※長い間のご愛顧ありがとうございます。私事ではありますが、先月には古希を迎え、長年務めてまいりました会社を退職致しました。つきましては入力に使用していたパソコンなどの移設などに伴い、このブログをしばらくの間のお休みさせていただきます。入力環境が整い次第、再開させていただきます。]]>730 「LOVE」の曲(その20)http://bluegrass.exblog.jp/241077282/2021-08-10T08:30:00+09:002021-07-05T15:46:35+09:002021-07-05T15:46:35+09:00scoop8739「LOVE」の曲アメリカの古い歌手にジョージア・ギブス(Georgia Gibbs:1919年~2006年)という人がいます。彼女は、ビッグバンド、スウィング、ポップス、リズム&ブルースの歌手として1950年代を中心に活躍しました。特に当時のラテン音楽ブームに乗って全米№1ヒットとなった1952年の「火の接吻」(Kiss of Fire)や1955年の「Dance With Me Henry(Wallflower)」が有名です。彼女はそのパワフルな歌唱力で時代の変化に合わせた曲を数多く歌いましたが、オリジナル・ソングに恵まれなかったことや、戦後のポップスがティーン・エイジャー向けの傾向となったことなどから、次第に活躍の場が少なくなりました。ジョージア・ギブスが歌って人気の曲に「恋人になって」(I Want You To Be My Baby:1955年)というのがあります。この歌は恋の告白の歌で、歌いだしのフレーズはためらいの気持ちを、そしてその後は溢れ出るような恋の激情をブギのテンポで表現しています。https://www.youtube.com/watch?v=WRtI4x3Cooo/女性の恋の告白を歌った歌がヒットした要因には、第二次世界大戦でアメリカ国内の産業を支えた女性の社会的発言権が強くなったことや、戦後の女性の社会への進出がありました。それでも女性が男性に恋を告白するのはためらわれた時代でした。この歌やその後のポップス、ロックのヒットが社会の意識を反映しているのは、とても興味深いことだと思います。この「恋人になって」は、日本では雪村いづみさんがカバーしていました。どちらもセクシーでパワフルな時代をリードした女性です。さて同じような曲に、「恋人になって下さい」という曲がありました。カール・ソースマンとモンロー・フィールズが作曲し、1960年に作者のカール・ソースマンがグリーン・バレー・ボーイズを伴って最初に録音しています。https://www.youtube.com/watch?v=ki3G7fytXZU/1964 年には、カントリー歌手のジョージ・ジョーンズとメルバ・モンゴメリーがデュエットしています。これはジョーンズとモンゴメリーの3枚目のシングル曲でしたがあまりヒットせず、ビルボード・カントリー・シングル・チャートでも31位止まりでした。https://www.youtube.com/watch?v=BDOXWrMbNoA/その翌年、リヴァプールのカントリー・バンド「ヒルサイダーズ」もブリティッシュ・インヴェージョンの波に乗ってこの曲をリリースしています。https://www.youtube.com/watch?v=zmb8wCSNFc8/さて、ブルーグラス界でこの曲を最もメジャーなものにしたのがジム&ジェシーでした。しかしレコーディングされたのは意外と遅く、1972年のことです。アルバムとしてはオールド・ドミニオン社から同年リリースされた『ジム&ジェシー・ショウ』でした。https://www.youtube.com/watch?v=ucDdIKyzRGA/それでは何故、日本人の私たちがにの曲、つまりジム&ジェシーのバージョンに馴染みがあるかというと、ビル・モンローの名盤『ビーン・ブロッサム』に収録されていたからなのです。https://www.youtube.com/watch?v=QQTBZkKWruE&t=1199s/]]>729 愛しの泡沫アルバム(その103)http://bluegrass.exblog.jp/241077257/2021-08-06T08:30:00+09:002021-07-05T15:26:51+09:002021-07-05T15:26:51+09:00scoop8739泡沫アルバム探訪デニス・ルパージュは、1960年代初頭からカナダのブルーグラス・シーンで活躍するバンジョー奏者です。彼の演奏スタイルはスクラッグス、エマーソン、クロウ、キースなどの奏法をすべてカバーし、アラン・マンデが当時やっていたスタイルにも似たメロディック奏法のプレイヤーの一人でした。彼は、カナダのオンタリオ州ロンドンを拠点とするブルーグラス・バンド、ディキシー・フライヤーズの創設メンバーであり、また同州ハミルトンを拠点とするステーション・ロードのメンバーとして、数多くのフェスティバルやコンサートで演奏します。ディキシー・フライヤーズで活動している間に彼は2枚のソロ・アルバムをリリースしました。1枚目は1977年『人生よりも大きい』(Larger Than Life)というアルバムでした。https://www.youtube.com/watch?v=FW6JX7FdhoU/さらに翌78年には2枚目の『医者がいる』(The Doctor Is In)というアルバムをリリースします。https://www.youtube.com/watch?v=Aea3AwV9NCo/いずれもバンド・メンバーのサポートを得てのバンジョー・インスト・アルバムでした。彼はまた、他の多くのアーティストのレコーディング・セッションにも参加し、カナダ全土の多くのバンジョー奏者たちに影響を与えてきました。デニスは80年代半ばまで限定的ではありましたがブルーグラスのキャリアを続けた後、一旦プロのミュージシャンを辞めていますが、現在では「スイッチバック・ロード」というカナダのバンドで活動しているようです。]]>728 「LOVE」の曲(その19)http://bluegrass.exblog.jp/241077244/2021-08-03T08:30:00+09:002021-07-05T15:15:50+09:002021-07-05T15:15:50+09:00scoop8739「LOVE」の曲アイラとチャーリーのルーヴィン兄弟によって書かれたこの曲は、男の身勝手な愛を嫌い、他の男に走った女を想い歌った曲です。ルーヴィン兄弟自らの演奏で1956年にシングル・リリースされました。https://www.youtube.com/watch?v=rN7nXiRz0lE/ブルーグラス界では最初の女性リード・シンガーと言われたグロリア・ベルが、1968年にリリースしたアルバム『ブルーグラスを歌い演奏する』(Sings And Plays Bluegrass In The Country)のA面3曲目にこの曲を収録しています。サポートしているのはシェナンドー・カタップスのメンバーでした。https://www.youtube.com/watch?v=HXxTT50JPkI/ジム&ジェシーのマクレイノルズ兄弟も1969年にルーヴィン・ブラザースに敬意を表したアルバム『Jim & Jesse Saluting The Louvin Brothers』の中でこの曲を歌っています。https://www.youtube.com/watch?v=YGEwEopZOyA/ハーブ・ペダーセンは1984年にリリースしたソロ・アルバム『寂しい気持ち』(Lonesome Feeling)にこの曲を収録しました。ハイトーンのヴォーカルが気持ちいいです。https://www.youtube.com/watch?v=bcV8Z3KK3TA/ハーブは2002年、デヴィッド・グリスマン、ピーター・ローワン、ヴァッサー・クレメンツ、からなるグループ「オールド・アンド・イン・ザ・グレイ」(Old In The Gray、ナイスなネーミング!)に参加してバンジョーを演奏しました。そしてこの曲もアルバムに収録されています。https://www.youtube.com/watch?v=wTnfzMudcvU/]]>727 愛しの泡沫アルバム(その102)http://bluegrass.exblog.jp/241077229/2021-07-30T08:30:00+09:002021-07-05T15:03:46+09:002021-07-05T15:03:46+09:00scoop8739泡沫アルバム探訪1974年5月、ラルフ・スタンレーが主催するブルーグラス・フェスティバルのプログラム「日曜日の朝のゴスペル・ソング特集」が行われていた時、マーシャル・ファミリーはいきなりブルーグラス・シーンにその姿を現します。彼らは当初、フェスティバルに参加する予定はありませんでした。メンバーの一人デヴィッドが、ほんの数日前にラルフにグループが演奏するテープを渡し、プログラムへの参加をお願いしました。これはデヴィッドの大胆な賭けでしたが、それは見事に報われます。その結果、グループは「日曜日の朝のゴスペル・ソング特集」の参加者に熱狂的に受け入れられました。さらに重要なことに、彼らは事実上のマネージャーでエージェントとなるラルフ・スタンレーの気持ちを掴んだのです。そして、レベル・レコードとのレコーディング契約を獲得しました。ラルフはデヴィッドの曲作りを気に入って、1975年の自らのアルバム『平和な山で休憩を』(Let Me Rest On A Peaceful Mountain)でデヴィッドの作った曲を5曲も収録しています。また才能あふれるデヴィッドはゴスペル・ロードと共に1976年に同名タイトルのアルバムをリリースしました。デヴィッドのヴォーカルは素晴らしく滑らかで、かつまろやかです。1977年には同じメンバーがサポートしてデヴィッドのソロ名義のアルバム『貧困の歌』(Song Of Povertyをリリースしました。A面2曲目「高速道路の残骸」(Wreck On The Highway)は、初期のカントリー・ジェントルメンを思わせるものがあり、B面2曲目の「天国の夢」(Heavenly Dream)は、アカペラ・グループとしての美しいコーラス・ワークを聴かせています。またこのアルバムには、メロディック・バンジョー・スタイルの曲「啓示的バンジョー」(Revelation Banjo)や「スピリチュアル・マンドリン」(SpiritualMandolin)の2曲も収録されました。アルバムのライナー・ノーツには、誰がギターやマンドリンを演奏するかについては触れられていませんが、B面6曲目の「私の相棒」(Me And My Buddy)ではラルフ・スタンレーがクローハンマー・バンジョーを演奏しています。音源はYoutubeにて佐生武彦さんがアップして下さってる「Take’s Bluegrass Album Channel」で聴くことが出来ます。https://www.youtube.com/watch?v=fpJMU275YMs&t=1170s/]]>726 「LOVE」の曲(その18)http://bluegrass.exblog.jp/241077220/2021-07-27T08:30:00+09:002021-07-05T14:53:25+09:002021-07-05T14:53:25+09:00scoop8739「LOVE」の曲クラーク・ヴァン・ネス(Clark Van Ness)とジーク・マナーズ(Zeke Manners)か書いたこの曲は、1941年にロイ・ホールと彼のエンターテイナーズ(Roy Hall & His Blue Ridge Entertainers)によって初リリースされました。“秋の花が枯れるように、あなたの甘い愛を死なせないでください。笑顔を捨てて涙を流さないでください。私の心はあなたを信じています。あなたも私を愛していると言ってください。孤独な人生を送ろうとする、私をここに残さないでください”この曲の主旨は、恋人の心変わりを歌ったものです。主人公である私は、彼女の心変わりを引き止めようとしますが、“私は恋が終わったとは信じられません。さようならを言わないでください。あなたの甘い愛は死んでしまう。あなたが必要なので、あなたの甘い愛を死なせないでください”しかし、彼女は私から去って行ってしまいます。この曲はその後、ホーマーとジェスロのレパートリーとなり、1953年のマック・ワイズマン盤のリリースで広く知れ渡るようになりました。https://www.youtube.com/watch?v=vESu77v23uQ/https://www.youtube.com/watch?v=ioXg3sQuHxI/ダン・リーノゥとレッド・スマイリーは1961年にまずシングル盤でリリースし、その後、アルバム『カントリー・ソングス』に収録しています。https://www.youtube.com/watch?v=gvu211C00S4/ルーヴィン・ブラザースは1958年リリースのアルバム『アイラとチャーリー』のこの曲を収録しました。https://www.youtube.com/watch?v=IwM1t8yyQF8/リッキー・スキャッグスも1982 年のカントリー・アルバム『ハイウェイ&ハートエイクス』にこの曲を収録しています。https://www.youtube.com/watch?v=33yXdlJqlAY/]]>https://www.excite.co.jp/https://www.exblog.jp/https://ssl2.excite.co.jp/