194 時系列で聴くカントリー・ジェントルメン (33)

フーテナニーって何?

再度書きますが、「フーテナニー」(hootenanny)というのは、フォーク・ソングのバンドやら歌い手たちが次々に出てきて歌い、最後は観客を巻き込んでシング・アウトで締め括るというコンサートの形式です。アメリカ発祥のこの波はやがて我が国にも到達します。一連のブームはモダン・フォークのうねりとなって全国に広がりました。

1958年にキングストン・トリオの「トム・ドゥリー」が全米No.1のヒットします。この曲は翌591月に日本でも発売されてヒットしました。そして61年には早くもキングストン・トリオが来日し、翌62年にはブラザース・フォア、さらに翌63年にピート・シーガーなど蒼々たるシンガーが来日しています。

これを受けて、我が国では大学のキャンバスを中心にしてフォーク・ソング・ブームが起き、そのイベントを「フーテナニー」と呼んで、各大学主催で続々と開催されました。フォーク・ギターを持って歌いだしたという点では、エレキかアコギかの違いだけで、ベンチャーズのそれと同質の流行であったといえるのですが、こちらの中心は成城、青学といった、どちらかというと育ちの良い「良家のお坊ちゃん」的な若者が多く、多種多才な人間が混在していた「エレキ」とは雰囲気を異にしていました。

1966年にモダン・フォーク・カルテットのリーダーだったマイク真木が「バラが咲いた」でデビューします。「日本初のフォーク・ソング」のふれ込みでしたが、作詞・作曲はポップス色が強かったとはいえ、既成の作曲家、浜口庫之助で、明らかに売れ線狙い、当時のフォーク青年たちをガッカリさせたものです。それでも、この曲は思惑通りに大ヒットしました。

この成功を受けて、黒沢久雄のいたブロード・サイド・フォーが「若者たち」でデビューします。さらに成城学園高等部3年生だった森山良子が「この広い野原いっぱい」でデビュー。この曲は森山良子の自身の曲で、おそらく日本フォークとしてはオリジナル・ヒット第一号でしょう。こうして「カレッジ・フォーク」と呼ばれた第一次フォーク・ソング・ブームは静かにその勢いを増していったのです。

また、スチューデント・パワーという推進力を得たサブ・カルチャーの波は、音楽のみならず、ファッションをも巻き込んでいきます。カレッジ・フォークのグループはそのほとんどが、アメリカン・トラッド、アイビー・ルックに身を包み、これが一般学生にまで普及し、女子学生のミニ・スカートの流行と合わせて、そのカジュアルなスタイルは、それまでの学生服、白いブラウスにプリーツ・スカートを一気に古い物へと追いやったのでした。

1963年はフーテナニー(アメリカの「みんなでフォーク・ソングを楽しみましょう」の意味)という言葉が入ってきて、 日本初のフーテナニー・コンサートが開催された年です。この頃はまだ、アメリカのカントリー&ウエスタンが全盛であり、フォークソングはそれほどでもなかったので、このフーテナニー‘63はフォークをやっていた人たちにとって大きな出来事でした。

こういう動きによって、当時のフォークシンガーたちは自ら歌う場所を確保していったのです。主な出演者は、セント・ポールズ、フォーク・シンガーズ、MFQ、カッペーズ、カントリー・フレッシュメン、山田耕筰、真中勝子という人たちでした。


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by scoop8739 | 2006-04-12 16:25 | カントリー・ジェントルメン
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