カテゴリ:ブルーグラスの歴史( 39 )

40 幻のバンドだったニュー・サウス

a0038167_946680.jpgアール・スクラッグス・スタイルのバンジョー奏者の中ではもっとも正当な後継者と言われ、ジミー・マーチンのデッカ時代初期のバンジョー奏者としてその名を轟かせていたJ.D.クロウは、生誕地ケンタッキー州レキシントンに本拠地を移し、「ケンタッキー・マウンテン・ボーイズ」といういささか古めかしい名前のバンドを結成し活動していました。

このバンドには左利きのフィドラーのボビー・スローンに、ドイル・ロウソン(マンドリン)、ベテラン・シンガーのレッド・アレン(ギター)が加わり、1968年に「ブルーグラス・ホリデイ」(CD化されていません)というアルバムを残しています。このアルバムでレッドの磨き抜かれたイブシ銀のようなボーカル、ドイルの淀みなく流れるタイトなマンドリン演奏とテナー・ボーカル、そしてJ.D.の華麗なるビッグ・バンジョーのサウンドを聴くことができます。また彼らは新旧交代の転換期にあったブルーグラス界において最高のオーセンティック・ブルーグラス・バンドの評価を得て、同時にベテラン・ミュージシャンの底力を見せつけたものとして大いに話題となりました。

しかし、残念ながらこのアルバムを最後にレッドがバンドを去ります。J.D.はすぐさまカリフォルニア生まれの若手マンドリン奏者ラリー・ライスをバンドに迎え、サウンドおよびレパートリーに一層の強化を図ったのでした。

ラリーはそれまで西海岸では少しは知られたモダン・ブルーグラスのバンドで演奏しており、ブルーグラスのスタンダード曲に加えて、当時の西海岸で流行していたフライング・ブルトウ・ブラザーズのカントリー・ロックやディラン・ソングなどをレパートリーとしていました。これによりケンタッキー・マウンテン・ボーイズは演奏スタイルがぐっと新しくなります。ラリーの加入後に作られたアルバム「ランブリング・ボーイ」(これまたCD化されていません)は変身後のもので、ラリーとレッドの年代的な差がそのまま現れているようです。

1971年、J.D.の片腕的存在だったドイルがカントリー・ジェントルメンに移籍すると、兄ラリーの誘いに応じた形でトニ−・ライスがブルーグラス・アライアンスを抜けバンドに入団してきます。アライアンスで培われたトニーの音楽センスはラリーやJ.D.の意識をも変えていきバンドは益々プログレッシヴな方向へと導かれていきます。

そして72年夏にJ.D.は気分一新して、バンド名をいかにもニューグラス的な装いを凝らした「ニュー・サウス」と改め、同時に一気にコマーシャルに乗るためかオズボーン・ブラザーズにならいエレクトリック・ブルーグラスにイメージ・チェンジを図ります。しかしこれは時期尚早だったのか不評を買う結果となってしまいました。そこでバンドは起死回生を図るかのようにレキシントンの「ホリデイ・イン」に籠り、そこで沈黙の1年間を過ごしたのでした。

74年に再びフェスティバルに現れたニュー・サウスは、かつてのケンタッキー・マウンテン・ボーイズ時代の小気味よいモダンなスタイルが鮮やかに復活していました。トニーのギター・ワークも年相応の重みと貫禄が漂い、レスター・フラットに傾倒しているというそのリズム・ギター、クラレンス・ホワイトから得たブルージーなリード・ギターも一層の磨きがかかったものとなっていました。この間、トニーのアルバムをサポートするもののバンド自体のアルバムは作られておらず、彼らは相変わらず「幻」のバンドとしてブルーグラス・ファンからは遠い存在だったのです。

ところがそんな彼らに1975年2月、ラウンダー・レコードとの契約が成立してアルバムが製作されます。待望久しかった彼らのアルバムですが、残念ながらラリーが録音寸前にバンドを辞めてしまいます。しかしラリーの後釜としてやってきたのが若手ながらセッション・マンとして活躍中のリッキー・スキャッグス(フィドル・マンドリン)とジェリー・ダグラス(ドブロ・ギター)の2人でした。これにオリジナル・メンバーのボビー・スローン(ベース)が加わって5人組の若いエネルギーが揃いました。

J.D. Crowe & The New South (Rounder )
1. Old Home Place
2. Some Old Day
3. Rock, Salt and Nails
4. Sally Goodin'
5. Ten Degrees (Getting Colder)
6. Nashville Blues
7. You Are What I Am
8. Summer Wages
9. I'm Walkin'
10. Home Sweet Home (Revisited)
11. Cryin' Holy

タイトル曲「オールド・ホーム・プレイス」はディラーズの当たり曲として有名です。2曲目「サム・オールド・デイ」、3曲目「ロック、ソルト・アンド・ネイル」はトニーが尊敬するレスター・フラットのナンバーです。次の「サリー・グッディン」では、師であるクラレンス・ホワイトを凌ぐような腕前に成長したトニーのリード・ギターが聴かれます。アライアンス時代から歌っているのでしょうか、トニーの歌う曲にはゴードン・ライトフッドのものが多いのですが、5、7曲目がそうです。珍しいところで9曲目「アイム・ウォーキン」はロカビリー・シンガー、ファッツ・ドミノの作品です。

シンコペイトしたフレーズ、ツボを得たタイミング、そして美しい音色と、トニ−の即興的なギター・プレイはブルーグラス・ギターに新たな世界を広げました。さらにリッキーの弾むようなマンドリン演奏と透き通ったテナー・ボーカル、そしてジェリーの音数の多い元気一杯なドブロ演奏、流れるごとく華麗でしかもタイミングのよいJ.D.のバンジョー、ニュー・サウスが創るサウンドはオーセンティックをベースとしながらもどこか垢抜けていました。ところでこのアルバム「J.D.クロウ&ニュ−・サウス」は話題も先行し遂にベスト・セラーとなります。

彼らは1975年8月にこのメンバーで初来日を果たします。ボクも大阪まで出かけていって彼らの演奏を聴きましたが、まさに噂に違わず「幻」のバンドの実力を目の当たりにして興奮しました。このコンサートの模様はLPとなって発売されましたが、残念ながらCD化はされていません。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-21 09:44 | ブルーグラスの歴史

39 カントリー・ガゼットの遅すぎたデビュー

a0038167_9292695.jpg1972年にフライング・ブリトウ・ブラザーズの活動が終了すると、バイロン・バーライン、ロジャー・ブッシュ、ケニー・ワーツの3人はカントリー・ガゼットの再始動に向けて動き出します。バンジョー奏者のアラン・マンデをメンバーに迎えて再び4人組となった彼らは、ユナイテッド・アーティスツとの契約を得てようやくデビュー・アルバム「パーティの裏切り者」(A Traitor In Our Midst)を発表します。だがこの年にイーグルスがデビューしていることを考えると、ブルーグラスの伝統に従ったアコースティック楽器ばかりの編成のグループのデビューとしてはやや遅すぎると思わざるを得ません。

本来、ガゼットはマンデの代わりにディラーズにいたハーブ・ペダーセンという顔ぶれで1970年頃には結成されており、もっと早くデビューできたはずでしたが、その結成と前後してバイロン・バーラインがクリス・ヒルマンからブリトウズのツアーをサポートすることを頼まれてしまったのです。これを受け入れたことで第1次カントリー・ガゼットの活動は見送られてしまいます。そしてバーライン、ブッシュ、ワーツの3人はブリトウズと共にヨーロッパをツアーし、『Last Of The Red Hot Burritos』(残念ながらCD化されていません)を残します。

その後、ブリトウズのリーダーであったクリス・ヒルマン自身がグループを抜けてしまい、ブリトウズそのものが存亡の危機に瀕するのですが、ガゼット組は残ったリック・ロバーツと共にさらにツアーを続けます。1972年になってようやくブリトウズの存続は断念され、ロバーツはソロ・アーティストとしての道を歩き始めました。こうしてガゼットはブリトウズの束縛から解放され、ようやく自身の活動を始められるようになったのです。考えてみますと、バーラインはディラード&クラークが崩壊した時にも最後までダグ・ディラードを支えてエクスペディションに在籍し続けたことがあり、彼はどうも律儀な性格ゆえに損をしてしまっているのかも知れませんね。

とは言え、カリフォルニアのブルーグラス・ファンの期待に応えるべく用意されたこのデビュー・アルバムは、インストゥルメンテーションにおいても、ボーカル=コーラス・ワークにおいても、そして選曲においても、それまでにないほど斬新であり完全でありポップな感覚を持つ都会派ブルーグラスと呼べるものでした。つまりそれは1960年代のディラーズの活動を受け継いでロックの影響をものの見事に消化したブルーグラスだったのです。

もちろんバンジョーとマンドリンを中心としたディラーズのサウンドとは異なり、バンジョーとフィドルがその中心楽器となっていますが、彼らはそれにギターとアコースティック・ベースを加えた伝統的なブルーグラスの楽器編成でどこまでロックできるかという課題に応えて、バラエティに富んだ音楽を作り出しています。その結果、彼らは評論家たちから高い評価を得て瞬く間に西海岸から東海岸に至るまでその存在が知られるようになり、熱狂的な支持を受けたのでした。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部を抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/burrito_delux.html)


Traitor in Our Midst / Don't Give Up Your Day Job (BGO)
1. Lost Indian
2. Keep on Pushin'
3. I Wish You Knew
4. Hot Burrito Breakdown
5. I Might Take You Back Again
6. Forget Me Not
7. Tried So Hard
8. Anna
9. If You're Ever Gonna Love Me
10. Aggravation
11. Sound of Goodbye
12. Swing Low Sweet Chariot
13. Huckleberry Hornpipe
14. The Fallen Eagle
15. I Don't Believe You've Met My Baby
16. Deputy Dalton
17. Teach Your Children
18. My Oklahoma
19. Down the Road
20. Winterwood
21. Honky Cat
22. Snowball
23. Lonesome Blues
24. Singing All Day (And Dinner on the Ground)

収録されているのは1作目と2作目の合計24曲です。全編を通じて典型的なブルーグラス音楽であるドライヴのかかったパターンを縦横に使ったパワフルな作りとなっています。中でも耳を引くのは2曲目のジーン・クラーク作品「Keep On Pushin'」と「Tried So Hard」です。どちらもジーンのソロ・デビュー・アルバム『Gene Clark With The Gosdin Brothers』からの選曲ですが、これをガゼットが演奏するとオリジナルの悲しい曲調とは似ても似つかない明るい曲になります。

「Anna」はガゼットの第1次ラインアップの一員であったハーブ・ピダースンの作品です。郷愁を感じさせるメロディが印象的な佳曲で、ピダースン自身はこの曲には参加していませんが、「Forget Me Not」、「Swing Low Sweet Chariot」、「I Wish You Knew」の3曲にギターとヴォーカルでゲスト参加しています。

「Aggravation」はダグ・ディラードとバーラインの共作としてクレジットされています。多分エクスペディション時代の楽曲なのでしょう。また、バーラインとブッシュによるオリジナル「Hot Burrito Breakdown」は典型的なブルーグラスのインスト曲で、ディラーズあたりが演奏しそうな感じの曲です。ここでのガゼットの演奏も、アラン・マンデのバンジョーがずいぶん目立っています。いかにもガゼットらしいと思えるのが、冒頭の「Lost Indian」の編曲です。楽曲自体はトラディショナルで、バーラインのフィドルを中心に据えたインスト作品なのですが、曲の随所にインディアンの雄叫びのような声が入っています。こうしたエンタテイメント精神はディラーズがステージに持ち込んだことで有名ですが、ガゼットはそれをスタジオ盤にも持ち込んだわけです。アメリカン・コミックを意識したようなジャケット・デザインにも彼らのそうした姿勢がよく表れています。

元々ブルーグラス・バンドはアルバムとして通して聴くと単調に陥りやすいという欠点があります。それを補うにはインストと歌ものを交互に配置するといった程度のことしかなかなかできませんが、ガゼットの引き出しはなかなか豊富で聴き手を飽きさせません。その秘密のひとつがケニー・ワーツとロジャー・ブッシュという二人のリード・ボーカリストの存在です。大部分の曲でワーツがリード・ヴォーカルを担当していますが、たまにブッシュがちょっとコミカルな声でリードをとる曲が出てきます。これによって彼らのサウンドの幅がずいぶん広がっています。また、このグループにはブルーグラスにしては珍しくマンドリン奏者がいませんが、いくつかの曲ではバーラインが多重録音でマンドリンも弾いており絶妙の隠し味を提供しています。

それでもまだ足りないと思ったのか、続く2作目『Don't Give Up Your Day Job』では一部の曲にドラムとエレキ・ベースを導入するなど、更にロックとのハイブリッド路線を推進しています。一作目以上に対象となる音楽の枠が広がり、彼らの音楽的背景をよく表した作りがなされています。13曲目の「Huckleberry Hornpipe」ではゲストにバーズを退団した名手クラレンス・ホワイトの抜群のギター・ワークが聴かれ、各ヴァースで使われるアフター・ビートのシンコペーションが強烈に耳にこびりつきます。本家CS&Nよりも「空に広がるようなコーラス・ワーク」が素晴らしい「Teach Your Children」、ミュート・バンジョーの音が美しい「My Oklahoma」、フラット&スクラッグスの古典的名曲「Down The Road」やエルトン・ジョン作「Honky Cat」も彼らにかかれば一気にポップな色合いを帯びます。「Lonesome Blues」はハーブ・ピダースンの作品ですが、この曲でのアラン・マンデのバンジョーは難しいコード進行を一段と美しく弾いています。

この2枚のアルバムは彼らの意図するサウンドをもっとも的確に表現していて、西海岸ブルーグラス究極の傑作であると思われます。これをもって西海岸のブルーグラス界はガゼットという柱を中心にして甦ったかのような動きが出てきます。すなわち1960年代のブルーグラス・シーンであまりにも不遇だったクラレンス・ホワイトの返り咲きに始まり、ロック・バンド、グレイトフル・デッドのリーダーのジェリー・ガルシア、デビッド・グリスマン、リチャード・グリーンといったメジャーで有名なミュージシャンたちが、翌73年には、まるで忘れていた何かを思い出したように動き始めます。

しかし時代が既にブルーグラスを求めてはいなかったのか、評論家には高く評価されながらもカントリー・ガゼットのレコードは思ったようには売れませんでした。このため1975年にはバーラインがグループを脱退します。その後、ガゼットはローランド・ホワイトを迎え、アラン・マンデ、ロジャー・ブッシュの3人が中心となってメンバー交代を繰り返しながら活動を続けていきます。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-17 09:27 | ブルーグラスの歴史

38 変貌遂げたカントリー・ジェントルメンの来日ライヴ

a0038167_93623100.jpgモダン・グルーグラスの強力なフロント・ラインとして、そのサウンドをクリエイトし続けたジョン・ダフィーが抜け、エディ・アドコックが抜けた後のカントリー・ジェントルメンは、メンバー移動の末に1970年にはバンジョーに結成時メンバーのビル・エマーソンが返り咲き、マンドリンにはJ.D.クロウのバンドからドイル・ロウソンを迎え、さらにベースにはジミー・マーチン、ビル・モンローのバンドを経てビル・イエーツが入団してやっと落ち着きます。

こうしてブルーグラス界の中堅プレイヤーで固められたジェントルメンは、翌71年1月に初来日を果たします。これは最初の訪日計画から3年目にしてのことでしたが、彼らはそこで評判どおりのハイ・テクニックとフレッシュなソフィスティケイトされたマナーを十分に見せてくれました。メンバーのいずれもが超一流のオーセンティックなバンドで豊富な経験を積んでおり、演奏内容はかつてないほどのトラディッショナルなものとなっています。つまり、ダフィー、アドコック在籍時のモダン・フォークやジャズを取り入れたプログレッシブなサウンドから、より堅実なオーセンティックなものへと変化していったのです。これによりチャーリーのボーカルにも明らかに40年代前後におけるカントリー音楽の強い影響が見られるようになり、彼の個性が実にのびのびと新しいジェントルメンの中で躍動し始めたように感じられました。

オーセンティック・バンドとして定着し、充実した活動をするようになったジェントルメンは、1971年にはブルーグラス関係の賞31部門のうち約4分の1にあたる8部門のタイトルを受賞します。内訳はブルーグラス・アンリミテッド誌から「フェイヴァリット・バンド賞」、「リード・シンガー賞(ウォーラー)」、「フェイヴァリット・ベース賞(イエーツ)」、ミュール・スキナー誌からは「ブルーグラス・バンド・オブ・ザ・イヤー賞」、「ベスト・ボーカル・グループ賞」、「ベスト・ギター・プレイヤー賞(ウォーラー)」、「ベスト・ベース・プレイヤー賞(イエーツ)」、「ソング・オブ・ジ・イヤー賞(ティーチ・ユア・チルドレン)」というものでした。これらの賞がラルフ・スタンレーおよびビル・モンローとおおむね3分する結果となっていることは注目に値するものです。

そんな彼らの来日コンサートの模様がアルバムとして残されています。CD化の際に収録時間の関係で5曲ほど割愛されていますが、それでも当時の雰囲気を伝えるのに十分な内容となっています。

Live in Japan [LIVE] (Rebel)
1. Fox on the Run
2. Little Bessie
3. Train45
4. Legend of the Rebel Soldier
5. Walking Down the Line
6. Matterhorn
7. Take Me Home, Country Roads
8. He Will Set Your Fields on Fire
9. Cripple Creek
10. Foggy Mountain Breakdown
11. East Virginia Blues
12. Redwood Hill
13. I'll Break Out
14. Under the Double Eagle
15. Copper Kettle
16. Yesterday
17. Bringing Mary Home
18. Seeing Nellie Home
19. Along the Way
20. Hank Snow Medley: The Last Ride/One More Ride/Golden
Rocket/I'm Movin

アルバムの1曲目はエマーソンがクリフ・ウォードロンと組んでいた頃の当たり曲「フォックス・オン・ザ・ラン」です。いかにもエマーソン好みのイントロに始まり、サビのボーカル・クァルテットで観客をグイグイと引きつけていきます。ありきたりのナンバーでのオープニングでは新生ジェントルメンに相応しくありません。そういった意味でなかなか粋なセンスが伺えます。5曲目デュラン・ソングでリード・ボーカルをとるロウソンは「C.G. エクスプレス」という彼自身にオリジナル曲を演奏しています(CDには未収録)。

またウォーラーものびのびとリード・ギターの腕前を披露します。14曲目「双頭の鷲の下に」はクラシック・ジェントルメン時代のレパートリーでもあるのですが、このステージでは一段とギターの腕を上げているように思えます。力余ってか弦まで切れる音がリアルに聞こえます。6、17、18、19曲目はお馴染みのジェントルメン・ナンバーです。しかし演奏者がかわると雰囲気もすっかり変わってしまうもので、ある意味いい感じに仕上がっています。

ステージではジェントルメンならではのお笑いも演じます。9曲目「クリプル・クリーク」はレコードの回転速度を間違ったような超スローモーな始まりで、途中から回転を速くしたように変わって、最後はハード・ドライヴィングでぴしりと終わらせます。この曲、実はバンジョー弾きの入門曲なのですが、早弾きの練習のためにテープの回転速度を落として「耳コピー」する定番の方法を「生で再現した」演奏だそうでなかなか笑えます。つまり、技術に裏打ちされた「遊び」で新生ジェントルメンの面目躍如と言ったところでしょう。

またウォーラー得意のハンク・スノウの物まねメドレーも聴かれます。イエーツの司会にのせられハンク・スノウになり切って大熱演してくれています。このアルバムは演奏、録音ともに日本で録音されたあらゆるジャンルのライブ・アルバムを含めて屈指のものであると思えます。
(次回に続く)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-16 09:36 | ブルーグラスの歴史

37 ライヴ・パフォーマンスの名盤中の名盤

a0038167_19155510.jpgセルダム・シーンは結成以来、ブルーグラス・ファンを中心に着実に支持率を高め、ついに1974年度の米ブルーグラス専門誌「ミュール・スキナー・ニュース」の人気投票では、最優秀作品部門「Rider」、最優秀アルバム部門「Act3」、最優秀年間バンド部門、最優秀ボーカル部門、最優秀ドブロ部門〜マイク・オールドリッジ、最優秀ベース部門〜トム・グレイと計6部門の受賞をするなど、年々その強烈なパワーを沸騰させていきました。

これは彼らの持つ一貫したテーマというべき、「ブルーグラス音楽の新しい概念への挑戦」と、「音空間の細部にまで完璧さを追求する姿勢」というものが評価された結果であると言えます。

さて、そんなバンド活動が充実した彼らの5枚目となるアルバムはなんとライヴ・パフォーマンスを収録したものでした。通常ライヴ盤というとコンサートだったりフェスティバルだったりと、パフォーマーと観客との間に少し距離があるものが多かったのですが、このアルバムではライヴ・スポットという演奏者の汗や吐息までが身近に感じられるほどの狭い空間で行われており、観客との垣根を感じさせず観客とともにリラックスしながらステージを進行させています。そして聴く者すべてがアルバムを通じて彼らの飾らない日頃のステージ模様を疑似体感できるのです。

さてアルバムの内容ですが、ワシントンD.C.のライヴ・スポット「セラー・ドア」を舞台に彼らの本領をいかんなく発揮し、スリリングかつダイナミックなステージが繰り広げられます。そしてまったくきどらないスマートな上品さが漂っているのもこのライヴ・パフォーマンスの特徴でもあります。

Live at the Cellar Door [LIVE] (Rebel)
1. Doing My Time
2. California Cottonfields
3. Band Intros
4. Panhandle Country
5. Muddy Waters
6. Rawhide
7. Baby Blue
8. City of New Orleans
9. Grandfather's Clock
10. Fields Have Turned Brown
11. Hit Parade of Love
12. Will the Circle Be Unbroken
13. Pickaway
14. Dark Hollow
15. Small Exception of Me
16. If I Were a Carpenter
17. Old Gray Bonnet
18. C & O Canal
19. Georgia Rose
20. Colorado Turnaround
21. He Rode All the Way to Texas
22. White Line
23. Rider

オープニング曲、ジミー・スキナー作の「刑の終わるその日まで」はフラット&スクラッグスのスタンダード曲でブルーグラス・ファンにはすっかりお馴染みですが、ここではセルダム・シーンならではのアレンジで観客をぐいぐいと彼らのペースに引きずり込んでいきます。この曲で観客をノセた後はマール・ハガードの「カリフォルニア・コットンフィールド」でスターリングの世界に浸ってもらうといった案配でステージは進行していきます。そしてマイクの華麗なるドブロをフィーチャーした「パンハンドル・カントリー」でインストゥルメンタルの素晴らしさを、さらにダフィーがしっとりと歌い上げる「マディー・ウォーターズ」で、ついに聴衆を膝までどっぷりと彼らの世界に埋没させてしまいます。

こうなると槍でも鉄砲でもかまいません。飛んでくるサウンドはなんでもかんでも甘んじて受けてしまいましょう。ビル・モンローの「ロウハイド」、「ジョージアのバラ」、カーター・スタンレーの「フィールズ・ハブ・ターンド・ブラウン」、ジミー・マーチンの「恋のヒットパレード」といった具合にブルーグラスの名曲が次から次へとなだれ込んできます。そしてトドメは74年度のブルーグラス界の代表曲に選ばれた「ライダー」で締めくくられる、全編80分におよぶ感動と充実感たっぷりのライヴです。

そしてこのライヴ・パフォーマンスこそ、セルダム・シーンの価値を高めるアンソロジーであり、ビル・モンローの名盤「ビーン・ブロッサム」とともに、私たちに限りない感動と興奮を与えてくれるブルーグラス音楽の優れた名盤であるに違いないと、断言できるものなのです。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-15 19:14 | ブルーグラスの歴史

36 ブルーグラス界の真打ち登場

a0038167_949497.jpg1969年にカントリー・ジェントルメンを辞して以来、実質的にほとんど演奏活動を中断していたジョン・ダフィーが、この風変わりな名前のバンドを結成したのは1972年のことでした。彼らの名声、実績、人気は、バンドの結成が発表されると同時にブルーグラス界の注目を一身に集めるものでした。

結成当時のメンバーは、クリフ・ウォードロンのニュー・シェイズ・オブ・グラスからマイク・オールドリッジ(ドブロ、バリトン・ボーカル)と実兄のデイブ(ギター)、ベン・エルドリッジ(バンジョー)、そしてダフィーとカントリー・ジェントルメン時代に一緒だったトム・グレイ(ベース)に加えて、それまではまったく無名のジョン・スターリング(ギター、ボーカル)という6名編成でした(すぐにデイブが離脱し5人編成となります)。

彼らはその名前が示すように、「セルダム・シーン」(SELDOM SCENE)、つまり「めったに見ることのできない」存在だったのです。というのも彼らは他のブルーグラス・バンドと大きく違って、メンバー全員が昼間は社会的にも高度な技術を持つ職業に従事しており、演奏活動はいわば副業だったからです。だからといって彼らがアマチュア的な存在かと言うと、これが驚愕すべきテクニシャンの集まりですからそこらのセミ・プロとは大違いという訳です。彼らは週に1、2度、ワシントンD.C.エリアのライヴ・ハウスを拠点に活動し、それ以外はアルバム製作に時間を割くといったやり方で、堅実な道を選ぶことによってバンドを維持していきました。

新人のスターリングを除けば、それぞれが今までどんな活躍をしていたかは十分に知り尽くされていますし、またこのメンバーがどんなサウンドを創り出すのかは(単純に考えればカントリー・ジェントルメンとニュー・シェイズ・オブ・グラスを足して2で割ったようなものであることは)だいたい想像できました。ところが彼らのデビュー・アルバムを聴いた人びとは、その想像が外れていたことに軽いショックを受けると同時に、単純な計算では計りきれないサムシングが多すぎることに驚き、そして大喜びをしたのでした。

それは、ジョン・ダフィーがカントリー・ジェントルメンの時代から長年持ち続けていた音楽理念と、ブルーグラスの世界では全くの新人のはずのジョン・スターリングの音楽的センス、そしてマイクの華麗で優雅なドブロ、ベンのこれまた色彩豊かなバンジョー、さらにトムのタイトなフォー・ビート・ベースが加わったのですから、もうブルーグラス界では敵なしです。

彼らのレパートリーはとてもカラフルで、ビル・モンロー、フラット&スクラッグス、ドン・リーノウのブルーグラス系はもとより、ハンク・ウィリアムス、ボブ・ウィルス、マール・ハガードのカントリー系、リック・ネルソン、ジョン・プラインのポップス系、スターリングのオリジナル曲、それに当然のことながらカントリー・ジェントルメン時代の愛唱歌と、非常に幅広いレパートリーを次々と採用しています。

その選曲のひとつひとつは極度に用心深いバランスで考慮されており、ブルーグラスの岸から完全に足を離さない慎重さが伺えますし、ソフィスティケイトされた感覚で統一されたアレンジメントと、高度なテクニックによる演奏は、それまでのブルーグラス音楽からは数段高いところに位置していました。そして何より心地よい期待外れは、ジョン・スターリングのボーカル・センスのみごとなことでした。

Act 1 (Rebel)
1. Raised by the Railroad Line
2. Darling Corey
3. Want of a Woman
4. Sweet Baby James
5. Joshua
6. Will There Be Any Stars in My Crown
7. City of New Orleans
8. With Body and Soul
9. Summertime Is Past and Gone
10. 500 Miles
11. Cannonball
12. What Am I Doing Hanging 'Round?

バンド名を受けての「アクト1」という粋なタイトルがつけられた彼らのデビュー盤ですが、ジャケット・デザインも上半身が闇に覆われて「めったに見られない」(seldom scene)という憎い演出がなされています。このアルバムは1971年の発売当時、針を落とした(古い表現になりましたが…)誰もがそのサウンドに驚愕したという内容で、(60年代までの)古いブルーグラス音楽に親しんでいた人たちには、最初に軽い違和感を伴ない最後には新鮮さと不思議な充実感を与えるものでした。しかし30年以上経った今でも、聴くたびに十分に新しさを感じさせてくれます。

4曲目ジェームズ・テイラー作の「スウィート・ベイビー・ジェイムス」はブルーグラス界広しと言えども、スターリング以外にうまく歌いこなせる人はまずいないでしょう。また2、8、9曲目のような古いブルーグラス・ソングも歌のうまさとアレンジの新鮮さがプラスされて全くニュアンスの違ったものに聴こえます。とくに8曲目の「ボディ・アンド・ソウル」は先のニュー・グラス・リバイバルのアルバムと聴き比べると面白いでしょう。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-14 09:47 | ブルーグラスの歴史

35 ワシントンD.C.エリアの動き

a0038167_926433.jpgカントリー・ジェントルメンの初代バンジョー奏者ビル・エマーソンは、ジミー・マーチンのバンドを経て、1960年代半ばにはケンタッキー・ジェントルメンというバンドにいました。1967年、このバンドにクリフ・ウォードロンというギター弾きが入団してきて2人は意気投合し、68年7月には念願のバンドを立ち上げたのでした。新しいバンドの名前は「リー・ハイウェイ・ボーイズ」と名乗り、同年暮にはレベル・レコードとの契約に成功してデビューします。ちなみにこのアルバムにはリード・ギターとしてジョン・ダフィーが特別参加しています。

1969年頃からはメンバー移動も収まり、クリフ(ギター、リード・ボーカル)、ビル・エマーソン(バンジョー、テナー・ボーカル)のほかは、マイク・オールドリッジ(ドブロ、バリトン・ボーカル)、ビル・ポフィンバーガー(フィドル)、エド・フェリス(ベース)に定着します。

彼らは1969年から70年に間にさらに2枚のアルバムを残しています。レパートリーの多くはカントリー・ジェントルメンが志向したようなコンテンポラリー・ロック、ソウル、カントリーから多くを取り入れていて、もっとも有名なものはイギリスのロック・バンド、マンフレッド・マンの「フォックス・オン・ザ・ラン」をアレンジした曲でした。クリフのカントリー・タッチのボーカルと、ジミー・マーチンに鍛えられてより精密でドライブ感あふれるサウンドを聴かせるようになったエマーソンのバンジョーに加えて、マイクの哀愁感が織り成す華麗な響きのドブロとで、D.C.エリアでもっとも新しいサウンドを聴かせるバンドとして人気を集めるようになったのです。

1970年5月、エマーソンがエディ・アドコックの抜けた後釜として、古巣のカントリー・ジェントルメンに移ることとなりバンドは解散の憂き目を見ますが、バンド再建にかけるクリフの熱意でバンドは新編成されました。バンジョーにベン・エルドリッジ、マンドリンとテナー・ボーカルにマイクの兄のデイヴ・オールドリッジを加え、クリフがリーダーとなって「ニュー・シェイズ・オブ・グラス」が誕生したのでした。バンドはD.C.エリアのライヴ・スポットで活動しながら落花流水のような独自のサウンドに磨きをかけていきます。

The Best of Cliff Waldron (Rebel )
1. Wash My Face in the Morning Dew
2. I'm Lonesome Without You
3. Four Strong Winds
4. Sunny Side of My Life
5. Falling Leaves
6. Thinking About You
7. Ice Covered Birches
8. Satan's Jeweled Crown
9. Your Love Is Like a Flower
10. Violet and the Rose
11. Brand New Wagon
12. Silver Wings
13. I'm Lost and I'll Never Find the Way
14. Veil of White Lace
15. Loving You So Long
16. Close the Door Lightly When You Go
17. Nobody's Love Is Like Mine

こうしたレコードでの人気によってフェスティバルへの出演やライヴ・ハウスの出演量が増えてくると、逆にメンバーの中のパート・タイム・ミュージシャン、ドブロのマイクとバンジョーのベンが昼間の仕事を維持できなくなるためにバンドをやめざるを得なくなります。

彼らはセミプロとしての活動を希望していたので、彼らの実力を買っていたレベル・レコードの社長ディック・フリーランドは、カントリー・ジェントルメンをやめた後に楽器のリペアをやっていたジョン・ダッフィーに相談します。こうして着々と大きなプロジェクトが始動しはじめたのでした。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-13 09:25 | ブルーグラスの歴史

34 アライアンスからニュー・グラス・リバイバルへ

a0038167_10384278.jpgブルーグラス・アライアンスの音楽センスをさらに進めた形でニュー・グラス・リバイバルがデビューしたのは1971年のことでした。彼らはすぐさま母体であるアライアンスを凌ぐ実力を示し、ジェリー・リー・ルイスのロックン・ロール・ナンバー「火の玉ロック」で一気にグルーグラス界のスターとなっていきます。

中心メンバーはマンドリンとフィドルの奇才サム・ブッシュ。彼は多くのフィドル・コンテストでチャンピオンに輝いたと言う実力を持ち、1969年にはアラン・マンデらと「プア・リチャーズ・オールマナック」というセッション・アルバムを残してアライアンスに入団しています。バンジョー奏者のコートニー・ジョンソンはビル・キース・スタイルのクロマチック奏法の第一人者で、サムとの交流を通じてアライアンス入りします。ギターとドブロのカーチス・バーチは多くのバンドを渡り歩きアライアンスに入団しました。そしてベース奏者のイボ・ウォーカーはアライアンスのオリジナル・メンバーでした。

彼らはブルーグラス・ミュージシャンから受けるイメージとはほど遠く、伸び放題の長髪によれよれのジーンズ、Tシャツというスタイルでしたが、彼らの鋭く研ぎすまされた感性は、体質として持っているロック的フリーなセンスに基づいているもので、いままでのどのブルーグラス・ミュージシャンからも感じられないものでした。そして彼らのサウンドは、その大胆なアレンジと幅広いレパートリーの消化力、ピーター・ローワンを模範としたサムの若々しいボーカルと、どれをとってもロック・ファンをもブルーグラス音楽に巻き込む大きな魅力にあふれていました。

彼らはブルーグラス音楽の枠を越え、機会さえあればロック・コンサートへも出向き、またロックもそのレパートリーに取り込むといったどん欲さで大きく活動します。そんな中、レオン・ラッセルとのジョイントで1973年夏にツアーを行ない、益々ロック感覚に磨きをかけていきました。

The New Grass Revival (Hollywood)
1. Pennied in My Pocket
2. Cold Sailor
3. I Wish I Said (I Love You One More Time)
4. Prince of Peace
5. Ginseng Sullivan
6. Whisper My Name
7. Great Balls of Fire
8. Lonesome Fiddle Blues
9. Body and Soul
10. With Care from Someone

4曲目「プリンス・オブ・ピース」はレオン・ラッセルのヒット曲をサムの大胆なアレンジでグラス・ロックとして聴かせてくれます。5曲目「ジンセン・サリバン」はクロス・ピッキング・ギターの名手ノーマン・ブレイクの曲。文字どおり火の出るような演奏とボーカルが聴ける7曲目「火の玉ロック」は、1957年ジェリー・リー・ルイスのヒット曲です。このアルバムのハイライトは8曲目「ロンサム・フィドル・ブルース」です。フィドル奏者ヴァッサー・クレメンツの作曲ですが、クライマックスで聴けるサムのフィドルは圧巻です。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-10 10:37 | ブルーグラスの歴史

33 ナッシュビル・ピッキン・セッションとブルーグラス・アライアンス

a0038167_9391153.jpg1960年代半ばになると南東部のブルーグラス・ミュージシャンの中には、フォークやカントリーから吸収したモダンな感覚を、まったくブルーグラス音楽の範囲で演奏しようと試みる人たちが出てきます。彼らはブルーグラス音楽にあまり関心のないナッシュビルという環境の中で、ブルーグラスの新生面を切り開いて行こうという試みに取り組んだのでした。この動きを称して「ナッシュビル・ピッキン・セッション」と言いますが、これに参加していたのがロイ・エイカフのバンドでギターを弾いていたチャーリー・コリンズ、ジョニー・キャッシュのレコーディング・セッション・マンとして売り出し中のノーマン・ブレイク、ポーター・ワゴナーのバンドでフィドルを弾いていたマック・マガーハ、そしてバンジョー奏者のラリー・マックニーリーという人たちでした。

中でもノーマン・ブレイクのリード・ギターと、ラリー・マックニーリーのバンジョーは非常に個性的で、ノーマンのプレイはドック・ワトソンのクロス・ピッキング奏法にクラレンス・ホワイトからのブルージーなシンコペイションを使ったアドリブを多用した最先端を行くものでした。一方、ラリーのバンジョー・スタイルは、アール・スクラッグスとドン・リーノウのパターンをミックスしたものですが、細かいブリッジの部分にビル・キースや当時ナッシュビルで人気の出てきたボビー・トンプソンのクロマチック・ロールを巧みに挿入して独自のスタイルとしたものでした。

それから1年後、ナッシュビル・ピッキン・セッションをさらに大衆化した形で、1968年にケンタッキーからブルーグラス・アライアンスが登場します。メンバーはギター奏者のダン・クレアリー、バンジョー奏者のバディ・スパーロックを中心に、ロニー・ピアスのフィドルが絡むといったもので、さながらナッシュビル・ピッキン・セッションを彷佛とさせました。彼らはフォークを思わせるボーカルやハーモニーをブルーグラスのリズムに本格的に溶け込ませるといった点で初めてのバンドでした。そしてその演奏スタイルはビル・モンローやスタンレー・ブラザーズといったトラディッショナルなバンドとは一線を画し、フォーク・リバイバルでブルーグラスのファンとなった第三世代ともいわれる層に瞬く間に広がっていったのです。

彼らはデビューから1971年までの4年間にわずか2枚のアルバムしか残していません(残念ながらどれもCD化されていません)が、ブルーグラスの新しい時代を予言するかのように2作目のアルバム・タイトルは「ニュー・グラス」と名付けられ、ブルーグラス新時代の先鞭をつけたのでした。

アライアンスはその後メンバー・チェンジを繰り返します。クロス・ピッキングの名手ダン・クレアリーが抜けた後のギターにはクラレンス・ホワイトの流れを汲む新星トニー・ライスが入団してきます。そして1970年初秋にマンドリンのサム・ブッシュ、そのすぐ後の11月にはバンジョー奏者のコートニー・ジョンソン、翌71年末にカーチス・バーチ(ギター、ドブロ)とメンバーが次々と替わりました。こうして設立メンバーはフィドル奏者のロニー・ピアスとベース奏者のイボ・ウォーカーだけとなってしまったのでした。

このバンドの評価は高く人気もあったのですが、収入面では苦しい状況が続き、トニーはサムと共同生活をはじめます。この期間、二人は自分たちの演奏に生かす糧としてブルーグラスにとどまらず様々な音楽に触れたといわれています。彼らの間にはより新しいものを求めるように何かが煮えたぎっていたのでした。

1972年にトニーがJ.D.クロウのバンドに加わるため退団すると、ロニーを除くメンバーは「ポニー・エキスプレス」というバンドを立ち上げ、アライアンスを退団します。このバンドこそ新時代の台風の眼となるバンド「ニュー・グラス・リバイバル」に他ならなかったのです。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-09 09:37 | ブルーグラスの歴史

32 混沌の時代、1960年代後半

a0038167_1024779.jpg1960年代後半のアメリカでは、ベトナム戦争が激化する中でサンフランシスコの若者たちが戦争や人種差別に反対して自然への回帰を謳い、ドラッグによる精神や感性の解放を主張していました。彼らはヒッピーとかフラワー・チルドレンなどと呼ばれ、ドラッグをやりながら延々と即興演奏を続けるバンドや、ライト・ショーなどの幻想的な映像に快楽を求めました。1967年6月にサンフランシスコ郊外のリゾート地モンタレーで行われたポップ・フェスティバルには、ジェファーソン・エアプレイン、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、ママス&パパス、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーといったサイケデリック・サウンドを聴かせるバンドがもてはやされます。それまでの穏やかで軽快なサウンドを持つフォーク・ソングはすでに時代遅れとなっていました。

ブルーグラスの世界に目を転じますと、1960年代に入ってからナッシュビル・サウンドを取り入れてソフィスティケイトされたモダンなスタイルで活躍していたオズボーン・ブラザーズやジム&ジェシーのグループや、コマーシャルに向かっていたブルーグラス・バンドの多くは、1967年頃のフォーク衰退とともに再びオーセンティックな音と土の香りが漂うブルーグラスに戻ってきました。

アメリカ西海岸のブルーグラス・バンドの多くは、ケンタッキー・カーネルズの解散と共に、ディラーズの方向転換が示すようにカントリー・ロック・バンドへとスタイルを変えていきます。伝統の浅い西海岸のブルーグラス界は、あまりにもフォークに依存し過ぎていたためにフォークの衰退とともにまたたく間に寂れていったのでした。

そんな中ブルーグラス界に激震が走ります。1963年のテレビ番組「じゃじゃ馬億万長者」の主題歌「The Ballad Of Jed Clampett」のヒット以来、フォークやカントリーへの接近によって次々とベスト・セラー・アルバムを送り出していたコマーシャルなブルーグラスの急先鋒、レスター・フラットとアール・スクラッグスが1969年に音楽的見解の相違を理由として分裂してしまいます。レスターはアールを除く全員を引き連れてナッシュビル・グラスを立ち上げ、アールは息子たちとともにロック感覚の強いバンド、スクラッグス・レビューを結成したのです。

またワシントンD.C.を中心に活躍していたカントリー・ジェントルメンのリーダーであるジョン・ダフィーは、来日公演を前にして「飛行機に乗るのが怖い」という意味不明の理由で公演をキャンセルし、その責任を取って退団します。

しかし明るいニュースもありました。ビル・モンローが長年のブルーグラス音楽への偉大な貢献をたたえられスミソニアン・インスティテューションほか各地で表彰され、翌70年にCMAの「カントリー・ミュージックの殿堂」に名を連ねることになります。

この時代、多くのブルーグラス・バンドは再び南東部の地域音楽として伝統の中に回帰していったのですが、一部に例外とも言えるミュージシャンたちがいました。彼らは60年代半ば頃までにフォークやカントリーから吸収したモダンな感覚をブルーグラス音楽の中で処理しようと試みたのでした。
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-08 10:22 | ブルーグラスの歴史

31 ニッティ・グリッティ・ダート・バンドと永遠の絆

a0038167_11193810.jpgバーズ、ディラーズ、フライング・ブリトウ・ブラザーズというウェスト・コースト・ロック初期のバンドが出たついでに書かせていただくのが「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」(NGDB)のことです。彼らは、オールマン・ブラザーズやジャクソン・ブラウン、ケニー・ロギンスなどを世に送り出し、1966年から現在に至るまで一貫してカントリー・ロックを演奏しつづけるベテラン・バンドです。

バンドはカリフォルニアで結成され、ジェフ・ハンナ(ギター、ヴォーカル)、ジミー・ファッデン(ギター、ハーモニカ、ウォッシュタブ・ベース、ヴォーカル)、ラルフ・バー(ギター、クラリネット、ヴォーカル)、レス・トンプソン(ベース・ギター、ギター、ヴォーカル)、ブルース・カンケル(ギター、ヴァイオリン、ヴォーカル)というメンバーでした。このメンバーに一時期、ジャクソン・ブラウンが加わっていたこともありました。

1966年には、さらにジョン・マッキューエン(ギター、フィドル、バンジョー、マンドリン、ヴォーカル)を加えて、バンド名を「ニッティ・グリッティ・ダート・バンド」(NGDB)と改名し、フォーク&カントリー・ロック・バンドの異端児として1967年にアルバム「Nitty Gritty Dirt Band」でデビューするや、いきなり「バイ・フォー・ミー・ザ・レイン」のスマッシュ・ヒットを放ちます。

余談ながら、この頃、寝食を共にしながら一緒にクラブのショーに出演していたデュアン&グレッグのオールマン兄弟を彼らのマネージャーが気に入ってロサンゼルスに連れて行き、レコード・デビューさせています。

ところでデビュー当時のNGDBは、ブルーグラス、R&B、ラグタイム、ケイジャン、オールド・タイム、ブルース、ロックン・ロールなど、あらゆるアメリカン・ミュージックをレパートリーに取り入れて話題になったのでしたが、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」をリリースして以来、ロック界にはしだいにサイケデリック・ブームの波が押し寄せてきます。そんな中、彼らも次のセカンド・アルバムではドラッグのことを歌ったり、ジャケットもそれ風にするなど一応サイケを意識したアプローチを見せますが失敗に終わります。その後も泣かず飛ばずで、69年にはついに一度解散してしまいました。

しかし70年にはメンバーも新たに再結成を果たし、素晴らしいアルバムとともにロック界にカンバックしてきました。オリジナル・メンバーのジェフ・ハンナ、ジミー・ファッデン、レス・トンプソン、ジョン・マッキューエンに、ジミー・イボットソン(ギター、キーボード、ドラムス、アコーディオン、ヴォーカル)を加えたメンバーでした。

この彼らの通算4作目のアルバム「アンクル・チャーリーと愛犬テディ」では、以前から曲を提供してくれていたジャクソン・ブラウンに代えて、若き日のケニー・ロギンスの曲を採用し、サウンド的にはむしろ原点に戻ってアメリカン・ミュージックのルーツとロックを融合させた“カントリー・ロック”を確立させます。これが当たって、「ミスター・ボージャングル」は全米9位となり、ロギンスの曲「プー横町の家」も大ヒットしました。このアルバムはプラチナ・ディスクに輝き、グラミー賞の2部門にノミネートされるなど一躍彼らはビッグ・スターの仲間入りを果たしたのです。

そして続く1971年には、当時のカントリー音楽界の大御所、ロイ・エイカフ、マール・トラヴィス、ドック・ワトソン、ジミー・マーティン、メーベル・カーターらを迎えて歴史的名盤「永遠の絆」を発表します。これは2世代共演を果たしたカントリー版ファーザー&サン、またはマウンテン・ミュージックとカントリー・ロックの幸せな結婚とでもいうべき作品で、ロックとカントリー両ジャンルにまたがって現在も絶大な影響力を誇るものです。これ以降、彼らはカントリー・フィールドで活動を続ける長寿バンドとなり、89年に第2集、そして2001年にジョニー・キャッシュやメーベルの娘ジューン・カーターの参加を得て第3集をリリースします。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/uncle_charlie.html)


Will the Circle Be Unbroken (Capitol )
a0038167_17103313.jpg1. Grand Ole Opry Song
2. Keep on the Sunny Side
3. Nashville Blues
4. You Are My Flower
5. Precious Jewel
6. Dark as a Dungeon
7. Tennessee Stud
8. Black Mountain Rag
9. Wreck on the Highway
10. End of the World
11. I Saw the Light
12. Sunny Side of the Mountain
13. Nine Pound Hammer
14. Losin' You (Might Be the Best Thing Yet)
15. Honky Tonkin'
16. You Don't Know My Mind
17. My Walkin' Shoes
2枚組ほか全42曲
(次回につづく)

人気blogランキングへ
[PR]
by scoop8739 | 2004-09-07 11:06 | ブルーグラスの歴史