215 ちょっと一服、1965年(昭和40年)の音楽事情

苦しく悲しい終戦、前だけを向いて頑張ってきた日本の復興期。

戦後20年という一つの区切りとして、前年(昭和39年)には華々しい東京オリンピックが大成功し、「平和の国・日本」が世界各国に認識されました。

しかし、国際的には不穏な時期を迎えています。この年アメリカがベトナム戦争の進捗に業を煮やし、2月から「北爆」を開始したため、ベトナム戦争がさらなる激化を見せた年でもあります。ちなみにこの年生まれた反戦歌がバリー・マクガイアの「明日なき世界Eve of Destruction)」でした。

そんな中、我が国ではこの年の1月に日本航空が海外団体旅行用の「ジャルパック」を発売し大人気を博します。国民生活がすっかり豊かになったせいか、この頃から海外旅行が普及し始めます。

さらに学術の分野では、朝永振一郎にノーベル物理学賞が授与され、日本中が湧きました。

テレビではプロレスが空前の人気となり、プロレス中継は視聴率51.2%にもなったそうです。昔懐かしい大村崑の「オロナミンC(大塚製薬)」のCMもこの頃からのもので、テレビCMや看板・ポスターなどのPRが大成功し、この年のヒット商品になっています。また、日本最初のカラーテレビ・アニメ「ジャングル大帝」が放送開始となり、カラーテレビの普及も本格化し始めました。

ファッション分野では、「アイビールック」が若者に大流行し、中でも特定のブランドが好まれ「VANルック」「JUNルック」が一世を風靡します。

さて本題の音楽のことを書きましょう。忘れられないのは前年(昭和39年)のビートルズの日本デビューでした。彼らの音楽は日本の文化に多いに影響を与えます。この影響もあって、歌謡界では加山雄三が自作自演でヒット曲を量産します。もちろん映画「若大将シリーズ」の人気との相乗効果もあったと思うのですが、彼の活躍は後のニュー・ミュージック、シンガー・ソングライターといった時代の流れへと継承されることになります。

a0038167_09113964.jpgこの年に流行った歌は、なんといっても加山雄三の「君といつまでも」でしょう。さらに、都はるみの「涙の連絡船」、北島三郎の「兄弟仁義」、田代美代子、和田弘とマヒナスターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」、菅原洋一の「知りたくないの」、石原裕次郎の「二人の世界」と続きます。

演歌ばかりが流行歌ではありません。ペギー葉山の「学生時代」、坂本九の「涙くんさよなら」など、その後の歌謡ポップスへとつながって行きます。しかしながら、この年のレコード大賞は美空ひばりの「柔」が獲り、やはり当時の日本人には「演歌」が一番というのが頷けられます。

また我が国で流行った洋楽はというと、ライチャス・ブラザーズの「アンチェインド・メロディ」、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」、深夜ラジオの影響か、ハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスの「ビター・スウィート・サンバ」、そして圧倒的に強かったのがビートルズの「イエスタデイ」「ヘルプ!」。それに続けとばかりに、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」や、ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」でした。

私的には、ベンチャーズの「ダイヤモンド・ヘッド」や「十番街の殺人」、映画007シリーズの主題曲「ゴールド・フィンガー」、バーズの「ミスター・タンブリンマン」、ホリーズの「バス・ストップ」、ブラザース・フォアの「7つの水仙」、マージョリー・ノエルの「そよ風に乗って」なんかが好きな曲でした。

中2坊主の私は、ラジオから流れる洋楽を聴いて、ノートにその週のランキング表を作ったり、肩下げカバンのヒモに部分にマジックで「VAN」と書いたり、「ボーイズ・ライフ」という雑誌のマンガ「007シリーズ」に影響を受けてスパイごっこをしたり、勉強以外のことに夢中になっていた時代です。


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by scoop8739 | 2017-09-11 09:12 | ブレイク・タイム
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