103 モダン・ジャズとブルーグラス(2)

前回ひんしゅくを買ったついでに、「ジャズとブルーグラスを同じ土俵で語る」シリーズの第2弾を…。

1950年代末のジャズ・シーンは、モード・ジャズやフリー・ジャズの登場によってハード・バップ一色だったそれまでに比べて多彩な広がりを見せようとしていました。そうした状況を大きく発展させたのが次の10年間でした。

1950年代は、ハード・バップからファンキー・ジャズという亜流が生まれ、さらにそこから1960年代前半にロックと結びついたジャズ・ロックと呼ばれるポップな演奏も行われるようになりました。すなわちこの時代のジャズ・シーンでは、ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、ジャズ・ロック、モード・ジャズ、フリー・ジャズなどのさまざまなスタイルを持った演奏形態が、それぞれに切磋琢磨しながら頂点を極めようとしていたのです。

ここで話をブルーグラスに持っていくと、ジャズに遅れること10年、ほら、似たような状況が起こっているではありませんか。1960年代末にニューグラスの芽が現れ、1970年代には、ブルーグラスにもそれまでに比べて多彩な広がりが起こり始めます。

a0038167_2038115.jpg幕開けは、サム・ブッシュが推進するニューグラスによって切り落とされました。またサム同様に独自の手法でニューグラスの道を模索していたベテラン、ジョン・ダフィーの率いるセルダム・シーンの登場でした。興味深いのは、サムがロックをベースにしてニューグラスのイディオムを開発したのに対し、セルダム・シーンはシンガー・ソングライターのものやフォーク・ミュージックからアイディアを持って来たということです。方法論や音楽的なルーツが異なっていたにもかかわらず、両者が結果として共通項の多いスタイルを提示してみせたところに、それまでのブルーグラスから脱出したいという強い気持ちが伝わってきます。つまり、従来のブルーグラスという概念をそれまでにはなかった手法と方法論で超越することによって、より自由な演奏を目指したのでした。

ニューグラスの初期においては、サムのニュー・グラス・リバイバルとセルダム・シーンが自転車の前輪と後輪のような役割を果たしながら、この独特な音楽性を発展させていきました。そしてやがてここにカントリー・ガゼット、J.D.クロウのニュー・サウス、エディ・アドコックのセカンド・ジェネレーション、レッド・ホワイト&ブルー(グラス)、カントリー・クッキングといったバンドが加わるようになって、ニューグラスは名実共にひとつの大きな流れへと発展したのでした。

一方1970年半ばに、デル・マッカリーを中心として巻き起こったのがニュー・トラディショナルの動きでした。これに続いてリッキー・スキャッグスを中心としたブーン・クリークや、ジミー・ゴウドロウのニュー・トラディション、ベテランのレッド・アレン率いるアレン・グラスが、ブルーグラスの温故知新運動を巻き起こします。


a0038167_20394695.jpg加えて1970年代半ばには、こうしたブルーグラスの流れと離れたところからもうひとつの人気を呼ぶスタイルが登場してきます。それが西海岸で起こったデヴィッド・グリスマンを中心としたドウグ・ミュージックでした。ドウグ・ミュージックはブルーグラスに使われる楽器を用い、サザン・マウンテン・ミュージックとジャズのフィーリングを掛け合わせた新しいアコウスティック・ミュージックとして生まれました。その後ドウグ・ミュージックはバンドのメンバーだったトニー・ライスやダロル・アンガーらによってさらに新しいものへと進化していきます。

一方、東海岸の大都会ニューヨークでは、カントリー・クッキングのメンバー、アンディ・スタットマン(m)やトニー・トリシュカ(bj)、さらに新世代のバンジョー・プレイヤー、ベラ・フレックの活動も無視ができません。彼らはブルーグラスにプラス・サムシングとしてジャズやフュージョンを取り入れ、実験的な作品を次々と発表していきます。こうしてブルーグラスは、多くを飲み込んだ新しい音楽ジャンルへと変貌し始めるのです。

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by scoop8739 | 2005-06-28 20:41 | ブレイク・タイム
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