カテゴリ:異ジャンル交流( 3 )

107 エレキ・インスト(3)

ブルーグラスとエレキ・インスト(とくにヴェンチャーズ・バンド)との共通点を探ってみましょう。まずどちらも「時流に乗っていない(メジャーになりきれていない)」という意味では、非常に似通った環境にあります。この「時流に乗っていない」について、ギター奏者で長年メシを食っている、つまりプロとして堂々人生を歩んでいる、Dr.Kこと徳武弘文氏がこう話されています。

a0038167_1311396.jpg「昭和26年生まれの私の多感なる青春時代は、あの空前のエレキ・ブームに遭遇し、現在の人生があると言い切れるのです。同じようにその時代を過ごされた方々も今は50代くらい、幸い私はギター奏者としての職業を選ぶ事が出来ました。しかしプロの仕事と言うのはみな共通しているのでしょうが、恐ろしく現実的な作業に徹しなければ成り立たない物でもあります。様々なアーティストのバックや商業的な仕事をこなすうちに、本来やりたかった自分自身の姿を見失って行くものです」と、まぁ、青春時代に巡り会った音楽への強い思いと、その音楽を職業にした時のギャップなんかを語っています。

「実際、エレキ・インストのバンドなんて古いだの流行らない、売れないとか、さんざん言われているのも事実です。そんな時代を経て行く中で1996年に、あの、日本にロックンロールのグルーヴを伝来させた黒船のようなヴェンチャーズのドラマー、メル・テイラー氏が亡くなられ、社会的に見てもあまり話題とはならず、音楽という文化の認識の低さを感じ、もう一度原点に戻り音楽に対するリスペクトを表すため、エレキ・インストを再構築してみようと“Dr.K Project”としてパフォーミングをする形となりました」

このように徳武弘文氏は、エレキ・インストというものが「時流に乗っていない」事実を認識した上で、それでも「もう一度原点に戻り音楽に対するリスペクトを表すため」に、(恐ろしく現実的ですが)収入が安定するプロの仕事を一旦お休みしてまで、大好きな音楽に没頭したい(ただし、こっちでもシッカリ稼いでいますが…)と言い切っています。

彼をそこまでに駆り立てるもの、それは多感な青春時代に遭遇したヴェンチャーズの存在があったからなのです。ホームページを検索してみますと、同じような思いを抱くおやじヴェンチャーズ・バンドは日本国中あらゆるところに幾多と存在します。彼らは精力的にライブ活動を行い、こともあろうかCDまでリリースしています。もちろんメジャー・レーベルなどではなく、「宅録」といわれる簡単な録音設備でCDを制作し自主流通しています。有名なところでは東北は盛岡のモカ・バンド(http://www.msato.net/)なんかがそうですね。

a0038167_132588.gif「宅録」というと、この道の大御所(?)加山雄三さんもご自身のプライベート・レーベルからCDをリリースしています。これは日本のエレキ・インスト界を代表する豪華メンバーによる究極の宅録サーフ・コンピレーションで、加山さん自身も参加しています。あまり一般的ではないでしょうが、ディープなエレキ・インスト・ファンにはたまらない1枚かもしれません。ディープというと、ある意味ディープな親父ブルーグラス・バンドのみなさんも、彼らのパワーに負けずに「宅録」でCDを制作して自主流通してくださいませんか?

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by scoop8739 | 2005-07-10 13:07 | 異ジャンル交流

106 エレキ・インスト(2)

a0038167_20225097.jpg1995年に日本でも公開されたバイオレンス・アクション映画「パルプ・フィクション」(クエンティン・タランティーノ/監督・脚本)のサウンド・トラックとして使用されたのが、ディック・デイルの必殺曲「ミザルー」でした。ブルーグラス・ファンには馴染みの少ないディック・デイルという人は、「キング・オブ・ザ・サーフ・ギター」と呼ばれる、アメリカでは伝説化されているほどのギタリストです。

さて、この「サーフ」という音楽は、1960年代にエレキ・インストとヴォーカル双方の伝統を受け継いで、南カリフォルニアのビーチ・ミュージックから始まっています。前述の「ミザルー」のように高速でうねるような楽曲は、文字通りサーフィンのサウンド・トラックであり、そのディックがこのジャンルの名付け親とされています。しかしアメリカ本土はもとより日本でも、一般的に「サーフ・サウンド」は、当時からサーファーリーズの「ワイプ・アウト」やシャンティーズの「パイプ・ライン」という曲の方が知名度は高かったように思えます。またヴォーカル・グループのサーフ・ソングを定義づけたのは、言うまでもなくあのビーチ・ボーイズでした。そんな訳で、残念ながら日本ではディック・デイルはあまり知られていません。

ところで、この映画「パルプ・フィクション」のヒットから火がついて、我が国の音楽シーンでは突然のように「サーフ・ミュージック」がブレイクし始めます。これはまるで、2000年にブルーグラス界を席巻した「オー・ブラザー!」現象のように、エレキ・インスト界でも同じようなことが起こったのです。そしてその中心となったのが中シゲヲ(プリンス・オブ・ザ・サーフ・ギターと呼ばれています)率いる「サーフ・コースターズ」でした。彼らは古き良きエレキの「テケテケ・サウンド」を、現代のリズム、グルーヴ感でパワフルに演奏しています。

a0038167_2019513.jpg彼らは当時、日本中を席巻したエレキ熱そのものまでも再現するかのごとく、ライヴでは必要以上に全身全霊を込め、ほとんどデス・メタル並のエネルギーで気迫あふれるパフォーマンスを見せてくれます。観客の方も、往年のモズライト・サウンドを堪能することよりも、怒涛の弾き倒し攻勢に圧倒されることを快感に多いにノリまくっています。

またリリースされる彼らのCDは、その勢いを重視する意味でどの作品もほぼ一発録りなのだそうです。かのヴェンチャーズはリズムのタイトなグルーヴ感といい、正確なピッキングといい、相当高度なテクニックを持っていたのですが、このサーフ・コースターズはヴェンチャーズの演奏レベルを維持しつつ、あの爆発力を展開しているという意味では実は相当に腕達者な連中揃いということになります。そんなサーフ・コースターズの熱いパフォーマンスに対バン張れるようなブルーグラス・バンドはどこかにいませんか? (つづく)

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by scoop8739 | 2005-07-06 20:27 | 異ジャンル交流

105 エレキ・インスト(1)

夏になるとどうしても聴きたくなるのが「エレキ・インスト」です。ブルーグラス・ファンにとってはあまり馴染みのないものですが、これは通称「テケテケ・サウンド」と呼ばれるもので、ヴェンチャーズを筆頭に1960年代半ばに我が国で大流行をしました。

当時の日本の若者たちはアメリカのポップ・シーンをなぞってばかりいましたが、東京オリンピック開催の1964年を境に独自の方向性を示し始めます。この年、アメリカのポップ・シーンがビートルズ中心の展開となっていくのに対して、日本ではヴェンチャーズに代表されるエレキ・インスト・ロック中心の展開となっていったのです。

a0038167_20211419.jpgまずアメリカから無名インスト・バンド、アストロノウツが「♪ノッテケ、ノッテケ、ノッテケ、サーフィン」でお馴染みの、彼らのオリジナル・ナンバー「太陽の彼方に」(原題:MOVIN')で評判となり、サーフィン・ブームに火をつけます。ヴェンチャーズ・サウンドを彷彿させるこの曲に前述の日本語詞をノッケた藤本好一(ブルー・ジーンズ)のカバー曲が大ヒットし、さらに橋幸夫の和製サーフィン・ソング「恋をするなら」の爆発的なヒットによって日本のサーフィン・ブームは頂点に達したのでした。

a0038167_20214681.jpgこうした中、アストロノウツの先輩格であるヴェンチャーズの人気も沸騰し、1964年から65年にかけて、彼らは「ダイヤモンド・ヘッド」、「キャラバン」などのヒットを立て続けに放ち、日本の若者たちのあいだに一大エレキ・ブームを巻き起こしました。そんな彼らに触発されて、寺内タケシのブルー・ジーンズや、東宝の若手俳優・加山雄三が率いるランチャーズを筆頭に、ヴェンチャーズ・スタイルのバンドが続々と登場してきたのでした。

こうした風潮にノッテケとばかりに、東京オリンピックに合わせて急速に普及したテレビもこの傾向を加速させます。フジTV「勝ち抜きエレキ合戦」(65年6月放映開始)をきっかけに、各局はバンド・コンテスト番組をこぞって放映し、日本中のエレキ少年たちがそれらの番組出場をめざして秘かに腕を磨いたのでした。そんな中に、のちに日本のブルーグラス界を背負うことになる人材が何人も含まれていたことは疑う余地もありません。(つづく)

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by scoop8739 | 2005-07-05 20:25 | 異ジャンル交流