンドを聴かせるバンドがもてはやされます。それまでの穏やかで軽快なサウンドを持つフォーク・ソングはすでに時代遅れとなっていました。

ブルーグラスの世界に目を転じますと、1960年代に入ってからナッシュビル・サウンドを取り入れてソフィスティケイトされたモダンなスタイルで活躍していたオズボーン・ブラザーズやジム&ジェシーのグループや、コマーシャルに向かっていたブルーグラス・バンドの多くは、1967年頃のフォーク衰退とともに再びオーセンティックな音と土の香りが漂うブルーグラスに戻ってきました。

アメリカ西海岸のブルーグラス・バンドの多くは、ケンタッキー・カーネルズの解散と共に、ディラーズの方向転換が示すようにカントリー・ロック・バンドへとスタイルを変えていきます。伝統の浅い西海岸のブルーグラス界は、あまりにもフォークに依存し過ぎていたためにフォークの衰退とともにまたたく間に寂れていったのでした。

そんな中ブルーグラス界に激震が走ります。1963年のテレビ番組「じゃじゃ馬億万長者」の主題歌「The Ballad Of Jed Clampett」のヒット以来、フォークやカントリーへの接近によって次々とベスト・セラー・アルバムを送り出していたコマーシャルなブルーグラスの急先鋒、レスター・フラットとアール・スクラッグスが1969年に音楽的見解の相違を理由として分裂してしまいます。レスターはアールを除く全員を引き連れてナッシュビル・グラスを立ち上げ、アールは息子たちとともにロック感覚の強いバンド、スクラッグス・レビューを結成したのです。

またワシントンD.C.を中心に活躍していたカントリー・ジェントルメンのリーダーであるジョン・ダフィーは、来日公演を前にして「飛行機に乗るのが怖い」という意味不明の理由で公演をキャンセルし、その責任を取って退団します。

しかし明るいニュースもありました。ビル・モンローが長年のブルーグラス音楽への偉大な貢献をたたえられスミソニアン・インスティテューションほか各地で表彰され、翌70年にCMAの「カントリー・ミュージックの殿堂」に名を連ねることになります。

この時代、多くのブルーグラス・バンドは再び南東部の地域音楽として伝統の中に回帰していったのですが、一部に例外とも言えるミュージシャンたちがいました。彼らは60年代半ば頃までにフォークやカントリーから吸収したモダンな感覚をブルーグラス音楽の中で処理しようと試みたのでした。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-08 10:22 | ブルーグラスの歴史

31 ニッティ・グリッティ・ダート・バンドと永遠の絆

a0038167_11193810.jpgバーズ、ディラーズ、フライング・ブリトウ・ブラザーズというウェスト・コースト・ロック初期のバンドが出たついでに書かせていただくのが「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」(NGDB)のことです。彼らは、オールマン・ブラザーズやジャクソン・ブラウン、ケニー・ロギンスなどを世に送り出し、1966年から現在に至るまで一貫してカントリー・ロックを演奏しつづけるベテラン・バンドです。

バンドはカリフォルニアで結成され、ジェフ・ハンナ(ギター、ヴォーカル)、ジミー・ファッデン(ギター、ハーモニカ、ウォッシュタブ・ベース、ヴォーカル)、ラルフ・バー(ギター、クラリネット、ヴォーカル)、レス・トンプソン(ベース・ギター、ギター、ヴォーカル)、ブルース・カンケル(ギター、ヴァイオリン、ヴォーカル)というメンバーでした。このメンバーに一時期、ジャクソン・ブラウンが加わっていたこともありました。

1966年には、さらにジョン・マッキューエン(ギター、フィドル、バンジョー、マンドリン、ヴォーカル)を加えて、バンド名を「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」(NGDB)と改名し、フォーク&カントリー・ロック・バンドの異端児として1967年にアルバム「Nitty Gritty Dirt Band」でデビューするや、いきなり「バイ・フォー・ミー・ザ・レイン」のスマッシュ・ヒットを放ちます。

余談ながら、この頃、寝食を共にしながら一緒にクラブのショーに出演していたデュアン&グレッグのオールマン兄弟を彼らのマネージャーが気に入ってロサンゼルスに連れて行き、レコード・デビューさせています。

ところでデビュー当時のNGDBは、ブルーグラス、R&B、ラグタイム、ケイジャン、オールド・タイム、ブルース、ロックン・ロールなど、あらゆるアメリカン・ミュージックをレパートリーに取り入れて話題になったのでしたが、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」をリリースして以来、ロック界にはしだいにサイケデリック・ブームの波が押し寄せてきます。そんな中、彼らも次のセカンド・アルバムではドラッグのことを歌ったり、ジャケットもそれ風にするなど一応サイケを意識したアプローチを見せますが失敗に終わります。その後も泣かず飛ばずで、69年にはついに一度解散してしまいました。

しかし70年にはメンバーも新たに再結成を果たし、素晴らしいアルバムとともにロック界にカンバックしてきました。オリジナル・メンバーのジェフ・ハンナ、ジミー・ファッデン、レス・トンプソン、ジョン・マッキューエンに、ジミー・イボットソン(ギター、キーボード、ドラムス、アコーディオン、ヴォーカル)を加えたメンバーでした。

この彼らの通算4作目のアルバム「アンクル・チャーリーと愛犬テディ」では、以前から曲を提供してくれていたジャクソン・ブラウンに代えて、若き日のケニー・ロギンスの曲を採用し、サウンド的にはむしろ原点に戻ってアメリカン・ミュージックのルーツとロックを融合させた“カントリー・ロック”を確立させます。これが当たって、「ミスター・ボージャングル」は全米9位となり、ロギンスの曲「プー横町の家」も大ヒットしました。このアルバムはプラチナ・ディスクに輝き、グラミー賞の2部門にノミネートされるなど一躍彼らはビッグ・スターの仲間入りを果たしたのです。

そして続く1971年には、当時のカントリー音楽界の大御所、ロイ・エイカフ、マール・トラヴィス、ドック・ワトソン、ジミー・マーティン、メーベル・カーターらを迎えて歴史的名盤「永遠の絆」を発表します。これは2世代共演を果たしたカントリー版ファーザー&サン、またはマウンテン・ミュージックとカントリー・ロックの幸せな結婚とでもいうべき作品で、ロックとカントリー両ジャンルにまたがって現在も絶大な影響力を誇るものです。これ以降、彼らはカントリー・フィールドで活動を続ける長寿バンドとなり、89年に第2集、そして2001年にジョニー・キャッシュやメーベルの娘ジューン・カーターの参加を得て第3集をリリースします。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/uncle_charlie.html)


Will the Circle Be Unbroken (Capitol )
a0038167_17103313.jpg1. Grand Ole Opry Song
2. Keep on the Sunny Side
3. Nashville Blues
4. You Are My Flower
5. Precious Jewel
6. Dark as a Dungeon
7. Tennessee Stud
8. Black Mountain Rag
9. Wreck on the Highway
10. End of the World
11. I Saw the Light
12. Sunny Side of the Mountain
13. Nine Pound Hammer
14. Losin' You (Might Be the Best Thing Yet)
15. Honky Tonkin'
16. You Don't Know My Mind
17. My Walkin' Shoes
2枚組ほか全42曲
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-07 11:06 | ブルーグラスの歴史

30 フライング・ブリトウ・ブラザーズと仲間たち

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本文訂正中につきご迷惑をおかけしています。今しばらくお待ちください。
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by scoop8739 | 2004-09-06 09:55 | ブルーグラスの歴史

29 ディラーズの音楽的実験

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本文訂正中につきご迷惑をおかけしています。今しばらくお待ちください。
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by scoop8739 | 2004-09-03 10:44 | ブルーグラスの歴史

28 バーズとフォーク・ロックの誕生

ビートルズに触発されたジム・マッギン(のちにロジャーと改名)、デヴィッド・クロスビー、ジーン・クラークの3人は、ロスアンジェルスのコーヒーハウス、トゥルバドールで出会い、意気投合してジェット・セットなるバンドを結成します。その後、ブルーグラス・バンドで活躍していたクリス・ヒルマンと、ドラマーのマイケル・クラークが加入し、バーズ(BYRDS)と名前を変えて1964年にコロンビアと契約します。

ビートルズとボブ・ディランの融合によるフォーク・ロック・サウンドの確立を目指していた彼らは、フォーク・ソングの持つ温かな雰囲気と、ロックンロールのリズム感と豊かなハーモニーを融合させた独特のサウンドを創り出し、翌年にボブ・ディラン作の「ミスター・タンブリンマン」でデビューを飾ります。これがいきなり全米ナンバー1に輝いたのでした。

次いでピート・シーガー作の「ターン・ターン・ターン」をヒットさせ、この2曲でバーズは「フォーク・ロック・サウンド」という新しいスタイルを確立させました。ちなみに「ミスター・タンブリンマン」の録音では、ジム・マッギンの12弦ギター以外の楽器は、レッキング・クルーと呼ばれるスタジオ・ミュージシャンによるものだったようです。しかしクロスビー、マッギン、ジーンによる美しいハーモニーは、フォーク・ソングをポップスに変身させる大きなポイントになりました。そして彼らは、この後も次々と新しいサウンドへのチャレンジを続けてゆきます。

Mr. Tambourine Man (Columbia/Legacy )
a0038167_16574270.jpg1. Mr. Tambourine Man
4. You Won't Have to Cry
5. Here Without You
6. Bells of Rhymney
7. All I Really Want to Do
8. I Knew I'd Want You
9. It's No Use
10. Don't Doubt Yourself, Babe
11. Chimes of Freedom
12. We'll Meet Again
13. She Has a Way
14. I'll Feel a Whole Lot Better
15. It's No Use
16. You Won't Have to Cry
17. All I Really Want to Do
18. You and Me

こうして「フォーク・ロック」を築き上げたバーズですが、いつまでもフォーク・ロックに留まっていたわけではありません。彼らはメンバー交代の激しいバンドとしても知られ、メンバーの変遷と共に音楽性も目まぐるしく変化していきました。

まず1966年に、曲作りの中心的存在であったジーン・クラークが脱退した頃から、彼らはビートルズやクリームなどのブリティッシュ・ロックの影響を受け始め、テープ処理などで音を加工したり、ドラッグによる幻覚症状を音楽で再現する試みを始めます。こうした音楽は後に「サイケデリック・ロック」と呼ばれるようになりますが、バーズが試みていた当時はまだこの呼称はなく、「ラーガ・ロック」とか「スペース・ロック」などと呼ばれていました。当時の彼らのサウンドは、1967年頃から盛んになるサンフランシスコのロックに多大な影響を与えていきます。

さらに1968年には、新加入したグラム・パーソンズの影響によりバーズはカントリー・ミュージックに急接近します。それは元々ブルーグラス・バンド出身だったクリス・ヒリマンにとっても接近しやすい音楽でした。そうしてカントリーの影響を受けた彼らの音楽は「カントリー・ロック」と呼ばれ、1970年代のウエストコースト・ロックの基本となっていったのでした。なお、バンドに多大なる影響を与えたグラム・パーソンズは、半年ほどバーズに在籍しただけで脱退し、バーズのオリジナル・メンバーのクリス・ヒルマンらを引き連れて新しく「フライング・ブリトウ・ブラザーズ」を結成します。そして更に深くカントリー・ロックを追及していくことになるのです。

Sweetheart of the Rodeo(Sony/Columbia)
a0038167_16583589.jpg1. You Ain't Going Nowhere
2. I Am A Pilgrim
3. The Christian Life
4. You Don't Miss Your Water
5. You're Still On My Mind
6. Pretty Boy Floyd
7. Hickory Wind
8. One Hundred Years From Now
9. Blue Canadian Rockies
10. Life In Prison
11. Nothing Was Delivered
12. You Got A Reputation
13. Lazy Days
14. Pretty Polly
15. The Christian Life (Rehearsal-Take #11)
16. Life In Prison (Rehearsal-Take #11)
17. You're Still On My Mind (Rehearsal-Take #43)
18. One Hundred Years Form Now (Rehearsal-Take #2)
19. All I Have Is Memories (Instrumental)

バーズは1969年以降についにオリジナル・メンバーはリーダーのロジャー・マッギンただひとりとなってしまいますが、彼と新加入したクラレンス・ホワイト(元ケンタッキー・カーネルズ)を中心として、これまでに試みた音楽性を集大成し、さらにアメリカ南部の音楽などを取り入れた豊穣なサウンドを作り上げます。しかし1971年には残念ながら解散してしまいますが、彼らの切り開いた道筋は多くのミュージシャン達によって受け継がれることになります。
(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/byrds.html)

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by scoop8739 | 2004-09-02 09:54 | ブルーグラスの歴史

27 1960年代前半のアメリカの音楽事情

話が本筋から少し離れますが、しばらく近視眼的に1960年代のブルーグラス音楽の流れを書いてきましたので、少し俯瞰的に1960年代前半のアメリカの音楽事情を簡単に説明させていただきます。ブルーグラス音楽にとって、この1960年代前半はフォーク・リバイバルの恩恵により再評価され、第二次黄金時代を築くことができました。ところで、かつてブルーグラスをアンダー・グラウンドへと追いやったロカビリーの流行はどうなったのでしょう…。

1958年にエルビス・プレスリーは徴兵のため兵役に就き、さらにロカビリー歌手の相次ぐ事故死などで1950年代の終わりから1960年代初頭にかけてのアメリカのポップス界は、それまでのハードなロカビリーの波が一気に引き、彼らが作り出した巨大なティーン・エイジ・マーケットに向けて職業的な曲作りによる“60年代ポップス”が花開きます。中でも、若い作家を集めては量産体制を築いたアルドン・ミュージックが有名です。さらに1958年に「会ったとたんにひと目惚れ」でデビューしたテディ・ベアーズのフィル・スペクターがフィレス・レコードを起こし、この流れに参加します。

“60年代ポップス”の中心歌手としては、男性ではポール・アンカ、ニール・セダカ、女性ではコニー・フランシス、ヘレン・シャピロ、ブレンダ・リーといった人たちで、こういったアイドルたちの歌う甘ったるいポップスがヒット・チャートを賑わせていました。また、ツイストによって開幕したダンス音楽ブームが最盛期を迎えます。

さらにキャピトル・レコードが本社を構える西海岸ではサーフィン・ミュージックが若者たちの熱い視線にさらされ、エレキ・インスト・グループやビーチ・ボーイズ、ジャン&ディーンに人気が集中していきます。一方東部では、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジや各大学のキャンパスからモダン・フォーク・ソングが人気を広げ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリーといった学生気分の色濃いグループと、伝統的なアメリカン・フォーク・ソングの継承者であるジャック・エリオット、ピート・シーガーなどの新たなるスターを生んでいました。

そんな緩やかな音楽環境に一石を投じるように、イギリスからビートルズが先陣を切って「抱きしめたい」でアメリカに乗り込んでいきます。これが瞬く間に全米ナンバー1となり490万枚のセールスを記録しました。そしてこれ以降14週間に亘ってビートルズの楽曲はヒット・チャートを入れ替わり独占することとなったのです。

ビートルズ人気が引き金となってイギリスのビート・グループが一気のアメリカに侵攻してきます。デイブ・クラーク・ファイヴ「グラッド・オール・オーバー」、スウィンギング・ブルー・ジーンズ「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」、サーチャーズ「ピンと釘」、ビリー・J・クレーマー&ダコタス「リトル・チルドレン」、マンフレッド・マン「ドゥワ・ディ・ディ・ディ・ディ」、ジェリーとペースメーカーズ「太陽は涙が嫌い」、ローリング・ストーンズ「ノット・フェイド・アウェイ」、ホリーズ「ジャスト・ワン・ルック」と、アメリカのポピュラー音楽史上でもかつて例のないほど大量の外国アーティストの楽曲がヒット・チャートを独占しました。アメリカではこれを称して「イギリス勢の侵略」(ブルティッシュ・インヴェイジョン)と言います。

a0038167_193876.jpgこの侵略に対して、アメリカの音楽業界で彼らに立ち向かったのが、リズム&ブルースのレーベル、モータウンの黒人ミュージシャンたちと、サーフィン・ミュージックで売り出していたビーチ・ボーイズ、そして新しく結成されたバーズでした。ビーチ・ボーイズはビートルズに対抗すべく、フィル・スペクターの影響を消化してサウンドをどんどん変化させ、ギター、ベース、ドラムからなるロック・コンボ・スタイルから脱却していきます。1964年から66年にかけてはビーチ・ボーイズとビートルズとのサウンド面での競争がウエストコースト・ロックを大いに進化させます。またこの時期の彼らの書く歌詞が、若者の風俗を描くスタイルから、徐々に自分自身の内面を描くスタイルに変わっていったことも見逃せません。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/history_1.htmll)

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by scoop8739 | 2004-09-01 19:27 | 同時代の音楽