233 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (68)

ジョン・ダフィの決意

 かつてカントリー・ジェントルメンは、彼らのホーム・グラウンドにしているアメリカ東部の都市部では大学生を中心に絶大な人気を誇っていました。

 時代は移り、ビートルズに端を発したブリティッシュ・インヴェージョン(British Invasion=イギリスの侵略)の影響を受けたアメリカのポピュラー音楽界は、新しい音楽“フォーク・ロック”や“サイケデリック・ロック”という形で対抗を始めます。

 その頃、アメリカによるベトナム侵攻に反対する学生運動が、これに呼応するかのように新しい音楽を求めるようになりました。アメリカ各地で行われる反戦運動で、音楽演奏はフォーク・ロックやもっとヘビーなロックへと変わって行きます。

 次第にカントリー・ジェントルメンの音楽は東部の学生層に指示されなくなり始めます。やがてジェントルメンはその活動の軸足をフェスティバルに求めるようになりました。

 ところがブルーグラス音楽の盛んな南東部地方では、ボブ・ディランを始めフォーク・ソングをアレンジしたようなスタイルはあまり好まれませんでした。フォーク・ソングのリスナーたちが伝統主義に対する考えを緩めるにつれ、皮肉なことにブルーグラスの世界は自ら意識してその境界を定義し始めます。そして次第にジェントルメンはフェスティバルに招かれなくなります。

 メンバーの生計は音楽活動で成り立っていたので、ジョンの目指す音楽的志向は彼らの経済環境に決していい影響を与えるものではありませんでした。ジョンのプログレッシブな志向に嫌気がさしたのか、チャーリーの音楽志向は次第に伝統的なものへと傾いて行きます。グループの目指す方向が曖昧になり始めました。

 こうしてジョンはリーダーとしての責任感からか、また一説には、“飛行機に乗るのが嫌だ”との理由から日本での公演をキャンセルした責任を取ってとの噂もありましたが、1969年の初め、状況の打破に疲れてカントリー・ジェントルメンを辞めることを決意したのです。


[PR]
by scoop8739 | 2017-11-06 10:22 | カントリー・ジェントルメン
<< 234 時系列で聴くカントリー... 232 時系列で聴くカントリー... >>