33 ナッシュビル・ピッキン・セッションとブルーグラス・アライアンス

a0038167_9391153.jpg1960年代半ばになると南東部のブルーグラス・ミュージシャンの中には、フォークやカントリーから吸収したモダンな感覚を、まったくブルーグラス音楽の範囲で演奏しようと試みる人たちが出てきます。彼らはブルーグラス音楽にあまり関心のないナッシュビルという環境の中で、ブルーグラスの新生面を切り開いて行こうという試みに取り組んだのでした。この動きを称して「ナッシュビル・ピッキン・セッション」と言いますが、これに参加していたのがロイ・エイカフのバンドでギターを弾いていたチャーリー・コリンズ、ジョニー・キャッシュのレコーディング・セッション・マンとして売り出し中のノーマン・ブレイク、ポーター・ワゴナーのバンドでフィドルを弾いていたマック・マガーハ、そしてバンジョー奏者のラリー・マックニーリーという人たちでした。

中でもノーマン・ブレイクのリード・ギターと、ラリー・マックニーリーのバンジョーは非常に個性的で、ノーマンのプレイはドック・ワトソンのクロス・ピッキング奏法にクラレンス・ホワイトからのブルージーなシンコペイションを使ったアドリブを多用した最先端を行くものでした。一方、ラリーのバンジョー・スタイルは、アール・スクラッグスとドン・リーノウのパターンをミックスしたものですが、細かいブリッジの部分にビル・キースや当時ナッシュビルで人気の出てきたボビー・トンプソンのクロマチック・ロールを巧みに挿入して独自のスタイルとしたものでした。

それから1年後、ナッシュビル・ピッキン・セッションをさらに大衆化した形で、1968年にケンタッキーからブルーグラス・アライアンスが登場します。メンバーはギター奏者のダン・クレアリー、バンジョー奏者のバディ・スパーロックを中心に、ロニー・ピアスのフィドルが絡むといったもので、さながらナッシュビル・ピッキン・セッションを彷佛とさせました。彼らはフォークを思わせるボーカルやハーモニーをブルーグラスのリズムに本格的に溶け込ませるといった点で初めてのバンドでした。そしてその演奏スタイルはビル・モンローやスタンレー・ブラザーズといったトラディッショナルなバンドとは一線を画し、フォーク・リバイバルでブルーグラスのファンとなった第三世代ともいわれる層に瞬く間に広がっていったのです。

彼らはデビューから1971年までの4年間にわずか2枚のアルバムしか残していません(残念ながらどれもCD化されていません)が、ブルーグラスの新しい時代を予言するかのように2作目のアルバム・タイトルは「ニュー・グラス」と名付けられ、ブルーグラス新時代の先鞭をつけたのでした。

アライアンスはその後メンバー・チェンジを繰り返します。クロス・ピッキングの名手ダン・クレアリーが抜けた後のギターにはクラレンス・ホワイトの流れを汲む新星トニー・ライスが入団してきます。そして1970年初秋にマンドリンのサム・ブッシュ、そのすぐ後の11月にはバンジョー奏者のコートニー・ジョンソン、翌71年末にカーチス・バーチ(ギター、ドブロ)とメンバーが次々と替わりました。こうして設立メンバーはフィドル奏者のロニー・ピアスとベース奏者のイボ・ウォーカーだけとなってしまったのでした。

このバンドの評価は高く人気もあったのですが、収入面では苦しい状況が続き、トニーはサムと共同生活をはじめます。この期間、二人は自分たちの演奏に生かす糧としてブルーグラスにとどまらず様々な音楽に触れたといわれています。彼らの間にはより新しいものを求めるように何かが煮えたぎっていたのでした。

1972年にトニーがJ.D.クロウのバンドに加わるため退団すると、ロニーを除くメンバーは「ポニー・エキスプレス」というバンドを立ち上げ、アライアンスを退団します。このバンドこそ新時代の台風の眼となるバンド「ニュー・グラス・リバイバル」に他ならなかったのです。
(次回につづく)

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by scoop8739 | 2004-09-09 09:37 | ブルーグラスの歴史
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