カテゴリ:カントリー・ジェントルメン( 72 )

226 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (62)

我が国でのみ発売されたベスト盤

我が国のカントリー・ジェントルメン人気で次々と彼らのレコードが発売されています。

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日本でのみ発売された通算4枚目のアルバム「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」(Folk Hits Bluegrass Style)1966年6月発売)に続き、同年12月には同じくキング・レコードから「サンライズ」と題されたアルバムが発売されています。

この盤は以前スターディ社でレコーディングした曲を編集したもので、ジャケットの帯には「サンライズ ザ・カントリー・ジェントルメン 第2集」(SUNRISE The Country Gentlemen Vol.)と書かれています。収録されている曲を書きましょう。

A

1.「いとしのアラリー」(Darling Alalee)

2.「二人の少年」(Two Little Boys)

3.「サンライズ」(Sunrise)

4.「ウィリー少年の涙」(Willy Roy, The Cripple Boy)

5.「沈黙と涙」(Silence or Tears)

6.「ブルー・マン」(Blue Man)

7.「オレンジ・ブロッサム・フィドル」(Orange Blossom Fiddle)

B

1.「ヘイ・リトル・ガール」(Hey, Little Girl)

2.「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)

3.「ナイトウォーク」(Night Walk)

4.「レッド・ロッキン・チェアー」(Red Rockin’ Chair)

5.「誰のためだか」(Nobody’s Business)

6.「ニュー・フルーダム・ベル」(New Freedom Bell)

7.「トラヴェリン・ドブロ・ブルース」(Travelin’ Dobro Blues)

以上の14曲ですが、ご覧になっておわかりの通りジェントルメンが活動の初期(1958年〜1961年)にスターディ社に録音したものを編集した日本オリジナル盤です。

ところで、「第2集」と表記されていますが、では「第1集」とは一体なに?と思ってもそんなものは存在しません。いや、あえて「第1集」と呼べるものがあるとすれば1962年5月発売の米国盤の「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」(Bluegrass At Carnegie Hall)のことでしょう。

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また、曲順がわずかに違っている日本編集盤で、1963年7月に発売されたジェントルメン本邦初のアルバム「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」(London MH-48)となるのでしょうか?

A

1.「我が心は終りぬ」(I Know I’ve Lost You)

2.「ボクだけのこと」(Nobody’s Business)

3.「水、静かなるところ」(Down WEhere The Still Waters Flow)

4.「カントリー・コンサート」(Country Concert)

5.「トムへの手紙」(A Letter To Tom)

6.「二人の少年」(Two Little Boys)

7.「この神の子等」(These Men Of God)

B

1.「レッド・ロッキン・チェアー」(Red Rockin’ Chair)

2.「おとめの挽歌」(I’ll Never Mary)

3.「びっこのウィリー少年」(Willy Roy, The Cripple Boy)

4.「サンライズ」(Sunrise)

5.「沈もくと涙」(Silence or Tears)

6.「ニュー・フルーダム・ベル」(New Freedom Bell)

7.「ザ・チャーチ・バック・ホーム」(The Church Back Home)

ほら、曲名は少し違っていますし、7曲ほど重複はあるものの、「第2集」同様、ジェントルメンが活動の初期(1958年〜1961年)、スターディ社に録音したものからの編集盤ようです。

つまり、この「ブルーグラス・アット・カーネギー・ホール」、日本盤「ベスト・オブ・カントリー・ジェントルメン」を「第1集」と仮定しての「第2集」だった訳なのです。

ちなみに、1969年5月に日本編集盤「カントリー・ジェントルメン・ベスト・アルバム」というものが発売されていますが、これはまた別のものです。ああ、紛らわしい!


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by scoop8739 | 2017-10-12 08:58 | カントリー・ジェントルメン

225 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (61)

ザップへの録音 (2)

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B面1曲目「どぶろく造りのやかん」(Copper Kettle)は、1963年4月に行われたスターディ社での最後となったレコーディング以来、196410月のライヴ「Going Back To The Blue Ridge Mountains」でも歌われていて、各地のライヴでも必ずと言っていいほど歌われる定番曲です。イントロのマンドリンが小気味よく響き、チャーリーも気持ちよく歌っているのが伝わります。

2曲目の「野は褐色に染まりて」(The Fields Have Turned Brown)1961年9月のライヴでも録音されていました。その模様は、フォークウェイズ社から発売された「オン・ザ・ロード」に収録されていて、昔から彼らがライヴ・レパートリーとしていたお得意のナンバーです。後にはセルダム・シーンのライヴ定番曲にもなっています。コーラスを追いかけるようにバンジョーが流れるようなフレーズを奏でます。

軽やかに始まる3曲目「ブルー・ベル」もまた、「Going Back To The Blue Ridge Mountains」ライヴの中で演奏されたインスト曲です。エディの安定感のあるバンジョーに続き、ジョンもまた軽やかなフレーズを奏でます。勢いに乗ってチャーリーもギターをつま弾き、三者三様の楽しいインストになりました。

緊張感走るマンドリンのトレモロで始まる4曲目「ミュール・スキナー・ブルース」は、「Going Back To The Blue Ridge Mountains」ライヴのラストを飾った曲でした。ジョンの耳にキンキン響くハイテナーと、間奏のバンジョー、ギターの軽やかな演奏が楽しいライヴをさらに盛り上げます。

さて5曲目の「ビッグ・ブルース」は、このフェスティバルの前月、レベル社のシングル盤のためにスタジオ録音したばかり、出来立てホヤホヤの新曲です。こうしてライヴで歌われると、この曲の性格上、大受けすること間違いなしです。

と、これが米国盤のすべてですが、果たして、記録にはもう1曲残されています。それが、「イエスタデイ・アンド・トゥデイ」Vol.2に収録された次の曲です。

「ウィンディー・アンド・ウォーム」(Windy And Warm)はチェット・アトキンスの当たり曲で、ドク・ワトソンの演奏でもお馴染みのナンバーです。ギャロッピング・バンジョーをマスターするには格好の練習曲と言えます。特にバックにまわった時のプレイには興味が沸きます。ブルージーなマンドリン演奏に続き、エドがベース・ソロを聴かせます。

さてこのアルバム、日本盤は遅れること7年後の1974年7月に、「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」というタイトルでキング・レコード(GT-6023)より発売されます。

日本盤の場合はA面とB面が逆さになっていて、さらにA面1曲目に「待ってておくれ」(Are You Waiting Just For Me)が追加されています。この曲は、「ロアノーク・ブルーグラス・フェスティバル」から下ること2年後の録音です。また、B面1曲目には「乙女の挽歌」(I Never Will Mary)が追加されています。この曲はすでに書いていますが、1963年8月18日にマサチューセッツ州ヴァインヤードにある「ムーンカッサー・コーヒー・ハウス」にて録音されたものでした。

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by scoop8739 | 2017-10-10 11:30 | カントリー・ジェントルメン

224 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (60)

ザップへの録音 (1)

1966年7月3日、カントリー・ジェントルメンは、バージニア州フィンキャスルで催されたカールトン・ヘイニー主催のブルーグラス・フェスティバルに出演します。

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この時の模様がライヴ録音され、後にレベル社の補助的なレーベル「ザップ」(Zap)から、1967年4月に「Live From The Stage Of The Roanoake Bluegrass Festival(Zap ZLP-101)として発売されます。

それでは米国オリジナル盤に収録されている曲をご紹介致しましょう。

A面の1曲目「9ポンドのハンマー」(Nine Pound Hammer)は、ジェントルメンが1963年4月、レベル社の廉価版企画「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」のためにA面1曲目に収録している曲です。線路工事の人夫が毎日9ポンドの重いハンマーを打ちながらぼやく歌です。チャーリーとジョンの掛け合いヴォーカルがテンポよく、間奏での火の出るようなマンドリンやギャロッピング・バンジョーも、これぞジェントルメンといった感じです。

同じくギャロッピング・スタイルのバンジョーのイントロで始まる2曲目「パレット・オン・ザ・フロア」(Make Me A Pallet On The Floor)もまた、「フーテナニー:ア・ブルーグラス・スペシャル」のA面2曲目に収録されている曲です。いわゆるトランプ・ソングに分類されるもので、3部コーラスから始まり、間奏のマンドリンが現代的でブルージーなフィーリングを醸し出します。2番のリード・ヴォーカルはエディです。

3曲目「リパブリック讃歌」(Battle Hymn Of Republic)は、アルバム「不思議な少女」(Bringing Mary Home)A面3曲目に収録されているインスト曲です。エディのスリー・フィンガー・スタイルのバンジョー演奏をふんだんに聴くことが出来ます。

4曲目の「ロンサム・デイ」(Lonesome Day)1963年9月、アルバム「フォーク・セッション・インサイド」でのスタジオ初録音以来、彼らが得意とするナンバーで、ライヴ・レパートリーの常連曲です。3部コーラスに始まり、間奏では、バンジョーがブロック・コードを刻んだり不思議なフレーズで演奏します。マンドリンはブルージーなフレーズを奏でます。

マンドリンのトレモノでキック・オフする5曲目「二人の少年」(Two Little Boys)は、チャーリーの伸びのあるリード・ヴォーカルと、メリハリのある3部コーラスが聴きものです。間奏のバンジョーやマンドリンを含め、この曲が彼らのライヴの常連曲であることを物語るように安心して聴けます。

というところで、続きは次回に。


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by scoop8739 | 2017-10-05 08:44 | カントリー・ジェントルメン

222 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (59)

レベルへの録音 (19)

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前レコーディングから7ヶ月が経ちました。

1966年6月15日、16日の2日間、カントリー・ジェントルメンは再びメリーランド州バルチモアにある「レコーディングス・Inc」にて、レベル社のためのレコーディングを行います。レベル社へのレコーディングとしては約1年ぶりのことでした。

今回レコーディングした曲は次の通りです。

「ブルー・ベル」(Blue Bell)

この曲はジョンの父が歌っていたイタリアのオペラ曲にヒントを得て作られたと言われているインスト曲です。1964年6月にマーキュリー社へのセカンド・アルバム用に録音したこともありましたし、また同年11月にはニューヨーク州シラキュースにある「フォーク・ギャラリー」でのライヴ録音もしています。たぶんこの時期、彼らのライヴのレパートリー曲だったのでしょう。

「ビッグ・ブルース」(Big Bruce)

この曲は、カントリー歌手のジミー・ディーンが歌って大ヒットした「ビッグ・バッド・ジョン」をパロディにした曲です。身体の大きな、美容院に勤めるブルースという名のゲイのことを歌っています、というか、語りです。ライヴやコンサートでは、原曲を良く知る観客に向けてのくすぐりであり、冗談を言うように歌います。

以上の2曲はカップリングで、196610月にレベル社での4枚目のシングル盤としてリリースされました。

「ベイビー・ブルー」(It’s All Over Now, Baby Blue)

フォーク・ソングの神様と呼ばれるようになったボブ・ディランが、1965115ニューヨークのコロムビア・レコーディング・スタジオで録音した名曲です。この曲の由来についてディラン本人はこう語っています。「この曲を書いたときのことは覚えている。ジーン・ヴィンセントの歌を思い出していたんだ。ずっと好きだった曲の一つだ。高校生のときよく歌ったよ。もちろんあとで僕は別のベイビー・ブルーについて歌ったわけだけど」と。ジェントルメンのヴァージョンではジョンが切々と歌い上げています。この曲は、「スパニッシュ・トゥー・ステップ」とのカップリングで、19671月にレベル社より発売されます。また、以下の2曲と共に、1968年4月に発売されるアルバム「ザ・トラベラー」にも収録されます。

「マッターホルン」(Matterhorn)

この曲は、カントリー歌手のメル・ティリスによって作られ歌われています。それをチャーリーがグループに持ち込み、初のレコーディングとなりました。以来、チャーリーの十八番になっています。1967年5月に、「リパブリック讃歌」とのカップリングでシングル発売されます。

「暗い炭坑の中で」(Dark As A Dungeon)

この曲もまた、196411月にニューヨーク州シラキュースの「フォーク・ギャラリー」でライヴ録音をしていますが、スタジオでは初録音となります。ジェントルメンはそれ以降、ずっとライヴで演奏するほどの必須レパートリーです

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by scoop8739 | 2017-10-02 09:10 | カントリー・ジェントルメン

221 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (58)

スターディへの録音 (18)

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アルバム「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」の最終回です。

B面5曲目の「ローズ・コネリー」は、「柳の園で」(Down In The Willow Garden)という題名でもおなじみの、南東部山岳地帯では有名な殺人歌です。この曲は「トム・ドゥーリー」と同じく、犯人による告白形式で歌われます。題名の「ローズ・コネリー」というのは、恋人(=私)に殺された女の子の名前でした。ジェントルメンはこの曲を3部のコーラスで歌いあげています。

6曲目「さよならケイティー」(Goodbye Katie)は、ブルーグラス独特の哀愁を感じさせる曲で、かつてグレイ・スカイ・ボーイズというローカル・バンドが持ち歌としていました。「さよならケイティー、さよならダーリン。遠く離れてしまいますが、毎日あなたを偲びます」と、チャーリーが独特な伸びのある声で歌います。

7曲目の「蛍の光」(Auld Lang Syne)は、「親しき友だちを忘れはしません」という内容のスコットランド民謡です。我が国では主に卒業式で歌われるため、ちょっと違ったニュアンスで捉えられますが、本来はもっと広い意味の別れの歌なのです。ブルーグラスの世界では1962年に発表したロンサム・トラベラーズ盤や、1976年にバンジョーの名手ビル・キースが発表したアルバム、さらには1983年発売のデヴィッド・グリスマンのクリスマス・アルバムにも収録されています。ジェントルメンはエディとジョンの掛け合いが楽しいインスト曲として仕上げています。

今回レコーディングされた曲のほとんどは、ジェントルメンの親友であったビル・クリフトンが1950年代にレパートリーとしていたものでした。

ジェントルメンはライヴ活動で多忙を極めていた1965年秋のある日、その夕方の僅かな時間に、僅か10万円の仕事とは言え、またそれがたとえ「やっつけ仕事」であったであろうとも、これらの曲でのパフォーマンスは筆舌に尽くし難いものがあります。まさに「脂の乗り切っていた」時代の産物として、こうして後世に語り継がれるアルバムとなったのだと思います。

こうして作られたアルバムは翌1966年6月に日本でのみ、キング・レコードから発売されたのでした。

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by scoop8739 | 2017-09-28 11:07 | カントリー・ジェントルメン

220 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (57)

スターディへの録音 (17)

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今回はB面を解説いたします。

まず1曲目の「草競馬」(Camptown Races)は、フォスターが「おお、スザンナ」の大ヒットから数年後の24(1850)の時に作った曲で、多くはミンストレル・ショーで歌われていました。原曲のタイトルの「Camptown(キャンプタウン)」というのは、19世紀半ばの西部開拓時代のアメリカで、大陸横断鉄道の建設会社が一時的な生活の場として設営したテント村のことです。フォスター自身もペンシルバニアでキャンプタウンを実際に目にし、そこで開かれていた競馬のレースに曲想を得たと言われています。ジェントルメンはエディのバンジョーとジョンのマンドリンが交互にブレイクをとる、典型的なブルーグラス・スタイルで演奏しています。

ジョンの弾くマンドリンのきれいなトレモロから始まる2曲目「赤い河の谷間」(Red River Valley)は、「峠の我が家」と並ぶカウボーイ民謡の二大名曲と言われています。歌詞の中では、西部開拓時代の白人とインディアンの女性との恋が描かれています。黄金を求めて未開の地を旅する白人の一行が、ネイティブ・アメリカン(インディアン)の村に立ち寄った際に、ある白人男性とネイティブ・アメリカンの女性が恋仲になります。やがてやってきた旅立ちの日、ネイティブ・アメリカンの女性は、村を去っていく白人男性を想い、辛く切ない恋心を歌いあげます。チャーリーの伸びのあるリード・ボーカルにハミングが合わさり、3部コーラスへと続きます。

3曲目「自由な小鳥」(Free Little Bird)は、「ケティ・クライン」とか「テイク・ミー・ホーム」とも題される南東部山岳地方の民謡です。A面5曲目の「ロング・ジャニー・ホーム」同様、特に筋のない内容ですが、小鳥のように自由になりたいと歌われています。ジョンがアップ・テンポで歌い出し、続いて3部コーラスに入ります。

4曲目の「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)もまた、1853年に出版されたスティーブン・フォスターの作品です。1928319日にはケンタッキー州州歌として採用され、ケンタッキー・ダービーの際には、毎年伝統的にルイビル大学マーチング・バンドの演奏に合わせて歌われています。ジェントルメンの演奏では、エディがスクラッグス・チューナーを上手く使って曲に味わいを持たせて、ジョンもクロス・ピッキングでそれに応えます。

続きは次回です

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by scoop8739 | 2017-09-25 08:31 | カントリー・ジェントルメン

219 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (56)

スターディへの録音 (16)

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続いてA面5曲目から始めましょう。

軽快なバンジョーから始まる「ロング・ジャニー・ホーム」(Long Journey Home)は、ブルーグラスの定番となっている曲です。南部山岳地帯の古民謡で、1930年代にモンロゥ・ブラザースによって世に出されました。この曲は、クラレンス・ホワイトが在籍していたケンタッキー・カーネルズが出演した1964年のニューポート・フォーク・フェスでのライヴ盤で有名ですが、伝説のアコースティック・ギタリスト、ドク・ワトソンとクラレンスの歴史的共演を聴くことが出来ます。また、リフレイン部をとって「Lost All My Money」とも呼ばれています。ジェントルメンは、チャーリーのリード・ボーカルに続いてジョンとエディの3部コーラスで、バイタリティ溢れる、胸のすくような熱唱を聴かせてくれます。

6曲目「テイク・ジス・ハンマー」(Take This Hammer)はオズボーン・ブラザーズ盤でおなじみの、これまたブルーグラスの定番となっている曲で、鎖につながれ重労働を課せられた囚人の反抗の歌です。黒人民謡の神様と呼ばれるレッドベリーによって世に出され、「漕げよマイケル」という曲で有名なモダン・フォーク・グループ、ハイウェイメンなども歌っています。また珍しいところではイギリスのロック・バンド、スペンサー・デービス・グループも彼らのレパートリーにしていました。ジェントルメンはオズボーン・ブラザーズ風に3部コーラスで歌います。

7曲目の「おお、スザンナ」(Oh Susanna)は、スティーブン・フォスター作のミンストレル・ソングとして有名な曲です。1848に初めて出版されましたが、ヨーロッパ音楽と白人アメリカ人の音楽にアフリカン・アメリカンの音楽を融合させた、最も有名なアメリカの歌です。この曲をジェントルメンはインスト曲として演奏します。まずはエディのバンジョーが軽快にメロディを奏で、続いてジョンのマンドリンが続きます。双方、少しずつメロディ・ラインを崩しながらの演奏はブルーグラス・インストの醍醐味と言えるでしょう。

ということで、次回はB面へと続きます。


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by scoop8739 | 2017-09-21 08:57 | カントリー・ジェントルメン

218 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (55)

スターディへの録音 (15)

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それでは、日本のファン向けに特別にレコーディングされ、日本だけで発売されたジェントルメンの幻のレコード「フォーク・ヒッツ・ブルーグラス・スタイル」(Folk Hits Bluegrass Style)を詳しく解説致しましょう。

A面1曲目「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)は、おなじみボブ・ディランの作った反戦歌です。この曲は、19624月にディランがグリニッジ・ヴィレッジのコーヒー・ハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」という店で、友人たちと長時間に亘って黒人の公民権運動について討論した果てに数分で書き上げたと言われています。「10分で書いた。古い霊歌に言葉を当てはめたんだ。多分カーター・ファミリーのレコードか何かで覚えたものだと思う。これがフォーク・ミュージックのいつものやり方だ。すでに与えられているものを使うんだ。」とディラン本人が述べています。1963年夏にピーター・ポール&マリーがカバーして世界的大ヒットとなりました。ジェントルメンはブルーグラスのテイストを残しつつも、フォーク・スタイルのコーラスで歌い上げます。

イントロのバンジョーから何となく惹かれる2曲目の「500マイルも離れて」(Five Hundred Miles)の曲自体は古くからの民謡でした。フォーク歌手ヘディ・ウエストによって1961年に紹介され、さらにピーター・ポール&マリーが19625月にリリースした彼らのファースト・アルバムの中に収録され、このアルバムが全米アルバム・チャートで1位を記録し、日本でも広く知らされる事となりました。ジェントルメンは過去に廉価盤「フーテナニー・ア・ブルーグラス・スペシャル」(Hootenanny, A Bluegrass Special)でも歌っています。このヴァージョンはモダン・フォークのグループ、ジャーニーメンを参考にしていて、原曲のイメージを損なうことなく、ジョン・ダフィーが歌う切ないファルセットが胸に染み入る仕上がりとなっています。後に彼は「セルダム・シーン」を結成して最初のアルバムにも、ほとんどこのヴァージョンと同じアレンジで歌っています。

3曲目の「この国はみんなの国」(This Land Is Your Land)はモダン・フォークの生みの親とも言われるウッディ・ガスリー作の名曲です。ブルーグラスではフラット&スクラッグスが1962年発売のアルバム「Folk Songs Of Our Land」の中で歌っています。ジェントルメンはそれとはまた違った、彼らならではのいい味を出しています。チャーリーとジョンの力強いボーカルが魅力的です。

4曲目「ホーム・スウィート・ホーム」(Home Sweet Home)は、我が国では「埴生の宿」という題名で親しまれている曲です。作詞のジョン・ホワード・ペインはアメリカの俳優であり、劇作家で、彼は13歳で孤児になり、生涯、家庭を持たない放浪の人でした。その詞にイギリス人の作曲家ヘンリー・ビショップが曲を付けています。ジェントルメンはこの曲をインストルメンタル曲として演奏しています。エディがスクラッグス・チューナーを多用し、まるで「アールズ・ブレイクダウン」のように演奏します。ジョンも2回目の間奏では、ジム&ジェシーのジェシー・マクレイノルドの十八番で、通称「マクレイノルズ・クロスピッキング」という演奏テクニックを駆使して曲を盛り上げています。

ということで、今回はこの辺で。

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by scoop8739 | 2017-09-19 09:23 | カントリー・ジェントルメン

217 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (54)

スターディへの録音 (14)

1965年、66年頃には、我が国の学生の間でブルーグラス・ブームが沸騰点に達していました。とりわけ、カントリー・ジェントルメンの人気は、フォーク・グループでいうとPP&Mやブラザーズ・フォアの様なものでした。

言わずもがな、ジェントルメンの魅力はモダン・フォークやジャズの要素を取り入れたユニークなモダン・ブルーグラス・スタイルを作っているところで、さらに高度な演奏テクニックと、深みのある歌唱力が備わっているのですから、「鬼に金棒」どころか、大砲まで持っているようなものです。

ジェントルメンは、演奏テクニックを競う学生バンドにとっては格好の目標であり、アイドル・バンドのひとつとなりました。

そんな中、我が国のキング・レコードの若き制作ディレクターが一つの企画を立ち上げます。それは、カントリー・ジェントルメンにフォーク・ソングのヒット曲をブルーグラス・スタイルで演奏させ、それをアルバムで発売しようというものでした。しかも本国アメリカではなく、日本のみの発売という暴挙に打って出ます。

この企画をスターディ社社長ドン・ピアス氏に持って行くと、いとも簡単に了承していただいたのです。ただし彼らはとても忙しいので、1日の録音時間しか与えられないとの返事でした。

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19651115日、その日がやってきました。場所はヴァージニア州フォールス・チャーチにある、といえば、彼らのフランチャイズでもあったピート・ロバーツ(カイケンダル)所有の「ウィンウッド・スタジオ」です。

アルバムに収録されているのは全14曲。モダン・フォークソング3曲と古謡が11曲。その中には3曲のフォスター・メロディが収録されました。

それでは全曲を紹介致しましょう。

A

1曲目「風に吹かれて」(Blowing In The Wind)

2曲目「500マイルも離れて」(Five Hundred Miles)

3曲目「この国はみんなの国」(This Land Is Your Land)

4曲目「ホーム・スウィート・ホーム」(Home Sweet Home)

5曲目「ロング・ジャニー・ホーム」(Long Journey Home)

6曲目「テイク・ジス・ハンマー」(Take This Hammer)

7曲目「おお、スザンナ」(Oh Susanna)

B

1曲目「草競馬」(Camptown Races)

2曲目「赤い河の谷間」(Red River Valley)

3曲目「自由な小鳥」(Free Little Birdd)

4曲目「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)

5曲目「ローズ・コネリー」(Rose Connelly)

6曲目「さよならケイティー」(Goodbye Katie)

7曲目「蛍の光」(Auld Lang Syne)

次回はA面曲から順次に解説致します。


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by scoop8739 | 2017-09-14 09:48 | カントリー・ジェントルメン

216 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (53)

レベルへの録音 (13)

1965年の夏のある日、カントリー・ジェントルメンは、レベル社の要請でクリスマス・シーズン用の曲をレコーディングをします。場所はメリーランド州バルチモアにある「レコーディングス・Inc」でした。

この時にレコーディングされた曲が、クリスマスの定番曲「ジングル・ベル」(Jingle Bells)、「きよしこの夜」(Silent Night)、「我らは来たりぬ」(We Three Kings)の3曲でした。

このうち「ジングル・ベル」は、196211月にウィンウッド・スタジオで録音されていた「クリスマスには帰ろう」(Christmas Time Back Home)とのカップリングで、翌196611月にレベル社からシングル盤リリース(Rebel F-264)されます。ちなみに「クリスマスには帰ろう」は、レベル社での初シングル盤として、196211月に「天国に帰ろう」(Heavenward Bound)とのカップリングでリリースされています(Rebel F236-45)

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「きよしこの夜」は、「クリスマスには帰ろう」「ジングル・ベル」と共に、1980年に「Christmas Time Back Home」と題されたシーズン企画アルバム(Rebel REB-1600)に収録されました。このアルバムには以下の曲が収録されています。なお、このアルバムは、1994年8月にCD化されています(Rebel CD-1600)

A

1曲目「クリスマスには帰ろう」(Christmas Time Back Home)/カントリー・ジェントルメン

2曲目「クリスマスがやって来る」(Chrismas Times A-Comin’)/ラリー・スパークス

3曲目「ゆっくりと雪が降る」Slowly Fall The Snow Flakes)/ビル・キャロル

4曲目「ブルー・クリスマス」(Blue Christmas)/ラリー・スパークス

5曲目「ジングル・ベル」(Jingle Bells)/カントリー・ジェントルメン

6曲目「罪を犯すなら」(If You Are To Sin Inclined) /ビル・キャロル

B

1曲目「クリスマスは遠くない」(Christmas Is Not Far Away)/レッド・エリスとヒューロン・ヴァレー・ボーイズ

2曲「クリスマスだよ!」(It's Christmas Time)/ラリー・スパークス

3曲目「クリスマスはお家で」(Home For Christmas)/レッド・エリスとヒューロン・ヴァレー・ボーイズ

4曲目「きよしこの夜」(Silent Night)/カントリー・ジェントルメン

5曲目「クリスマスはすぐそこに」(Christmas Is Near)/ラリー・スパークス

6曲目「ベツレヘムの美しい星」(Beautiful Star Of Bethlehem)/ラルフ・スタンレーとクリンチ・マウンテン・ボーイズ

残りの1曲、「我らは来たりぬ」(We Three Kings)は、1857にジョン・ヘンリー・ホプキンズ二世師(Reverend John Henry Hopkins, Jr.)が作詞したクリスマス・キャロルです。東方よりキリストの誕生を祝うためにやって来たという3人の賢者のことを歌っています。なおこの曲は、カントリー・ジェントルメンの4枚組ボックス・セット「アーリー・レコーディング19621971」でのみ収録されています。


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by scoop8739 | 2017-09-12 08:32 | カントリー・ジェントルメン