18 ブルーグラスの第一期黄金時代

ここまでブルーグラス音楽創成期のバンドをいろいろと紹介してきましたが、いろいろなプレイヤーやバンド名が出てきて頭の中が混乱しているのではないかと思いますので、ここらでもう一度復習をしてみましょう。

まず始めにアパラチア山岳地帯、詳しく書くとケンタッキー、ヴァージニア、キャロライナあたりの地域に入植したスコットランドやアイルランドからの移民たちが、故国から持ち込んだ古い民謡をもとに、新天地アメリカの気候、風土、風俗と黒人の歌うブルースを加味して創ってきたのがサザン・マウンテン・ミュージック(またはアパラチア・マウンテン・ミュージック)でした。

近年、アメリカで一大ブームを巻き起こしている「オー・ブラザー現象」、すなわち、映画『オー・ブラザー!』の大ヒットと、その挿入歌を演奏するコンサートの成功によってもたらされたアメリカ国民の「ルーツ・ミュージック」への関心の高まりは、新たなファン層の開拓にもつながっているようです。そもそもこの「ルーツ・ミュージック」こそが「サザン・マウンテン・ミュージック」に他ならないのです。

さてこのサザン・マウンテン・ミュージックが盛んに演奏されたのが20世紀初頭のことで、1920年代になると、これを職業とするマウンテン=ヒルビリー(現在ではオールド・タイム・ミュージックと呼びます)バンドが現れ、活躍し始めます。その一つにケンタッキー出身の「モンロー・ブラザーズ」がいました。

1939年に弟のビル・モンローが独立して「ブルー・グラス・ボーイズ」という名のバンドをスタートさせます。いろいろと試行錯誤の時期を経て1945年にバンジョー奏者のアール・スクラッグスが入団するや、彼の特徴のあるバンジョー奏法とビルのマンドリン、そしてギター、ボーカルのレスター・フラットらと共に、今日でいう「ブルーグラス・スタイル」を確立し、その音楽を完成させたのです。

以来、アパラチアン界隈で活躍していた演奏家たちはこぞってビル・モンローの創った音楽を模倣し始めます。彼らの中には、ブルー・グラス・ボーイズの一員となってブルーグラス・エッセンスを習得し、そして独立した後もその演奏スタイルを継承する人も現れます。前出のレスター・フラットとアール・スクラッグスは独立してフォギー・マウンテン・ボーイズを結成しブルーグラスの発展に貢献します。さらにカーターとラルフ兄弟のスタンレー・ブラザーズ、ドン・リーノウ、マック・ワイズマン、オズボーン・ブラザーズ、ジミー・マーチンなど数多くのミュージシャンたちが「ブルー・グラス・ボーイズ・スタイル」の音楽を演奏し、1953年を頂点としてブルーグラス音楽が第一期黄金時代を築き上げるのです。そうするうちに、この新しい演奏スタイルの音楽をラジオ局のD.J.たちは総称して「ブルーグラス・スタイル」(略してブルーグラス)と呼ぶようになりました。

ちなみに「ブルー・グラス・ボーイズ」と書く時には必ず「・」を入れますが、本国アメリカでも「BLUE」と「GRASS」の間に「スペース」が入ります。ところでブルーグラス(bluegrass)を辞書で引いてみると、スズメノカタビラ属の草とか、米国ケンタッキー州地方(bluegrassが豊富に生える)の別称と書かれてあります。ビル・モンローの出身地のオハイオ郡はケンタッキー州西部にあたりますから、バンド名がブルー・グラス(Blue Grass)というのもそのためでしょうか。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-08-16 19:02 | ブルーグラスの歴史
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