228 ちょっと一服、1967年(昭和42年)の音楽事情

この年、私は中坊を卒業し晴れて高校生となりました。

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とは言え、やってることはあまり変わりません。アイビー少年を継続中で、相変わらずの音楽好きは止めを知りません。ラジオ講座を聴くふりして深夜ラジオに没頭するような毎日を過ごしておりました。中でもモコ・ビーバー・オリーブがDJをやってた「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」や、「バイタリス・フォーク・ビレッジ」なんかが私の好きな番組でした。

世の中は、モッズルックやイエイエ娘などが流行っているようでしたが、地方都市に住む高校生にはあまり関心のある出来事ではありませんでした。そんなことより、親の目を盗んで見ていた11PMのカバー・ガールのボイン姿や、立ち読みで平凡パンチのヌード写真を見て喜んだり、ツイッギーの来日でミニスカートがブームとなったおかげでパンチラを拝める幸せを感じていたり、兄の使っていたMG5を黙って使って鏡を眺めてはほくそ笑んだりと、軽佻浮薄な日々を送っていました。

a0038167_09075734.jpg映画の世界では、内藤陳が「おら、ハードボイルドだど!」と言っている間に、ジェームズ・ボンドはとうとう日本にも現われ「007は二度死ぬ」をヒットさせ、クレージー・キャッツは本場ラスベガスの大通りで「黄金作戦」を展開するなど、あの頃の日本は「昭和元禄」春爛漫といった時代でした。

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この年に流行っていた歌というと、前年から勃興してきたグループ・サウンズが隆盛を極めます。最大のヒット曲はジャッキー吉川とブルー・コメッツの歌う「ブルー・シャトウ」でしょう。この曲はこの年の日本レコード大賞を受賞しています。

ブームに便乗して美空ひばりまでもが「真っ赤な太陽」を歌いヒットさせたり、タイガースの「君だけに愛を」で、ジュリーの放つ指差しポーズに胸をズキュンとさせた娘たちが続出するなど、このブームは永遠に続くものと思われておりました。ところが翌1968年までの栄華でしかなく、平家物語同様「おごれるものは久しからず」、あっけなく幕を閉じてしまいました。

逆に冬の到来と共にこつ然と現われたのがザ・フォーク・クルセダースの「帰ってきたヨッパライ」でした。深夜放送から端を発した灯火が、あっという間に日本全国に燃え広がり、オリコン・チャート初のミリオンヒットを記録し、世に言う「アングラ・フォーク」のブームを生み出したのでした。

歌謡曲に耳を転じますと、石原裕次郎の「夜霧よ今夜もありがとう」や、鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」など、どんなご時勢だろうが相変わらずムード歌謡は強い!といった感じです。

さてこの年に我が国で流行った洋楽というと、ビートルズが2月にリリースした「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー/ペニー・レーン(両A面)」に続き、7月の「愛こそはすべて」、11月の「ハロー・グッドバイ」と立て続けにヒットにさせ圧倒的な強さを見せる中、同じ英国からビージーズの「マサチューセッツ」、ハーマンズ・ハーミッツの「見つめあう恋」、ルルの「いつも心に太陽を」、アメリカからはモンキーズが「デイドリーム」、タートルズが「ハッピー・トゥゲザー」、ドアーズが「ハートに火をつけて」、スコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ」を、そしてギリシア出身のヴィッキーが「恋はみずいろ」をヒットさせています。なんとまぁ、ハッピー・ソングの多かったことでしょう。

しかし世の中は次第に、「中国の文化大革命」、「フランスの5月革命」での学生運動を皮切りに、アメリカでは「いちご白書」で有名な「コロンビア大学闘争」など世界中に学生運動の波が立ち始め、やがて我が国でも暗雲が漂い始めることになります。


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by scoop8739 | 2017-10-17 09:09 | ブレイク・タイム
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