27 1960年代前半のアメリカの音楽事情

話が本筋から少し離れますが、しばらく近視眼的に1960年代のブルーグラス音楽の流れを書いてきましたので、少し俯瞰的に1960年代前半のアメリカの音楽事情を簡単に説明させていただきます。ブルーグラス音楽にとって、この1960年代前半はフォーク・リバイバルの恩恵により再評価され、第二次黄金時代を築くことができました。ところで、かつてブルーグラスをアンダー・グラウンドへと追いやったロカビリーの流行はどうなったのでしょう…。

1958年にエルビス・プレスリーは徴兵のため兵役に就き、さらにロカビリー歌手の相次ぐ事故死などで1950年代の終わりから1960年代初頭にかけてのアメリカのポップス界は、それまでのハードなロカビリーの波が一気に引き、彼らが作り出した巨大なティーン・エイジ・マーケットに向けて職業的な曲作りによる“60年代ポップス”が花開きます。中でも、若い作家を集めては量産体制を築いたアルドン・ミュージックが有名です。さらに1958年に「会ったとたんにひと目惚れ」でデビューしたテディ・ベアーズのフィル・スペクターがフィレス・レコードを起こし、この流れに参加します。

“60年代ポップス”の中心歌手としては、男性ではポール・アンカ、ニール・セダカ、女性ではコニー・フランシス、ヘレン・シャピロ、ブレンダ・リーといった人たちで、こういったアイドルたちの歌う甘ったるいポップスがヒット・チャートを賑わせていました。また、ツイストによって開幕したダンス音楽ブームが最盛期を迎えます。

さらにキャピトル・レコードが本社を構える西海岸ではサーフィン・ミュージックが若者たちの熱い視線にさらされ、エレキ・インスト・グループやビーチ・ボーイズ、ジャン&ディーンに人気が集中していきます。一方東部では、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジや各大学のキャンパスからモダン・フォーク・ソングが人気を広げ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリーといった学生気分の色濃いグループと、伝統的なアメリカン・フォーク・ソングの継承者であるジャック・エリオット、ピート・シーガーなどの新たなるスターを生んでいました。

そんな緩やかな音楽環境に一石を投じるように、イギリスからビートルズが先陣を切って「抱きしめたい」でアメリカに乗り込んでいきます。これが瞬く間に全米ナンバー1となり490万枚のセールスを記録しました。そしてこれ以降14週間に亘ってビートルズの楽曲はヒット・チャートを入れ替わり独占することとなったのです。

ビートルズ人気が引き金となってイギリスのビート・グループが一気のアメリカに侵攻してきます。デイブ・クラーク・ファイヴ「グラッド・オール・オーバー」、スウィンギング・ブルー・ジーンズ「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」、サーチャーズ「ピンと釘」、ビリー・J・クレーマー&ダコタス「リトル・チルドレン」、マンフレッド・マン「ドゥワ・ディ・ディ・ディ・ディ」、ジェリーとペースメーカーズ「太陽は涙が嫌い」、ローリング・ストーンズ「ノット・フェイド・アウェイ」、ホリーズ「ジャスト・ワン・ルック」と、アメリカのポピュラー音楽史上でもかつて例のないほど大量の外国アーティストの楽曲がヒット・チャートを独占しました。アメリカではこれを称して「イギリス勢の侵略」(ブルティッシュ・インヴェイジョン)と言います。

a0038167_193876.jpgこの侵略に対して、アメリカの音楽業界で彼らに立ち向かったのが、リズム&ブルースのレーベル、モータウンの黒人ミュージシャンたちと、サーフィン・ミュージックで売り出していたビーチ・ボーイズ、そして新しく結成されたバーズでした。ビーチ・ボーイズはビートルズに対抗すべく、フィル・スペクターの影響を消化してサウンドをどんどん変化させ、ギター、ベース、ドラムからなるロック・コンボ・スタイルから脱却していきます。1964年から66年にかけてはビーチ・ボーイズとビートルズとのサウンド面での競争がウエストコースト・ロックを大いに進化させます。またこの時期の彼らの書く歌詞が、若者の風俗を描くスタイルから、徐々に自分自身の内面を描くスタイルに変わっていったことも見逃せません。(この章は佐々木実さん作成のHPから一部抜粋使用させていただいております。
http://www02.so-net.ne.jp/~m-sasaki/history_1.htmll)

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by scoop8739 | 2004-09-01 19:27 | 同時代の音楽
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