カテゴリ:カントリー・ジェントルメン( 63 )

194 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (33)

フーテナニーって何?

再度書きますが、「フーテナニー」(hootenanny)というのは、フォーク・ソングのバンドやら歌い手たちが次々に出てきて歌い、最後は観客を巻き込んでシング・アウトで締め括るというコンサートの形式です。アメリカ発祥のこの波はやがて我が国にも到達します。一連のブームはモダン・フォークのうねりとなって全国に広がりました。

1958年にキングストン・トリオの「トム・ドゥリー」が全米No.1のヒットします。この曲は翌591月に日本でも発売されてヒットしました。そして61年には早くもキングストン・トリオが来日し、翌62年にはブラザース・フォア、さらに翌63年にピート・シーガーなど蒼々たるシンガーが来日しています。

これを受けて、我が国では大学のキャンバスを中心にしてフォーク・ソング・ブームが起き、そのイベントを「フーテナニー」と呼んで、各大学主催で続々と開催されました。フォーク・ギターを持って歌いだしたという点では、エレキかアコギかの違いだけで、ベンチャーズのそれと同質の流行であったといえるのですが、こちらの中心は成城、青学といった、どちらかというと育ちの良い「良家のお坊ちゃん」的な若者が多く、多種多才な人間が混在していた「エレキ」とは雰囲気を異にしていました。

1966年にモダン・フォーク・カルテットのリーダーだったマイク真木が「バラが咲いた」でデビューします。「日本初のフォーク・ソング」のふれ込みでしたが、作詞・作曲はポップス色が強かったとはいえ、既成の作曲家、浜口庫之助で、明らかに売れ線狙い、当時のフォーク青年たちをガッカリさせたものです。それでも、この曲は思惑通りに大ヒットしました。

この成功を受けて、黒沢久雄のいたブロード・サイド・フォーが「若者たち」でデビューします。さらに成城学園高等部3年生だった森山良子が「この広い野原いっぱい」でデビュー。この曲は森山良子の自身の曲で、おそらく日本フォークとしてはオリジナル・ヒット第一号でしょう。こうして「カレッジ・フォーク」と呼ばれた第一次フォーク・ソング・ブームは静かにその勢いを増していったのです。

また、スチューデント・パワーという推進力を得たサブ・カルチャーの波は、音楽のみならず、ファッションをも巻き込んでいきます。カレッジ・フォークのグループはそのほとんどが、アメリカン・トラッド、アイビー・ルックに身を包み、これが一般学生にまで普及し、女子学生のミニ・スカートの流行と合わせて、そのカジュアルなスタイルは、それまでの学生服、白いブラウスにプリーツ・スカートを一気に古い物へと追いやったのでした。

1963年はフーテナニー(アメリカの「みんなでフォーク・ソングを楽しみましょう」の意味)という言葉が入ってきて、 日本初のフーテナニー・コンサートが開催された年です。この頃はまだ、アメリカのカントリー&ウエスタンが全盛であり、フォークソングはそれほどでもなかったので、このフーテナニー‘63はフォークをやっていた人たちにとって大きな出来事でした。

こういう動きによって、当時のフォークシンガーたちは自ら歌う場所を確保していったのです。主な出演者は、セント・ポールズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズ、カントリー・フレッシュメン、山田耕筰、真中勝子という人たちでした。


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by scoop8739 | 2006-04-12 16:25 | カントリー・ジェントルメン

193 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (32)

レベルへの録音 (6)

a0038167_11043901.jpgB面1曲目「ノックスヴィル・ガール」(Knoxville Girl)は、古いイギリス民謡の「ウェックスフォード・ガール」(Wexford Girl)をベースに作られた曲で、ルーヴィン・ブラザースがレコーディングをしています。ジェントルメンは曲を通してトリオ・コーラスで歌っています。この曲は2003年に発売されたCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)にも収録されています。

2曲目の「レッド・ウィング」(Red Wing)はケティ・ミルズが1907年に作曲し、のちにサーランド・チャタウェイが詞をつけました。1920年代に多く演奏された非常にポピュラーな曲です。バンジョーが快調に飛ばし、マンドリンがそれに続きます。途中からエディが手癖のようなギャロッピングを差し挟みます。

3曲目「ニアラー・マイ・ゴッド・トゥ・ジー」 (Nearer My God To Thee) は、サラ・フラワー・アダムスの詞に、1856年ロウウェル・メイソンが曲をつけた、讃美歌320番「主よ、みもとに」、または聖歌260番「主よいよいよ」として知られた曲です。「どこに行けばあなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。天に登ろうとも、あなたはいまし陰府(よみ)に身を横たえようとも見よ、あなたはそこにいます」と歌われます。ルーヴィン・ブラザースもまたレコーディングをしている曲ですが、ジェントルメンはギターとマンドリンをバックにクワルテットで歌います。

4曲目の「ケティ・ディア」(Katy Dear)は古くはカーター・ファミリーやブルー・スカイ・ボーイズによって歌われたトラディッショナル・ソングです。「オハイオの岸辺で」に似た内容の歌で、ジェントルメンの素晴らしいトリオ・コーラスが聴かれます。この曲も前述のCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)に収録されました。

5曲目「ユー・レフト・ミー・アローン」(You Left Me Alone)はベースのトム・グレイがジェリー・スチュアートと共作した曲です。切り裂くようなジョンのマンドリンでキックオフし、この曲もトリオ・コーラスで歌われます。この曲も同じくCD「Can't You Hear Me Callin'」(REB-CD-7508)に収録されました。

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-10 22:51 | カントリー・ジェントルメン

192 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (31)

レベルへの録音(5)

a0038167_11043901.jpg「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」とタイトルされたカントリー・ジェントルメンのアルバムは、ブルーグラス・マーケット以外のより広い聴衆を獲得するため、ディスカウント・ストア向けに販売されました。

そのA面1曲目の「9ポンドのハンマー」 (Nine Pound Hammer)は、線路工事人夫が毎日9ポンドの重いハンマーを打ちながらぼやいてるような曲で、ブルーグラスではスタンダード曲となっています。ジェントルメンの演奏ではギターの入ってくるタイミングがとてもよく、3回目のブレイクではエディのギャロッピング・バンジョーも心地よく聴かれます。

2曲目「パレット・オン・ザ・フロアー」 (Pallet On The Floor)は、フォーク畑ではウィーヴァースやエリック・フォン・シュミット、オデッタに歌われた古い民謡ですが、ジェントルメンはこの曲を現代的に、かつブルージーに料理しています。トリオ・コーラスに始まり、チャーリー、エディ、ジョンの順に歌われます。この曲は後年、アルバム「ロアノーク・ライヴ」や「イエスタデイ・アンド・トゥデ」vol.3で発表されています。

3曲目の「イースト・ヴァージニア・ブルース」 (East Virginia Blues)は、マンドリンのクロス・ピッキングのイントロに続いてトリオ・コーラスで歌われます。バンジョーもマンドリンのフレーズをなぞるような演奏を聴かせます。この曲もブルーグラスではスタンダード曲ですね。やはりアルバム「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」vol.2で発表されました。

4曲目「エディ・オン・ザ・フリーウェイ」 (Eddie On The Freeway)は、「パティ・オン・ザ・ターンパイク」(Patty On The Turnpike)というフィドル・チューンをエディ流にアレンジしたインストゥルメンタル曲です。バンジョーが弾むように高らかに鳴り響き、マンドリンも淀みのない流れるようなブレイクを聴かせてくれます。

5曲目の「500マイルも離れて」 (500 Miles)は、いうまでもなくフォーク・ソングのスタンダード曲です。我が国ではピーター・ポール&マリーの歌で有名ですが、キングストン・トリオなども歌っています。しかしジェントルメンが取り上げたのはジャーニーメンのヴァージョンでした。このジャーニーメンというのは、のちにママス&パパスを結成するジョン・フィリップスと、「花のサンフランシスコ」(ジョン・フィリップス作)のヒットで有名なスコット・マッケンジーが在籍していたフォーク・グループでした。ちなみに彼らは「パレット・オン・ザ・フロアー」もレパートリーにしていました。ジェントルメンはこの曲をアルペジオ風のバンジョーと、マンドリンがトレモロでイントロのメロディーを奏で、ジョンのリード・ヴォーカルにつなぎます。この曲はアルバム「25 YEARS」(CDでもリリース)で発表されました。

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-07 21:20 | カントリー・ジェントルメン

191 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (30)

レベルへの録音 (4)

フォーク・ソングのバンドや歌い手たちが次々に出てきて歌い、最後は観客を巻き込んでシング・アウトで締め括るという観客参加型のコンサート形式を「フーテナニー」(hootenanny)と呼んでいます。そんな中から「花はどこへ行った」とか、「勝利を我らに」だとか、「ウィモアエ(ライオンは寝ている)」などの曲が生み出され、あるいは掘り起こされ、いわゆるモダン・フォークの波が起こったのでした。

さて、その「フーテナニー」をタイトルにしたカントリー・ジェントルメンのアルバムがレコーディングされたのは、先のスターディでのセッションから3日後の4月14日のことでした。たった1日でレコーディングされたのには訳がありました。このアルバムはレベa0038167_10481863.jpgル社によってディスカウント・ストア向けに制作されたもので、コストをかけずに格安販売する目的で作られています。ジェントルメンは、格安販売だからこそ多くのリスナーに聴いてもらえるとの理由からレコーディングに踏み切ったというのです。つまり彼らの目的とは、自分たちの音楽をより多くの聴衆にアピールすること、それもブルーグラスのファンだけでなく、その手の音楽を聴きたいと思った人には誰にでもアピールするように仕向けることでした。これについて彼らは素材選択として、より新しく、より広い聴衆を指向した曲がレパートリーに加えられました。

このアルバムは「デザイン」というレーベルで発売されています。本邦未発売ですので、その存在すらあまり知られていませんでした。しかし最近になってその音源が少しずつCD化され始めたのは、ジェントルメン研究にとって実に喜ばしいことです。なお、このアルバムに収録されていたのは以下の10曲でした。

A面
9ポンドのハンマー (Nine Pound Hammer)
パレット・オン・ザ・フロアー (Pallet On The Floor)
イースト・ヴァージニア・ブルース (East Virginia Blues)
エディ・オン・ザ・フリーウェイ (Eddie On The Freeway)
500マイル (500 Miles)
B面
ノックスヴィル・ガール (Knoxville Girl)
レッド・ウィング (Red Wing)
ニアラー・マイ・ゴッド・トゥ・ジー (Nearer My God To Thee)
ケティ・ディア (Katy Dear)
ユー・レフト・ミー・アローン (You Left Me Alone)

【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。

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by scoop8739 | 2006-04-04 20:32 | カントリー・ジェントルメン

190 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (29)

スターディへの録音 (12)

ジェントルメンはスターディ社との契約に不満を抱き、新たにレベル社と契約するや次々とレコーディングを始めました。そこでスターディ社は1963年4月11日、彼らとの最後のシングル盤制作のセッションをウィンウッド・スタジオで行います。この日レコーディングされたのがシングル用の曲「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)と、「ナイトウォーク」、「ジェシー・ジェイムズ」の計3曲でした。

「どぶろく造りのやかん」は、アルバート・フランク・ベドウ作のいかにも通好みの一風変わったムードを持った曲で、ボブ・ディランやジョーン・バエズによっても歌われています。チャーリーはラジオでこの曲を聴いて、バンドで演奏してみようと思い立ったのだそうです。なお、この曲は以前に録音されていた「サンライズ」とのカップリングで翌5月にシングル・リリースされると、ソルト・レイク・シティのカントリー・チャートで1位を獲得しています。

しかしながら、このとき彼らはより広範な全米的人気を得るチャンスを逃しています。というのも、この曲はキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」と同様に全米ヒットさえ可能と思われたのでした。ところがメンバーのジョン・ダフィーは、ミュージック・ビジネスに対して頑までの警戒心からメジャー・レーベル(たぶんマーキュリー)からのリリースを拒否したのでした。その結果、彼らはフォーク・ブームの絶好のチャンスに、その音楽性では圧倒的に優位であったにもかかわらず、全米的な名声を逃してしまったのでした。

閑話休題。「ナイトウォーク」はエディ・アドコックによるインストゥルメンタル曲です。 いうまでもなくこの曲は、それまでのブルーグラスにないタイプのものでした。ピートがペプシ・コーラの瓶を釘でリズムをとると、エディのバンジョーがテンポよくスタートします。まさにブルーグラス・ジャズと呼ばれるに相応しい名曲の誕生でした。

「ジェシー・ジェイムズ」は、アメリカ南部に実際に存在した“鼠小僧”のような怪盗を歌った曲で、フォークウェイズでのデビュー・アルバム「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」にも収録されています。ジェントルメンの歌う数多いトラッド・ナンバーの中でも、とりわけ人気の高い曲です。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-04-02 10:35 | カントリー・ジェントルメン

188 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (28)

レベルへの録音 (3)

前回(1962年11月)に引き続いて1963年3月、ジェントルメンは再びレベル社で3曲ほど録音しています。その3曲は「疲れ果てて」(I Am Weary)、「せつない日」(Sad and Lonesome Day)、「青い鳥が呼んでいる」(Bluebirds Are Singing For Me)ですが、この3曲にしても正式な記録なのかどうかわからないようです。

a0038167_20505222.jpg先にも書きましたが、レベル社がレコーディングに用いた場所はピート・カイケンダル所有の「ウィンウッド・スタジオ」(Wynwood Studio)というところで、ここはのちのマーキュリーでのアルバム「フォーク・セッション・インサイド」が録音されたのと同じ場所でした。だからこれらの曲がマーキュリー盤に使われたものなのか、リハーサルとしてレコーディングされていたものなのか、不思議と区別がつかないのです。

レベル社のコメントによると、これらのセッションの途中でマーキュリー社との契約が成立したので、ここでレコーディングされた曲がマーキュリーのアルバムに収録されたとのことです。もしもレベル社のコメントが正しいのであれば、「フォーク・セッション・インサイド」はすでに半年前から準備されていたことになります。ちなみにレベル盤はモノラルで録音されており、マーキュリー盤ではステレオとなっています。どうもこの辺りにヒントが見つかりそうですが、いかがなものでしょうか?

なお、この3曲については「フォーク・セッション・インサイド」の項でまとめて解説させていただきます。


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいています。
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by scoop8739 | 2006-03-29 20:51 | カントリー・ジェントルメン

187 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (27)

フォークウェイズへの録音 (10)

a0038167_17162636.jpgカントリー・ジェントルメンのフォークウェイズ3作目にして最初のライヴ・アルバム「オン・ザ・ロード」は、それまでブルーグラスが演奏される場所とは全く異なる場面、観客へのアプローチで、彼らの面目躍如たるところを示してくれました。このアルバムのB面は、オハイオ州コロンバスのあるセイクレッド・マッシュルームというコーヒー・ハウスで行われたライヴの模様をレコーディングしたものです。

1曲目の「心の痛手」(Heartaches)は、1947年にヒットしたジャズ系ポピュラーのスタンダード曲です。ジェントルメンは「サンライズ」で示したように、ブルーグラスとは少し離れた切り口、ニュアンスで、この曲を彼らなりのアレンジで聴かせています。

2曲目の「グラス・オブ・ワイン」(Little Glass Of Wine)は、スタンレー・ブラザーズも歌っていた殺人をテーマにした曲です。恋人の不実を誤解した男性が、ブドウ酒のグラスに毒を入れて殺人を犯し、自らもそれを飲んで死んでいったという話です。

3曲目「エルサレムを歩いて」(Walking In Jerusalem)は、次の曲「私は巡礼者」同様、キリストの伝道の旅をテーマにしたもので、エルサレムの歴史的叙述を素材にしています。

4曲目の「私は巡礼者」(I Am A Pilgrim)も前曲同様のセイクレッド曲で、素材は旧約聖書の創世記にある「アブラハムの放浪」から持ってきています。作者はお馴染みのカントリー・シンガーのマール・トラヴィスで、この曲は大御所ビル・モンロウや、ケンタッキー・カーネルズなどもレコーディングしているほど、今ではブルーグラスの名曲となっています。

5曲目「トムへの手紙」(Letter To Tom)は、1960年1月のスターディ3度目のセッションを最初に、カーネギー・ホール・コンサートでも取り上げている彼らのお得意のナンバーです。

6曲目の「ロウ・ハイド」(Raw Hide)は、ブルーグラス・インストゥルメンタルの定番曲で、ビル・モンロウの作です。ジェントルメンのライヴでは必ずと言っていいほど取り上げられています。マンドリンの演奏技術がたっぷりと聴けるもので、ジョンの弦も切れんばかりの迫力ある演奏を楽しめます。

7曲目はコミカルにアレンジした「ブルー・リッジ・マウンテン・ブルース」(Blue Ridge Mountain Blues)です。アパラチアン山系のスモーキーな山小屋の背景描写が数多く使用されています。ジェントルメンはこの曲をおもしろおかしく、英国人風な訛りで歌い、観客の大受けを得ています。

このアルバムでは、ダフィ、ウォーラー、アドコック、グレイの“クラシック・カントリー・ジェントルメン”による、彼らにしか為し得ないハイ・テンション・ブルーグラスの真髄を聴くことができます。


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by scoop8739 | 2006-03-26 17:27 | カントリー・ジェントルメン

186 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (26)

レベルへの録音 (2)

続く11月17日、ジェントルメンは3曲ほど録音したことになっています。その3曲とは「白バラ」(White Rose)、「サンライズ」(Sunrise)、「沈黙と涙」(Silence Or Tears)ですが、この辺りのレベル社のコメントが曖昧なため、はたして正式な記録なのかどうかわからない(というのも、アルバム「イェスタデイ&トゥデイ Vol.3」のレコーディング記録とボックス・セット「アーリー・レコーディング」との記録に決定的な違いあるため)のです。

のちに権利の関係からか、この録音はレベル社のためにしたことになっていますが、レベル社との契約以降、ジェントルメンは「ウィンウッド・スタジオ」(Wynwood Studio)でレコーディングをするようになりました。ところがまだスターディ社との契約も残し、さらに話を複雑にしてしまうことになるのが、あの名盤「フォーク・セッション・インサイド」もこのスタジオで録音されたものなのでした。

いずれにせよ「白バラ」は記録では新出の曲ですので,これは間違いないこととして(ところがボックス・セット「アーリー・レコーディング」では翌1963年4月にも録音されたという記録があります)、「サンライズ」と「沈黙と涙」の2曲については先のスターディ社での11回目のセッション(1961年11月6日)と同じもののように思えます。

a0038167_21201092.jpg話が横道に逸れてしまいましたが、「白バラ」はいかにもジョン・ダフィーらしいオリジナル曲です。この曲は伝承歌「プリティ・ポリー」(Pretty Polly)にインスパイアされて作られたものと思われますが、歌詞の内容と曲調がうまく調和していないところが、いかにもジェントルメンらしいところではないでしょうか?


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】※この項はカントリー・ジェントルメン研究の小川孝裕さんにアドヴァイスをいただいております。

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by scoop8739 | 2006-03-23 21:16 | カントリー・ジェントルメン

185 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (25)

レベルへの録音 (1)

a0038167_1110259.jpg1962年になってカントリー・ジェントルメンはレベル社と契約しました。この辺の事情は全くわからないのですが、スターディ社との契約を維持しながら、フォークウェイズ社とも契約し、さらにレベル社と契約を結ぶという荒技をやっています。このレベル社というのは、1959年11月にチャールズ・R・“ディック”・フリーランドによって設立されたレコード会社で、ワシントンD.C.エリアのミュージシャンを中心にシングル盤制作を始めています。

さてカントリー・ジェントルメンは1962年11月、クリスマス・シーズンに間に合わせるべくシングル用に2曲ほどレコーディングします。それは「クリスマス・タイム・バック・ホーム」と「ヘブンワード・バウンド」という曲でした。

「クリスマス・タイム・バック・ホーム」は、メンバーのジョン・ダフィーがアン・ヒルの手を借りて作曲したものです。このアン・ヒルという女性はピート・カイケンダルの奥さんです。セッションではクリスマスらしい音として、ヴィブラフォンが使われています。演奏しているのはレイ・マーシャルというミュージシャンでした。

もうひとつの「ヘブンワード・バウンド」は、ジェントルメンが1957年にリリースしたデビュー・シングル盤の片面に収録されていた曲です。この盤は今ではマニア溜飲の幻アイテムとなっていますが、同曲をレベル社での初レコーディングに持ってきたというところに彼らの意気込みが感じられます。


【資料参考:Rebel Records“The Early Recordings : 1962-1971”(レコード番号REB-4002)】

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by scoop8739 | 2006-03-21 11:10 | カントリー・ジェントルメン

184 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (24)

フォークウェイズへの録音 (9)

a0038167_011397.jpg1963年6月にリリースされたLP「オン・ザ・ロード」は、カントリー・ジェントルメンの真骨頂と言うべきライヴ・コンサートの模様を伝えたものでした。このアルバムのA面は1962年4月13日、オハイオ州イエロー・スプリングにあるアンティオク大学でのライヴです。この場所では過去にオズボーン・ブラザーズが、ブルーグラス・バンドとして初めてのライヴを行っています。

1曲目「ハンサム・モリー」(handsome Molly)は、イギリスの伝統的なフォーク・ソングをアレンジしたもので、フォークウェイズでの2枚目のアルバム「シング&プレイ・フォークソングズ・アンド・ブルーグラス」に収録されています。

2曲目の「サニー・サイド・オブ・ライフ」(Sunny Side Of life) は、ビルとアールのボリック兄弟のグループ、ブルー・スカイ・ボーイズのオリジナル曲です。ブルーグラス特有の楽天的な内容の歌で、ジェントルメンはこのライヴで初めて発表した後、1971年にリリースしたアルバム「One Wide River To Cross」でもレコーディングしています。

3曲目「エレン・スミスの物語」(Poor Ellen Smith)は、実際に起こった殺人をテーマにしたもので、サザン・マウンテン・フォークの名曲です。主人公は恋人であるエレン・スミスを射殺した罪で投獄され、彼女への懺悔の気持ちで歌っているものです。ジェントルメンはスターディ社とフォークウェイズ社の双方でスタジオ録音しています。

4曲目の「黒いヴェール」(Long Black Veil)は、レフティ・フリーゼルが1951年に歌って大ヒットさせた曲です。不倫関係と殺人事件を絡ませた内容の曲で、人間関係の弱点を効果的に用いた社会性あるストーリーを持った歌です。ジェントルメンはフォークウェイズでの初のアルバム「カントリー・ソングズ、オールド・アンド・ニュー」で初めてレコーディングしていますが、ライヴでも必ずと言っていいほど演奏している曲です。

5曲目「おじいさんの古時計」(Grandfather's Clock)もサザン・マウンテン・フォーク・ソングの代表的な曲です。昔から居間に飾ってある愛用の古時計に、今は亡き祖父の面影を重ねるという、いかにも古き良き時代の風情を忍ばせる名曲です。トム・グレイによる間奏のベース・プレイが聴きものです。

6曲目の「住む家もなく」(Ain't Got No Home ) はカントリー・ブルースに見られるシンプルな内容をテーマにした曲です。チャーリーがいろいろと声色を変えてコミカルに歌います。前曲とこの曲は当時、初めて公式に発表されていますが、以前からライヴでのレパートリーだったようです。

彼らのライヴは、そこがたとえコンサート・ホールであれ、コーヒー・ハウスであれ、いつも軽いジョークが飛び出して、リラックスして演奏を楽しんでいるように聴こえます。

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by scoop8739 | 2006-03-19 00:15 | カントリー・ジェントルメン