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46 ニューヨークの才能集団

a0038167_9381645.jpgニューグラスの嵐が吹き荒れる1970年代前半、大都会ニューヨークからさらなるニューグラス・バンドが登場します。彼らはこともあろうにブルーグラスにサキソフォンやシンセサイザーを持ち込んでジャズっぽい演奏を聴かせました。バンドの名は「カントリー・クッキング」といい、これまでにブルーグラス音楽が経験しなかったユニークなサウンドを生みだす才能あふれる集団でした。

つまり、そのロケーションとしてのニューヨークは様々な種類の音楽が満ちあふれていて、それを吸収して育った若者がブルーグラスというフィルターを通して創るサウンドは、南部のそれとはずいぶんと違った形であるということです。とくに彼らはジャズを意識的に強調し、ブルーグラスのカテゴリーから外れないところで自由に発想し、かつ思考してサウンドを創造していたのです。

ギターのラス・バレンバーグは、多分に漏れずドック・ワトソンやクラレンス・ホワイト、ダン・クレアリーを模してキャリアをスタートさせますが、彼の弾くギターは生ギターの持つ美しさを繊細に表現し、かつ大胆にリズムを刻んでいます。マンドリンとサキソフォンを操るアンディ・スタットマンは「知る人ぞ知る」マンドリンの名手です。それまでマンドリンでは使われなかったようなジャズのスケールを用いて面白いサウンドを創造します。またデヴィッド・グリスマンを思わせるようなフレーズも随所に表現して楽しませてくれます。フィドルのケニー・コセックはセッション・マンとして活躍していますが、リチャード・グリーンの影響下にあるそのプレイは、聴く者を気持ちよくも不安定な気分にもさせてくれる不思議な魅力を持っています。

さてこのバンドにはバンジョー奏者が二人いて曲によってはダブル・バンジョーを聴かせてくれます。一人は右指のロールが実にユニークなトニー・トリシュカですが、彼はビル・キース
をとても敬愛していて随所にそれらしいフレーズが聴かれます。また非ブルーグラス的な発想での曲作りは彼らのサウンドにユニークさをもたらしているのです。もう一人のバンジョー奏者はピーター・ワーニックといい、トニーのそれよりはずっとノーマルなものです。彼はバンジョー教則本の著者としても有名です。

ベーシストのジョン・ミラーはラグタイム・ブルースのギタリストとしても名を成していますが、このバンドでベースを始めたそうです。紅一点のボーカリストは名前をナンディー・レオナルドといい、ステージではホンキートンク風のボーカルを聴かせてくれます。

彼らのバンドとしての2枚目のアルバム(その前に違ったメンバーを含むインスト・アルバムを発表しています)である「バレル・オブ・ファン」は、そのタイトルの通り楽しさがいっぱい詰まった内容です。それは彼らが自由に音を遊んでいるのがジャケットの写真からも伺い知れます。

BARREL OF FUN(ROUNDER)
Side A
1. U.S.40
2. Paul Revere's Ride
3. The Parson's Duck
4. Wagon Ho
5. Tequila Mockingbird
6. Lonesome Song
7. Big River
Side B
1. Barrel Of Fun
2. Morning Glory
3. November Cotillion
4. Colorado Bound
5. Six Mile Creek
6. Plumber's Nightmare
7. Kentucky Bullfight
8. Noodles

A面1曲目からアンディのサキソフォンが登場します。これに度肝を抜かれていたのでは彼らのサウンドをじっくりと楽しめません。トニー・トリシュカの作である2、3曲目の美しいメロディーを体験するとブルーグラス音楽の可能性が見えてきます。4曲目も完全なるブルーグラスですが、各楽器の美しい演奏は彼らが只者ではないことの証明です。

アンディの縦横無尽に駆け巡るようなマンドリンが素晴らしい5曲目はピーター作です。ツイン・バンジョーがぴったりと決まっています。6曲目はナンディーのジャグ風ボーカルですが、どこかマリア・マルダーのようですね。7曲目ではカントリー・タッチのボーカルとラスのブルージーなギター、そしてジャジーなサキソフォンが聴かれます。8曲目はアルバムのタイトルにもなっています。典型的なブルーグラスのパターンを踏んでいて、各楽器の演奏の素晴らしさを十分に味わえます。B面1、2、4、5曲の美しい曲を見事にのびのびと演奏しています。3曲目はピーター作の何故か懐かしい雰囲気を持つカントリー・タッチの曲です。

6曲目はブルース・コードを基にしたアドリブ曲だと思われますが、まるでジャズのように弾きまくっています。7曲目はまたまたサキソフォンのイントロとなる妙にエキゾチックなナンバーです。最後を飾るに相応しい(?)曲は、彼らのサウンド志向がよくわかるものです。なんとこの曲では非ブルーグラスの最たる楽器であるムーグ・シンセサイザーが使用されています。

倉庫からレコードを取り出して、曲解説を書くため何度も何度も繰り返し聴いていますが、なかなか味のあるいいアルバムですよ、って言うじゃな〜〜い?
でもあんた、このレコードはCD化されていないんですから…。残念!
ラウンダー・レコード、売れそうもないレコードもCD化すべし斬り!
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-30 09:37 | ブルーグラスの歴史

45 デヴィッド・グリスマンとドーグ・ミュージック

a0038167_9291046.jpg
9. Richochet
10. Dawg's Rag

まずリズムというのはリズム楽器だけで作るものではないとうことを嫌というほど思い知らされるアルバムです。1曲目「E,M.D.」でいきなり引き込まれていきます。ドラムがいないにもかかわらず物凄いグルーヴ感、常にどこかから聞こえて来るリズム・ノートにきっと圧倒されるはずです。

こういう風に思ってしまった時点で彼らの音楽にノック・アウトされてしまっている訳ですが、これこそ真の巨匠にのみ可能な非リズム楽器だけのグルーヴィーな演奏なのです。グリスマン・バンドの音楽は遥かな高みに達しているというのに猛烈なリズムの嵐の向こうから聞こえて来るのはなんとも美しいメロディの数々です。そして炸裂する凄いアドリブや細かくアレンジされた曲構成、アクロバティックなアンサンブルにジャズ・ミュージシャンも裸足で逃げ出すほどです。これらの要素が束になって心をわしづかみにするのですからもう大変。

3曲目「Gマイナー作品57」は、グリスマンの弾くマンドリンの独特のリズム刻みとトニ−ライスのギターが一段とシンコペーションして、名盤「ミュールスキナー」に収録されていたクラレンス・ホワイトの演奏したものよりも素直に耳に入ります。CD化に際しては実にうれしい名曲「16/16」が追加されました。本作は後にセンセーションをまきおこすドーグ・ミュージック誕生の衝撃をいつまでも伝えてくれる、そんな彼らのデビュー盤なのです。

グリスマンはジャズとの接近や他のジャンルのミュージシャンとのセッションを通じてさらに「ドーグ・ミュージック」を深く追求し、これより先、数十年に亘って新しいアコースティックを創造続け、今でも精力的にライブ活動を続けています。またD.G.Q.は新しい才能が生まれる場所にもなりました。

トニー・ライスは1979年になると自らのバンド、トニ−・ライス・ユニットを結成しより深く自分の音楽を追い求めて行きます。トニ−はこのサウンドを「スペース・グラス」と呼んでいます。またD.G.Q.卒業者ではトニーのほかにもオリジナル・メンバーだったダロル・アンガーが「タートル・アイランド・ストリング・バンド」を立ち上げ、マーク・オコーナーはグラミー賞を受賞者し、マイク・マーシャルは「モダン・マンドリン・クァルテット」を起こすなど各方面で活躍しています。またD.G.Q.はバンジョー弾きのベラ・フレックなど新しい時代のミュージシャンにも強い影響を及ぼしました。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-29 09:27 | ブルーグラスの歴史

44 ブルーグラス界の必殺仕掛人

a0038167_1017810.jpgこの頃から俄然、デヴィッド・グリスマンがブルーグラス界の仕掛人としてその中心的存在になってまいります。大リーグ1シーズン262本の最多安打を達成したイチローのように安打製造機と化して次々とヒットを生み出していったのです。

その始まりは「オールド・イン・ザ・ウェイ」プロジェクトでした。「ミュールスキナー」プロジェクトがよほど面白かったのか、グリスマンは先のセッションで大活躍したピーター・ローワンや朋友ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッドのリーダー)を誘い、さらにフィドルの奇才ヴァッサー・クレメンツを加えて、またまた新たなるセッションを仕掛けてきます。

さてジェリー・ガルシアのブルーグラスのキャリアですが、1963年当時(21歳の頃)、デヴィッドやピーターとともにブルーグラスに入れあげていたらしく、翌64年には彼の弟のバンド、ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジのデビュー・アルバムの中でバンジョーを弾いているということです。彼は右手中指を詰めていて代わりに薬指を使っているためか、妙に引っかかりのある多分に感覚的なバンジョー・ロールを聴かせてくれます。

ヴァッサー・クレメンツはブルーグラスの世界に留まらずありとあらゆるセッションに顔を出すほどの名プレイヤーとして年に似合わぬ旺盛な探究心には定評があります。この当時はジャズのベーシストであるデヴィッド・ホーランドとのセッションも行っています。

このセッション企画は、そんなキャリアを持つミュージシャンを一同に集めて1973年10月8日、サンフランシスコのボゥルディング・ハウスで行われたライヴでした。アルバムでは全員がリラックスした中で次第に演奏が熱気を帯びていく模様がありのままに録音されています。

Old & in the Way [LIVE] (Bmg/Arista)
1. Pig In A Pen
2. Midnight Moonlight
3. Old And In The Way
4. Knockin' On Your Door
5. The Hobo Song
6. Panama Red
7. Wild Horses
8. Kissimmee Kid
9. White Dove
10. Land Of The Navajo

会場のざわめきの中、リクエストの「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」の叫びを無視するかのように1曲目「ピッグ・イン・ザ・ペン」からステージは切って落とされます。続く「ミッドナイト・ムーンライト」はピーターのオリジナル曲です。ピーターは前セッション同様にシャウトなのだかヨーデルなのだかよくわからない翔ぶようなボーカルを聴かせます。3曲目はアルバム・タイトルでセッションの名前でもある「オールド・イン・ザ・ウェイ」です。

5曲目「ザ・ホーボー・ソング」はピーターの自信作です。ボーカルは益々翔んでいます。続く6曲目「ワイルド・ホーシーズ」はローリング・ストーンズの曲ですが、フライング・ブリトウ・ブラザーズも持ち歌としていました。そして最後の曲「ランド・オブ・ザ・ナヴァホ」はピーターの作で、メロディの随所に聞き覚えのあるフレーズが顔を出します。エンディングでナヴァホ・インディアンの悲痛な叫び声が印象的です。

ちなみにこのCDには続編があり、グリスマン自身のレーベル「ACOUSTIC DISC」から「Breakdown: Live Recordings 1973」と「That High Lonesome Sound - Live Recordings 1973」の2タイトルがリリースされています。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-28 10:15 | ブルーグラスの歴史

43 巨星墜つ、クラレンス・ホワイト突然の事故死

a0038167_9252138.jpg1973年7月19日の深夜、ブルーグラス・ギターの名手クラレンス・ホワイトがフロリダのナイト・クラブの駐車場で、飲酒運転の車にはねられて亡くなりました。享年29才、ブルーグラス・ファンにとっては何ともやるせない出来事でした。

彼は1944年6月6日メーン州マダワスカの生まれで、1950年代の半ばにはエリックとローランドの兄たちと一緒にスリー・リトル・カントリー・ボーイズを結成し、ロサンゼルスのクラブを中心に活動していました。1960年になると新たなメンバーを加えて伝説のブルーグラス・バンド「ケンタッキー・カーネルズ」を結成します。1964年に発売されたアルバム「アパラチアン・スウィング!」(Appalachian Swing !)で聴かせるクラレンスのフラット・ピッキング・スタイルのギター演奏は、それだけでブルーグラス界最高のギタリストとして君臨することになります。

その後1962年にバンドを離れ、リンダ・ロンシュタットやランディ・ニューマンのレコーディングに参加した後、1968年にジーン・パースンズとナッシュビル・ウェストに加わります。このバンドがこれまた「幻」とも「伝説」と呼ばれるものですが、メンバーにはジーン・パースンズを始めフライング・ブリトー・ブラザーズのメンバーとなるギブ・ギルボー、そして一時期スニーキー・ピートもいたといわれています。

このナッシュヴィル・ウエスト時代こそクラレンスがセッション活動を単独に、あるいはバンドで大活躍していた時期でもあったのです。クレジットされていないセッションが膨大にあるといわれていますが、バーズがナッシュヴィル・ウエストのライヴを見学にきていたといわれるほど、クラレンスの実力は噂に違わず凄かったようです。そうするとナッシュヴィル・ウエストこそカントリー・ロックの実力ある先駆けバンドだったということですね。

11月に彼はここを脱退し、ジーン・パースンズと一緒にバーズに加わったのです。当時のバーズはライヴができないバンドとしてファンの間では暗黙の了解事項となっていましたが、クラレンスが加わったことで最強のライヴ・バンドに変身します。つまりクラレンスこそバーズを生まれ返らせた立役者でもあるのです。またバーズ在籍中にはジーン・パーソンズと共に愛用のテレキャスターを改造し、スティール・ギターのようなサウンドが創れるストリング・ベンダー(正式にはセカンド・ストリング・ショルダーストラップ・ベンダーという独自のチョーキング装置)なるものを生み出します。余談になりますが、レッド・ツェッペリンのギタリストとして有名なジミー・ペイジはこのストリング・ベンダーの愛用者ですが、彼をして「ジミ・ヘンドリックスと並ぶアメリカの2大ギタリストだ」と言わしめたのがこのクラレンスです。そんな彼は今でも「マスター・オブ・テレキャスター」と呼ばれています。

1973年、バーズが解散した後は再び兄エリックやローランドとケンタッキー・カーネルズを編成しながらも、セッション・ミュージシャンとして伝説の「ミュールスキナー」に参加し、そのギター・テクニックを余すところなく披露してくれました。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/cwhite.html)

Tuff and Stringy Sessions 1966-68 (Ace)
1. Hong Kong Hillbilly / Nashville West
2. Mother-In-Law
3. Make Up Your Mind
4. Grandma Funderbunk's Music Box
5. Guitar Pickin' Man
6. Vaccination for the Blues
7. Don't Pity Me
8. Gotta Go See the World
9. Everybody Has One But You
10. She's Gone
11. Tuff and Stringy
12. I'm Tied Down to You
13. Hey Juliana
14. Last Date
15. I'll Live Today
16. Not Enough of Me to Go Round
17. Riff-Raff
18. If We Could Read
19. Rocks in My Head
20. Made of Stone
21. Buckaroo
22. Adam and Eve
23. Why Can't We Be
24. Nature's Child
25. Tango for a Sad Mood
26. If We Could Read

このCDは29歳の若さで亡くなったクラレンス・ホワイトという希有のミュージシャンがザ・バーズに正式加入する直前の22才から24才までの約3年間に残した貴重なレコーディング・セッションです。ここでは後にザ・バーズでのレコーディングで使用するストリングベンダー・ギターはまだ完成しておらず、このCDに収録されたエレクトリック・ギターは普通のテレキャスターと思われます。それにもかかわらずここで聴ける彼の演奏はストリング・ベンダーを駆使したかのような素晴しいリックスやフレーズが随所に登場します。これは言い換えればクラレンス独特のギター・フレーズはストリング・ベンダーという便利なものが発明されたからこそ初めて可能になったのではなく、既にそれ以前にクラレンスの頭の中でほぼ完成されていて自在にプレイできていたということがこのCDで確認できるのです。

ケンタッキー・カーネルズによる「Everybody Has One But You」や「Made Of Stone」はマンドリンの名手でもある兄のローランド・ホワイトとのデュエットで聴けますが、リード・パートを歌う若きクラレンスの雰囲気たっぷりの少し鼻にかかったロンサムなボーカルは、その後にザ・バーズで「Bugler」や「Jamaica Say You Will」といった永遠の名曲を残すことになる彼を予感させてくれます。また多くのトラックではクラレンスを擁したナッシュヴィル・ウェストの他のメンバーも参加しており、ジーン・パースンズと思われるハーモニカやバンジョーがフィーチャーされた曲も含まれています。

クラレンスが亡くなって30年以上が経ちますが、いまだにクラレンスを追い求める音楽ファン、ギター・ファンは絶えません。日本では今一つ知名度が低いようですが、この機会にクラレンス・ホワイトと彼がかかわったミュージシャン達のウエストコースト・ロックに触れて頂きたいものです。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-27 09:23 | ブルーグラスの歴史

42 偶然生まれた夢のセッション、ミュール・スキナー

a0038167_10225031.gif1973年、ビル・モンローがロサンゼルスのテレビ局KCETでのショー出演のためにツアー・バスで向かっているところ事故に遭遇し、ショーそのものが不可能になるという危機を迎えます。その穴を埋めるためにテレビ局はロス在住のブルーグラス・ミュージシャンに連絡を取り、急遽セッション・バンドを組み立てて番組を作ることとなりました。

ここで呼ばれたのが、リチャード・グリーン、ピーター・ローワン、ビル・キースというモンローゆかりの人たちを中心に、モンロー・フリークで有名なデヴィッド・グリスマン、バーズ解散後フリーとなっていたクラレンス・ホワイトという、その当時ロックをやっていたミュージシャンばかりでした。

リチャードは1964年にモンローのもとを離れるとブルーグラス以外の音楽に目を向けペダル・スチールを弾いているジム・クェスキンのジャグ・バンドに移ります。また同時にデヴィッド・グリスマンらとイヴン・ダズン・ジャグ・バンドを組んだり、ビル・キースらとセッション・バンドのブルー・ベルヴェット・バンドにも参加していました。

ピーターはリチャードと同じ頃にニューヨークを中心にモンローのもとを離れ、デヴィッド・グリスマンらとソフト・ロック・グループのアース・オペラを組み、リチャードとともにブルース・プロジェクトからシー・トレインというバンドを作っては壊すといったことをやっていました。

ビル・キースはいまさら言うまでもなく、バンジョー奏法ではアール・スクラッグスのパターンを基本に発展させたキース・スタイルを創り出したことで有名なプレイヤーですが、彼は1963年にモンローのもとを去った後はリチャードらとジム・クェスキンのジャグ・バンドや、同じ頃にブルー・ベルヴェット・バンドに参加したり、マリア・マルダーのマッド・エイカーズといったバンドにも参加しています。

デヴィッド・グリスマンはビル・モンローとフランク・ウェイクフィールドを崇敬し彼らの演奏を吸収しているマンドリン奏者です。また彼は音楽プロデュースの才能を持ち、ロサンゼルスではグレイトフル・デッドやローワン・ブラザーズを手掛けています。

クラレンス・ホワイトについてはこれまでに多くを書いてきましたので割愛させていただくとして、こうして集結したメンバーを見ると彼らが単なるブルーグラス音楽を演奏すると言うのがおかしな話であるということは火を見るより明らかです。

Muleskinner (DBK Works )
1. Muleskinner Blues
2. Blue And Lonesome
3. Footprints In The Snow
4. Dark Hollow
5. Whitehouse Blues
6. Opus 57 In G Minor
7. Runways Of The moon
8. Roanoke
9. Rain And Snow
10. Soldier's Joy
11. Blue Mule

アルバムのタイトルでありオ−プニング曲である「ミュールスキナー・ブルース」はショー出演を断念せざるを得なかったモンローのオマージュとして演奏されます。この曲では何といきなりクラレンスのテレキャスターの「テケケケケケ〜」という堅いエレキ音から始まり、「エッ!」と驚く暇もなく直後の5小節目、めったに聴くことのない「エレキ・ギターのGラン」をきっかけに全員が一斉に飛び込んできます。さらにピーターがヨーデルなのだかシャウトなのだがよくわからない翔ぶような唱法でガンガン歌ってきます。追い打ちをかけるかのようにリチャードが自信と勢いとアイデアに満ち溢れたフレーズを連発します。こんなフィドル弾きがいるとバンドもさぞかしスリリングだろうなと思えてきます。

それにつけても圧倒されるのがクラレンスのギターです。3分余りに渡って延々と弾き続けるバッキングは、時折4th、7th、9thといった音を織り交ぜるだけなのにまったくタイミングが良すぎます。このように、彼らは1曲目からやりたい放題で大騒ぎした挙げ句にフェイド・アウトという非ブルーグラス的手法で去って行きます。さすが異業種交流を繰り返したミュージシャンの演奏するブルーグラスは1曲目から驚かせてくれます。

2曲目「ブルー・アンド・ロンサム」はカントリー調ミディアム・テンポのブルーグラスを演奏します。これでやっと平常心を取り戻せそうです。と思いきや、ここでもリチャードは先ほどの興奮状態から脱していないのか1曲目に続いて変わったフレーズを連発します。ちょうど高速道路のインターを降りて一般道路に入ったのにスピード感が麻痺して100kmくらいのスピードで走ってしまう状態、それが彼なのですね。

彼の状態に不安を覚えたのか、他の4人はこの後「フットプリント・イン・ザ・スノウ」、「ダーク・ホロウ」、「ホワイトハウス・ブルース」と計3曲の普通のブルーグラスを連続して演奏することで治療を試みます。その甲斐あってどうやらリチャードの興奮状態も治まった模様です。

ところがようやく1人が治まったと思ったら、今度はグリスマン氏が自ら開発した「ドーグ」(Dawg)なるジャンルの曲を持ち込んで、既にそのイントロをシャカシャカと奏で始めているではありませんか。幸いなことにここで単弦奏法の得意なビル・キースの賛同が得られたのか無事「Gマイナー作品57」が始まります。思えば後年、トニー・ライスによってその多くが弾かれることになるドーグ音楽をクラレンスが演奏している貴重な1曲です。それにしても何だか軽々と弾いている感がありますね。

続く「ランウェイズ・オブ・ザ・ムーン」、「ロアノーク」、「レイン・アンド・スノウ」を無難に過ごすと、クラレンスの弾く「ソルジャーズ・ジョイ」が鳴り響きます。そして最後に「ブルー・ミュール」で締めくくられるのです。この曲はこれまでの10曲に比べて大変まとまりが良く、あらかじめ整理された役割分担の中で一人一人が抜群のパフォーマンスをやってくれます。特にリチャードのプレイは印象的で、エレキ・バイオリンを駆使し「通奏低音」ならぬ「通奏高音」のようなプレイをベースに、曲をドラマチックに展開させて行きます。
またクラレンスさんの16小節のソロは切り込んでくるタイミングが素晴らしい上に、生前彼が弾いていたフレーズを散りばめていて、この演奏の数ヶ月後に亡くなってしまうことを考えると何か感慨深いものがあります。

この曲は終盤、まるで1曲目「ミュールスキナー・ブルース」を再現しているかのように全員が思い思いに弾きまくってフェイド・アウトして終わります。ああ興奮、またまた興奮。しかし興奮冷めあらぬ彼らはさらなる企画を立ち上げるのでした。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-24 09:41 | ブルーグラスの歴史

41 ニュー・オーセンティックの旗頭、デル・マッカリー

a0038167_9283447.jpg
12. Roll in My Sweet Baby's Arms
13. Blue Yodel
14. Beautiful Life

「デル・マッカリー・スィングス・ブルーグラス」とタイトルされたこのアルバムには、バックミュージシャンとしてビル・エマーソン(バンジョー)、ビリー・ベイカー(フィドル)、ウェイン・イエーツ(マンドリン)、トミー・ニール、ドゥウェイ・レンフロ(ベース)がクレジットされています。また1972年、新生のラウンダー・レコードと契約し、彼としては2枚目のアルバム「ハイ・オン・ア・マウンテン」をリリースします。

ビル・モンロー亡き後、彼ほどハイ・ロンサムでストレートなブルーグラスを歌える人物は他にいません。そういった意味で真のビル・モンローの後継者としてその評価は高く、オーセンティックなブルーグラスを演奏する一流のプレイヤー、しかもファースト・ゼネレーションでもない彼の実力と人気は、長年の苦労の上にしっかりと大地に根を張る雑草のようにたくましいものなのです。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-22 09:25 | ブルーグラスの歴史

40 幻のバンドだったニュー・サウス

a0038167_946680.jpgアール・スクラッグス・スタイルのバンジョー奏者の中ではもっとも正当な後継者と言われ、ジミー・マーチンのデッカ時代初期のバンジョー奏者としてその名を轟かせていたJ.D.クロウは、生誕地ケンタッキー州レキシントンに本拠地を移し、「ケンタッキー・マウンテン・ボーイズ」といういささか古めかしい名前のバンドを結成し活動していました。

このバンドには左利きのフィドラーのボビー・スローンに、ドイル・ロウソン(マンドリン)、ベテラン・シンガーのレッド・アレン(ギター)が加わり、1968年に「ブルーグラス・ホリデイ」(CD化されていません)というアルバムを残しています。このアルバムでレッドの磨き抜かれたイブシ銀のようなボーカル、ドイルの淀みなく流れるタイトなマンドリン演奏とテナー・ボーカル、そしてJ.D.の華麗なるビッグ・バンジョーのサウンドを聴くことができます。また彼らは新旧交代の転換期にあったブルーグラス界において最高のオーセンティック・ブルーグラス・バンドの評価を得て、同時にベテラン・ミュージシャンの底力を見せつけたものとして大いに話題となりました。

しかし、残念ながらこのアルバムを最後にレッドがバンドを去ります。J.D.はすぐさまカリフォルニア生まれの若手マンドリン奏者ラリー・ライスをバンドに迎え、サウンドおよびレパートリーに一層の強化を図ったのでした。

ラリーはそれまで西海岸では少しは知られたモダン・ブルーグラスのバンドで演奏しており、ブルーグラスのスタンダード曲に加えて、当時の西海岸で流行していたフライング・ブルトウ・ブラザーズのカントリー・ロックやディラン・ソングなどをレパートリーとしていました。これによりケンタッキー・マウンテン・ボーイズは演奏スタイルがぐっと新しくなります。ラリーの加入後に作られたアルバム「ランブリング・ボーイ」(これまたCD化されていません)は変身後のもので、ラリーとレッドの年代的な差がそのまま現れているようです。

1971年、J.D.の片腕的存在だったドイルがカントリー・ジェントルメンに移籍すると、兄ラリーの誘いに応じた形でトニ−・ライスがブルーグラス・アライアンスを抜けバンドに入団してきます。アライアンスで培われたトニーの音楽センスはラリーやJ.D.の意識をも変えていきバンドは益々プログレッシヴな方向へと導かれていきます。

そして72年夏にJ.D.は気分一新して、バンド名をいかにもニューグラス的な装いを凝らした「ニュー・サウス」と改め、同時に一気にコマーシャルに乗るためかオズボーン・ブラザーズにならいエレクトリック・ブルーグラスにイメージ・チェンジを図ります。しかしこれは時期尚早だったのか不評を買う結果となってしまいました。そこでバンドは起死回生を図るかのようにレキシントンの「ホリデイ・イン」に籠り、そこで沈黙の1年間を過ごしたのでした。

74年に再びフェスティバルに現れたニュー・サウスは、かつてのケンタッキー・マウンテン・ボーイズ時代の小気味よいモダンなスタイルが鮮やかに復活していました。トニーのギター・ワークも年相応の重みと貫禄が漂い、レスター・フラットに傾倒しているというそのリズム・ギター、クラレンス・ホワイトから得たブルージーなリード・ギターも一層の磨きがかかったものとなっていました。この間、トニーのアルバムをサポートするもののバンド自体のアルバムは作られておらず、彼らは相変わらず「幻」のバンドとしてブルーグラス・ファンからは遠い存在だったのです。

ところがそんな彼らに1975年2月、ラウンダー・レコードとの契約が成立してアルバムが製作されます。待望久しかった彼らのアルバムですが、残念ながらラリーが録音寸前にバンドを辞めてしまいます。しかしラリーの後釜としてやってきたのが若手ながらセッション・マンとして活躍中のリッキー・スキャッグス(フィドル・マンドリン)とジェリー・ダグラス(ドブロ・ギター)の2人でした。これにオリジナル・メンバーのボビー・スローン(ベース)が加わって5人組の若いエネルギーが揃いました。

J.D. Crowe & The New South (Rounder )
1. Old Home Place
2. Some Old Day
3. Rock, Salt and Nails
4. Sally Goodin'
5. Ten Degrees (Getting Colder)
6. Nashville Blues
7. You Are What I Am
8. Summer Wages
9. I'm Walkin'
10. Home Sweet Home (Revisited)
11. Cryin' Holy

タイトル曲「オールド・ホーム・プレイス」はディラーズの当たり曲として有名です。2曲目「サム・オールド・デイ」、3曲目「ロック、ソルト・アンド・ネイル」はトニーが尊敬するレスター・フラットのナンバーです。次の「サリー・グッディン」では、師であるクラレンス・ホワイトを凌ぐような腕前に成長したトニーのリード・ギターが聴かれます。アライアンス時代から歌っているのでしょうか、トニーの歌う曲にはゴードン・ライトフッドのものが多いのですが、5、7曲目がそうです。珍しいところで9曲目「アイム・ウォーキン」はロカビリー・シンガー、ファッツ・ドミノの作品です。

シンコペイトしたフレーズ、ツボを得たタイミング、そして美しい音色と、トニ−の即興的なギター・プレイはブルーグラス・ギターに新たな世界を広げました。さらにリッキーの弾むようなマンドリン演奏と透き通ったテナー・ボーカル、そしてジェリーの音数の多い元気一杯なドブロ演奏、流れるごとく華麗でしかもタイミングのよいJ.D.のバンジョー、ニュー・サウスが創るサウンドはオーセンティックをベースとしながらもどこか垢抜けていました。ところでこのアルバム「J.D.クロウ&ニュ−・サウス」は話題も先行し遂にベスト・セラーとなります。

彼らは1975年8月にこのメンバーで初来日を果たします。ボクも大阪まで出かけていって彼らの演奏を聴きましたが、まさに噂に違わず「幻」のバンドの実力を目の当たりにして興奮しました。このコンサートの模様はLPとなって発売されましたが、残念ながらCD化はされていません。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-21 09:44 | ブルーグラスの歴史

39 カントリー・ガゼットの遅すぎたデビュー

a0038167_9292695.jpg1972年にフライング・ブリトウ・ブラザーズの活動が終了すると、バイロン・バーライン、ロジャー・ブッシュ、ケニー・ワーツの3人はカントリー・ガゼットの再始動に向けて動き出します。バンジョー奏者のアラン・マンデをメンバーに迎えて再び4人組となった彼らは、ユナイテッド・アーティスツとの契約を得てようやくデビュー・アルバム「パーティの裏切り者」(A Traitor In Our Midst)を発表します。だがこの年にイーグルスがデビューしていることを考えると、ブルーグラスの伝統に従ったアコースティック楽器ばかりの編成のグループのデビューとしてはやや遅すぎると思わざるを得ません。

本来、ガゼットはマンデの代わりにディラーズにいたハーブ・ペダーセンという顔ぶれで1970年頃には結成されており、もっと早くデビューできたはずでしたが、その結成と前後してバイロン・バーラインがクリス・ヒルマンからブリトウズのツアーをサポートすることを頼まれてしまったのです。これを受け入れたことで第1次カントリー・ガゼットの活動は見送られてしまいます。そしてバーライン、ブッシュ、ワーツの3人はブリトウズと共にヨーロッパをツアーし、『Last Of The Red Hot Burritos』(残念ながらCD化されていません)を残します。

その後、ブリトウズのリーダーであったクリス・ヒルマン自身がグループを抜けてしまい、ブリトウズそのものが存亡の危機に瀕するのですが、ガゼット組は残ったリック・ロバーツと共にさらにツアーを続けます。1972年になってようやくブリトウズの存続は断念され、ロバーツはソロ・アーティストとしての道を歩き始めました。こうしてガゼットはブリトウズの束縛から解放され、ようやく自身の活動を始められるようになったのです。考えてみますと、バーラインはディラード&クラークが崩壊した時にも最後までダグ・ディラードを支えてエクスペディションに在籍し続けたことがあり、彼はどうも律儀な性格ゆえに損をしてしまっているのかも知れませんね。

とは言え、カリフォルニアのブルーグラス・ファンの期待に応えるべく用意されたこのデビュー・アルバムは、インストゥルメンテーションにおいても、ボーカル=コーラス・ワークにおいても、そして選曲においても、それまでにないほど斬新であり完全でありポップな感覚を持つ都会派ブルーグラスと呼べるものでした。つまりそれは1960年代のディラーズの活動を受け継いでロックの影響をものの見事に消化したブルーグラスだったのです。

もちろんバンジョーとマンドリンを中心としたディラーズのサウンドとは異なり、バンジョーとフィドルがその中心楽器となっていますが、彼らはそれにギターとアコースティック・ベースを加えた伝統的なブルーグラスの楽器編成でどこまでロックできるかという課題に応えて、バラエティに富んだ音楽を作り出しています。その結果、彼らは評論家たちから高い評価を得て瞬く間に西海岸から東海岸に至るまでその存在が知られるようになり、熱狂的な支持を受けたのでした。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部を抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/burrito_delux.html)


Traitor in Our Midst / Don't Give Up Your Day Job (BGO)
1. Lost Indian
2. Keep on Pushin'
3. I Wish You Knew
4. Hot Burrito Breakdown
5. I Might Take You Back Again
6. Forget Me Not
7. Tried So Hard
8. Anna
9. If You're Ever Gonna Love Me
10. Aggravation
11. Sound of Goodbye
12. Swing Low Sweet Chariot
13. Huckleberry Hornpipe
14. The Fallen Eagle
15. I Don't Believe You've Met My Baby
16. Deputy Dalton
17. Teach Your Children
18. My Oklahoma
19. Down the Road
20. Winterwood
21. Honky Cat
22. Snowball
23. Lonesome Blues
24. Singing All Day (And Dinner on the Ground)

収録されているのは1作目と2作目の合計24曲です。全編を通じて典型的なブルーグラス音楽であるドライヴのかかったパターンを縦横に使ったパワフルな作りとなっています。中でも耳を引くのは2曲目のジーン・クラーク作品「Keep On Pushin'」と「Tried So Hard」です。どちらもジーンのソロ・デビュー・アルバム『Gene Clark With The Gosdin Brothers』からの選曲ですが、これをガゼットが演奏するとオリジナルの悲しい曲調とは似ても似つかない明るい曲になります。

「Anna」はガゼットの第1次ラインアップの一員であったハーブ・ピダースンの作品です。郷愁を感じさせるメロディが印象的な佳曲で、ピダースン自身はこの曲には参加していませんが、「Forget Me Not」、「Swing Low Sweet Chariot」、「I Wish You Knew」の3曲にギターとヴォーカルでゲスト参加しています。

「Aggravation」はダグ・ディラードとバーラインの共作としてクレジットされています。多分エクスペディション時代の楽曲なのでしょう。また、バーラインとブッシュによるオリジナル「Hot Burrito Breakdown」は典型的なブルーグラスのインスト曲で、ディラーズあたりが演奏しそうな感じの曲です。ここでのガゼットの演奏も、アラン・マンデのバンジョーがずいぶん目立っています。いかにもガゼットらしいと思えるのが、冒頭の「Lost Indian」の編曲です。楽曲自体はトラディショナルで、バーラインのフィドルを中心に据えたインスト作品なのですが、曲の随所にインディアンの雄叫びのような声が入っています。こうしたエンタテイメント精神はディラーズがステージに持ち込んだことで有名ですが、ガゼットはそれをスタジオ盤にも持ち込んだわけです。アメリカン・コミックを意識したようなジャケット・デザインにも彼らのそうした姿勢がよく表れています。

元々ブルーグラス・バンドはアルバムとして通して聴くと単調に陥りやすいという欠点があります。それを補うにはインストと歌ものを交互に配置するといった程度のことしかなかなかできませんが、ガゼットの引き出しはなかなか豊富で聴き手を飽きさせません。その秘密のひとつがケニー・ワーツとロジャー・ブッシュという二人のリード・ボーカリストの存在です。大部分の曲でワーツがリード・ヴォーカルを担当していますが、たまにブッシュがちょっとコミカルな声でリードをとる曲が出てきます。これによって彼らのサウンドの幅がずいぶん広がっています。また、このグループにはブルーグラスにしては珍しくマンドリン奏者がいませんが、いくつかの曲ではバーラインが多重録音でマンドリンも弾いており絶妙の隠し味を提供しています。

それでもまだ足りないと思ったのか、続く2作目『Don't Give Up Your Day Job』では一部の曲にドラムとエレキ・ベースを導入するなど、更にロックとのハイブリッド路線を推進しています。一作目以上に対象となる音楽の枠が広がり、彼らの音楽的背景をよく表した作りがなされています。13曲目の「Huckleberry Hornpipe」ではゲストにバーズを退団した名手クラレンス・ホワイトの抜群のギター・ワークが聴かれ、各ヴァースで使われるアフター・ビートのシンコペーションが強烈に耳にこびりつきます。本家CS&Nよりも「空に広がるようなコーラス・ワーク」が素晴らしい「Teach Your Children」、ミュート・バンジョーの音が美しい「My Oklahoma」、フラット&スクラッグスの古典的名曲「Down The Road」やエルトン・ジョン作「Honky Cat」も彼らにかかれば一気にポップな色合いを帯びます。「Lonesome Blues」はハーブ・ピダースンの作品ですが、この曲でのアラン・マンデのバンジョーは難しいコード進行を一段と美しく弾いています。

この2枚のアルバムは彼らの意図するサウンドをもっとも的確に表現していて、西海岸ブルーグラス究極の傑作であると思われます。これをもって西海岸のブルーグラス界はガゼットという柱を中心にして甦ったかのような動きが出てきます。すなわち1960年代のブルーグラス・シーンであまりにも不遇だったクラレンス・ホワイトの返り咲きに始まり、ロック・バンド、グレイトフル・デッドのリーダーのジェリー・ガルシア、デビッド・グリスマン、リチャード・グリーンといったメジャーで有名なミュージシャンたちが、翌73年には、まるで忘れていた何かを思い出したように動き始めます。

しかし時代が既にブルーグラスを求めてはいなかったのか、評論家には高く評価されながらもカントリー・ガゼットのレコードは思ったようには売れませんでした。このため1975年にはバーラインがグループを脱退します。その後、ガゼットはローランド・ホワイトを迎え、アラン・マンデ、ロジャー・ブッシュの3人が中心となってメンバー交代を繰り返しながら活動を続けていきます。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-17 09:27 | ブルーグラスの歴史

38 変貌遂げたカントリー・ジェントルメンの来日ライヴ

a0038167_93623100.jpgモダン・グルーグラスの強力なフロント・ラインとして、そのサウンドをクリエイトし続けたジョン・ダフィーが抜け、エディ・アドコックが抜けた後のカントリー・ジェントルメンは、メンバー移動の末に1970年にはバンジョーに結成時メンバーのビル・エマーソンが返り咲き、マンドリンにはJ.D.クロウのバンドからドイル・ロウソンを迎え、さらにベースにはジミー・マーチン、ビル・モンローのバンドを経てビル・イエーツが入団してやっと落ち着きます。

こうしてブルーグラス界の中堅プレイヤーで固められたジェントルメンは、翌71年1月に初来日を果たします。これは最初の訪日計画から3年目にしてのことでしたが、彼らはそこで評判どおりのハイ・テクニックとフレッシュなソフィスティケイトされたマナーを十分に見せてくれました。メンバーのいずれもが超一流のオーセンティックなバンドで豊富な経験を積んでおり、演奏内容はかつてないほどのトラディッショナルなものとなっています。つまり、ダフィー、アドコック在籍時のモダン・フォークやジャズを取り入れたプログレッシブなサウンドから、より堅実なオーセンティックなものへと変化していったのです。これによりチャーリーのボーカルにも明らかに40年代前後におけるカントリー音楽の強い影響が見られるようになり、彼の個性が実にのびのびと新しいジェントルメンの中で躍動し始めたように感じられました。

オーセンティック・バンドとして定着し、充実した活動をするようになったジェントルメンは、1971年にはブルーグラス関係の賞31部門のうち約4分の1にあたる8部門のタイトルを受賞します。内訳はブルーグラス・アンリミテッド誌から「フェイヴァリット・バンド賞」、「リード・シンガー賞(ウォーラー)」、「フェイヴァリット・ベース賞(イエーツ)」、ミュール・スキナー誌からは「ブルーグラス・バンド・オブ・ザ・イヤー賞」、「ベスト・ボーカル・グループ賞」、「ベスト・ギター・プレイヤー賞(ウォーラー)」、「ベスト・ベース・プレイヤー賞(イエーツ)」、「ソング・オブ・ジ・イヤー賞(ティーチ・ユア・チルドレン)」というものでした。これらの賞がラルフ・スタンレーおよびビル・モンローとおおむね3分する結果となっていることは注目に値するものです。

そんな彼らの来日コンサートの模様がアルバムとして残されています。CD化の際に収録時間の関係で5曲ほど割愛されていますが、それでも当時の雰囲気を伝えるのに十分な内容となっています。

Live in Japan [LIVE] (Rebel)
1. Fox on the Run
2. Little Bessie
3. Train45
4. Legend of the Rebel Soldier
5. Walking Down the Line
6. Matterhorn
7. Take Me Home, Country Roads
8. He Will Set Your Fields on Fire
9. Cripple Creek
10. Foggy Mountain Breakdown
11. East Virginia Blues
12. Redwood Hill
13. I'll Break Out
14. Under the Double Eagle
15. Copper Kettle
16. Yesterday
17. Bringing Mary Home
18. Seeing Nellie Home
19. Along the Way
20. Hank Snow Medley: The Last Ride/One More Ride/Golden
Rocket/I'm Movin

アルバムの1曲目はエマーソンがクリフ・ウォードロンと組んでいた頃の当たり曲「フォックス・オン・ザ・ラン」です。いかにもエマーソン好みのイントロに始まり、サビのボーカル・クァルテットで観客をグイグイと引きつけていきます。ありきたりのナンバーでのオープニングでは新生ジェントルメンに相応しくありません。そういった意味でなかなか粋なセンスが伺えます。5曲目デュラン・ソングでリード・ボーカルをとるロウソンは「C.G. エクスプレス」という彼自身にオリジナル曲を演奏しています(CDには未収録)。

またウォーラーものびのびとリード・ギターの腕前を披露します。14曲目「双頭の鷲の下に」はクラシック・ジェントルメン時代のレパートリーでもあるのですが、このステージでは一段とギターの腕を上げているように思えます。力余ってか弦まで切れる音がリアルに聞こえます。6、17、18、19曲目はお馴染みのジェントルメン・ナンバーです。しかし演奏者がかわると雰囲気もすっかり変わってしまうもので、ある意味いい感じに仕上がっています。

ステージではジェントルメンならではのお笑いも演じます。9曲目「クリプル・クリーク」はレコードの回転速度を間違ったような超スローモーな始まりで、途中から回転を速くしたように変わって、最後はハード・ドライヴィングでぴしりと終わらせます。この曲、実はバンジョー弾きの入門曲なのですが、早弾きの練習のためにテープの回転速度を落として「耳コピー」する定番の方法を「生で再現した」演奏だそうでなかなか笑えます。つまり、技術に裏打ちされた「遊び」で新生ジェントルメンの面目躍如と言ったところでしょう。

またウォーラー得意のハンク・スノウの物まねメドレーも聴かれます。イエーツの司会にのせられハンク・スノウになり切って大熱演してくれています。このアルバムは演奏、録音ともに日本で録音されたあらゆるジャンルのライブ・アルバムを含めて屈指のものであると思えます。
(次回に続く)

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by scoop8739 | 2004-09-16 09:36 | ブルーグラスの歴史

37 ライヴ・パフォーマンスの名盤中の名盤

a0038167_19155510.jpgセルダム・シーンは結成以来、ブルーグラス・ファンを中心に着実に支持率を高め、ついに1974年度の米ブルーグラス専門誌「ミュール・スキナー・ニュース」の人気投票では、最優秀作品部門「Rider」、最優秀アルバム部門「Act3」、最優秀年間バンド部門、最優秀ボーカル部門、最優秀ドブロ部門〜マイク・オールドリッジ、最優秀ベース部門〜トム・グレイと計6部門の受賞をするなど、年々その強烈なパワーを沸騰させていきました。

これは彼らの持つ一貫したテーマというべき、「ブルーグラス音楽の新しい概念への挑戦」と、「音空間の細部にまで完璧さを追求する姿勢」というものが評価された結果であると言えます。

さて、そんなバンド活動が充実した彼らの5枚目となるアルバムはなんとライヴ・パフォーマンスを収録したものでした。通常ライヴ盤というとコンサートだったりフェスティバルだったりと、パフォーマーと観客との間に少し距離があるものが多かったのですが、このアルバムではライヴ・スポットという演奏者の汗や吐息までが身近に感じられるほどの狭い空間で行われており、観客との垣根を感じさせず観客とともにリラックスしながらステージを進行させています。そして聴く者すべてがアルバムを通じて彼らの飾らない日頃のステージ模様を疑似体感できるのです。

さてアルバムの内容ですが、ワシントンD.C.のライヴ・スポット「セラー・ドア」を舞台に彼らの本領をいかんなく発揮し、スリリングかつダイナミックなステージが繰り広げられます。そしてまったくきどらないスマートな上品さが漂っているのもこのライヴ・パフォーマンスの特徴でもあります。

Live at the Cellar Door [LIVE] (Rebel)
1. Doing My Time
2. California Cottonfields
3. Band Intros
4. Panhandle Country
5. Muddy Waters
6. Rawhide
7. Baby Blue
8. City of New Orleans
9. Grandfather's Clock
10. Fields Have Turned Brown
11. Hit Parade of Love
12. Will the Circle Be Unbroken
13. Pickaway
14. Dark Hollow
15. Small Exception of Me
16. If I Were a Carpenter
17. Old Gray Bonnet
18. C & O Canal
19. Georgia Rose
20. Colorado Turnaround
21. He Rode All the Way to Texas
22. White Line
23. Rider

オープニング曲、ジミー・スキナー作の「刑の終わるその日まで」はフラット&スクラッグスのスタンダード曲でブルーグラス・ファンにはすっかりお馴染みですが、ここではセルダム・シーンならではのアレンジで観客をぐいぐいと彼らのペースに引きずり込んでいきます。この曲で観客をノセた後はマール・ハガードの「カリフォルニア・コットンフィールド」でスターリングの世界に浸ってもらうといった案配でステージは進行していきます。そしてマイクの華麗なるドブロをフィーチャーした「パンハンドル・カントリー」でインストゥルメンタルの素晴らしさを、さらにダフィーがしっとりと歌い上げる「マディー・ウォーターズ」で、ついに聴衆を膝までどっぷりと彼らの世界に埋没させてしまいます。

こうなると槍でも鉄砲でもかまいません。飛んでくるサウンドはなんでもかんでも甘んじて受けてしまいましょう。ビル・モンローの「ロウハイド」、「ジョージアのバラ」、カーター・スタンレーの「フィールズ・ハブ・ターンド・ブラウン」、ジミー・マーチンの「恋のヒットパレード」といった具合にブルーグラスの名曲が次から次へとなだれ込んできます。そしてトドメは74年度のブルーグラス界の代表曲に選ばれた「ライダー」で締めくくられる、全編80分におよぶ感動と充実感たっぷりのライヴです。

そしてこのライヴ・パフォーマンスこそ、セルダム・シーンの価値を高めるアンソロジーであり、ビル・モンローの名盤「ビーン・ブロッサム」とともに、私たちに限りない感動と興奮を与えてくれるブルーグラス音楽の優れた名盤であるに違いないと、断言できるものなのです。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-15 19:14 | ブルーグラスの歴史