カテゴリ:カントリー・ジェントルメン( 34 )

174 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (14)

フォークウェイズ・デイズ (2)

a0038167_23285261.jpgアルバム「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」は、そのタイトルが示す通り、古いカントリー曲をモダンな感覚でアレンジしたものでした。

A面1曲の「さすらいの賭博師」(Roving Gambler)は、かつて「The Journey Man」や「The Roving Journey Man」というタイトルで歌われていたホーボー・バラッドでしたが,フォーク・リバイバルで取り上げられるようになって以来、フォークやブルーグラスの愛唱歌となっています。ジョン・ダフィーのリードで歌われます。

2曲目の「小さな雀」(The Little Sparrow)は、「Come All Your Fair Tender Ladies」というタイトルでよく知られている曲で、ピーター・ポール&マリーのレパートリーにもなっているお馴染みのものです。この曲は古いスコットランド民謡の「O.Waly Waly Gin Love Be Bonny」とも関連があるようです。この曲は最初はトリオ・コーラスで歌われ、サビでチャーリー・ウォーラーがリードをとります。

3曲目の「岸辺より遠くはなれて」(Drifting Too Far)は、ブルーグラスではすっかり定番となったセイクレッド・ソングです。J.T.リチャードソン尊師が題材を提供したと言われています。この曲はずっと通してトリオ・コーラスで歌われます。

4曲目「ウィーピング・ウィロー」(Weeping Willow)は、チャーリーがオリジナル・カーター・ファミリーの「Burry Me Beneath The Willow」をアレンジしたものです。私たちはこの曲で初めてエディのギャロッピング・スタイルのバンジョー奏法を耳にしました。ジョンのマンドリン・プレイも冴えています。

5曲目の「明日は私の結婚式」(Tomorrow's My Wedding Day)は、「Ain't Gonna Work Tomorrow」というタイトルがついているもので、これもオリジナル・カーター・ファミリーの作品です。ジェントルメンは5ヶ月前のスターディでの8回目のセッションでもこの曲をレコーディングしています。

6曲目の「チャーリー・ローソン家の悲劇」(The Story of Charlie Lawson)は、モーリス・ブラザースやスタンレー・ブラザースによって歌われている曲で、1929年12月25日のクリスマスの夜にノース・キャロライナ州ストークス・カウンティで起こった一家惨殺事件を題材にしたものです。この曲もずっと通してトリオ・コーラスで歌われます。

7曲目「七面鳥のこぶ」(Turkey Knob)は、バンジョーのエディ・アドコックの作品で、彼の故郷ヴァージニア州スコッツヴィルのある場所のことを題材にしています。この曲でもエディのギャロッピング・スタイルのバンジョーが聴かれます。またこの曲は、かつてナターシャー・セブンの城田じゅんじが得意としていたインスト曲で、エディの雰囲気がよく表れています。またマンドリンの坂庭省悟もジョン・ダフィーそっくりに演奏しています(城田じゅんじ/Soft Shoes)。

A面最後の曲「ポールとサイラス」(Paula & Silas)は、聖書の「使徒行伝」から題材を得た作品です。このようにブルーグラスやオールド・タイム・ミュージックには聖書からの引用が数多く見られます。イントロのギターと間奏のドブロはジョンが弾いています。

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by scoop8739 | 2006-02-14 23:31 | カントリー・ジェントルメン

173 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (13)

フォークウェイズ・デイズ (1)

ジェントルメンは、チャーリー・ウォーラーの野太いボーカルとジョン・ダフィーの甲高く力強いテナー、そして太く響くエディ・アドコックによるトリオ・コーラスに磨きをかけ、今までにないブルーグラス・コーラスのスタイルを確立します。

また一方で、ジョンと彼の親しい友人ピート・カイケンダルの二人は、議会図書館などで見つけた古いカントリーのレコードから、人々に忘れられたようなヒルビリー・ソングを発掘し、ブルーグラスにアレンジして演奏する方法をとります。さらにスタンレー・ブラザーズの非公式の演奏やライブでの演奏をテープに録音し、これらをモダンにアレンジして彼らのレパートリーとしていました。

a0038167_21382564.jpgそんな中、ジョンはスターディ社にアルバムの制作を持ちかけます。しかしその頃のスターディ社はまだまだ余力がなく、よく売れるであろうと思われるオムニバス盤やスタンレー・ブラザーズ、カール・ストーリーなどのビッグ・ネームのアルバム制作にしか興味がありませんでした。そこで彼は、中学からの友人でありニュー・ロスト・シティ・ランブラーズとしてフォークウェイズ社に実績のあるマイク・シーガーの伝手を便って同社へ売り込み、これに成功します。こうして録音されたものが「カントリー・ソング・オールド・アンド・ニュー」というアルバム・タイトルでリリースされます。

このアルバムは、日本ではアメリカに遅れること4年後の1964年9月に発売されますが、その時に「モダン・ブルーグラスの華」というタイトルがつけられています。つまり、古いカントリー・ソングを当時としてはかなりモダンなサウンドにアレンジしたものだったのです。こうして前年から発売されていた一連のアルバムによって、当時の大学生(どうも関東に偏っていたようですが…)などに受け入れられ、我が国に空前のカントリー・ジェントルメン・ブームが沸き起こったのでした。

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by scoop8739 | 2006-02-13 21:39 | カントリー・ジェントルメン

172 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (12)

スターディ時代 (8)

ジェントルメンにとって通算8枚目のシングル盤のためのセッションは、1960年4月20日に行われました。この日にレコーディングされたのは、1893年ノース・キャロライナで実際に怒った殺人事件を歌った「かわいそうなエレン」(Poor Ellen Smith)と、そのカップリング曲「ヘレン」。さらに「ブルー・マン」と「リメンバランス・オブ・ユー」の4曲でした。

「ヘレン」はアラバマのデュエット、レブ&レイブのレコードからの音源を基にしたロマンチックな香りに包まれた佳曲です。「ブルー・マン」はエディ・アドコックが前に在籍していたグループ、ビル・ハレルのバンドから持ち込んだレパートリーでした。また「リメンバランス・オブ・ユー」はピートが書いた曲で、そのメロディーは1950年代半ばに作られた曲からインスパイアされています。この曲では2台のマンドリンが使われています。

ところで、この年1960年はジェントルメンにとって大きな年となりました。スターディではシングル盤のみのリリース契約だったのですが、彼らはLP盤をリリースするためにフォークウェイズ社とまた別の契約をしたのでした。この契約で2年間にスタジオ録音盤2枚リリースすることとなります。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-02-11 00:22 | カントリー・ジェントルメン

171 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (11)

スターディ時代 (7)

a0038167_0173462.jpg前回のセッションで納得いかなかった彼らは、再び「フリーダム・ベル」の録音にチャレンジします。この曲は自由を讃えた高らかな希望の曲で、コーラス部のハイテナー(ほとんど裏声に近いもの)は、嫌みにならないギリギリのところで程よくハーモナイズされていて、こんなところにも彼らの技量の高さが感じられます。また、今回のセッションではオートハープが使用されていますが、たぶんマイク・シーガーが演奏しているものと思われます。ダフィーはオーバー・ダビングでドブロも弾いています。

この日、同時にシングル盤用のカップリング曲として、ノスタルジックな雰囲気を持つ「ヒルズ・アンド・ホーム」も録音され、この年の9月にリリースされます。

続いて8回目のセッションは翌1960年1月に行われました。このセッションで録音されたのは、ドブロが効果的にフィーチャーされたスロー・ナンバーの「トムへの手紙」(A Letter To Tom)。そして、南北戦争以前の古い民謡である「ダーリン・アラリー」(Darling Alalee)でした。この曲はブルー・スカイ・ボーイズのナンバーをアレンジしたものです。この2曲がシングル盤用にカップリングされ3月にリリースされます。さらにカーター・ファミリーによっても歌われていた古い民謡の「さぼりたや節」(Ain't Gonna Work Tomorrow)と、この曲をあわせた全3曲が同じセッションで録音されています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-02-07 23:54 | カントリー・ジェントルメン

170 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (10)

スターディ時代 (6)

次なる兆しは、前回のセッションから1ヶ月後の1959年6月、ジェントルメンに新しいバンジョー奏者が加入します。彼の名前はエディ・アドコックといい、1950年代の半ばまではヴァージニアのローカル・カントリー・バンド、スモーキー・グレイヴスのブルー・スター・ボーイズというところでバンジョーを弾いていました。

この頃のエディは、スクラッグス・ロールを完全にマスターできずにいたのですが、ダン・リーノウの教えを受けてからリーノウ・スタイルに活路を見出します。つまり、スクラッグス・ロールを多用しないで済む独自のフィンガリングをマスターしたのでした。

その後、リーノウの紹介でオールド・ドミニオン・バーンダンスのレギュラーだったマック・ワイズマンのカントリー・ボーイズに参加した後、ワシントンD.C.に移りビル・ハレルのロッキー・マウンテン・ボーイズに加わっています。

この頃のロッキー・マウンテン・ボーイズは、後にジェントルメンが取り上げて成功を収める手法、つまり他の分野、とくにジャズのナンバーをブルーグラスにアレンジしたスィンギーでジャージーなサウンドを好んで取り上げていて、エディがブルーグラスに対するアプローチを違ったものにする要因がここにあったのです。

さて、そんなエディが加入して初めてのセッションでの曲が「ニュー・フリーダム・ベル」でした。この時のテイクは彼らのとって満足のいくものではなかったようで、後日ふたたびレコーディングをしています。なお、このセッションからベーシストにジム・コックスが起用されています。彼は約1年に亘ってジェントルメンをアシストしています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-02-06 20:39 | カントリー・ジェントルメン

169 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (9)

スターディ時代 (5)

さてジェントルメンに新しい兆しが現れます。1989年5月13日に行われた6度目のセッションにベーシストとして呼ばれたのが、のちにリズム・ワークを掌ることとなるトム・グレイでした。ただしまだ正式メンバーとしてではなく「ノーバディ・ビジネス」1曲のみの参加でした。またこの時、同時に録音されたのは、「9ポンドのハンマー」、「おとめの挽歌」(I'll Never Mary)、「トラベリング・ドブロ・ブルース」と合わせての4曲となっています。

「9ポンドのハンマー」はお馴染みのトラディッショナル・ナンバーです。この曲では、ピートがオーバー・ダビングでフィンガー・ピッキング・スタイルのリード・ギターを弾いています。「おとめの挽歌」は、カーター・ファミリーがレパートリーとして歌っていた乙女の失恋歌でした。ジェントルメンのこの曲は後にロアノークでのライヴ盤にも収録されていますが(ただしロアノークでの演奏ではありません)、長い間持ち歌にしていたようです。この曲でダフィーはオーバー・ダビングでドブロを弾いています。「トラベリング・ドブロ・ブルース」はそのダフィーのドブロをフィーチャーした曲です。

「ノーバディ・ビジネス」(邦題:ボクだけのこと)は、汗水流して働いて得た賃金を、みんな女房に取られる哀れな男のことを歌ったトラディッショナル・ナンバーです。この曲はスタンレー・ブラザーズもレパートリーとして取り上げているストレイトなブルーグラスです。なお、ジェントルメンは1961年11月6日のスターディでの11度目のセッションで再びレコーディングしています。その時の録音はエコー処理で少しモダンな仕上がりとなっています。聴き比べてみるのもいいでしょう。

なお、「おとめの挽歌」と「トラベリング・ドブロ・ブルース」はカップリングで、同月にシングル盤として発売されています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-02-05 14:46 | カントリー・ジェントルメン

168 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (8)

スターディ時代 (4)

a0038167_0145011.jpg「ヘイ・リトル・ガール」の録音を最後にバンジョーのビル・エマーソンがバンドを去って行きます。彼は1959年にビル・ハレルのバンドに籍を置きました。この時期に録音されている「Eating Out Of Your Hand」や「One Truck Mind」でエマーソンのバンジョーを聴くことができます。その後ジミー・マーチンのバンドに移籍し多くの録音を残します。

さて、ビルが去った後にバンジョーのパートを受け持ったのが、それまでジェントルメンを陰から支えていた男、ピート・ロバーツ(カイケンダル)でした。ピートはこれ以前にはレッド・アレンのバンドでバンジョーを弾いていました。

1958年11月、彼らは新しくリリースするシングル盤のためにスターディで5度目のセッションに挑みます。このときに録音されたのが「デビルス・オウン」と「ローリング・ストーン」でした。この時のベーシストはロイ・セルフからディキシーでのデビュー盤でベースを担当したトム・モーガンに替わっています。

「デビルス・オウン」でダフィーはマンドリンからドブロへと持ち替えて演奏していますが、「ローリング・ストーン」では逆にドブロからマンドリンへと持ち替えて演奏しています。「ローリング・ストーン」という曲は、ピートがキングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」のメロディを少しアレンジし、別の詞を乗せて作っています。恋に破れてさすらう男の心情が、チャーリー・ウォーラーのヴォーカルから溢れています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-29 21:04 | カントリー・ジェントルメン

167 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (7)

スターディ時代 (3)

ジェントルメンは、1958年5月になるとスターディでの3度目のセッションを行います。この時に録音されたのが、「ハイ・ロンサム」、「バンジョー・ホップ」、「チャーチ・バック・ホーム」、「ジョン・ハーディー」、「マウンテニアーズ・フリング」、「ブルーグラス・フィドル・スペシャル」、「トレインズ・イン・ザ・ホロー」の7曲でした。この時のフィドルはカール・ネルソンです。さらに日を改めて「ヘイ・リトル・ガール」を録音しています。ここでのフィドルがジョン・ホールに変わります。これ以降、ジェントルメンのセッションにはフィドルが一切使われなくなります。

「ハイ・ロンサム」はエコーを効かせ、ハミング・コーラスなどでウォーラーを盛り上げます。ピート・カイケンダルがセカンド・マンドリンで参加し、ジョン・ダフィーはこの曲ではオーヴァー・ダビングでベースを弾いています。「バンジョー・ホップ」はビル・エマーソン作のバンジョー・チューンです。「チャーチ・バック・ホーム」はジェントルメン十八番のセイクレッド・ソングで、ダフィーのリードに被さるハミング、コーラスが絶妙です。この曲ではピートがリード・ギターを聴かせます。ジェントルメンは後日、この曲を「アロング・ザ・ウェイ」というタイトルでリメイクしています。

「ブルーグラス・フィドル・スペシャル」は、「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」のタイトルでブルーグラスではお馴染みの曲です。また「ジョン・ハーディー」はジェントルメン風タイトルでは「カントリー・コンサート」となっています。随所に凝ったテクニックを配しているものの、バンジョーとマンドリンであっさりと片付けたといった感じの仕上がりです。「マウンテニアーズ・フリング」も同じくフィドル・チューンです。「トレインズ・イン・ザ・ホロー」ではダフィーがドブロを披露しています。「ヘイ・リトル・ガール」はマンドリンの軽やかなイントロに続いてダイナミックなコーラスでたたみかけてきます。ウォーラーのリード・ギターや、ビルのバンジョーもじつに溌剌としています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-25 22:40 | カントリー・ジェントルメン

166 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (6)

スターディ時代 (2)

カントリー・ジェントルメンが、その活動初期に録音した一本のマスター・テープが、1966年になって東京音羽のキング・レコード本社に届けられます。このテープはDE-865番という整理ナンバーがふられたにもかかわらず、長い間倉庫に眠ってしまいます。

a0038167_22253448.jpg8年後の1974年になって中身を調べると、このテープは彼らがスターディで初めて録音したものから63年頃までに録音されたものであることが判りました。その一部はシングル、EP、オムニバス・アルバムなどで発表されたもの含まれていましたが、ほとんどは未発表の曲でした。これを基に作られたのが「アーリー・セッション・オブ・カントリー・ジェントルメン」というアルバムです。

収録されている曲は
A面
バンジョー・ホップ (Banjo Hop)
バックウッド・ブルース (Backwood Blues)
トラヴェリン・ドブロ・ブルース (Travelin' Dobro Blues)
ジョン・ハーディー (John Hardy)
マウンテニアーズ・フリング (Mountaineer's Fling)
ブルーグラス・フィドル・スペシャル (Bluegrass Fiddle Special)
B面
イッツ・ザ・ブルース (It's the Blues)
ザッツ・ザ・ウェイ・ユー・フィール (If That's The Way You Feel)
ブルー・マン (Blue Man)
リメンバランス・オブ・ユー (Remenberance Of You)
ヒルズ・アンド・ホーム (Hills & Home)
トレインズ・イン・ザ・ホロー (trains In The Horrow)

この中で、A面2曲目とB面1曲目は前回に説明した通りです。当時は録音データなど一切不明でしたが、1998年にキング(スターディ)より2枚組のCD「High Lonesome: The Complete Starday Recordings」としてリリースされ、これによってすべてが解明されました。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-24 22:26 | カントリー・ジェントルメン

165 カントリー・ジェントルメンを聴き倒す (5)

スターディ時代 (1)

初めてのレコーディングより僅かに遅れて、スターディ・レコードと契約し(この時期、スターディは全米に流通網を持つマーキュリー・レコードと業務提携していました)、この年12月に、まず「バックウッド・ブルース」、「イエスタデイズ・ラブ」を、さらに同月、「デキシー・ルックアウェイ」、「イッツ・ザ・ブルース」の計4曲をレコーディングします。この時にフィドルがジョン・ヘイルからカール・ネルソン(Carl Nelson)に替わります。

前2曲のベースは、当時、ビル・ハレルのバンドに在籍していたロイ・セルフが、後2曲のベースはピート・カイケンダル(この人はこれより先、ジェントルメンとの関わりを多く持ちます)が弾いています。また、「イエスタデイズ・ラブ」でジョン・ダフィーがオーバー・ダビングでドブロを披露しています。

この中から「バックウッド・ブルース」と「イッツ・ザ・ブルース」がカップリングされ、1958年4月にスターディよりシングル盤(Starday 45-347)として発売されます。前述した通り、この時期はスターディとマーキュリーが業務提携していた、所謂マーキュリー・スターディ時代でした。これより前のディキシーでの初めてのシングル盤にはレコード番号が付けられなかったので、事実上これが「カントリー・ジェントルメン」として世に出た最初のレコードであると言ってもいいでしょう。

「バックウッド・ブルース」は、古いジャズのナンバー「バイ・バイ・ブルース」を下敷きにしています。「デキシー・ルックアウェイ」のマンドリン演奏はバンジョーのスリー・フィンガー奏法のように聴こえます。この曲のアレンジはビル・エマーソンです。また「イエスタデイズ・ラブ」と「イッツ・ザ・ブルース」の2曲はダフィーの作となっています。

【資料参考:King Records“Country Gentlemen / High Lonesome”(レコード番号3510-2-2)】

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by scoop8739 | 2006-01-16 23:11 | カントリー・ジェントルメン